第66話 内緒の約束

「おはようございます、千鶴さん」

「おはよう、那由他ちゃん」


 翌日、夏休み中のいつものこととして車で迎えに行くと、那由他ちゃんはいつも通りの時間に現れた。服装も別に、いつも通り。ノースリーブに長袖のシャツを重ね着してちょっと防備して、ふわっとひろがるシフォンスカートが女の子らしくて可愛いながらも中学生らしくない大人っぽさだ。

 いつも通り可愛い。でも不思議なくらい、いつも以上に愛おしい。


 車に乗ってもらって我が家に招待し、部屋に連れ込む。いつものことだ。なのに、昨日までとまるで何もかもが違って見えるのはどうしてだろう。


「……え、えへ、えへへ。なんだか、変ですね。昨日も会ってたのに……なんだか、えへへ」

「うん。そうだね。私もだよ。今日はなんだか、那由他ちゃんが昨日までと違って見えるよ。やっぱり婚約者になったって思うと、違うね。今までも大好きだけど、もっと、大好きになっちゃったみたい」

「んふ。ぬふふ、えへ、えへへ。はい。そうですね」


 那由他ちゃんも同じみたいで、何だか緊張すらしてるみたいだ。部屋に入ってお茶を用意して、ちょっと飲んで喉を潤して何とか気持ちを落ち着かせる。


「えっと、ふふ。ほんと、変な感じだね。ネックレス、つけてるの。やっぱり何回見ても似合ってるし、なんか、嬉しいね」

「あ、はい。お風呂に入って寝る時以外はつけてます。千鶴さんも、つけてますもんね。えへへ。いいですね。お揃い」


 婚約の証なのでずっとつけていて当たり前だ。だけどいざその当たり前につけている姿をみると、喜びがじわじわ沸いてきてにやけて仕方ない。なんだか体までうずうずしてしまう。


「うん。いいよね。……はあ、ごめん、なんか。那由他ちゃん見てると舞い上がってしまって、落ち着かないや。昨日はまだ実感なかったけど。こう、ね?」

「は、はい。わかります。い、いざ、婚約者になると、その、ど、どうすればいいのか、わからなくなりますね」

「そうだねぇ……ね、那由他ちゃん。いきなりだけど、その、あんまりがっついてるって、思ってほしくないんだけど、その、心の準備してほしいから、言うんだけどさ」


 まだ家に来てくれたばっかりだ。全然、落ち着いてなんかない。なのにこんなこと言うのは急ぎすぎだろう。わかってる。心の準備をしてもらうにも、帰るまでに言えばいいんだから夕方でもいいんだ。なのにどうしても気がせいて、伝えたいと思ってしまう。早く伝えて、うん、って言ってほしい。

 断られはしないと思ってるけど、でも那由他ちゃんも同じ気持ちでいてほしくて、どきどきする気持ちが勝手に私の口を開かせる。


「え? な、なんですか?」

「今度、旅行行くでしょ?」

「え、そ、そうですね?」

「そ、その時、その、ね? しよっか。あの、約束してた、キスの続き」


 体が熱くなってきて喉が渇いてしまう。色々と那由他ちゃんに積極的にしでかした私だけど、私だってそう言う体験はないし、自分からこんなことをはっきり言うのはとても恥ずかしい。

 相手が那由他ちゃんだからこんな気持ちになるのだし、お互いそう言う欲求を持ってるのはわかってる。でもこんな、唐突に言い出すなんて。言い訳してもがっついているのは明らかすぎて、恥ずかしい。


「え……? え? そ、そんな先にですか?」

「え? さ、先かな? もう二週間後だよ?」


 私の勇気を出した提案に、那由他ちゃんはきょとんとして眉尻をさげた。これから一週間以内にしましょう。と言うほうがびっくりしない?


「私はてっきり……その、もっとすぐかと。きょ、今日だって、ちゃんと、その……新しい下着、きてきました」

「……」


 ちょっと見せて。って言いたいけど、婚約者になったんだって言う今の精神状態で見たら絶対我慢できないから耐えた。

 いや、だって、さすがに今日って。うち、お母さんも家にいるし。声我慢するとかって話じゃないし。お、落ち着け私。


「那由他ちゃん。家ではさすがに。ね?」

「そ、それはちょっと、気になりますけど」

「ちょっとじゃないし、無理だよ」

「で、でもその、き、キスとかでも、結構、変な声出ちゃってた気がするんですけど」


 那由他ちゃんは赤くなりながら、そうおずおずと言った。

 ……まあ、声、でちゃってたかもね? 布団にも入ってたわけでもなく、声、ちょっとくらいは廊下に漏れてたかもね? そして、たまたま母が通りかかってないとも限らないね?

 うん! 考えない!


「……那由他ちゃん、過去は変えられない。でも、未来は変えられるんだよ」

「……」


 ぽん、と那由他ちゃんの肩に手を乗せて優しく諭すように言うと、那由他ちゃんはちょっとだけ冷めた目になって、ちょっと黙ってからゆっくりため息をついた。


「まあ……今日は本当に念のためで、そこまで、期待はしてなかったですけど……でも、ちょっとは期待してましたけど」

「せっかくの初めてなんだし、私としてはこそこそせずに、ゆっくりと那由他ちゃんと過ごしたいなって思うんだけど。それにホテルの方がロマンチックだし、さ。やっぱり、一生思い出して笑顔になっちゃうような、いい思い出にしたいでしょ?」


 ちょっぴり恨めしそうな那由他ちゃんに、よしよしと頭をなでて肩も撫でながらそう宥める。そしてとどめにぐっと近寄り頬にキスをして腕を組むように抱き着く。


「……そう、ですね。わかりました。そう言うことなら、たった二週間ですし。ここまで頑張って待ちましたもんね」

「そうだよ。と言うか言う前は、もう? 急すぎって思われちゃうかとドキドキしたのに」

「そんなこという訳ないじゃないですか。もう、一年も待ってるんですから」

「いや、まあ、そうだけどさ……でも、折角最初なんだから、大切にしたいでしょ?」

「言ってることはわかります。だからわかりました。でも、キスはしてくれるんですよね?」

「……うん。目、閉じて」


 お尻をあげて起き上がり、那由他ちゃんに覆いかぶさるように姿勢を変える。素直に目を閉じ、ベッドに頭を預けて上向きになる那由他ちゃん。

 顔に触れる。頬を撫で、唇も人差し指でなで、そっとキスをする。唇をあわせる。甘くて柔らかくて、気持ちいい。

 いい匂い。温かくて、そして何より、合法でしているのだと思うと今までと違って、何の憂いもなく堪能できてホントに気持ちいい。那由他ちゃんで気持ちよくなってもいいんだ。あー、ずっとこうしてたい。


 ぎゅっと那由他ちゃんの肩をつかんで抱き着くようにしてキスをしていると、那由他ちゃんが私の腰に手を回して引き寄せながら頭を起こした。


「んっ」


 その動きに巻き込まれるようにして、私は那由他ちゃんの上に腰をおろしてしまう。那由他ちゃんはそのまま私に唇を強く押し付け、ゆっくりと舌をだしてくる。

 べろり、とその熱い舌が私の唇をなぞり、中に入ってくる。私はそれに応えるように歯を開く。那由他ちゃんの舌先が私の歯を撫でるように前後しながらすすみ、舌と舌がようやく出会う。

 那由他ちゃんのぬるぬるした舌と触れ合うと、めちゃくちゃ気持ちいい。唇をあわせた時から早くなっていた心臓は、今では馬鹿みたいにうるさくて飛び出てしまいそうだ。もっと気持ちよくなりたくて、たまらず私からも舌を動かした。


「ん、ぅん」

「んんっ」


 お互いの息が苦しくなって、涎が口の端からこぼれてしまうまでむさぼりあった。もう私の腕は那由他ちゃんの首の後ろに回ってただ抱き着いていたし、那由他ちゃんは私の背中を撫でながら、片手は太ももを撫でていた。


「はぁ、はぁ……千鶴さん、ノリノリじゃないですか」

「はぁ。変な言い方、しないでよ。那由他ちゃんのことが好きなんだから、キスしたらこうなるに決まってるでしょ」

「……私、このままでもいい思い出になると思います」

「朝から何言ってるの」


 まだ撫でている那由他ちゃんの手を払って私はずり落ちるようにして那由他ちゃんから降りて、肩にもたれかかりながら隣に座る。

 と言うかホントに、まだ11時にもなってないのに。普通に触れるキスするだけのつもりが、めちゃくちゃスムーズに那由他ちゃんに応えてしまった。

 だって、気持ちいいし! だって、合法だし! こんなの手を出しちゃうでしょ! あああ。駄目じゃないって怖い。


「ふふ。そんなこと言って。千鶴さんだってさっき、体をぎゅうぎゅう押し付けてきたじゃないですか」

「や、やめてって。那由他ちゃん、そう言うの、ストレートに言い過ぎ」


 やってたけど。気持ちよくなりたさすぎて体こすりつけてたけど。実際、那由他ちゃん柔らかいからめっちゃ気持ちよかったけど。恥ずかしすぎる。そんな風に言う必要ある?

 那由他ちゃん、前からちょっと思ってたけど、どんどん意地悪になってきてない? 私のことからかって楽しんでるよね?


 顔を見ると那由他ちゃんはまだ赤らんでる顔のまま、にんまりと意地悪そうな笑みを浮かべていて、とてもいじめられっ子の顔には見えない。あ、今はいじめれてはないけど。 

 そもそも那由他ちゃん、気が弱い割に言うことはっきり言うから元々いじめられっ子タイプとはちょっと違うと思ってたんだよ。状況が状況でああなってただけで。うん。だからって、まさかのいじめっ子側にならなくてもいいのに。


「本当のことなのに。でも冗談です。ちゃんと待つつもり、ありますから」

「そうして……ほんとに。うぅ。ううぅ」

「どうしました?」

「いや、那由他ちゃんが好きすぎて死にそうなだけ」


 そして何が問題かって、そんな那由他ちゃんも大好きだし、むしろちょっと意地悪そうな感じもカッコよく見えてときめくし、恥ずかしいのにドキドキして嫌な気持ちじゃなくて、むしろ翻弄されてる感が、悪くないって言うか。

 那由他ちゃんが好きすぎて、最初大人しくて守りたいタイプの子として見てたはずなのに、いつの間にか恋人としては主導権を握られてすらいるけど全然違和感とかなくて、普通に地続きで好き。

 段々小悪魔感出てきててそれも好きだったけど、最近普通に悪魔なのでは? となってきてるけど、それも好き。むしろもっと我儘を言われたい。


「え、えへへ。なんですかそれ。ちゃーんと、長生きしてくださいよね」

「私もそうしたいけど、私、那由他ちゃんにいつか殺されちゃうと思う。ドキドキしすぎて」

「えぇ、ひどい濡れ衣です。でも、安心してください。もし、本当に千鶴さんが死んじゃうなら、同時に私も死んでますから」


 那由他ちゃんは笑いながら私の軽口に応えて、そっと自分の腕に縋りつくように抱き着いてる私の手に触れた。

 理屈上は、その通りかもしれない。死んじゃうくらい私がドキドキしてる時、一緒に那由他ちゃんもドキドキしてなきゃ嘘だろう。それはそうだ。でも、それはずるいでしょ。


「それ……全然安心できないし、絶対死ねないじゃん」

「はい、だから、ずっと私と生きてくれなきゃ、嫌ですよ」


 那由他ちゃんはそう言って微笑んで、そっと私の頬に触れて上を向かせ、唇をあわせた。

 さっきと違う優しい合わせるだけのキスに、私は身も心も溶けていきそうで、お昼ご飯の呼びかけがあるまでずっと、抱き着いたままキスを繰り返した。

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