トレーニングその二 読書、資料調査

*5 (大塚英志 (2003) 物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン  朝日新聞社)

の中で大塚英志が平野啓一郎の日蝕についてこんなことを語っていました。曰くこのような錬金術や魔術を扱った作品を若い小説家志望が書くとき平野啓一郎がそうしたように実際の魔術や錬金術の資料を読破する学力が幾分かあればこういった作品の質はもっと上がるのに。といった内容でした。


 日蝕は僕も興味深く読んだ作品でカトリックの神学僧が学術的好奇心から、田舎の村に住む錬金術師を訪ねるという内容で、人造人間(ホムンクルス)が出てきたり、異端審問官が出てきたりする作品なのですが、巷のライトノベルファンタジーとは違い本格的な伝奇小説で文学的要素に優れ、舞台となる15世紀のフランスの風景から、人物心理描写まで緻密に書かれた小説です。


 大塚英志はこの日蝕をとても学力が高い小説と評していました。確かに資料をよく読むことの大切さを日蝕は教えてくれています。


 ここで第二の読書トレーニングとして資料調査を練習として提示して、その細かなハウツーに入りたいと思います。


 資料調査は小説を書く僕たち物書きにとって日常的な行為です。例えば官能小説やゲーム風ファンタジーの様にあまり取材や資料調査を必要としない小説もあります。

 ですが、SFやファンタジー、ミステリー、歴史、伝奇小説、あるいはスポーツや芸術、特定の職業を扱ったジャンルモノ等を書く前の段階で、舞台となる場所や、時代背景の歴史、題材の調査は必須だと思います。

 今はインターネットというとても便利な資料がありますから、それで済ませる人も多いかもしれませんね。


 小説を書く前の段階で、事前調査として資料を調べることも大事ですが、僕はここでトレーニングとして、常普段から何らかの資料に親しむことをお勧めします。

 僕は地元の市立図書館の愛用者です。月に二三度図書館へ行き、行くたびに数冊の本を借りています。主に借りる本は日本文学のそれも現代小説が多く、純粋に楽しみのために本を読むことが多いのですが、本を借りるとき、かならず最低一冊は歴史か社会関係の本を借りるようにしていた時期があります。


*6 James Young  (1965) A Technique for Producing Ideas. McGraw-Hill Education; (ジェームス・W・ヤング 今井茂雄(訳) 竹内均(解説) (1988) アイデアのつくり方 阪急コミニケーションズ)

 という創作界隈でちょっとネタにされるベストセラー本があります。広告代理店のビジネスマン向けにアイデアのつくり方を解説した本なのですが、このアイデア作成法は結構色んな業界で流用されているようです。

 この本でアイデアを作る第一の作業として、作ろうとする商品に関連した資料をまず調べるとあります。これは小説の場合、ターゲットとするユーザー層の嗜好の傾向を調べたり、類似する先行作品を鑑賞してみたりする行為に相当します。これをヤングは当面の仕事と呼びます。

 彼は良いアイデアをつくるためには当面の調査の他、常普段からアイデアの源泉になるようなことを勉強しておくことの大事さを強調しています。この仕事は当面の仕事とは違い一生続く勉強だと述べています。


 実際にはヤングは社会科学(人類学、考古学、経済学、地理学、歴史学、法学、言語学、政治学、国際研究、コミュニケーションなどの分野が含まれる。)の習得を勧めています。

 僕は、この中で一番小説書きに使い勝手の良い社会科学が歴史だと思っています。歴史は人物設定、舞台設定、SF的ファンタジー的アイデアの宝庫です。さらには歴史知識からその他の例えば民俗学や化学、文化芸術論、哲学などの理解の下地にもなります。


 特に何から手を付けていいかわからない初心者には、まず歴史の資料を読み解くところから始めることをお勧めします。中学、高校歴史などの入門書でも最初はかまいません、僕も大人になってから中高歴史をもう一度学習したくちです。歴史の知識は必ずアイデアつくりの強力な源泉になると思います。


 ここで一つ、資料調査のコツを紹介してみたいと思います。特に難解と思える化学や哲学なんかの資料を読むときには、専門用語やわからない単語が登場したら、どんなにめんどくさくても必ず単語の意味を調べてください。実は難解な文章の難しさの多くが、登場する専門用語や単語の意味が分からないことに起因します。

 文章そのものをあえて意味不明に書く物書きや学者は少数です。単語の意味がきちんと分かれば、その文章の内容のほとんどはだいたいちゃんと理解できます。

 今は辞書が無くても大抵の用語はインターネットで調べることができます。便利な世の中になりましたね。


 また、鍛え上げた社会科学の知識は時に僕たち小説書きの強力な武器になります。特にその武器を遺憾無く発揮している作家に支倉凍砂があげられるでしょう。代表作、狼と香辛料では中世時代の商人を主人公にして経済を題材にした作品を書き、僕は未読なんですがWORLD END ECONOMiCAという作品では株式市場を題材としているそうです。

 自分の好きな事柄の詳しい知識は必ず強力な武器になりますし、ときに強い個性を生む原動力になります。


 スポーツ漫画の金字塔として高名な少年ジャンプのスラムダンクの作者、井上雄彦も高校時代バスケットボールに熱中し、その緻密なバスケットボールの知識はスラムダンクを実にリアルかつ迫力ある漫画にしています。この名作の裏には井上氏のバスケットボールへのひたむきな愛情が燦然(さんぜん)と存在しています。


 井上、支倉両氏とまではいかなくても、何かに強い愛着を覚えるものがあるのなら、ぜひその知識を資料で裏打ちし、自分の武器に育ててみてください、決してそれは無駄にはならないはずです。

 *7 (榎本秋 (2009) ライトノベルを書きたい人の本 成美堂出版)

 というライトノベル系の教則本があります。著書の榎本秋は多数の小説教則本を執筆している方です。この本の中でも歴史や経済などの知識の重要性を説き、これら知識が創作される作品に厚みをもたらすと説いています。

 こういった知への取り組みをぜひ継続してやってみてください。必ず小説を書く力になるはずです。


 資料調査については大体こんな感じです。次は小説教則本について話したいと思います。

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