バレンタインなので下駄箱を確認したら三千円が置いてあった

黒うさぎ

バレンタインなので下駄箱を確認したら三千円が置いてあった

 二月十四日。

 この日付を聞いて、あれを意識しない男子高校生はほとんどいないだろう。

 チョコレートという形で、異性から好意を向けられる日。

 そう、バレンタインデーである。


 とはいえ、チョコを貰える男子というのは、ごく一部に限られる。

 イケメン、スポーツマン、お調子者など、クラス内で一目置かれている面々がそれだ。

 そして残念ながら、地味な俺とは一切無縁なイベントでもあった。


 小学校、中学校と通ってきて、貰ったチョコの数はゼロ。

 女子に嫌われているというわけではないと思う。

 ただ単に、女子との接点の少なさが原因だろう。


 必要があれば話しかけることもあるが、それだけだ。

 どうしても気恥ずかしさを感じてしまい、何かと理由をつけて話しかけるのを止めてしまう。

 そのせいで、雑談に花を咲かせたことなど、ほとんどなかった。


 いてもいなくても、クラスに影響を与えることはない存在。

 それが須藤桂馬という男だった。


 だが、そんな俺でも、やはり異性に好かれたいという、フワッとした願望はあるわけで。

 自分には関係ないと頭では理解していても、もしかしたら、とバレンタインデーに期待をしてしまう。


 それに、高校生になって、新たな人間関係が構築された。


 脳裏に、一人の女子の姿がちらつく。

 彼女なら、もしかしたら。


 一緒に遊びに行ったことがあるわけではない。

 学校でも、毎日話すようなことはない。

 友達と呼べるかも怪しい、その程度の関係。


 そんな関係でも、俺にとっては過去最高に近しい存在だった。

 悲しいことに、モテない男は、そんな相手にすら期待してしまうのだ。


 痛いと感じるほどの冷気に身を縮こまらせながら、正面玄関を入る。

 自分の下駄箱の前に立った俺は、それとなく周囲に人影がないことを確認すると、ゆっくりと下駄箱の扉に手を掛けた。


(わかってる。

 どうせチョコなんて入ってないんだろ)


 心の中で落ち込まないよう予防線を張りつつ、それでも期待に胸を膨らませる。


 キイィッ、と少し錆びついた音を響かせて扉が開く。

 するとそこには、一枚の茶封筒だけが入っていた。

 狭い下駄箱の中をもう一度確認するが、他には何もない。


(なんだ、これ……)


 厚さ的に、チョコが入っているというわけではないだろう。

 そもそも、バレンタインのチョコのラッピングに、茶封筒を使用するような人がいるとは思えないが。


 手に取って見るが、表にも裏にも、宛名一つ記されていない。


 俺はもう一度周囲に人がいないことを確認すると、茶封筒の封を切って中身を取り出した。


「三千円……?」


 ピン札の千円が三枚。

 茶封筒をひっくり返してみるが、他には何も入っていない。


「これは……、そういうことか?」


 相手の意図はわかるが、どうしてそういうことになったのかはわからない。


 チョコを期待していたというのに、手に入れたのは三千円。

 当惑しつつも、俺は三千円を片手に、購買へと向かった。


 ◇


 朝の浮かれた気分も三千円のせいででどこかへ行ってしまった俺は、いつものように教室の自分の席へと着いた。


「おはよう、須藤君」


 すると、後ろの席の女子が話しかけてきた。

 背中まで伸ばした、艶やかな黒髪。

 こちらの心を見透かしてきそうな、涼しげな瞳。

 整った顔立ちに、思わず見とれてしまいそうになる。


「おはよう、寿野さん」


 寿野美咲。

 俺がこのクラスで唯一、雑談をすることのある女子。

 そして、チョコを貰えるかもと、期待してしまった相手だ。


「ねえ、須藤君。

 今日は何の日か知ってる?」


 柔らかな笑みを浮かべながら、美咲が言った。


「えっと……」


 もちろん、わかっている。

 バレンタインデーだ。

 何て言ったって、美咲から貰えるかもと期待していたのだから。


 だがしかし、本当にその答えで合っているのか?

 もしかしたら、他に何か当てはまる記念日のようなものがあるのか。


 美咲の誕生日だろうか。

 友達未満の俺は、当然ながら美咲の誕生日など知らない。


 それとも、歴史的に何かあった日なのか。

 くそっ、朝のニュースをちゃんとチェックしてくれば良かった。


 美咲の質問の意図がわからない。

 だが、いつまでも黙っているわけにもいかない。


「バレンタインデー、かな」


 答えた途端、気恥ずかしさが襲う。

 ほとんど言わされたようなものだが、それでもチョコを催促しているようで、居心地が悪かった。


「そう、正解。

 正解した須藤君には、これをプレゼント」


 そう言って差し出された美咲の手のひらの上には、一つのチョコが乗せられていた。

 スーパーのお菓子売り場に置いてあるような、個包装のチョコ。

 一つ百円もしないような、安物。

 それは、明らかな義理チョコだった。


 だが、俺にとって、人生初チョコであることにかわりはなかった。


「ありがとう」


 過剰に喜んでいることを悟られないよう、にやけそうになる顔を引き締め、あえて無表情で答える。


「どういたしまして」


 だが、目を細くする美咲には、全て見透かされていそうだった。


 ◇


 元々気になっていた美咲の存在だが、バレンタインにチョコを貰って以来、その気持ちは明確な好意へと変わっていった。


 安物のチョコ一つで振り回されるなんて、自分でもどうかしていると思う。

 だが、残念ながらこの気持ちを制御できるだけの精神力を、俺は持ち合わせていなかった。


 俺には特技と呼べるようなものがない。

 勉強も運動も中の下。

 コミュニケーション能力が高いわけでもなければ、これといった趣味もない。


 だからせめて、見た目だけでも気をつけようと、初めて整髪料に手を出した。

 うちの高校の校則は、それほど厳しくない。

 派手な染髪は注意されるが、整髪料で髪型を整えるくらいのことは黙認されていた。


 クラスの人気者たちのように、ツンツンにするつもりはない。

 ナチュラルな感じに仕上げる。

 まあ、何がナチュラルなのか、それすらよくわかっていないのだが。


 近所のドラッグストアで、匂いの強過ぎない、ネットでおすすめされていた整髪料を買った。

 休日に、スマホで整髪料の使い方を調べながら、鏡の前で悪戦苦闘。

 そしてどうにか不自然じゃない、けれどもこれまでの自分よりは垢抜けた雰囲気を作り出すことができた。

 髪型一つで、想像よりも変わるものだ。


(俺、案外格好いいのでは……?)


 そんな、ナルシストのような感想が思わずでるくらいには、満足のいく仕上がりだった。


 これなら、美咲も少しは見直してくれるかもしれない。


 そして休み明け。

 しかし、昨日の自信はどこへやら。

 周りから変に思われていないか、気になって仕方なかったが、美咲に披露したい一心で羞恥心を抑え込む。


 そして教室に着くと、珍しく俺のほうから声をかけた。


「おはよう、寿野さん」


 紺色のブックカバーに包まれた文庫本を読んでいた美咲は、俺の声に反応して顔をあげると、挨拶をしようとしてその眉をしかめた。


「ねえ、須藤君。

 その整髪料、須藤君には合っていないわ」


 その一言に、俺は殴られたような衝撃を受けた。


(まさか、似合ってなかったのか……)


 自分ではいい仕上がりだと思っていた分、ショックは大きい。


「い、いやあ。

 今日は寝癖がなかなか頑固で。

 時間がなかったから、これで誤魔化そうと……」


 引きつった笑みで、どうにか答える。

 美咲に格好良く見られたかったのに、本人から否定されてしまっては、失敗もいいところだった。


 美咲は「はぁ……」と溜め息をつくと、文庫本に視線を戻しながら呟いた。


「……須藤君はそんなもの使わなくても格好いいわよ」


「えっ……」


 それっきり、美咲が言葉を発することはなかった。

 だが、微かに美咲の耳が赤くなっているという事実が、俺の聞き間違いではないと教えてくれていた。


 ◇


 整髪料作戦は失敗したが、結果的に美咲から格好いいと言って貰えたので、良しとする。

 俺は単純な男なのだ。


 見た目に手を出すのは、俺にはまだ早かった。

 やるならもう少し研究をしてからのほうがいいだろう。


 そこで次に考えたのは、清潔感だ。


 美咲とは高校に入ってから知り合った関係だ。

 そんな美咲と一年以上同じクラスで過ごしてきて、一つ気がついたことがある。


 それは、美咲が声をかけてくるタイミングだ。

 朝の挨拶を除き、美咲が最も話しかけてくるタイミング。

 それは体育の授業のあとだった。


 教室で行う他の授業と異なり、体育は体育館や校庭で行われる。

 そのため、他の生徒との距離も物理的に離れやすく、教室よりもクラスメイトの視線を気にせずに話しかけやすいのだろう。


 だが、話しかけられるこちらとしては、些か落ち着かない。

 俺は運動が得意ではないが、それでも真面目に授業を受けたあとはそれなりに汗をかく。


 今まではそれほど気にしていなかったが、好意を自覚した今、汗臭いと思われるのは避けたい。


 そこで俺は、制汗スプレーを使うことにした。


 この前整髪料が一発でばれたのは、髪型も然ることながら、その香料にも原因があると思う。

 そこで今回は、完全無香料の制汗スプレーを買うことにした。


 整髪料と異なり、見た目に変化があるわけではないので、使ったところで気がつかれることはない。

 美咲の好感度が上がることはないだろうが、汗臭いと思われて、好感度が下がることは防げる。


 制汗スプレーごときで何を言っているんだと思うだろう。

 だが、これまで良く言えば自然体、悪く言えば身だしなみに無頓着な生活を送ってきたのだ。

 制汗スプレーだって、俺にとっては大きな一歩だ。


 早速今日の体育の授業で使ってみた。

 気温はそれほど高くないが、授業の内容が長距離走なので、走り終わると吹き出すように汗が出る。


(最近の制汗スプレーはすごいな。

 これだけ汗をかいても、ほとんど臭いがしない)


 元々自分の臭いというものは感じ取りにくいが、それでもジャージの襟元をパタパタさせても、汗臭さはなかった。


 これなら、美咲に不快な思いをさせることはないだろう。


「須藤君、お疲れ様」


 そうこうしているうちに、走り終えた美咲がやってきた。

 美咲は家庭科部に所属しているはずだが、もう戻ってきたということは、俺とそれほどタイムは変わらないはずだ。


 俺も運動部ではないが、それでもやはり、文化系の女子とタイムが変わらないというのはグサッとくるものがある。


「ああ、お疲れ」


 肩にかけたタオルで額の汗を拭う美咲。

 上気した頬が妙に艶かしく、思わず喉を鳴らす。


 ただ走っただけだというのに、こんなにも魅力的に映ってしまう。

 それは、美咲が魅力的だからか。

 それとも、俺が盲目的になっているのか。


 きっとその両方だろう。


 汗を拭いた美咲が、俺のほうを見上げて、固まった。


「……制汗スプレー使った?」


「えっ!?

 う、うん、使ったけど。

 良くわかったね、無香料のやつなんだけど」


 俺の言葉を聞いた途端、美咲の顔から感情が抜け落ちた。


「……そんなもの、使わないで」


 それだけ言うと、美咲は足早に去ってしまった。


(今、ちょっと怒ってたよな……)


 いったい、何が気に入らなかったのだろうか。


 制汗スプレーに気がついたということは、その匂いがしたのだろうか。

 無香料を謳っている商品でも、わずかに匂いがすることはある。

 俺にはわからないが、美咲には嗅ぎ分けられたのかもしれない。


 なんだか、美咲を意識するようになってから、から回ってばかりな気がする。


 小さくなっていく美咲の背中を見つめながら、俺は肩を落とした。


 ◇


 時間の流れというのは早いもので、気がつけば高校生活二度目のバレンタインデーを迎えていた。


 美咲との関係は相変わらずだ。

 だがそれは、悪くもなっていないということであり、今年もチョコを貰えるかもしれないという期待に繋がる。


 たとえ義理だとしても、嬉しいものは嬉しいのだ。


 登校してきた俺は、周囲に人影がないことを確認すると、下駄箱に手を掛けた。

 去年のことを思えば、美咲が下駄箱にチョコを入れている可能性は低い。

 だがそれでも、他の人から貰える可能性がないわけではない。


 節操のない思考だが、心の中で期待するくらい許されるだろう。


 下駄箱の扉を開けると、そこには一枚の茶封筒だけしかなかった。


(またか……)


 茶封筒の中身を確認すると、やはりというべきか、ピン札の千円が三枚入っており、他にはなにもない。


 さすがに二年連続となると、薄気味悪いものがある。


 いったい、何のためにこんなことをしてくるのか。

 二年連続ということは、不慮の事故というわけでもないのだろう。


 お金を置いていくあたり、俺に対する害意はないように思えるが、それにしたって不気味だ。


 今日はそれほど寒くないというのに、背筋がひんやりとした。


 教師に相談するべきか迷ったが、実質被害はないようなものだし、そこまで大事にする必要もないだろう。


 俺はモヤモヤとした気持ちを抱えながら、購買へと向かった。


 ◇


「おはよう、寿野さん」


「須藤君、おはよう」


 挨拶だけした俺は、何でもない風を装って、鞄から教科書を出していく。

 チョコを貰える期待値大とはいえ、さすがにこちらから催促するようなことを言えるほど、肝が据わってはいない。


 まだか、まだかと焦れる気持ちを抑えて、美咲が切り出してくれるのを待つ。


「ねえ、須藤君」


(来たっ!)


「何?」


 どうにか平静を装って答える。


「放課後、調理室まで来て貰ってもいいかしら?」


「えっ?

 ああ、うん、いいけど……」


 チョコじゃないのかと落胆したが、よく考えれば、美咲は家庭科部だ。

 もしかしたら、調理室で手作りのチョコをくれるのかもしれない。


 まだ希望が残っていることに気がついた俺は、放課後を待ち焦がれるのだった。


 ◇


「失礼します」


「須藤君、いらっしゃい」


 西日の差し込む調理室では、既に美咲が待っていた。

 放課後になり、トイレに寄った以外はまっすぐここへ向かったのだが、どうやら美咲のほうが早かったらしい。


「今日は家庭科部の活動は休みなのだけれど、普段から鍵は私が管理しているから、部室代わりに使わせて貰ってるの」


「そうなんだ」


 家庭科部に所属していることは知っているが、実際に活動しているところを見たことはない。

 調理室を使用するということは料理もするのだろうが、美咲は得意なのだろうか。

 是非とも、美咲の手作り料理を食べてみたいところだ。


「ねえ、須藤君。

 今日は何の日か知ってる?」


「えっと。

 バレンタインデー、かな」


 懐かしいこのやり取り。

 去年はスーパーで売っている安物だった。

 だが、今日は教室ではなく、こうしてわざわざ調理室まで呼び出されたのだ。

 もしかしたら、手作りチョコを貰えるのかもしれない。


「正解よ。

 正解した須藤君には、これをあげるわ」


 そう言って差し出されたのは、丁寧にラッピングされたチョコだった。


「ありがとう!

 まさか、手作り?」


「昨日、部活のときに作って、ここに置いておいたの」


 もしかしたらと期待はしていたが、本当に手作りチョコを貰えるとは。

 朝の茶封筒でモヤモヤしていたことなど、すっかりどうでも良くなってしまっていた。


「今日はもう一つ用事があるの」


 浮かれていた俺は、突然真面目な声を出した美咲を見つめた。

 元々凛々しい美咲だが、なんだかいつになく凛としているというか。

 いや、これは緊張して表情が強ばっているのか?


「須藤桂馬君。

 あなたのことが好きです。

 私と付き合ってください」


 その言葉に、俺の思考は停止した。


 何事もそつなくこなしてしまう美咲が、頬を染めて立っている。

 夕日に照らされている少女の姿は儚くて、思わず魅入ってしまいそうになる。


 俺は今、告白されたのか。

 目の前に佇む、この少女に。


 胸の中が熱くなり、頭は真っ白だ。

 嬉しい、はずだ。

 相手はこれまで密かに思いを寄せていた相手なのだから。

 だが、気持ちがまだ追いついてこない。

 強すぎる衝撃に、混乱してしまっている。


 なかなか返事をしない俺に、美咲は不安そうな視線を向けてくる。

 ああ、そんな顔をしないで欲しい。

 早く何か言わなくては。


「お、俺も寿野さんのことが好きでした!

 だからその、よろしくお願いします!」


 上ずった声で、どうにか答える。

 ビシッと格好良く答えたいところだったが、そんな心の余裕はなかった。


「ふふっ。

 嬉しいわ」


 告白の返事すら格好つかないことを恥ずかしく思ったが、柔らかく微笑む美咲の表情を見たら、それでもいいかと思えた。


「須藤君、その……。

 ちょっと抱き締めてもいいかしら?」


「えっ!?

 うん、もちろん。

 ど、どうぞ」


 ぎこちなく手を広げる俺の腕の中に、美咲が入ってくる。

 背中に手を回してくる美咲を真似て、俺もそっと美咲の背中に手を回す。


 細くて、柔らかい。

 力を入れたら折れてしまいそうだ。

 これが女子の、美咲の身体なのか。


「……やっぱり、生の匂いは堪らないわね」


「ん?

 何か言った?」


「いえ、何にも。

 私今、とっても幸せだわ」


「俺も。

 寿野さんと付き合えるなんて、夢みたいだ」


「美咲でいいわ。

 私も桂馬って呼んでいいかしら?」


「もちろん。

 美咲……」


「桂馬……」


 茜色の室内で、俺たちは下校のチャイムが鳴るまで互いの体温を確かめ合っていた。


 ◇


「ちょっとお手洗いに行ってくるわ」


「なら、荷物預かるよ」


「ありがとう」


 美咲から荷物を預かった俺は、改めて美咲と付き合うことになったことを感慨深く思った。


(まさか、俺と美咲がなー)


 俺にとって美咲は、唯一仲のいいといえる女子だったが、美咲にとって俺は唯一の存在ではないだろう。

 実際、美咲が他の男子と話しているところを見たことはあった。

 それに、美咲は美人だ。

 男子の間で、人気があることを俺は知っている。


 そんな俺が美咲と付き合うなんて、正直釣り合っているとは思えない。

 だが、こうして付き合うことになったからには、甘えているわけにもいかないだろう。


(美咲の隣に立てる男にならないとな……)


 自分でも恥ずかしくなるような思考が脳裏を過り、堪らなくなって頭を振った。


 気を紛らわそうと、手元へと目をやる。


「そういえば、美咲の荷物多いな」


 学校にはロッカーもあるし、基本的にスクールバッグ一つあれば事足りるはずだが、美咲はスクールバッグのほかにもう一つ袋を持っていた。


「家庭科部で使った物かな」


 何気なく、その袋を外から触った俺は、その感触に手を止めた。


(この感触って……)


 まさかと思い、美咲には悪いと思いつつも、袋の中身を覗く。

 すると中には、一足の上履きが入っていた。

 中敷きを確認すると、そこには『須藤桂馬』と俺の字で書かれている。


(下駄箱から消えたはずの俺の上履きを、どうして美咲が……)


「お待たせ。

 ……まさか見た?」


 袋を覗き込んだまま固まっている俺に、美咲は何かを察したようだった。


「美咲。

 どうして美咲が俺の上履きを持ってるんだ?」


 状況証拠と、態度からして、まず間違いなく美咲が俺の上履きを持ち去った犯人だろう。

 だが、いったい何のために。


「……怒らない?」


「場合による」


 上目使いで俺の様子を伺ってくる美咲の姿はグッとくるものがあったが、今はそれよりも優先しなくてはならないことがある。


 じっと美咲の瞳を見つめると、観念したのか美咲が口を開いた。


「私、匂いフェチなの」


「え……、匂いフェチ?」


 思いもよらぬ返答に、間の抜けた声が出る。


「一年の時、体育のあとに桂馬とぶつかったことがあったの。

 その時に鼻腔をくすぐった桂馬の汗の匂いが堪らなくって。

 どうにかしてあなたの匂いのついている物を手に入れたかったけれど、ジャージやタオルは持ち帰っちゃうし……」


「それで上履きを盗ったと」


「出来心だったの。

 ……ごめんなさい」


 しゅんと小さくなって頭を下げる美咲。

 正直、複雑な気分ではある。

 だが、惚れた弱みか。

 好きな相手のしたことならば、それほど嫌な気分ではなかった。

 むしろ、少し興奮した。


「頭を上げて。

 もう、勝手に盗ったりしないでよ。

 いくらお金を置いてくれても、やっぱり新品だと馴染むまで変な感じするし」


「もうしないわ。

 これからは、桂馬に借りて嗅ぐことにする」


 真顔でとんでもないことを宣言する美咲。

 彼氏から靴を借りて、その匂いを嗅ぐ女子高生……。

 もう、ファンタジーだ。


 今思えば、整髪料や制汗スプレーにやたらと美咲が反応を示したのは、俺の匂いに不純物を混ぜたくなかったからなのだろう。


 思いを寄せていた相手が匂いフェチだった。

 だが、それも美咲の新しい一面を見ることができたと思えば悪くないかもしれない。


 腕にしがみつき、鼻をスンスンとさせる彼女の頭を、俺はそっと撫でた。

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