第7話 散策




 それは、ある晴れた昼下がりの頃だった。




「さあさあ、取り立ての野菜だよ! 安いよー安いよー!」

「牛の串焼きはいかがっすかー! 今ならマ・ルッセルで仕入れたちょいとお高い肉も焼いてるよー!」

「おっ、そこのお客さん! 今夜の献立にウチの焼いたパンを買っていかないかい? ノスタリカ産の麦を使ってるから甘くて美味しいよー!」


 口元に手を添え、はたまた、忙しなく手元を動かしながら。

 通りを往来する大勢の人々目掛けて叫ぶのは通りに出店を構えた商人達。

 その大勢の中に混じっていたオウルは、軽く焦げの付いたやや薄味の肉の串焼きを片手に広場へ続く道を歩いていた。


「今日はどうすっかなー」


 対面から来る人達の流れを、のらりくらりと逆らう。

 カタカタと車輪を軋ませる馬車がレンガの敷かれた中央の道を駆けていく。

 のどかな風と、暖かく穏やかな空気に当てられつつ、広場へと進むオウルの足取りは実に軽かった。


「おっ、そこの兄ちゃん良いの食ってんね! 搾りたてブドウジュースもどう? そのお肉と合わせたら二倍は美味いよ! あ、いや、三倍は美味しいかも!?」

「っ? ……あ、いえ、気持ちだけで結構です。はい」


 声を掛けてきたのはコップを片手にした年若い緑髪の少女。

 一瞬、驚いた表情を浮かべたものの、すぐに空いていた手を突き出したオウルは、そのまま少女の目の前を通り過ぎた。


(ほんっとうに商魂たくましいな)


 妙な感心と共に、最後の肉が嚥下えんかされた。

 棒だけになった串を、僅かに見つめ。


「せっかくだし、ゆっくりと街中を歩いてみっか」


 宙を舞った串が、近場のゴミ箱へ吸い込まれた。

 もうじき、街の広場が見えてくる。

 澄み渡った空。

 優しく輝く太陽は、春らしい落ち着いた光でヒルグリフを包み込んでいた。







 ☆☆☆







「流石、最小都市。その名前は伊達じゃなかったってことか」


 刻は黄昏の始まり。

 結局、ギルドの軽食コーナーへ来たオウルは、片隅にあったテーブルで両手を組み合わせ、その上に頭を乗せていた。


「まさか半日も立たずに街を巡り終わるとは」


 街巡りはあっという間に終わってしまった。

 控え目に言って、拍子抜けとしか表現ができない。

 期待していた分をそれ以上の損で失くしたオウルの口から大きな溜息が零れた。


(通りで田舎都市だの最小都市だのって言われるわけだ。これならそう言われてるのも納得……なのか?)


 口に出せば住人の一人や二人から鉄拳制裁を受けることになるだろう。

 そう思ったオウルは、喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、胸中で愚痴るだけに留めた。


「……とりあえず何か食うか」


 頭を上げ、思い出すは昨晩食した肉の盛り合わせ。

 肉汁が染み出す、だとか。

 舌の上ですぐに溶ける、といったものはない。

 しかし、少々強めな塩味と、生焼け特有の柔らかさの中に混じった噛み応えのある絶妙な硬さ。

 その味が。

 その食感が。

 どうしようもなくオウルの好みに合致していたのだ。


 ちなみに、料理の名前は『肉の適当焼き』。

 材料の肉も焼き加減も適当なのと、一皿百五十ケイルという手頃な価格ウリだったりする。


(あー、やべ。急に腹が減ってきたぞ)


 腹の虫は鳴らない。

 代わりに、急激な脱力感に襲われたオウルは、舌なめずりを一つしてからテーブルの横にぶら下がったメニュー表へ手を伸ばした。

 滑らかさのないザラザラとした触り心地の皮表紙に触れ、おもむろに開く。

 その間に挟み込まれた安物の紙には、達筆で書かれた横向きに羅列された文字が所狭しと広がっている。


「……あれ?」


 見慣れたメニュー表を上から下へ。

 目線を動かしたオウルは、訝しんだ。


「ない……だと……?」


 まさか、とメニュー表を上下逆さまにひっくり返す。

 メニュー表を元の向きへ戻すと同時に、オウルの目へ焦燥の色が浮かび上がる。

 貼り付けられた紙の端に指を掛け、なけなしの爪でカリカリと引き剥がさんと小刻みに指先を揺らす。

 無駄にぴっちりと貼り付けられた紙は、全く剥がれ落ちる気配を見せない。

 そこまでしたところで、動きを止めたオウルは目を大きく見開いた。







「ここのメニュー日替わりかよ!?」







 幸い、周囲には暇を持て余した同業人、ないしは一般人達がたむろしている。

 おかげで、オウルの阿保らしさ全開の叫び声が喧騒の中へと消えていった。

 若干、白い目を向けてくる輩もいたが、すぐさま興味関心を失ったのか、その目は例外なく逸れていった。


「はぁー……あれ、滅茶苦茶美味しかったのになぁ……」


 メニュー表をテーブルの上に倒し、がっくりと肩を落とす。

 オウルの探していた『肉の適当焼き』という名は、どこにも書かれていなかった。

 露骨に落胆したオウルは、偶々近くを通り過ぎようとした店員へブドウジュースを一つだけ注文してから、その後ろ姿を眺めつつテーブルに頭を打ち付けた。


(エルネスタのギルド食堂とかじゃあ日替わりメニューなんてなかったんだけどなぁ……)


 乾いた喉を鳴らし、ふと視界に入った隣のテーブル。

 その上へ並んだ野菜の盛り付けられた皿や、スープの入ったお椀に思わず眼差しが熱い羨望を宿す。


「どうせだったらあの食堂に行けば……」


 僅かに顔へ後悔の色がにじんで、


「お待たせしました。こちらブドウジュースになります」

「あ、はい」


 出されたコップに両手を差し込む。

 ありがとう、の一言に笑みと軽い会釈だけを返した店員が人混みの中へと消えた。

 体を起こして、紫色の液体が注がれたコップに口を付ける。


「うわ、ぬるい……」


 泣き面に蹴りを入れられた気分になったオウルの顔へ、薄っすらと陰が差した。


(なんか……もう、散々だ……)


 期待には裏切られ、心で泣いてみればそこに蹴りを入れられる始末。

 コップの中に映るオウルの顔が小さく揺れたのは、きっと気のせいではなかった。


「……今日はもう宿に帰るか」


 残った液体を全て口の中へと流し込んだ。

 ブドウの持つ僅かな酸味が乾いた喉を通り過ぎていった。

 空となったコップを、元の場所に戻そうとして席から立ち上がる。

 否、立ち上がろうとした――その時、




「はぁー、疲れたー!」

「っ!?」




 嫌に聞き覚えのある声が、突如としてオウルの耳を打った。

 思わず体を強張らせ、振り向いた先にいたのは。


(ぐっ、やっぱりかよ!?)


 黄金色の長い髪。

 人影に入ればすっぽりと隠れてしまう低身長。

 そんな少女。

 名をミリアという少女が、丁度テーブルへと座ろうとしていたところだった。


(良かった)


 隣にいる茶髪の少女はあの時言っていた仲間なのだろうか。

 楽しそうにしているところを見るに全然友達ではない友達みたいな人ではなさそうだ。

 幸いというべきか。

 オウルがいることには気づいていないようで、二人で楽しく談笑している姿が見えていた。


(あの後どうなったかと結構心配してたけど特に問題はなさそうで……って、今は安心してる場合じゃねえだろ!?)


 持ち上げた腰を、席へなおざりに押し付ける。

 ミリア達が陣取っている場所はギルドの出入り口近くのテーブル。

 今、ギルドから出ようとすれば間違いなく、ばったりと顔を合わせることになる。

 よってこの瞬間。

 オウルは、ギルドから出る、という選択肢を潰されてしまっていた。


「なーんで、こんなことに……って魔法使いなんだからギルドに来るのは当たり前か」


 激しく混乱している。

 オウルは一旦息を吸い込み、ゆっくりと吐き出して心を落ち着かせると、そっぽを向いて頬杖を突いた。


(今は、ミリア達が動くのを待つしかないか)


 現在地は軽食コーナーの端。

 顔を見せず何もしないでおけば、居眠りしている一般人くらいには見えるはずだ。

 なら仕方なし、とオウルは少女達の方へ耳を傾けつつ、その場でやり過ごすことにした。


「あ、見て見て! 今日は『トマトの丸焼き』が食べれるって!」

「ほ、ほんとっ? ……あ、『レタスとミルクのスープ』もあるよミリアちゃん」

「えっ、どこどこ!? あ、ほんとだ! じゃあ今日はこの二つにしよっ!」

「うん!」


 随分と、仲睦まじい様子だ。

 耳に入る少女たちの声はかしましい程でもなく、純粋に嬉しそうな声ではしゃいでいる。

 それを静かに聞いていたオウルは、知らず知らずの内に顔を優しく緩めていた。

 そこへ、不意にポンと手を打ち鳴らす音が聞こえてきた。


「あっ、そうだ。ねえ、ミーシャ」

「ん? どうしたの?」

「明日マギラの森に行かない?」

「へ? 明日?」

「そう。明日!」


 唐突な話題変換は、どうやらミリアの得意技でもあるみたいだ。

 隣にいたミーシャと呼ばれた少女の明らかに動揺した声を、オウルの耳は人達の喧騒に埋もれながらも捉えた。

 目を細め、首を傾げたオウルの耳へ、更に少女達の声が入ってくる。







「なんかね。オウルがマギラの森に行ってたって昨日受付の人が教えてくれたの!」

「えっ、じゃあもしかしたら……」

「オウルに会えるかもしれない!」







「…………は?」


 耳を傾けていたオウルは、一瞬、何を言っているのか理解ができなかった。

 そんな心情など全く知らないはずなのに。

 少女達は、まるで畳みかけるように言葉を続けた。


「でも断られちゃったって……」

「クランにも入ってないって聞いたし何回も話せばきっと仲間になってくれるはず!」

「えぇー、大丈夫かなぁ」

「大丈夫大丈夫!」


 ダンダンッ、と机を叩く音が遠くから聞こえてきた。

 その声に満ちた自信は、一体どこから湧いてきたモノなのだろうか。

 何故、振り払った手をまた掴もうと伸ばしてくるのか――と、考えたところでプツリと記憶が途切れた。




 そこから先の記憶を。


 そこから先の考えたことを、オウルは覚えていない。


 ただ一つ。


 周囲の音が、遠く離れていく中で一つ。


 少女の、ミリアの自信に溢れた声。




 それだけが、呆然としたオウルの耳にこびりついていた――



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