灰色の世界で君と出会う。番外編

遊莉

番外編 正月

 ゴーン。

 遠くで響く鐘の音で目が覚めた。

 ぼんやりとした意識のまま、起き上がることもせずしばらく天井を眺める。

 するとまた鐘が鳴る。鐘が鳴る。鳴る。

 いつもは聞こえない音にまだ眠っているのかと疑問符を浮かべてみるが、なんてことはない。ただの正月だった。

 ここまで実感のわかない年始は初めてだった。

 驚きついでに完全に意識は覚醒し、布団を出ようとするが外の寒さに抜け出した腕を逆再生させる。

 もぞもぞと寒さに抵抗するように体を動かしながら、極力外気に触れないようにスマホをいじっていると隣から掠れた声が聞こえた。

 「・・・・・・おあよ」

 「おはよう」

 半開きの目でこちらを見るのは純。高校からの友人である。

 睡眠時に下がった体温を取り戻すために、純は私に抱きついてくる。

 最初の頃は同じ寝床に入ることに少し抵抗があったようだが、今となってはこの通りである。

 私はと言うと俗に言う修学旅行のようで、少し舞い上がっていたが、三日もするうちに何も感じなくなっていた。

 大学卒業後、就職活動でたまたま配属先が重なったために始まったシェアハウス。節約のためにとベットを一つしか買わなかったが、これが以外にも寝るときも起きるときも暖かく快適であった。

 「お参り行っとく?」

 スマホの画面にはどこかの神社の参拝状況のニュースが入っていたので、なんとなく聞いてみる。

 「なんで?」

 返答にはまだ覇気がない。未だに私の胸に顔をうずめたままだ。

 「今日お正月よ」

 「んあー、そっか。・・・・・・どっちでもいいよ」

 「じゃあまた今度でいっか。わざわざ混み合っているときにいかなくてもいいわよね」

 「えー、てか行くの?」

 「どっちなのよ、全く。・・・・・・気が向いたらね」

 大体のイベント事や祝い事に関心がほとんど無いのはお互い様で、それは一緒に暮らし始める前から知っていた。

 年が変わる日まで忘れてしまっていたのは流石にどうかと思うが。

 ともかく私達の間では、お正月でさえただの休日でしかなかった。

 

 そのまま一時間程じっとしていたが、どちらともなくいい加減に動き出そうと布団の外から出て朝食を作る。

 私が昨日の残りのお味噌汁を温めるうちに、純はマーガリンを塗り、その上にスライスチーズを載せて焼いただけのパンを用意する。

 まるで正月とは思えない質素なものが食卓に並ぶが、これが私達のいつもの食卓だ。

 和洋の統一などは関係なくただ簡単に済ませただけの変わらぬ食事。それをいつも通りに平らげたところでやっと純の目が覚める。

 「ずっと鐘なってるね」

 「そうね。明後日ぐらいまでは聞こえてるでしょうね」

 「・・・・・・暇だね」

 テレビには正月特番のバラエティ番組が流れているが、なんとなく眺めているだけで、たとえ消されたとしても再びつけようとは思わない程度の興味しかわかない。

 「よし。どこか行くか」

 「どこもいっぱいよ?」

 「じゃあ、そんなに人が少ないところ」

 「例えば?」

 「山か海?」

 「まぁどうせやることもないしいいわよ」

 幸い一通りの家事は昨日のうちに済ませてある。

 純の提案に乗り準備を済ませ家を出た。

 

 私達の行動範囲は極端に狭い。だから二人とも車なんて便利な移動手段は持ち合わていない。

 そのため徒歩かもしくは交通機関を使った移動に限られる。

 今日は電車もバスも混雑が予想されるため、結局徒歩という選択肢を取った結果、近所の川にたどり着いた。

 見慣れた景色は正月という特別な日に彩られることなく、ただそこにあるだけで何も新しいものを生み出そうとはしない。

 川沿いに二人して座り込み、流れる水の音を聴く。

 二人とも温かい格好をして出てきたが、冬の寒空に晒された川風と石のシートは体の芯から熱を奪っていく。

 示し合わせたように二人して立ち上がり、手を取り寄り添いあいながら温かいものを求めてさまよう。

 近くにさびれた自動販売機を見つけ、純がおしるこを選ぶ。

 「珍しいもの選ぶわね」

 「正月だから?」

 中身は正月らしいかもしれないが、見慣れたアルミのフォルムからは正月らしさは全くない。

 結局私は無難にコーンスープを選ぶ。

 「正月なのに?」

 「なのに」

 純が買うまでは同じことを考えていたが、それを見て考え直したことは言わなくてもいいだろう。

 お互いの手よりも頼りになる缶を両手で転がしながら、来た道を戻る。

 先ほどと同じように互いにもたれ合うように座り、プルタブを持ち上げる。

 カシュッっと言う音とともに湯気が上がり、ほんの少しだけ高揚感が湧いてくる。

 やけどしないように恐る恐る口をつけると、とろみがかった液体が口の中から寒気を吹き飛ばしてくれる。

 その寒暖差から同じタイミングで鼻をすすり、顔を見合わせ何も言わずに右手を差し出し左手で受け取る。

 一口嚥下しまた同じタイミングで舌を突き出し、渋い顔を晒す。

 両方甘いのに、その甘さ故に合わない組み合わせ。

 また取り替えようと思ったが、純がそれを渋った。

 「仕方ないわね」

 そのまま私はおしるこを飲みすすめる。

 「サンキュ」

 「別にそのくらい良いわよ」

 風が吹くたびに体は凍え、胃の中は暑いのに足先はいつまで立っても冷たいままだ。

 「なんでこんなところに来たんだろう」

 「本当にね」

 空になった容器を覗き込むと、案の定いくつか粒が残っている。

 苛立ちにも満たない感情をため息と一緒に吐き出し、「帰ろっか」と言って二人の家を目指して歩き出した。


 ただいまとお帰りを同時に言いながら、すぐに風呂場に向かいお湯を貼る。

 リビングで待つこと数分で風呂が湧き、二人一緒に入った。

 こう言っては何だが、お互いの裸もすでに見慣れたものだ。

 何でもかんでも節約だと言っていたら、いつの間にかバスタイムまで合わせるようになっていた。

 代わる代わるで体を洗い、最後は二人で湯船に浸かる。

 狭い浴槽で片方が片方の足の間に座り、もたれかかるようにして欠伸をこぼす。

 流れ出る汗が頬を伝い、時間が流れていく。

 二人の体が密着し、溶け合うように体温が上昇する。先程までの痺れるような指先が生気を取り戻し、自身の生命を感じさせた。

 こうやって考えなしに外に出ることは初めてではない。私達は季節がめぐるたびにこうやって何処かを彷徨う。

 まるで何かを求めるように。

 そしていつも我にかえり、少し後悔するのだ。

 十分に体が温まった頃合いで、純が先に出ていく。

 何やらかんやらが終わったあとで、私もそれに追随してその場をあとにする。

 洗面台の鏡に映る私は頬がほんのりと染まっており湯気が出ていた。

 「何か見つかったかい?」

 鏡の自分に問いかける。

 もちろん誰も答える人はいない。

 私も純もおそらく何か足りないものを感じていて、だからこうしてふらりと何処かへ出かけるのだ。

 でも目的のないその旅から得られるものはいつも無い。

 私達はその何かを見つけられる日が来るのだろうか。

 諸々を済まし私も風呂場をあとにした。


 リビングに戻ると純がコーヒーを準備してくれていた。

 「気が利くわね」

 「たまにはやる気出さないとね」

 水分が失われた風呂上がりではおそらく最適では無いであろうが、それは言うまい。相変わらずちょっと外したチョイスに笑みが溢れる。

 「髪、乾かしてあげるからこっちに座って」

 「ありがとう」

 「別に。さっきのお返し」

 純の前に座りされるがままに委ねる。

 純の手が私の頭に触る、かすかな感触が心地よく疲れが抜けていく。

 確かに私は仄かな幸せを感じていた。

 十分に乾きつやつやになった髪を一撫でし、私はそのまま純にもたれかかる。

 「何だよー」

 「何でもなーい」

 にやけきった表情で膝の上で寝転ぶ。

 探しているものは見つからない。

 でも本当は見つかっているのかもしれない。

 そんな気配にそっぽを向いて、私達は今日も一緒にいた。

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