とにかくマイペースに異世界でも暮らしたい!

ココナッツヨッシー

チャプター1

新しい日常のはじまり

始まりの日



 桜が満開に咲いたある春の日。


 今日は坂の上のある高校の始業式。

 春季休業という安息の期間も昨日でおしまい。今日からは再び一日の大半を学校で過ごす生活が再開して、生徒達はいつもの日常に様々な思いを馳せる。


 そんな中、校舎の端にある教室ではクラスメイト達の話し声が響いてる。誰もが久しぶりに再会して会話のネタが尽きることのない。


 そんな騒がしい中でも眠りに落ちている生徒が一人。

 彼の名前は長星ナガホシ 侑希ユウキという。黒紺色のマッシュヘアーにウェリントンのメガネをかけている。いつもマイペースな性格で、そろそろホームルームが始まるというのにこの有様だ。


「おいー、夢の世界に没頭ってか? 起きろユーキー」


 クラスメイトの一人がそんな侑希の頭を持っていた本でコツンと軽くたたく。


 たたかれた侑希は顔を上げて眠たげな表情のまま周りを見回す。そして見えた男子生徒にいら立ちながら返事をする。


「なんだトシキ? 睡眠妨害は千円の罰金に値するぞ」

「何気に嫌らしい金額だな……」


 男子生徒の名前は村上 俊樹ムラカミ トシキ。前髪を流したショートヘアーに爽やかな彼の顔立ちを十人に八人はイケメンと呼び、温厚な性格かつ強いリーダーシップを持っていることからクラスの内外に問わず人気がある。先輩からも頼りにされていて一年だが生徒会長に推薦されたほどだ。


 そんなまるで絵に描いたような男子生徒である彼は侑希が幼いころ以来の友達、つまり幼馴染。だから俊樹は侑希の言葉が冗談ではないことを見抜いていて、苦笑いを浮かべる。


「どうせ昨日も夜更かししたからだろ? 趣味に入れ込みすぎて生活習慣を崩すのはもっての他だからな」

「肝に銘じておきます……」


 耳に痛い俊樹の指摘に、侑希は再び顔を伏せながら答える。小さく「区切りが悪かったし」と呟きながら眠りの海に沈もうとする侑希に俊樹は呆れてる。


 その空間に一人の女子生徒が背後からこっそりと忍び寄る。

 一歩、また一歩…… 徐々に縮まるその距離。


 やがて彼らの真後ろに達すると、大きく息を吸い込んだ。そして……


「おはよーーーっ!!」

「「ぎゃんっ!?」」


 突然の大声に二人は犬に噛まれたような悲鳴を上げて飛び上がる。

 驚いた表情のままでまるで壊れた機械のようにぎこちなく首を回して、後ろに立ってる女子生徒の笑顔を見る。


「ふふっ、驚いた? 私も驚いた」


 快活な声から発せられるキツいジョークに侑希と俊樹はお互いに顔が引きつっている。周りのクラスメイトも総じて苦笑いを浮かべているようだ。


 彼女の明るい声音もさることながら、小顔で整った鼻梁や鈴を張ったような瞳と顔立ちも整っている。チャームポイントのポニーテールはとても艶やかで凛々しさも感じる。

 そんな高嶺の花と言うべき彼女の名前は時村トキムラ 陽奈ヒナという。実は大企業の令嬢で、また全国大会出場レベルの弓道の腕前がある、まさに才色兼備。校内でも一二を争う人気の美少女だ。


 そして陽奈も侑希や俊樹とは幼馴染の関係だが……いややっぱり高嶺の花、というには少し大袈裟だろうか。陽奈は侑希と俊樹の様子を見るなりぎょっとする。


「ーって、ユウキ、トシキ、顔が真っ青だけど大丈夫!?」

「……AEDはありますか?」

「いや違うだろっ」


 こんな風にちょっとやり過ぎてしまう一面がある。加減を気を付けて欲しいとは誰もが思っていること。それでも陽奈の愛嬌さはそんな欠点でも打ち消してしまう。

 だからそんな光景にクラスメイト達も「いつものかー」という表情を見せてすぐにそれぞれの雑談に戻る。そんな平和な日常を切り取ったような時間。


 陽奈は困ったように頬をかきながら、侑希達を驚かしたことを誤魔化すために言葉を紡ぐ。


「そ、そういえば先生はまだ来てないね」

「え? あ、本当だ」


 腕時計を見てみるともうホームルームがはじまる時間。それなのに先生が来ていない。


 侑希達の先生は「時間厳守」が信念でちょっとの遅れも許さないことで有名だからなおさらのことだ。クラスメイト達もその様子に気付いてよりざわついてるようだ。


「まあ先生が来ないとその分のんびりできるから、陽奈としては嬉しいんだけどね」

「だからと言って寝てたら、先生来たときに何言われるかわからないから気をつけろよな」

「もう、ユウキじゃあるまいし気を付けるよ」


 陽奈と俊樹の会話でさり気なく侑希はディスられる。「解せぬ」とその顔が語っている。そして盛り上がっている会話に静かに溜息を吐く。


 クラス内でも屈指のイケメンと美女が仲睦まじく話をしているのだから仕方がない。更に二人とも自分の幼馴染だとなると、いくら慣れているものとは言え思わずトオイメをしたくなるもの。


「本当に、ユーキも気をつけろよな? マイペースな奴め」


 わざわざ警告しなくていいから、と思いながら首を縦に振って返事とする。まあでも俊樹の言う通り寝ているのを見つかるとかなり厄介なことになるから無碍にできないのも事実だった。


 結局、眠気も飛んでしまったことだし何かしようと思い……机の中からタブレット端末を取り出した。

 決して学校生活に必要なものでは無いそれを見た陽奈は特に驚いた様子を見せないが。


「新学年になっても相変わらず趣味だね。もはや本業でしょ」

「そりゃ、三つ子の魂百までってな」


 そう言うなり侑希はどこからかペンも取り出し、描画アプリを起動すると作業を始めた。


 侑希の趣味は”絵を描くこと”だ。昔からノートに絵を描いてきて早十年以上。


 好きこそ物の上手なれ、とはよく言ったもので今では侑希のイラストはネット上にアップすればかなりの人気を博するほどの腕前になっている。

 しかし度が過ぎているマイペースのせいで授業中もお構いなしに趣味に没頭してしまい教師から度々お叱りを頂戴している。そんなこともあり長星侑希の名は全校に知れ渡っていて、学校内では”絵師”という称号で定着している。


 それでもこのクラスの本質を前にしては片鱗に過ぎないのだが……


 蛇足だが俊樹は”リーダー”、陽奈は”姫”だったりする。どちらも的を射た称号だろう。


「あ、ユウキ。ちょっと待って」

「なんだ?」


 さて早速作業を開始しよう、と思ったところで陽奈がその手を止めさせる。


 侑希は一度作業に入るとかなり没頭するタイプで集中を妨げられるのが三度の飯より嫌いだ。陽奈もそれを知っているので、このタイミングで話しかけるということは何か重大な用件があるのだろう。

 その推測はあながち間違っていない。


「相談したいことがあるんだけど、今日の放課後いいかな?」


 ぎゅっと握りこぶしを胸の前で作り、恥じらった顔を伏せながら目線をあわせるために上目遣いになっている陽奈は核兵器もかくやというほどの破壊力を秘めている。狙ったかのようなあざとさだった。


 ただ侑希は陽奈がこういう話をするのはだいたい頼み辛いことを頼むときだと知っている。陽奈は自身の武器をちゃんと理解している。蕩けた陽奈の表情がまたロクでもないことへの巻き込みゆえ、となると乾いた笑みが浮かんでしまう。


 周囲から棘のように刺さる視線が飛んでくるのも濡れ衣だ。俊樹に視線を飛ばすと彼は「俺は何も知らない」とばかりに顔を逸らされた。侑希の口から溜息が漏れる。


 少し現実逃避をしよう、とばかりに窓の外の桜並木を眺める。


 桜前線が訪れているようで見事な満開だ。その景色に見惚れていたら、あるものが視界に映った。


(……ん? なんだアレ)


 桜並木の遥か上空に、爛々と輝く物体が浮いていた。


 よく見てみればそれは人型。目深に白色のフードを被り表情は伺えず、全身は白装飾でおおわれている。そして身体からは大きな翼が左右に生えていて……


 …………なんだアレは。


「なあ、陽奈……」


 幻覚かも知れないから陽奈にも見えるのか確認しようと思い話しかけたのだが、


 ……


「……ありえないでしょう」


 目の前には、それすら凌駕するほどに信じられない光景が広がっていた。



━━教室の床が青白く輝きだした。


 直後に光の環が出現した。大きさの違ういくつもの環が重なって、その環の中を光の幾何学模様が高速で回っている。実体ではないのに、鮮やかに見える。


 侑希とクラスメイト達に与えられた新たな日常は、ほんとうに前触れすらも無かった。


「なっ、なにこれっ!?」

「えっ、おっ、落ち着け!」


 寝ていた生徒は光の環を見るなりすぐに目覚めて冷や汗を一筋垂らすと思わず席を立つ。

 頭の理解が追いつかない、説明できない光景。


 そんな中で一部のクラスメイトはこの環に対して、嘘だと思いたい考えを浮かべていた。


(えっ、これってまさか魔法陣!?)


 魔法陣。それは不思議な現象である”魔法”を使うのに用いられる特別な模様のことだ。

 しかしそんなものが、どうしてこんなところに……


 そんな中で一人の生徒はすぐに危機感を覚え、駆け出しながら叫んだ。


「こ、これは絶対にマズい奴だ! に、逃げろぉ!」


 その言葉にクラスメイト達はハッとした。この状況を前に立ち止まっていたとは何たる迂闊か。彼らはお互いにうなづき合うと、悲鳴と共に廊下へと脱兎のように逃げ出す。


「だ、誰かっ! 誰かー!?」

「ど、どういうことだっ、説明しろよ!!」

「分かんねえよ! 少なくともいつものよりヤバそうだ!」


 悲鳴が木霊する中でもパニックは起こさず、クラスメイト達は次々と確実に脱出していった。


 侑希達も全力で駆ける。狭い教室、逃げ出せない道理はない。邪魔な机と鞄を押しのけて一目散に走る。


 しかしその時、急激な違和感に襲われる。


(……あれっ、走っても走っても出口に辿り着けない!?)


 教室の大きさなんてたかが知れている。いくらドアから一番遠い位置にいたって十秒もあれば外に出ることはたやすい。それなのにまだ出口に辿り着くことができないのは一体どうして?


 そう疑問に思ったが、答えはすぐに返された。


 景色は確かに教室なのに、その大きさはまるでテニスコートのようだった。

 おかしい、と思って目を擦ってみると、次の瞬間には教室は体育館ほどの大きさに……


 そう、空間自体が広がっているのだ


(嘘……)


 空間が引き伸ばされ、目的地が遠くになるにつれ意識も段々と遠くなっていく。どこまでも広がる空間の中には残された十数人のクラスメイトが団塊的に散らばっている。


 その中で運悪く、侑希は一人で取り残されてしまった。


「ユーキッーーッ!!」

「ユウキーーっ!?」


 俊樹と陽奈の悲鳴が響き渡る。二人が手を必死に伸ばしているのが見えるのに、その手はどこまでも届かないまま。


━━ユーキも気をつけろよな? マイペースな奴め


 霞み行く意識の中、響きわたる俊樹の声


━━相談したいことがあるんだけど、今日の放課後いいかな?


 霞み行く意識の中、響きわたる陽奈の声


 最後まで手を伸ばし続けてくれた、優しい幼馴染。


 それなのにこんな唐突な、未練しかないお別れは……到底許しがたい。


(いつの日かまた、三人で……)


 だからそう誓いを、運命に抗うように立てた。




 結局、あの白衣は何だったのか


 そして時間に厳しい先生がやって来なかったのは……


 疑問点がたくさんある中でこのクラスメイトが異世界の各地にバラバラに転移する事件、


 通称”非現実の消失”は起こったのだった。


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