遠くから来たラブレター
青星円
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俺の名前は伊藤哲也。
平凡な名前だが、匿名性の高いこの名前をとても気に入っている。
とにかく本が好きで、ビブリオフィリアなことは自他ともに認めるところだ。なんでも読む。
ビブリオフィリズムとまで言ってもいいだろう。性愛より、本を好む。
ハイデッカーやマルクスや村上春樹やレムや北斗の拳やサッカーの雑誌、果てはゲームの攻略本まで、蔵書は一万冊を超えるだろうか?いやもっとあるかもしれない。
38歳になった俺には10歳年上の女がいる。学歴はないけれど愛嬌のある女だ。
28歳で初めて会った時の印象はただの「10歳年上の女」だった。
シェアハウスで催された「低温調理の肉を食う会」に彼女は友達の漫画家繋がりで来ていた。なんでも「男性成人向けの同人誌」を出して暮らしているという。
だけど彼女のことを全く知らずに俺は酒を飲みすぎ、おやじゆずりか(実家は大きな酒蔵を持つ酒屋で酒ならいくらでもあった)酒乱の気がある俺は彼女の大きな乳房が気に入ったのか、なぜか彼女にしつこく絡んでしまった。
「新宿に用事があるから帰ります」といった彼女に「俺もそっちだから一緒に行こう」と電車でいろんな部分にキスをしたし胸ももんだ。彼女はノーブラだった。38歳の女がノーブラ?まあいいや、揉みやすい。おっぱいはいい。女は基本的に嫌いだけど、おっぱいは好きだ。セックスは面倒で嫌いだが、おっぱいはいい。
やわらかくて俺にない唯一のものだ。
彼女は泣きながらもう1人いた12歳も年下の女に「助けてぇ……」と言っていたけど、女には「知らん」と言われていた。女は俺の酒乱を知っていたので「またか」くらいにしか思っていなかったのだろう。
泣きながら彼女は新宿で降りて行った。千葉で暮らしているはずなのになぜ新宿で降りたのかはわからなかった。
彼女の名前は「鶴野(つるの)」といった。ちょっとだけ珍しい苗字だな、と思って覚えていた。
俺は実家が太い(具体的にいうと月30万円ほど仕送りもらっていた)こともあって自由気ままに本を読み、全く働かずに暮らしていた。護国寺でシェアハウスを運営していて友達も多かった。「ギークホーム」と通称されるそのシェアハウスはもともとPhe(フェ、と読む)という京大卒のインテリが作ったもので、「ギーク」であるところの俺は居心地がよかった。ギークホームは各地にあり、広がりを見せていた。俺の「ギークホーム護国寺」もそのひとつであり、先の低温調理の肉を食う会もギークホームのひとつ、としまえんの近くで行われた。
それから3年が経った。
3年の間、ギークホームは少し形を変え始めていた、俺はギークホーム護国寺をやめて川崎で一人暮らしを始めて半年が経っていた。その間に気まぐれに覚えたプログラムでひとつアプリを作る仕事をしたりもした。初心者なのにチームリーダーを任されるほど俺は飲み込みが早く優秀で、アプリはその時はやったアニメを腐女子向けにしたものであった。
アプリは好評をはくし、俺の美しい履歴書にひとつ経歴を残した。おやじからの月30万円ほどの仕送りも続いていたので何ひとつ不自由がない。
ギークホームの方はといえば、中卒で俺より2歳下なのに会社を経営している平井という男が10億くらい持て余していて、Pheと組んでギークホームと少し違うシェアハウスを作っていた。京都に住んでるので吉田寮に出入りしていて京大卒のPheと知り合ったらしい
そいつが50万の家賃の「家」をまるごと借り、小部屋を人に貸す。Pheは管理するだけ。
ふたりの利害は一致していた。
そこは「コクーン」という名前で、30畳くらいの広々としたリビングに小部屋(大きさもとりどりで、住人は入れ替わりつつも常に10人ほどいた)が10近くあった。田舎にもあるので把握しきれていないが今まで関東圏内では一番広い「ギークホーム」であった。いや、ここはもう「ギークホーム」ではないのだが。
場所はと言えば俺にとっては不便な浅草橋だったが、歩いて秋葉原にいけることもあり、すでに俺のような「ギーク」ではなく、若いよくわからないやつがたむろするようになっていた。
「ギークホーム」はたいてい男女関係のもつれか誰かがもちこんだ薬物、金で崩壊する。
俺が管理していた護国寺は男女ともに健全で、管理も完全だったが、他のギークホームが細かいいさかいで壊れていくのを見ていた。
ハーブをやらないと絵を描けないと言いだしハーブに興じ(その頃は第二世代と言われる違法ギリギリの合法ハーブが流行っていた)滅多に怒らないPheに「やめろ!!」と叫ばれたやつ、自殺するやつも多かった。刃物を持ち出す女もいた。
毒親から逃げてきてお金がないやつなんかもいた。それでお金がなく小屋のような部屋や相部屋に住んでるやつもいた。
家賃が安ければ安いほどいいと思われがちなシェアハウスだが、実は家賃を安くすると「家賃を払う金さえ持ってない」やつが集まるので、トラブルが多くなるのも知っていた。
が、「コクーン」が人が集まるには最適な場所には違いなかったし、Pheを慕ってくるやつらの中には突飛すぎて面白いやつもいたし、すごく絵がうまいのに偏屈すぎて絵を世に出すのさえいやがるやつや、男に生まれたのに女装して女として生きてるやつや、もちろんギークホーム関係の古くからの友達も出入りしていて居心地は悪くなかった。
「住人」が友達を呼び、広いリビングで遊び、雑魚寝できる部屋もあった。広いリビングには大きなテレビがあり、ありとあらゆるゲーム機が繋がっていた。
ボードゲーム類も平井がありあまっている金で買い与え一つの本棚を占拠するほどあった
住人も大体把握していた。俺が一目置いているのは新たな住人で小説を投稿し、賞を取ったことがある中山というやつだった。
あとPhe(Pheが最年長、31歳だ)もそこで暮らしていた。シェアハウスを転々としているこばにゃん(小林姓が多いので小林は皆独自の呼ばれ方をしていた、こいつは小林悟だ、ちなみにだが鶴野を呼んだ「低温料理の肉」を風呂で作る(のちに流行を見せるが、元祖はこいつである)漫画家も小林姓だが、こちらはPNで「DOOM」(ドーム)と呼ばれていた。DOOMは結婚して出て行った「ギークホーム」住人だ。
ギークホームには「ギーク」な女子が来ることも多かった。東大卒の女は「高学歴すぎて男が引いてしまう」と困っていた。もちろんギークホームは男女すべてのものであり、俺の「ギークホーム護国寺」にもふたりほどの女子住人がいて、一人がリビングで犯されそうになっているのを止めたこともある。
都議会委員を親にもつ美しい(そう、俺は美しいものが好きだった。俺も美形であることを客観視して認識している)女子もいた。都議会議員が親であることはひた隠しにしていた。そういう女子がギークホームで最適な相手を見つけ、結婚することは好ましいことだった。
ギークホームの住人はほとんどがプログラマーを生業としていて、プログラマーをやっている同士で気が合うことが多かった。ノートパソコンひとつで仕事がすむやつが多くて、それが気軽なギークホーム暮らしには便利であった。住人はプログラム言語を教え合い、お互いが偶然知り合いであることも多かった。もちろんギークホームは各地(今やギークホームは全国に50以上、九州から北海道までにある)でインターネットで住人募集もしていて、それをみて集まるやつもいたが、基本的には口コミで伝わっていたので、住人が住人を呼ぶ、という感じだった。
トキワ荘的な、漫画を描くやつを集めたギークホームもあったがそこは「ギーク」ではないので「第4トキワ荘」と呼ばれていた。そちらのことは俺は知らない。
住人の持っている本は「共有スペース」に置かれていて、みんなのものであった。外から持ち込んで置いていくやつもいた。
リビングは狭いところ、広いところ様々であったが、大きい冷蔵庫、キッチン、電子レンジ、果ては誰かが作った食べ物でさえ共有されていた。
たまに炊飯器を開けると香りもかぐわしい「炊き込みご飯」が入っていることもあったし、誰が調理したかわからない肉じゃがが鍋いっぱい入っていて「ご自由に」と書かれていることもあった。
それがギークホームの、いわゆる「日常」だ。
共有できるものは共有する。
お風呂もひとつで十分だった。
住人はさまざまな事情でいろんな時間帯で暮らし、ギークホームに「帰って」くると大体の時間を自分の部屋でなくリビングという共有空間で過ごした。住人でないやつがいることもあった。それは全く構わないとこであった。
住人の部屋に泊まるために来たり、噂を聞きつけて見学に来たり、理由は様々であったが、玄関の鍵は常に開けており、個人の部屋と風呂にしか鍵はつけていなかった。そうやっていろんな友人が増えてくのだ。
ひとつのギークホームには基本的に3〜6人くらいが住むのみで、非常に合理的であった。友達でさえ共有し、インターネットがつまらないと思えるほどだったし、合理は俺の好むところであった。
平井はというと金を持て余しているがゆえ、京都に住み、1ヶ月に数日新幹線でこちらに来るだけで会ったことがなかった。
なんでも会社も自分が動かしたプログラムで運営されていてたまに社員に合うだけでいいらしい。30歳と少しなのに既に10億の金を持ち、時間と暇を持て余していて「自分の人生がRPGのやり込みを消化していくようだ」とブログで嘆いていた。
その頃ヒマを持て余していた俺はコクーンに遊びに行き、鶴野に再会した。
7月の初め頃、そこそこ暑い日だった。
鶴野がそこにいたことにおどろいたが、彼女は17年付き合った彼氏と結婚もせずいたらしく、当たり前だが41歳になっていた。
コクーン住人には女はひとりしかいなかった(それも後で知った)ので当たり前だが目立つしこのコミュニティでPheよりも年上なのは彼女だけだった。
足に黄色いペディキュアをしていて、それが目についた。ただ、あまり綺麗にぬられてるとはいい難かった。
そこで俺は「ペディキュアしてるんだ」と話しかけた。
普通の男は「ペディキュア」なんて言葉を知らない。足につけるマニキュアのことをペディキュアと言うのだ。
鶴野はリビングから一段上がった小部屋のヘリに座って、Tシャツにロングスカートという簡素な出立ちだった。
「うん…この前ちょっと海に行ったから。
でも面倒ですぐはがれるやつにしたんだけどマニキュアだったからうまくはげなくて残っちゃたの」と返してきた。
俺は慶應大学に通っていたときに極度の不眠におちいり、生まれてはじめて慌てふためき(俺はいつでも冷静沈着だ)精神科を受診した。俺は生まれてすぐに一人部屋とSFCを与えられ、小学生の時にはテレビデオを持っていたせいもあり、夜は常にゲームや、10歳頃初めて読み始めた「ニューロマンサー」が面白く、読書にハマるようになり、大体0時を回ってから寝ていたが、全く眠れないということは一度もなかった。たらい回しにされたあげく(後で知ったことだが)変わり者の先生と有名な慶応大学の一番近くの精神科に「戻って」(一番最初に受診したのがその病院だった)いた。特に幻聴や幻覚がみえるなど通常の「統合失調症」ではないが陰性の統合失調症と判断され、引っ越した後もそこに通い、とにかく強い導入剤をもらっていた。たまに確かに幻聴らしきものが聞こえることもあったがそれはただのノイズに過ぎなかった。
鶴野も眠れないやつで、しかも躁鬱が激しく「双極性障害」だという。でもいわゆるメンヘラとは違う感じがしていた。
ギークホーム「界隈」(ギークホームに関わっていてもそこの住人でないやつもいるのでギークホームに関わっているやつのことはギークホーム「界隈」と言う言葉で呼ばれていた)にはメンヘラも多かった。とにかく薬に快楽を覚えるやつ。共通の薬袋が設置され、余った薬を交換するのはギークホームにはよくあることだった。薬を売買したりするのは薬事法違反になるのだが、いわゆるメンヘラたちには関係のないことだった。薬をも共有していたからだ。
俺も一応統合失調症を患っているのでわからなくはない。ただ俺はほぼ「強い不眠」しか症状がなかったので(大学の時は少し幻聴もあった。遠くで俺の悪口を言っている、というやつだ。わりきりはできたつもりでいたがしばらく辛くはあった。気付けば程なくしてなくなった)いわゆるメンヘラたちとは一線を画し、やたら薬の名前に詳しいやつらとは違っていた。
俺と鶴野はほぼ同じ薬を飲んでいた。
鶴野曰く「不眠は生まれつき」らしく、しかも俺と同じくらいひどいらしい。
精神科を回ったが適切な薬がもらえず、バカな内科医を騙して薬だけもらっているという。
その日はやけに鶴野と話がはずんだ。
ゲームの話、本の話、映画の話、なんでも話があった。
が、途中で申し訳無さそうに鶴野は言った
「話めちゃもりあがってて申し訳ないんだけど、どちらさまでしたっけ?」
こいつ、俺のことおぼえてなかったのか。そりゃあんなこっぴどいセクハラした男だが、忘れられてるのは心外だった。
「伊藤ですけど」
鶴野はわかるくらい顔を紅潮させ
「いとうくんじゃん!!!」と言った。
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