音の境界で
中州修一
音の境界で
ヒカリの届かない星で
君の隣、二人で腰を掛ける。
オハヨウ、オハヨウ。
オハヨウなのか、コンバンハなのか。
ここには音がない。
あるのは、どうやって作ったのか分からないビル群と、そこを見たこともない乗り物で移動する人々。
そんな世界を地上から見上げている。
ああ、夢を見ているみたいだ。さっきから眠気を全く感じない。
「ここは、いい所だな」
肩が触れるほど近い彼女にそう言おうとして、言えなかった。何も言わない代わりに、にこりと彼女に微笑む。
彼女はただ、微笑みながら体を何かのリズムに合わせて揺らしているようだった。
「オハヨウ、オハヨウ」
そうやって言っている気がした
――――――――――――――――――――――――――――――――
冬と春の間、夜でも段々と温かくなる日が増えた。
俺はハードタイプのギターケースを背負いながら、夜の繁華街を歩いていた。
今日のチップは交通費に消えてしまうから、今日はこのまま帰るしかない。
行き交う人々は酒気を帯びた顔で楽しそうだ。
それに比べて、俺はどうだ。……やっぱりやめよう。
背負ったギターが、重々しく背中にのしかかる。
夢を追っているのか、はたまた惰性でやっているのか、最近は見分けがつかなくなっていた。
ドが付くほどの田舎からここまでやってきた時は「世界中に名前を轟かせるんだ」って、何も考えないでやってきた。
今日稼いだ金を遣い、電車に乗る。
いつも通り席には座れず、SNSの投稿を立ちながら確認していく。自分を片手間で応援してくれている人達のツイートが上から下へと流れていく。
―――そして見つけた。
「スターの卵募集!!プロのアーティストの方々が審査員を務めます。応募はこちらから」
チカチカするほどの大量の絵文字と画像が添えられたこの投稿は、俺の中で何かを沸かせた。
何度も見てきた、ずっと目指していた有名レーベルのアカウント名が投稿の上の方で光っている。
投稿が示す日時はちょうど今日から5日後を示していた。時間はないが、これはチャンスだ。
何度もこの手のオーデイションに応募しては敗走を繰り返していた。
しかし毎回、これを見たらどうしても夢見てしまう。
俺が多くの人の前で自分の曲を披露している姿を。
俺が路上で演奏するのは、朝と夕方の2回。
通勤する人が多い時間帯に歌うようにしている。
少しでも多くの人に演奏を届けて、朝の憂鬱を吐き出してほしい。仕事の疲れを癒してほしい。
地元から出てきた時はそれこそ、何も考えずにただ演奏していた。
自分が歌いたいときにここにきて、自分が好きな有名バンドのカバーや、自分が一生懸命作った曲をここで披露していた。
「一週間で一曲作る」を目標にしていた時の俺は、ただ走っていた。
でも段々その勢いも衰えていく。新曲を作る頻度が段々と減り、生きるためにバイトの時間を増やし、疲れて夜はすぐ寝る。
お前はなんでここに来た。自分が一番やりたいことを目指してここに来たのに。
生きるがゆえに、自分の夢はどこまでも彼方に飛んでいく。
そんな時、自分の中でテーマを作って曲を作り始めた。
「憂鬱な朝を少しでも明るくする歌/寂しい夜に少しでも寄り添える歌」
そこからは、朝と夜、ライブを行いながら、曲を書き始めた。
ひょうきんな歌でも、悲しい歌でも、恋愛を歌っても、失恋を歌っても。
二つのテーマからは外れすぎない歌を書くことにした。
昨日のオーディションの掲示を見てから、自分の中で自分がうるさい。
動け動けと、自分を操縦する別の何かが激しく訴える。そして俺も、そう思う。
行動ならしてきた。テーマを決め、自分の中でこれ以上ないほどに努力してきた。
次で報われてくれたら嬉しい―――
ギターを掻き鳴らす、爽やかでどこまでも響く音が、出勤中の人へと届いた。
頑張れ頑張れ、今日も楽しい1日だ。
「また歌ってるよ、あの人働いてないのかな?」
「うるさいなぁ……」
時々聞こえる声は、暗いものが多い。
みんなが朝が嫌なものだと思っているからだ。そうに違いない。
だから俺は少しでも、みんなに寄り添える歌が歌いたい。朝を少しでも明るいものにしたい。
皆に元気つける歌っているのか、自分を勇気つけるために歌っているのか、分からなくなった。
朝の分の路上ライブはいつも通りだった。
いつも通り、何もなかった。自分が今日何の曲を演奏したのか、うろ覚えでしか残っていない。
最近は新曲もめっきり作らなくなり、歌う曲が固定され始めているからだ。
「なんだか―――みじめだな」
オーディションを区切りにすると決めてから約一日。
応募することを決めこそすれど、どの楽曲を応募するかは全く決めていない。
俺が今まで作ってきた楽曲はほぼすべてオーディションに応募したり、直接関係者を捕まえて渡したりしていたが、反応は何もない。わかりきってはいたが、それまでの努力を否定されたみたいで言葉が出ない。
「どうしたんすか、先輩」
直後、お尻の方に強い衝撃が走る。思いっ切り蹴られた。痛い。
振り返ると、バイトの大学生がこちらを見上げていた。
俺が二年前からここでバイトをはじめ、一年後にこいつはここに来た。
自分より一回り若い上に、国立大学に通っている時点で劣等感の元となるには十分だった。
「いきなり蹴るなよ……」
「おはようございます」
「おはよう―――じゃなくて、いきなり蹴るなよ」
「だって仕事してないし。ちゃんと働いてください」
「客はいないし、別にいいだろ」
こいつは真面目で、こんな人があまり来ないコンビニのアルバイトであってもしっかりとこなそうとする。
「んで、先輩の方はどうなんですか」
「どうって、なにが」
「作曲ですよ。最近は全然CDくれないじゃないですか」
ここにきて半年、自分が作曲をしていることを話すと、「え、先輩曲作ってるんですか、聞きたいです。」とその純粋そうな顔でじっと見つめてきたから、一枚のCDを渡した。自分作った中で一番の力作だった。
それが下手に気に入られたのか、それから何度も「他の曲も聞かせてください」と言われるようになり、俺も調子が良くなって何枚も渡すようになってしまった。
でも最近では、こいつはどこか俺を笑っている所があるのではないかと思っている。きっかけがあるわけじゃない。ただ漠然と、そう思い始めた。
大学を卒業しても職につかない俺を、こいつは笑っているのではないか。
『就職もしないでなんでこんな曲書いてるんですか?』
脳内のこいつが何度もそう問いかけてくる。
CDを渡す気にすらなれなくなっていた。
「最近は作ってないからな……できたらまた持ってくるよ」
体の内ではそんなことを思っていない。こいつに渡していない新曲は何枚もある。
「お願いしますよ。一番最近の曲もよかったんですから」
その言葉を、言葉通りに受け取れない自分がいた。社交辞令とか、偽善とか。どうやっても今の自分はその言葉で喜べなくなっていた。
バイトの時間的に、今日は夕方のライブは行えなかった。バイトを終える頃には外は真っ暗で、俺は家に帰るしかなかった。
最寄りのコンビニでバイトをしているから、家までそう遠くはない。
重いギターケースを背負いながら帰り道を歩く。細い道へと入っていくと、通行人も、車も通らなかった。
―――今日は何か良いフレーズが思いつくかもな
プロでも何でもないのに、一丁前にそういう事は思ったりする。
でも部屋でギターを弾いて以前苦情を食らったので、家を通り過ぎ、少し大きな公園へとやってきていた。
昨日今日で自分の中で何かが変わったような気がした。変わった、というか、戻った、かもしれない。体の中心で燃えるような気持ちは、ここに来た当初も持っていた。
少し違うのは、やる気の燃え方だった。赤い、後先を考えないで燃える当時の炎とは違い、青く、赤い炎よりも高温で安定しているような燃え方。
自分の生活に安定など微塵も感じない。けれどここに居るにつれて焦りと共に、憧れも膨れ上がっていく。テレビを見るたびに、スマホで多くの新人アーティストを目にするたびに、そう思った。
公園の中のベンチに腰を掛ける。周りには誰もいない。街灯も離れた位置でうっすらと光っていて、その分星がうっすらと見えていた。
ギターを取り出し、凡庸なコードを引きながら鼻歌を歌う。
「――――――」
何も聞こえなかった―――ただそれは気配だけで。
後ろを振り向く。女性が立っていた。
女性なのか、判断基準はその長い髪の毛。月明かりに照らされ、つやつやと輝いているその髪は、まぎれもなく女優やシャンプーのCMのそれだった。顔色は青白いが、パーツ全体も整っていて、美人の2文字が似合う人だった。
驚きすぎて声が出ない。ギターを弾く手も止まっていた。
心臓の鼓動が一気に早くなる。
『それは何?』
彼女の口は一ミリも動かなかった。でも、声は聞こえた。
彼女が聞いているのがギターであることに気がつくのに、しばらく時間がかかった。
「え、……あ、ギターです」
『それで何をしてるの?』
「え?曲を作ってます……?」
『キョクって何?』
まるで幼稚園児のような質問内容。曲とかギターとか歌とか、その辺の知識を彼女は持っていなかった。
俺は足りない語彙力を使いながらたどたどしく説明していく。今まで当たり前だと思っていたはずの概念があやふやになりながら、彼女の質問に答えていく。
『―――もっとそのオト、聴きたい』
「わかった」
おどおどしながら、ギターをゆっくりと爪弾く。自分がテーマに向かって走りはじめた最初の曲。
朝の憂鬱を吹き飛ばして、元気に一日を過ごせる歌。
演奏しながら、彼女の方を伺うと、じっとこちらを見つめながら動かない。
一曲、弾き切った。周りはしん、と静まり返り、静寂だけが残される。
その中で彼女は声を発する。
『―――心臓がドキドキしてる』
「え?それはよかったね……?」
その反応が良いのか悪いのか、皆目検討もつかない。
しかし、曲を聴く前よりも彼女の目は輝いていた。新しいおもちゃを買ってもらった子供のような、純粋で興味に溢れた瞳。
『ここには、こんなにドキドキするものがあるのね』
彼女は言葉を続ける。それを見上げ、それから俺の横に腰をかけた。
『でもカシのところに、わからない言葉がいっぱいあった……例えば「オハヨウ」って言葉。それって何?呪文?』
俺の曲には、「おはよう」と言う言葉をこれでもかと言うほど入れていた。朝をイメージしながら作った曲だから、仕方がないのだが。
しかしそこを聞かれると俺もよくわからない。だから「おはよう」は呪文。そんなものかもしれない。
おはようとか、こんにちはとか、その言葉自体何も意味なんてない。ただただ俺たちはその日初めて会う人に対して、何も考えずに「おはよう」と言っている。
こんな言葉、意味などあるのだろうか。
たっぷり考えて、答えを導き出した。
「呪文……なのかもしれない。意味なんて無いよ。でもそれを言うことで、俺は安心する。」
『安心?』
「うん、朝、みんなに『おはよう』って挨拶する。で、みんなが『おはよう』って言ってくれる。そうやって何気なく言うんだけど、その言葉を交わしながら、『あぁ、この人と今日も話せる』って安心するんだ」
言葉に迷いながらも、なんとか言葉にしていく。
そうだ、挨拶なんてなんでもいいんだ。「おはよう」でも「こんにちは」でも「ハロー」でも「ニーハオ」でも。
この人とこれからも繋がっていく、この言葉は、そんな意味を持っているのかもしれない。
『不思議だね』
「うん、不思議だ」
『こっちに来る度、驚くことがいっぱいある。』
「こっち?」
『うん、こっち』
「君はどこにいたの?」
この女性はどうやら、ここら辺の住人では無いらしい。だとしたら県外、もしくは海外だろうか
『来てみる?ウタを教えてくれたお礼に』
「……うん?じゃあ、お願いしようかな」
簡単に連れていける場所らしい。彼女がそれを本気で言っているのか半信半疑で、俺は首を縦に振った。
『わかった、こっちに来て』
彼女は無音で立ち上がる。ギターを置いたまま、俺は彼女に腕を引かれていった。掴まれた腕の部分がひんやりと冷たい。
彼女は俺を連れたまま、公園の雑木林を歩きはじめた。
しかしその雑木林もそう広くは無い。すぐに公園を区切るフェンスに到達する―――
「そっちは、行き止まり……」
『違うよ』
「……!!」
すっと、音が消えた。
彼女の声は聞こえるのに、俺は声を発せない。
木々を抜けると、一気に視界は開けた。
『ここだよ』
「 」
君はここから来たのか?
喋れない。声を出している感覚はある。それが伝わるための空気がないのか。
ふと俺はスマホを取り出し、そこに文字を打ち込む
『ここから来たのか?』
『そうだよ。いいところでしょ』
音がない。喋れない。
驚くのはそれだけではなかった。
真っ暗な世界の中で、今俺が住んでいる町でも一番大きなビルよりもさらに大きなビルが群をなしていた。
そのビルの間を浮きながら移動する人々は、見たことのない乗り物で行き来している。
『ここは、何?』
『私の世界だよ。ここに住んでる』
『空気がないの?』
『その漢字なんて読むの?』
頭が理解から遥か遠い位置にいた。
空気がない。彼女はさっきから、というか会ってからずっと、呼吸をしていない。言葉も発していない。
『君はどうやって言葉を出してるの?』
『わからないけど、物心がついてからずっとできるよ。逆にどうやって口から言葉を出してるの?』
不思議、と言う言葉では済まされなかった。
ただただここは、居心地が良かった。
音がない。元の世界で静寂を感じる時の耳鳴りすらない。真の意味での無。
街行く人々の罵声も、鬱陶しい後輩の声も、ここには存在しない。
『よくあっちの世界に行ってるの?』
『ううん、これで2回目。1回目は、あそこから外に出た途端眩しすぎてすぐに戻ってきちゃたの』
『太陽のこと?』
『……ごめん、その漢字の読み方もわからない。』
『じゃあこの世界はどうやって明るくなるの?』
『明るくならないよ?ずっとこのまま』
朝が来ない。と言うことか。
『ここのこと、教えてありがとう』
『嬉しそうな顔してる、良かった』
初めて、にこりと笑ってくれた。
『いいところだな』
『でしょ。でもあなたのウタも良かった』
肩が触れそうなくらい近くに座るその女性は、体をリズム良く揺らしている。
『そろそろ、帰ろうと思う』
『早いね』
『いい曲が思いつきそうだから』
『それはいいね。絶対聞かせてね』
今日は本当に不思議な一日だった。
自分の中にあった炎がどんどん大きくなりながら、全てがひっくり返るような感覚を覚える。
太陽も、音もない世界で生きる人に出会えた。そんな人と数時間言葉を交わすだけで、そんな世界を体験するだけで、自分の炎はどんどん大きくなっていく。
より洗練された青へ。静かで、それでも確かに熱い青い炎。
『ありがとう』
『こちらこそ、ありがとう』
ベンチに戻る。振り返っても彼女の姿はもう見えなかった。
―――――――――――――――――――――――――――
「―――いやあ、感動的なお話ですね!鳥肌が止まりませんでした!」
「本当にこのようなことを経験されたんですか?」
カラフルなセットを背景に、俺は長いテーブルに座り、数人の人物と肩を並べる形で座っていた。テレビでも超有名なアナウンサーと、有名司会者たち。
俺が書いた曲が朝の情報番組で使われることになり、今日はその初日。
番組内で俺についての特集が組まれ、俺は初めて、この話をテレビへと告白した。
司会はわざとらしいほどに声を張り上げ、俺に話を振ってきた。
この質問への答えは考えている。
「はい―――この経験があったからこそ、自分は今ここに立てています。」
「なるほどぉ……!それで、それからその子と連絡先とかは交換したの?」
「いやいや、するわけないでしょ!」
アナウンサー含め、撮影を傍から見ている人全員がどっと沸いた。
「何言ってるんですかもー!困ってるじゃないですかー」
「いえいえ、全然」
「あはは―――あ、それでは最後に、テレビの前の皆さんに一言、お願いします。」
アナウンサーの人が機転を利かせ、俺へと話を振ってきた。
緊張したのは一瞬。俺はずっと考えてきた話を、声にして伝えた。
「はい……この曲は、聞いてくれた人の朝の憂鬱に少しでも寄り添える曲だと思っています。この曲を聞いて、少しでもあなたの中の憂鬱が包み込めることができたら、と思います。」
「ありがとうございます!本日は最近急上昇中のシンガーソングライターの―――さんにお越しいただきました!ありがとうございましたーー!!今日も元気に、行ってらっしゃい!」
いくら経験しても、カメラの前に立った時の緊張は慣れるものではなかった。
どっと疲れた体で、タクシーの後部座席に座った。
「ここまでお願いします」
自宅よりちょっとずらした住所を指し示すと、タクシーは走り出した。
緊張が抜けた後の独特の脱力感の中、俺はスマホを開いた。
あの日作った曲は、今回情報番組のテーマソングに抜擢されたこともあって、自分でも信じられないほど多くの人が聞いてくれた。
路上でライブしていた時の、何十倍も多くの人。
『朝のとげとげしい気持ちを和らげてくれる曲でした』
『一日のはじめはいつもこの曲を聞いています。静かな曲調が朝の低いテンションに寄り添ってくれます』
『ゆったりし過ぎて、眠くなりそうな曲。この曲を朝に聞く理由が分かりません』
『―――さんの曲はいつも素晴らしいですが、この曲は特に好きです。』
ほぼ毎日眺めるレビュー画面には、多かれ少なかれ否定的なコメントは流れる。
音のない声が、自分が否定しているような気持ちになる。
でも、これは自分が望んだ曲を作った結果で。むしろ多くの好評コメントが流れていることが、何よりもうれしかった。
万人に共通して響く作品なんて存在しなくて。そしてだからこそ、世の中にはどこまでも広がる水平線のように曲が存在し続けている。そんな中で自分の曲を見つけ出してくれて、聞いてくれて、コメントを残してくれて……それだけで、涙が出るほど嬉しかった。
「―――到着しました」
「ありがとうございます」
降りた先は、以前勤めていたコンビニだった。毎回ずらして指定するため、本当にたまたまだった。
結局引っ越しはしていなかった。まだまだ売れ始めたばかりだし、あそこには妙に愛着がある。
このコンビニにも、たくさんお世話になった。
「懐かしいな……」
吸い込まれるように店へと入った。
「いらっしゃいま―――あ」
「お……おお!」
体に張り付いていた疲れがどこかへと飛んで行った。
俺の視線の先には、大学生のアルバイト。
俺がよく新曲を作っては聞いてもらっていた人だった。
「まだ働いてたのか……もう3年生か?」
「いえ、4年です。今就活してます」
「そうか、もう3年も経ってたか……」
「……随分と人気になられましたね」
「そんなことはない、と思う。―――でもお前が曲をいつも聞いてくれたから、今の曲が書けるのかもな。ありがとう」
当時の何倍も畏まられた後輩に対し、俺は頭を下げた。
頭を上げると、目を見開きながらこちらを見ている。
「……どうしたんだよ」
「いえ、内面まで随分と変わられたようで……少なくとも3年前までは、僕に感謝なんて伝える人じゃなかった。」
―――そう、当時は彼の「音のない声」に怯えていた。
彼より学歴で劣っている。陳腐な曲しか作れない自分を笑っている。
全部全部、自分の心が作り出したものだから。今
なら、全部受け入れることができる。
「少なくともあなたは、絶対僕のことを嫌っていると思っていました」
「ああ、思ってた」
「僕はあなたの曲が本当に好きだった。―――特に、今日特集されてたやつ。僕に初めて聞かせてくれましたよね」
「ああ―――そうだな……」
あの世界から戻って、すぐに一曲作った。
嬉しくて嬉しくて、嫌いだったのに夜勤中の彼にCDを渡しに行った。
結果その曲が、俺の人生を大きく変えたんだ。
「夜勤明けで疲れてたのに、CDだけは聞いて―――聞いているうちに自然と、眠気なんてどこかに行ってしまってました。―――最高の曲でした」
「―――ありがとう」
彼の口からの言葉空気を伝わり、俺の耳へと届く。
画面上の何百のコメントに勝る一言だった。胸が満たされて苦しい。
「また、新曲できたら聞かせてください。あなたのファンとして」
「当たり前だ」
ここに来る前は疲れ切っていたのに、どこまでもいける気がした。
俺はその足で自宅からギターを持ち出し、大きな公園へと向かった。
あれから、俺はあの公園へ行くことはなかった。新しい曲ができても、忙しすぎて聞かせる時間が取れなかったからだ。
太陽は真上へと昇り、俺たちがあっちの世界へ行くのに通った林は、整備されて更地になっていた。
『また君のキョク、聞かせてよ』
今思えば本当に一瞬の関わりだった彼女の顔が、くっきりと思い出される。
俺はベンチに座り、いつも背負っていたギターを取り出し、爪弾く。
当時彼女に初めて聞かせた曲だ。
「ねえ、あれって―――さんじゃない?」
「えっほんとだ……!今朝も特集組まれてたわよ……」
遠くで子供を連れた母親たちが、言葉を交わしていた。
路上ライブで演奏していた時とは明らかに違う反応、眼差し。
自分は変わったのだと、思った。
『あなたは人気者なんだね』
―――本当に最近だよ。君のおかげだ。
「ねえねえ、お兄さん朝の歌の人でしょ?」
「ちょっと―――ごめんなさい、息子が活動の邪魔をしてしまって」
さっきまで遠目で見ていた子供たちが駆け寄ってくる。母親たちもそれにつられて近づいてきた。
「全然かまいませんよ」
「それよりさ、朝のうた歌ってよ!おれ、あのうた好きなんだー!」
「いいぞー」
ギターを構えなおすと、子供たちはしん、と静まり返った。
『あなたのウタは本当に良いね。ドキドキする』
―――君が教えてくれたことだ。ありがとう
気配がする。あの日と同じだ。
俺はゆっくりと、歌い始めた。
音の境界で 中州修一 @shuusan
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