第7話 竜神の町と祭りの巫女 (後編)
それから俺達は、町長に案内された宿屋に無料で好きなだけ滞在できることになった。
そこは、数年前に俺がまだ勇者どもと旅をしていた頃も泊まった、この町で一番良い宿屋。一階がロビーで二階が宿泊施設というシンプルな造りの建物だが、使われている木材は全て高級品で、まるで空気の澄んだ森にいるような心地のする、とてもいい宿だ。
ちなみに、俺の恋人が勇者に寝取られたことが発覚したのも、この宿屋。
思わず『別のにしてください!』と言いそうになったが、宿屋を見た瞬間にレイシーが『わぁあ~!』と歓声を上げたので、断り切れずにまたここに来てしまった。
(アメリアは、可愛かったな……)
アメリアは、今でこそ王妃などと呼ばれているが、昔は俺の恋人だった。
緩く巻いた栗毛が柔らかくて、ほがらかで、いつも優しくて。ふんわりとした笑顔が素敵な、回復魔法の得意な白魔法使いだった。
勇者が前からアメリアに言い寄っていたことは知っていたが、アメリアは『私の恋人はヨハンです』ときっぱり断っていたから、あまり気にしないようにしていた。どうせそのうち諦めるだろうと。
でも、勇者はその晩アメリアに夜這いをかけた。
ああ見えて、剣の腕だけは一流だった勇者。大騒ぎすることでパーティが解散するのを恐れたアメリアは、勇者を受け入れたのだ。
結果、俺は裏切られた。
アメリアは、俺よりもパーティ……魔王を倒すことを選んだのだ。
彼女は両親を魔王に殺されていたから仕方がないのかもしれない。
だが、俺は悲しかった。
夜這いが発覚し、俺は勇者を殴った。
その場で殺してやってもよかったのだが、勇者には厄介な『三回復活の呪文』があるし、それではアメリアが意を決して股を開いた意味がなくなってしまう。
泣き寝入りをするより他なかった。
アメリアは何度も俺に謝ってくれたが、恋人関係を続ける気にはならなかった。
勿論、発覚した当日に別れた。
だが、アメリアがどうしても魔王を倒したいと泣くので、パーティに在籍することだけは続けた。
アメリアの両親には俺も幼い頃から世話になっていたから、『俺は俺の為に魔王を倒す』と心に決めて、魔王の城に――
「お師匠様?」
――ハッ。
「お師匠様? どうしたんですか? ぼーっとして」
(い、いかん、いかん……忘れよう。こんな、どうしようもないことなんて……)
「ああ、すまない。どうした? レイシー」
宿屋の中でも最も上等とされる部屋の寝具やソファにうきうきとしていたレイシーは、一息ついて話しかける。
「そういえば……報酬、値下げしましたね?」
ぎくっ。
「仕方ないだろう、あのときは事情があった」
「自分の価値は自分で決めるんじゃなかったんですか?」
「以前世話になった知り合いが『金を払う』と言っているんだ、俺にだって良心はある。それに、いかに優秀な魔法使いも、最後は信用商売だからな」
「お商売って、難しいんですね……」
「勉強になっただろう?」
にやりと笑いかけると、レイシーはこくりと頷く。
「で? 巫女の代役を受ける報酬額は決めたのか?」
「それはまだ……でも、いいんですか? 追加でお金なんか取って」
「追加じゃない、元より巫女の代役なんて想定外だ。俺への依頼に含まれるのはあくまで雨を降らせること。だが、前夜祭では『竜神を呼んで雨を降らせること』にこそ意味がある。今年も竜と町との契約を結び直そうという意味が込められているんだ。そうして翌日は、竜神との契約が結ばれたことを祝う」
「なるほど……じゃあ、ただお師匠様が魔法で雨を降らせるんじゃ意味がないんですね?」
「そうだ。だから、これは俺への依頼でなくてレイシーへの依頼なんだ。当然報酬も別になる。お前の好きな額を決めろ」
そう言って、先程町長より受け取った巫女役の衣装が入った包みを手渡す。
包みを開けたレイシーは、みるみるうちに赤くなった。
「えっ。あの、コレ……! すごい露出度なんですけど……!」
「だからイヤだったんだ。いくら美女に化けたとて、ソレを着るのは勇気が要る」
「お師匠様、私を騙しましたね!?」
「ふふ。イヤなら依頼を断ってもいいんだぞ? 俺は町にレイシーを斡旋しただけで、受けるかどうかを決めるのはお前自身だ」
「あんなにおめでたい雰囲気だったのに、今更断れるわけないですよぉ!」
ひらりとしたレース生地のドレス。人魚の鱗をモチーフにしていると言われるソレは、丈の短さもさることながら、乳首と股以外隠す気がないのか? という攻めに攻めたデザインが印象的だ。
俺も初めて見た時は感心したものだ。
アレを代々着るという、巫女の決意はすげぇ、って。
もし俺が巫女の家に女児として生まれたら、まぁ間違いなくグレるだろう。
「ほ、ほんとうに着るんですか? コレを……」
「仕方ないだろう、竜神はフリフリのスケスケが好きなんだ」
「だってこれ、ほとんど紐じゃないですかぁ……?」
「レイシーはスタイルが良いんだ、自信もて」
「えぇ~……? そういう問題ですかぁ?」
げんなりとしながらも、レイシーは結局依頼を受けることにしたらしい。祭りの開催を、町の人がとても嬉しそうに喜んでいたからとかなんとか言って。
ちなみに報酬は、一回の祈祷で、その辺の町娘が一週間花を売ったくらいの額。
一般人的にはそこそこな額に思うかもしれないが、俺にしてみれば安すぎるくらいだ。
『初めてで、失敗するかもしれないから』と言っていたので『成功報酬にして倍取れば?』と提案したら、『失敗しても大丈夫と思うと、うまくいかなくなりそうで怖い』んだと。今回は絶対に成功させたいから、そうやってあらかじめ報酬を受け取っておいて、自分で自分を追い込もうという作戦だ。
責任感は人一倍あるらしい。いったい誰に似たんだか。少なくとも、俺じゃあないだろう。
ほんと、いい子に育ったよ。
◇
その日の夜。俺は前もって竜神に挨拶をしておこうと、村はずれの泉を訪れた。
少し欠けた月の映る湖面に、水の元素を通して呼びかける。
「竜神、いるか?」
しばらくすると、湖のそこからブクブクと泡が発生し、中から竜神が姿を現した。蛇のような竜のような、蒼い鱗の水の使い。この町を古くから守るという、信仰と水の元素の集合体だ。
『――魔術師か。久しぶりだな』
「お前が泉に撒かれた毒気にやられておかしくなった時以来か? あれから具合はどうだ?」
『ああ。あのときは世話になった。体調にも問題は無い。して、今日は何用か?』
「明日、竜神祭りの前夜祭で巫女の代役がお前を呼ぶ。だから、絶対に来てくれ」
『代役……?』
「町に勇者の像が建ったのは知っているか? お前の噴水を撤去して」
『ああ、あれか……』
その口調から、『人間はなんと愚かな……』的なうんざりとした心境が伝わってくる。
まぁ、人間なんてのは愚行を繰り返す生き物だから、千年を生きる竜神にしてみれば慣れっこらしいが、それでもため息はついつい出るんだと。
「それに怒った巫女一族が、町から出て行ったらしい。だから、明日の巫女は代役なんだ」
『それで最近、巫女の声が聞こえなかったのか。巫女の声が聞こえなければ儂は雨を降らせられない。この地に影響を及ぼすには、依代が必要だ。声が聞こえなくなってから数か月、町はさぞ大変だろう』
「だから、明日の雨降りの儀式のあと、勇者像を破壊する。そうすればきっと巫女一族は帰ってくるはずだ。お前には、是が非でも来てもらいたい」
『ふむ……話はわかったが、親切心で他人に肩入れしない主義のお前が儂の元をわざわざ訪れるなんて意外だな。この村に恩義でもあるのか?』
「別に恩義はないが、明日の代役が俺の弟子なんだよ」
『弟子? お前が?』
さも珍しいものを見たというように、竜神は目を丸くする。
「弟子の初めての晴れ舞台なんだ。魔法使いだって信用商売、いくら実力があろうと依頼が成功しなければ次の依頼がやってこない。だから、呼びかけに応えてやってくれ」
『言われなくとも、真摯な魂からの呼びかけには応えよう』
「頼んだぞ?」
(これで根回しは完璧……)
と思いつつ泉を去ろうとすると、不意に竜神に呼び止められた。
『だが、お前は駄目だ』
(……!?)
刹那、背後から凄まじい鋭さの水が噴射される。
「なっ――! 気ぃ狂ったか!」
咄嗟に
「てめっ、ふざけっ……!」
思わず反撃しようと右手に炎を発生させると、竜神は鱗を逆立て、警戒態勢のまま口を開いた。
『よくぞそこまで巧く化けたものよ。邪なるモノ』
「は……!?」
『会話の中で、お前はヨハンと儂しか知らないことを知っていた。故に騙されそうになったが、その身の内に潜む邪気までは隠しきれなかったようだな? いや、到底隠しきれる代物ではなかろう』
(……!!)
身に覚えはある。
竜神は、俺の中にいるアイツのことを言っているのだ。
『町の像を破壊し、何を企んでいる? 儂を長年信仰してきた町の者を傷つけるつもりなら、容赦はしない』
繰り返される激流噴射の猛攻。だが、ここで竜神殺しなんぞしようものなら、俺は、レイシーは。一生色んな奴らに負われる羽目になる!
「ちがっ……! これには訳が! 話を聞け!」
反撃してもいい。だが、下手に本意気で力を振るえば、竜神を殺してしまうかもしれない。今の俺は、こと攻撃魔法に関しては制御が効きづらい身体なのだ。ここ数ヶ月は、特にひどい。
(くそっ。どうする……!?)
防戦一方で息が上がってきた頃、不意に人の気配が。
「すごい音……!? いったい泉で何が……って、お師匠様!?」
「レイシー!?」
「「どうしてここに!?」」
突如として登場したレイシーに、竜神が攻撃を止める。
『む……そなた、巫女の代役か?』
露出度限界のヒラヒラフリフリドレスを身に纏ったレイシーを見て、竜神が尋ねた。俺もついつい口を開く。
「なんだ、その恰好!?!?」
「えっ、あの、今年の巫女服です……本番前に、泉でひとりリハーサルしようかなと思って……」
もじもじと胸元と下を隠すレイシーだが、スタイルが良い――というか、発育が良すぎるせいで、ぶっちゃけ見えそう。実際に着てみるとそれがよくわかる。
衣装の作り手側も、レイシーがここまで着痩せしていたとは思っていなかったのだろう。こんな恰好で舞なんて踊ったら、間違いなくポロリ……
「ええと……似合ってますか?」
上目遣いで聞かれたところで、まともな感想なんて出てこない。
「とにかく何か着ろ!!」
「あの、着てますけど?」
「そんな服で踊れってか!? そんなハレンチな真似させられるかボケ!」
俺は、どうにもならない感情を竜神に八つ当たりした。
「てめぇがヒラヒラのフリフリ好きなせいで、巫女の衣装は毎年こんなだよ! 少しは反省しろ!!」
その露出度に竜神は、戦いを忘れて微笑んだ。
『
「死ね!! 俺の弟子に色目使ってんじゃねぇ! この、クソエロドラゴン!!」
「あ、あの……お師匠様? さっきはここで何を?」
その問いに、クソエロドラゴンが答える。
『そうだ、儂はその邪なるモノに町がかき乱されぬよう、天誅を与えていたのだ』
「それって、お師匠様を攻撃していたってことですか?」
『どけ、娘。ソレは良くないモノだ、離れなさい。儂はそなたを攻撃したくない』
その言葉に、レイシーが俺を庇うように立ちはだかった。
「い、イヤです! たとえあなたが偉い竜神様でも、お師匠様を攻撃するなら許しません!」
「レイシー!? やめとけ、今のこいつは話が通じる相手じゃあ――」
「どきません! お師匠様、私に言いましたよね? 『自分が一番自分を信じろ』って。私は、どんなに偉くて凄い存在が相手だろうと、お師匠様を傷つけるものは許しません! それが私の信念です! 私にとっては、お師匠様が一番なんです! お師匠様を信じる自分が一番なんです! だから絶対、譲りません! 立ちはだかるなら――」
レイシーの両手に風が逆巻く。
湖を満たす水の元素が、それに呼応するようにして大渦を作り出した。
「 倒 し ま す ! 」
「なっ――!? レイシー!!」
――【
レイシーが、心の中でそう叫んだ。
その瞬間、凄まじい勢いで大渦が竜を飲み込む。
『なに!?』
「はぁ……はぁ……謝って、ください。私のお師匠様は、邪なるモノなんかじゃない!!」
その気迫に、竜神は折れた。
というより、心打たれたのかもしれない。
竜神は水の使い。その気になればどんな大渦でも小さな水の粒に変化させられただろう。だが、竜神はレイシーの想いに深く打たれ、俺に謝ったのだ。
『そこな清き魂の娘の言うことだ、間違いはないのだろう。すまなかったな、魔術師よ』
「いや、まぁ……わかってくれればいいんだけど」
(あ、危なかった……)
レイシーが来てくれなかったら、詰んでいたかもしれない。
「ありがとう、レイシー」
礼を言うと、レイシーはにぱっと微笑んだ。
その様子に、竜神も『邪なるモノは、他者に礼など述べんだろう』と納得し、明日の雨降りの儀式に必ず駆けつけると約束してくれたのだった。
◇
翌日。勇者像に儀式を阻害されないよう、像に組み込まれた水の元素を吸収してしまう機構を破壊する。こんなもの、天才魔法使いの俺にかかれば土の元素で中から崩してちょちょいのちょいだ。
そうしていよいよ雨降りの儀式が始まった。
町の広場に設置された特設の舞台に、レイシーが姿をあらわす。
その美しさもさることながら、キワドイ衣装に町の衆は一様にどよめいた。
(あのデザイン、あんたらが考えたんじゃないのかよ……?)
半ば呆れつつ、俺は魔法の準備を進める。
勇者像をぶっ壊す前に、しないといけないとこがあるからだ。
何の魔法かって?
そりゃあ――
「お、始まるぞ!」
「いいねぇ、いいねぇ! こりゃあイイものが見れそうだ!」
レイシーのポロリを期待する、鼻の下を伸ばしきった男どもの声がうるさい。
正直、巫女の一族が町を出て行ったのは、これも原因なんじゃないかと指摘したい。
(ふん、エロジジイどもめ。誰がお前らの思い通りにさせるかよ……!)
俺は、レイシーがぺこりと頭を下げて踊りだしたのを確認し、水、風、炎の元素を利用して霧を発生させた。
そう。俺はレイシーが踊りの最中にうっかりポロリしてしまわないように、重要な部分にモザイク魔法をかけることにしたのだ。
曲に合わせてレイシーが踊る。観衆は期待の眼差しを向ける。
しかし、大事なところは見えない! 俺が圧縮して濃くした霧が、レイシーの見えたら恥ずかしい部分を守っているからだ。
(だから安心して踊りなさい、レイシー)
視線を向けると、目が合った。
にこっと表情が明るくなり、曲も踊りもクライマックス。
そうして終盤に向かう頃、雨が降り始めた。
「「「わぁあ……!」」」
数ヶ月ぶりの雨。その天の恵みに人々は感謝し、涙し、舞台上で美しく舞う巫女代理に拍手を送る。
天から姿を現した竜神が町を一望し、空一面に響くような鯨にも似た鳴き声をあげて飛び去ると、雨が上がって町には大きな虹がかかった。
雨降りの儀式は、成功だ。
「お師匠様……!」
儀式が終わって、レイシーが舞台上から駆け寄ってくる。
「よくやったな、レイシー」
「どうでしたか!? 私の踊り!」
「とても良かったよ。さすがは、俺の弟子だ」
「もう! お師匠様は踊りは教えてないでしょう?」
くすくすと、とても楽しそうに笑う。
レイシーのそんな姿が見られてよかったと思うのは、もう何回目だろうか。
いつの間にか、レイシーは弟子以上に大切な存在になっていたのかもしれない。
まるで、家族のような。
「さぁ、次は俺の番かな?」
◇
勇者の石像があるにも関わらず雨が降ったことに、王都から派遣された親衛隊は驚きを隠せなかった。
町の人々が『奇跡だ』と魔法使いたちを讃える姿が憎らしい。
それはまるで、『お前たちの任務は失敗だ』と笑われているようで。
歓声に沸く広場。その光景をぐしゃぐしゃにしてやろうと、石像の監視を行っていた親衛隊のひとり、ジェイクは剣を手にした。
すると――
「やめておけ」
ローブを身に纏った黒髪の男に、すれ違いざまに肩を叩かれた。
「お勤め、ご苦労さん」
「……!?」
刹那、腕と脚に鋭い痛みが走る。
「ぐっ……!」
見ると、ジェイクの腕と脚は風に切り裂かれ、腱が切れていた。
これでは剣が握れない。咄嗟にローブの男の方を振り返る。
「おっと、余計なことを考えるなよ? 次は頭をやったっていいんだぞ?」
「貴様……!」
「早くここから退いた方が身のためだぜ? なにせ、今から――」
魔法使いが、右手を構えた。
「この像を、派手にぶっ壊すんだからなぁ!!」
像に手を当て、男が叫ぶ。
「爆ぜろ――! 【
ドォオオオンッ――!!
「ははははは! 消えろ、消えろ! 跡形もなく吹き飛べ!!」
一回、二回、三回と。凄まじい熱量の攻撃を内側から加えられ、勇者像は砂粒よりも細かく、木っ端みじんになった。
黒煙と砂埃の舞う元噴水広場で、魔法使いは人知れず呟く。
「今度は、
――『勇者……』
(……!!)
全身に悪寒が走る。
ジェイクは思った。
彼は、あの魔法使いは――
――悪魔だ、と。
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