同棲するなら異世界で!
拝啓、お父さんお母さん。
そちらではいかがお過ごしでしょうか? 未だ息子がいない食卓で悲しみの気持ちを拭いきれず、朝食が喉に通らなくなっていませんか?
朝食は一日の源。俺のことは忘れないで欲しいですが、しっかりと朝食を食べてください。息子は、それだけが心配です。
そして安心してください。僕は元気です。
♦♦♦
異世界————『ミルシスタ』という世界に転移してから早数ヶ月が経った。
山の中に潜む獣の姿をした魔獣も、お空をたまに飛ぶドラゴンも、初めこそは驚いたものの今ではすっかり慣れてしまった。
ファンタジーあふれるレンガ街のような街並み、賑わう市場、人間とは思えない耳が長いエルフに合法ロリさながらのドワーフ————興奮していた俺も、流石に驚くことはなくなっている。
慣れって、本当に恐ろしいね。ここ異世界なのに、完全に順応してしまっているよ。
「お~とこには~、じぶんの~せかいが~ある~」
師匠と同じベッド————ではないけど、一夜を過ごした翌日の朝。
俺はキッチンで一人、小さなフライパンもどきの上で薄切りにしたベーコンみたいな羊肉を焼いている。
異世界の文明はラノベでよく見る世界と同じで、科学技術は発展していないらしく、ガスを使って火を起こすといったことはない。
IHでも使えればいいのだが、生憎と電気というものも存在していないのだ。
その代わり、『魔水晶』という小さな色味がかった水晶を使用して火を起こす。小さな鉄板の下に埋め込まれている赤く染まった水晶を指で叩くだけで、鉄板の下から火が起こるという仕組み。
これならガスキッチンと変わらないように思えるが、火の加減が調節できないのが大きな難点だ。
「ほい、完成」
羊肉をフライパンもどきから取り出し、野菜とチーズを乗せたパンの上に同じように乗せる。
簡易的だが、俺と師匠の朝食としては十分。凝った料理は、夜にでも作ればいいだろう。
「師匠を起こしに行かなくては……」
皿に乗せたパンをリビングに持っていきテーブルの上に置くと、俺はエプロンを脱いでリビングを後にする。
現在、この一階造の小さな家には俺と師匠の二人が暮らしている。
大きさにして1LDK。リビングを抜ければ、すぐに師匠と俺が一緒に寝ている部屋に辿り着く。
この家は小さな木造。ところどころ古臭く、綺麗な白の壁紙に覆われている部屋ではない。一つ一つの壁が完全に木目の見える木で作られているのだ。
表現としてはテラスハウス? そんな感じの家で、師匠が派手好きではないため、装飾品の類などあまりなく、テーブルやベッドの家具ぐらいしか置かれていない。
どこか寂しさを感じてしまうが、師匠がそれを好んでいる。この前、俺が彩りが少なすぎるから「このカーペット買いましょうよ、師匠!」と、薄緑色のカーペットを買おうとしたのだが「ボクの好みとは違うから却下だ」と断られてしまった。
……まぁ、俺としても特に困ったことはないからいいんだけどさ。お客さん来たらどうすんの? って思う。来たことは、俺がお世話になってから一度もないけどさ。
短い廊下を歩き、俺は扉を開ける。
そこには机とベッドが二つ。それ以外、衣装ダンスすらない寂しい空間である。
ベッドに視線を動かすと、大きな膨らみが小さく上下している。シーツを丸々と被り、完全に窓から零れる日差しを完全に遮断していた。
「……すぅ……すぅ」
小さな膨らみから、そんな可愛いらしい寝息が聞こえる。
「……ふむ」
この世界に転移して、師匠に拾われてからの毎朝————俺は毎朝、この光景を見て考えてしまう。
俺、水原凪斗は前にいた世界ではオタクという部類に存在する男であった。
日夜ラノベやアニメ、漫画を読み漁り、友と語り、フィクションの世界にあこがれを抱き、現実ではありえないような想像を膨らませていた。
当然、この世界に来た当初は驚きに加え興奮もした……んだが、今では驚きも興奮も感傷もない。
ほんと、慣れって恐ろしいね。
……ごほんっ! そんな俺だが、生まれてこの方彼女がいないのは、手紙に書いた通り。
そんな俺が一番憧れていたのは————
「イエス、ラブコメ万歳」
もちろん、ラブコメである。
現実ではありえないような美少女幼馴染、ラッキーハプニング、ひょんなことからの運命的な出会い、前髪を上げたら実はイケメン。
ごく普通の生活を送ってきた俺にとって、どれもが空想上のものであり、現実とフィクションは違うというのは嫌でも理解している。
「————がしかし! ここは異世界なのだ!」
そう! ここは異世界! 現実世界でフィクションとの違いに涙をし、「羨ましい、そのポジション変われ」などという妬みを抱くこともない、紛れもない漫画やアニメ、ラノベで見るようなフィクションの世界!
きっと、夢も希望もない現実世界とは違って、憧れていたラブコメを味わい……彼女ができるに違いない。
事実、俺は現在————ラブコメを味わっているのだから。
あらゆるラブコメというジャンルの作品の中、今正に流行りに乗っているのが『同棲』というものだろう。
幼馴染と、義妹と、隣のお姉さんと、クラスの美少女と。フィクション上の娯楽作品では、多くが同棲をし、ラブコメを育んできた。
そして俺は————このシーツの中で眠っている少女と一緒に同棲をしている!
現実では味わうことなど皆無だったが……ビバ、異世界! ありがとう異世界! 俺に早速ラブコメをさせてくれて!
……ごほんっ(もう一回)! 話を戻そう。
俺がどうしてこの世界に来てから毎朝悩んでいるのかというと……実は、どう起こしたらいいのかを考えているからだ。
俺が一緒に暮らしている師匠は朝が弱い。朝食を準備するのも俺の役割で、こうして朝食ができた時間に合わせて俺が起こしに来るというのがいつもの日課。
普通に起こしてしまえば味がない。
せっかくラブコメ状態、ラブコメ万歳の世界でラブコメに同棲&女の子という状況下にいるのだ。
是非とも、ラブコメらしい起こし方をしてラブコメを味わいたい。
「うぅむ……」
だがしかし、ラブコメらしい起こし方とは一体なんだろうか?
俺がよく読んでいたラブコメ作品ではどうやって起こしていた?
思い出せ……俺が愛読していたラブコメは一体どうやってヒロインを起こしていた……ッ!?
(……いかん、思い出すのは起こしに来るヒロイン達ばかりだ)
思い出そうとしても、脳裏に浮かぶのは甲斐甲斐しいヒロインが寝坊助な主人公を起こしに来るシーンのみ。
もしかすると、この状況は本来のラブコメと逆なのでは……?
「……まぁ、とりあえず横になりながら考えよう」
いつまでも突っ立っている状況では考えつくこともできないだろう。
ここは一旦、横になり冷静に考えを纏め、頭がスッキリした状態で考えるのが一番だ。
そう考えると、俺は綺麗に整えられたベッドではなく、シーツが乱れ丸い塊があるベッドの方へと体を寝かせた。
……心地よい。ほのかに甘い香りがする。危険だ、このベッドは。俺の鼻が、肌が、この温もりを感じさせるベッドから離れさせようとしてくれない。
考えが纏まるどころか、このままでは微睡みの中に潜りこんでしまいそうで、激しい痛みがこめかみから走り、卵の殻でも割ったかのような音が聞こえ────
「朝から君は、誰のベッドで寝ているんだ」
「こめかみから聞こえてはいけないような音がァァァァァァァァァッ!?」
……一つ、この世界に来てから分かったことがある。
────現実世界では控えなければならないが、異世界ではラブコメにおける暴力的描写は問題はないということだ。
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