第8話 結婚は人生の墓場
帝都の日が暮れるころ。
俺は建設現場に差し込む夕日で汗を輝かせていた。
シーラに言われたからじゃない、そろそろ来る予定だったんだ。怪盗として表の顔も必要だからな。必死に自分にいい訳をしてブロックを積み上がる。
心の葛藤から解放する終業の鐘が鳴り響いてきた。
「おっシチハ、今日は終わったぜ」
隣で作業していたイーシャンが、手を止めて話しかけてきた。彼は人懐っこい顔をしたヴィザナミ人の学生で、小遣いを稼ぐためか時々工事現場で働いている。
博愛主義でも気取っているのかと言ってやりたいが、ヴィザナミ人と揉めると後々が面倒なので大人になって堪える。
「そうだな」
「日当貰ったら、酒でも飲み行かない?」
開く口に泥水でも注ぎ込んでやろうかと、バケツを持ち上げてしまった。
「なに、片付けてくれるの?」
「ああ」
「でっ酒は?」
「悪いが、またにしてくれ。今日は用事がるんだ」
「そうか、じゃあな」
無理強いはしないイーシャンは、あっさりと去っていく。仕方ない、バケツを片付けるか。
「全く、余計な手間が増えた」
俺はバケツを片付けテントの方に向かおうとしたら、尋ね人の方からやってきた。
近付いてくるのは腹が出始めた中年のヴィザナミ人で、現場監督である。見るたびに出た腹がヴィザナミ人の裕福さを見せつけてくるようで切り取ってやりたくなる。
「ここにいたか。ほれ、今日のバイト代だ」
恵んでやるぞとばかりに、ぞんざいに手渡され、嬉しい給料を最悪な気分にしてくれる。いつもなら頭のなかボッコボコにしてやるのだが、もうそんなことイメージするまでもないことに気付いた。
そうか、こいつももうじき無様に殺されるんだっけ。必死に溜めた財産を残して地獄に墜ちるのは、さぞや悔いが残るだろうな。余裕からか何か哀れみすら感じてしまう。
この俺がヴィザナミ人に憎悪以外を感じるなんて、こりゃ魔王さまさまだな。
受け取った硬貨を数え不足が無いことを確認すると気分良く革袋の中に入れた。
「おい、シチハ」
「はい」
バイト代を貰い帰ろうとする俺に、珍しく声を掛けてきた。
「お前ここ最近休んでいたな、病気でもしたか」
「はあまあ~」
余計なお世話だと思うが、怪盗フォックスの隠れ蓑として、ここでは気弱で無害で情けないアルヴァディーレ人を演じておく必要がある。その苦労もあと少しと思えば、前より楽に情けない顔を作れた。
「ほれ」
突然リンゴを放られ、受け取ってしまった。
「これは?」
「今忙しい時期なんだ休まれると困る。それでも食って元気を出せ」
俺が返そうとするより早く背を向けて去っていく現場監督。
哀れみかよ、施しをしていい気になっているんじゃないぜ。
シャリッ、リンゴは歯ごたえがあって甘かった。
「シチハじゃねえか」
バラック街を歩いていると呼び止められた。今日は良く呼び止められる日だ。
声の方を見ると銀髪がお揃いのアデルとマシェッタの兄妹がいた。
アデルは如何にも兄貴って感じの気っぷの良さそうな20歳前後の青年。
180に届く均整の取れた肉体を持つ典型的ヴィザナミ人。俺から見てもいい男で、まっ女には困らない奴だ。
マシェッタは長い銀髪のポニーテールが特徴の気の強うそうな10代前半の少女。
雪のように白い肌と顔立ちから10年後には素晴らしい美人になりそうだが、今は少年とも見間違える体型の悪ガキ。
二人は借金取りかと思われる追撃と連携で俺の前後をあっという間に塞いだ。
「なっなんだよ」
「なあ~俺とお前はマブダチと思ってたんだけどな~」
「そうだよ。あたいはフィアンセじゃなかったのか」
二人はヴィザナミの没落貴族。流れ流れてこんなところに流れ着いたらしい。そんな事情はあるがヴィザナミの元貴族、マブダチでもフィアンセでもない。って、いつ俺が婚約した。
ただアデルはここら一帯の若い連中をまとめてチームなんかを作っていて対立すると面倒なので適当に合わせているだけだ。そう時々酒を一緒に飲んだり、対立チームに殴り込むのを手伝っているだけだ。
マシェッタは五月蠅いから時々遊んでやっているだけ。
これらは俺が穏やかに過ごすために仕方なくやっている事、決して親しみなんか感じていない。
「ステレオで俺を責めるな。何だよ」
「水くさい」
「水くさいよ~」
アデルが俺の右肩に手を置き、マシェッタが俺の腰にしがみつく。
「だからなんだよ」
「お前ここ数日家にいなかったよな」
「いなかったよね」
頼むから同じ内容を微妙に表現を変えて同時に聞くのは辞めてくれ。聞きづらいし理解しずらい。
「ああ」
「心配で家に様子を見に行ったんだぞ」
「倒れていたらどうしようかと思って家に行ったんだから」
此奴等家に行ったのか。そうか、何か嫌な汗が溢れてくる。
「そしたら」
「そしたらね」
「妻と名乗るえれえべっぴんさんがいたんだが、お前いつ結婚したんだよ」
予感的中か。
「なあなあ、何処で見つけたんだよ」
エクリティカ宮だよ。それと馴れ馴れしく肩を組んでくるな。
「教えてくれよ。俺もナンパにいくぜ~」
十二皇子相手にナンパする勇気があるなら褒めてやるよ。
「なあなあ、飽きたからあたいを捨てるのか?」
何処でそんな言葉を覚えるませガキが。そもそも捨てる前に俺がいつお前を拾った。
「愛人でもいいから捨てないでくれよ~」
だから、何処でそんな言葉を覚える。ええ~い、鼻水を俺の腰に擦り付けるな。
さてどうしたものか。いっそ、『あの女は、てめえらの親玉の娘、十二皇子の一人シーラ・ヒューレアムだよ』って怒鳴れたらどんなにスッキリすることか。しかし、そんなこと言ったら、まあ信じて貰えないよな。よしんば信じて貰えたら、もうここにはいられない。折角築いた怪盗フォックスの表の顔が潰れてしまう。
何て言い訳すればいいんだ。
「彼奴は、ちょっと事情があって一時的に置いているだけだ」
「ああっ、それじゃ何かあんな美人を前にして手を出してないのか」
「出してねえよ」
出したら人生終わりだよ。
「それじゃ、俺が手を出してもいいのか」
「問題ない」
問題ないどころか、お前が彼奴を引き取って勇者になってくれたら万々歳だよ。
「いいんだな。俺が取っちゃうぞ」
「いいよ」
「本当だな」
「本当だ」
「ふっ辞めとくよ」
「なんでだよ」
「シチハ、何か知らないけどつまらない意地は張るな」
「はっ~?」
「お前が好きでもない女を手元に置くわけがないからな」
「へっ?」
「分かってるって、みなまで言うな。
何か事情があるんだろ」
いや事情はあるけど、何か勘違いしているぞ。
「お前が一人で解決したいって気持ちも分かるけどさ。どうしても困ったら言ってくれよ力を貸すぜ。そして片付いたら、ちゃんと紹介してくれよダチとして祝ってやりたいからさ」
俺が惚れ惚れするくらいいい顔でアゼルは言う。気っぷのいい頼れる兄貴肌のいい奴なんだよな。ただ一点、ヴィザナミ人である事が全てを台無しにしている。せめて貴族筋でなければ。いい友達に成れたかも知れないのにな。
「あたいも祝うからさ。あたいが大人になったら妾にしてくれよな」
このガキはガキで。
「じゃあな。いつでも呼んでくれよ」
用があるからと去って行く二人を見送った。
それにしても、もうそうんなに情報は広まっているか急がないと。
嫌がらせをして断固追い出す決意で部屋に帰る。
いや、そもそも朝のあの態度を見るに既に嫌になって逃げ帰ったかもしれないな。何てたってお姫様、あんな嫌がらせされた事無いだろ。今ごと城に帰ってシクシク泣いてんじゃないか。くっく、シーラの泣き顔を想像すると疲れた身体でも羽毛のように軽く階段を登っていける。
「ふんふん~」
鼻歌なんか口ずさみ、階段を上りきり、ドアを開けた。
「お帰りなさいあなた」
シーラ満面の笑顔に迎えられた。
「……」
まだいやがった、このアマ。折角の鼻歌も吹っ飛んでしまい、立ち尽くしてしまった。
「はい」
エプロン姿のシーラは、何か頂戴とばかりに手を差し出してくる。
「なんだその手は」
「お給料頂戴、入ったんでしょ」
「ふざけんな、汗水垂らして得た金を何でお前にやらねばらない」
「妻に生活費を渡さない気なの」
怒鳴った俺に、倍にして睨み返すシーラ。
脊髄を凍らされる怖気が走ったが、ここで引いたら一生頭が上がらなくなる。
「妻じゃないだろ。そういうことはな」
さっと壁に指を滑らかに走らせる。そして指先をシーラに見せつける。
「掃除くらいちゃんと…」
見詰める指先には、埃一つ付いてなかった。
嘘。絶句してしまった。こんなぼろ屋をどう掃除すればこうなる?
「ちゃんと、お部屋の掃除をしてますわよ」
シーラはしてやったりとばかりにニッコリ笑っている。
「そんなのは~やって普通なんだ。それくらいで女房面するな」
シーラの笑顔に脂汗がタラタラと止まらない。ひとまず逃げようとした背に人がぶつかった。
「おやおや、夫婦喧嘩かい」
いつの間にか背後にいたのは、隣の部屋に住んでいるスマイリーという20代半くらいの酒場で働く女性だった。たまに飯を貰い、代わりに彼女に絡む破落戸をシメてやる程度の仲だ。
「どうしました、スマイリーさん」
いつの間に仲良くなったのか、シーラは名前を呼んでいる。
もしかしてこいつ近所に自ら挨拶に回ったのか? 着々と地盤固めを行っていくシーラに空恐ろしいものを感じた。
「お塩ちょっと貸してくれないかな」
「はい」
そんな用事で来るなっ。笑顔で対応するシーラが台所に向かうのをいまいましく眺める。
「あっ」
急に懐が軽くなったのを感じた。慌てて振り向けば、案の定スマイリーの手に大事な給金が入った革袋が握られていた。
こう見えて、スマイリーは元スリの名手なのだ、気を抜けばあっさりと持って行かれてしまう。
「返せっ」
取り返そうと手を伸ばす。その気になれば現役の俺の方がテクニックは上、直ぐに取り返せる。
「はい、シーラちゃん」
俺の手が届く前に、スマイリーはシーラに向かって袋を投げてしまった。
放物線を描いて、見事給金袋はシーラの手の上にキャッチされる。
「ありがとう」
「いいって、旦那の躾はちゃんとしないと駄目だよ」
「はい」
言いつつシーラは、さっさと袋から中身を抜いてしまう。
唖然と立ち尽くす俺の前でシーラはスマイリーに塩を分け、スマイリーも礼を言って帰っていく。
「はい、これは、あなたに返しますね」
シーラは空になった革袋を俺の手に握らせる。
「明日も稼いできてね。
さあ、夕飯、夕飯」
シーラは、それ以上俺に用はないとばかりに、さっさと台所に行ってしまう。
俺は皮袋を握り締め、二度と持って帰るかと誓った。
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