2.

 距離千五百メートルまで近づいた所で、目標との相対速度をゼロにした。

 TBX-1の最新型索敵装置を使えば、この距離なら充分以上の解像度で敵艦を観察できる。

 これ以上近づくと、破壊された艦の残骸デブリが、こちらの船体に当たる。

 浮遊する小さな破片が一つ二つ当たったからと言って、TBX-1の船殻・兵装に深刻な損害が出る確率は低いだろう、とは思っていた。

 しかし長い宇宙戦の歴史を紐解けば、飛んで来た石ころが巨大戦艦の船殻表面にただ一カ所だけ存在した直径わずか五センチの急所ウィーク・ポイントに当たり、航行不能の憂き目にわされたという記録もある。

 のちの数学者をして『五百兆分の一の確率で起きた不運』と言わしめた『竜殺し号ジークフリート事件』だ。

 今となっては、この広い銀河でTBX-1だけが俺の命綱だ。

 何百兆分の一だろうが何千兆分の一だろうが、余計なリスクは背負いたくない。

 俺は、バーバラに索敵装置のズームを命じた。

 船体の中心近く、少しだけ後方寄りの部分から見事に真っ二つに折れた軍艦の姿が、メイン・スクリーンに大映おおうつしになった。

 二つに割れた大きな残骸のうち、うしろ部分は主エンジン爆発時の内圧によると思われる裂け目が無数に走り、もはや何だか良く分からないグチャグチャの金属塊になっていた。

 一方で、船首部分は損傷が比較的少なく、思った以上に原型を留めている。

「船首の主砲近辺をズームしてくれ」

「了解」

 ……驚いた。

 駆逐艦には不釣り合いな大きさの砲塔が鎮座していた。

 各惑星が、高出力エンジン・重装甲の巨大戦艦を先を争って建造し、他国より一光秒ライト・セコンドでも射程を伸ばそうと大口径主砲の開発にしのぎを削る〈大鑑巨砲主義〉全盛の現代にあってさえ、銀河系広しと言えど、ここまで巨大な砲塔を持つ戦艦は数隻しかないだろう。

「なるほど……これか」俺は、操舵席の背もたれに体を預けたまま、無精髭ぶしょうひげの生えたあごをかきながら独りちた。

 この取って付けたような巨大主砲で、三千二百光秒ライト・セコンドの距離から俺の船を狙い撃ちしてきたのか。

「こんなに大きな兵装を載せれば、そりゃ艦影も変わるってもんさな……道理どうりでバーバラが艦級を特定し切れなかったわけだ」

 ……こいつは、だ。

 実戦投入前の試作兵器を載せて密かに出港し、誰も居ない宙域で試験とデータ取りを繰り返す……それを主任務として急造された艦。

 おそらく退役直前の古い艦を改修したものだ。

「ま、要するに俺のふねと同じって訳だ……この『試作』魚雷艇TBX-1の御同類って事だな」

 実戦のためのふねではないから、当然、総合的な戦闘力は低くても良いと割り切って造られたと想像できる。

 駆逐艦に巨大砲塔。

 船体バランス・機動力・連射能力・照準に要する時間、等々、戦闘に関わるあらゆる性能値に悪影響が出ていたはずだ。

「来たるべき巨大戦艦建造の日に向け、密かに兵器のテストを行っていた特務艦、か」

 俺は、メイン・スクリーンに投影された船の残骸を見つめながら独りつぶやいた。

「それも今は宇宙の藻屑もくずだ」

 俺の目がスクリーン上に『嫌なもの』を発見した。

「バーバラ、敵艦残骸の船首部分、船殻の割れ目を拡大投影してくれ……いや、そこじゃない……その向かって右隣の……」

 TBX-1の統合制御人工頭脳が、俺の指示に従って索敵装置の照準を操作する。

 スクリーンの画像がズーム・アップされ、続いて右側に水平移動パンした。

 船体の裂け目から『何か』が這い出る様子を、索敵装置が捉える。

 俺は奥歯を強くんだ。腹の底から込み上げてくる嫌悪感で、自分の顔が歪んで行くのを抑えられない。

 索敵装置を少しだけ広角寄りに調整してみる。

 船殻のあちこちに開いた裂け目を通って、駆逐艦の残骸の中から無数の『何か』が外へ這い出して来る。

 それは、動物の死骸の中から多数のウジ虫が湧き出るさまを連想させた。

 駆逐艦の残骸に湧いたウジ虫どもは、人間と同じ大きさだった。

 姿形すがたかたちも人間と同じ。

 皮膚が緑色だ。そこだけが人間とは違う。

 宇宙船という巨大な構造体……その全身から這い出てくる、無数の、人の姿をした緑色のウジ虫。

 そのウジ虫ども……いや、緑色の肌を持つ人間どもは、ボロボロの布切れを身にまとっていた。

 おそらくはロメロン宇宙軍の制服だろう。

 つまり、あれはロメロン軍ブルーベイカー級駆逐艦の乗組員たち、という事だ。

 正確には、乗組員……その成れの果て、か。

 肌が緑に変色したロメロン宇宙軍の乗組員たちの中に、船外活動用の気密服を着ている者は一人も居ない。

 一滴の空気さえ無い宇宙空間を、彼らは這い回っている。まともな人間では有りえない。

(やはり、この船の乗組員もゾンビ化していたか)

 嫌悪感は有ったが、驚きは無かった。俺は当然の事として受け止めていた。

 敵艦が人工頭脳によって操られていたと気づいた時点で、既に予想していた事態だ。

「バーバラ」自分のふねに命じる。「陽電子パルス機関砲オート・キャノン用意。残骸表面をウジャウジャ這い回っている緑色の化け物どもを、一体残らず撃ち殺せ」

「文法エラー、『緑色の化け物』の意味を定義できません」

 そのバーバラの返答を聞いて、俺は頭の血圧が一気に上昇したように感じた。

(くそっ、分からず屋の機械めが)

 しかし、機械に怒鳴りつけても良いことは何も無い。

 俺は何とか気持ちを落ち着け、幼児おさなごに対するように、ゆっくり、はっきりと、言い直した。

「残骸の、表面を、這い回る、ZMBEに、罹患した、敵艦乗組員を、全員、殺せ」

 ようやく俺の言う意味を理解したバーバラが、今度は俺に意見具申してきた。

「意見具申。その行為には消費エネルギーに見合う戦術的効果がありません」

 たまらず、狭い制御室内で声を張り上げてしまう。「いいから、撃ち殺せ。皆殺しだ」

「了解」

 魚雷艇TBX-1の船体内部から陽電子パルス機関砲オート・キャノンの台座がり出し、千五百メートル先(宇宙戦にいては近距離)の残骸表面に居るゾンビどもに、無数のパルス・レーザーを浴びせる。

 雨のように降り注ぐレーザーが、ゾンビ化した敵兵の体を次々に破壊し、緑色の肉片へと変えていく。

 ヤツらは、。下水を這い回る虫どものように。

 下半身をパルス・レーザーに破壊され上半身だけになったゾンビが、腕の力だけで残骸表面を這う。

 追加のレーザーが降り注ぎ、上半身だけのゾンビが、さらに細かい肉片へ分解される。

 その様子を、俺はTBX-1制御室のメイン・スクリーン越しに見つめる。

 最初に感じていたゾンビへの嫌悪感も、そのうち冷めてしまった。

 ゾンビ化した人間を意味もなく殺戮している自分への嫌悪感も、薄れていった。

 ただ無感動に、索敵装置が補足し投影した映像を見つめ続ける。

 残骸のこちら側を這い回っていたゾンビどもを殺し終え、TBX-1バーバラ一旦いったん射撃を止めた。

 陽電子パルス機関砲オート・キャノンの光が消える。

 残骸の裏側へ回ろうとサイド・スラスターを吹かし始めたバーバラに、俺は「もう良い、充分だ」と言った。

「もう良い、充分だ。射撃やめ」

「了解」

 俺は操舵席から立ち上がり、制御室を出た。

 艇内の狭い廊下を歩きながら唾を飲み込む。無性に酒が飲みたい。

 ゾンビどもを殺したあとは、決まって俺の脳が酒を欲する。

 どんな悲惨な光景を見てもスイッチが切れたように無感動で、それでいて頭の奥底がジリジリと熱せられたように興奮し続けている今の状態を、手っ取り早く終わらせるにはアルコールによる酩酊が一番良い。

 ……あるいは、もっと強い向精神物質か。

 艇の医務室に行けば、負傷兵用のスーパー・モルヒネがある。が、使うつもりは無かった。少なくとも、今は、まだだ。

 一ヶ月前に惑星マンクス上で物資を集めた時、上物のシングルモルト・ウィスキーを一箱積み込んだ。それを飲めば良い。

 廊下を歩きながら、バーバラに「オーバードライブ・モードの準備が整い次第、百二十光速で超光速巡航スーパー・クルーズ、惑星ロメロンへ向かってくれ」と命じた。「ロメロン本星ほんせい防衛軍からの迎撃が無い場合、とりあえず周期二時間の極軌道に乗って惑星表面を観察するんだ」

 言いながら、俺は自分自身の言葉に皮肉な笑いを浮かべた。

(迎撃して来る軍隊だと? そんなものが残っているならむしろ会いたいよ)

 油断は禁物だが、ロメロンの本星ほんせいに近づいても迎撃される危険は皆無だろうと思っていた。

 今や銀河中どの星系へ行っても軍は機能していない。壊滅状態だ。

 わずかに残った軍艦が(さっきまで戦っていたブルーベイカー級駆逐艦のように)あるじを失ったまま人工頭脳の独断で宇宙を彷徨さまよっているだけ。広大な宇宙空間で会敵する確率は非常に低い。

 軍隊の上部組織である惑星政府も、都市も、民衆の生活も、もはやこの銀河系には存在しない。

 地上に降りたところで、通りを歩いているのはうつろな目をしたゾンビと野良犬くらいのものだろう。

 それでも俺は、このTBX-1に乗って星系から星系へと航海を続け、惑星の地表に降り立ち、町から町へと移動する。

 一つには、生存に必要な食料その他の物資を調達するため。

 もう一つの理由は、広い銀河の何処どこかにまだ生き残っているかも知れない、俺以外のを探すためだ。

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