小説練習法の紹介
弾
トレーニングその一 読書、物語鑑賞(フィクションを読む)
小説の最も基本的なトレーニングは? と聞かれたら、多くの方が読書と答えるのではないでしょうか? 僕も最も基本的で最も重要な小説のトレーニングは読書だと思います。
そして、最も楽しいトレーニングでもありますよね。小説を書くことが好きな人で読書が嫌いな人はほとんどいないと思われます。
このエッセイでは色々な小説執筆のトレーニングを紹介しますが、極論を言ってしまえば小説のトレーニングなど、ひたすら読んでひたすら書くだけでも一向にかまわないわけです。そうやってプロになった人もたくさんいます。
でも、そう言ってしまえばお話しはそこで終わってしまいますので、ここでは小説のための読書というものを、もう少し深く掘り下げたいと思います。
さて、一口に読書といっても、読む本によって内容は全然違いますよね? SFを書くために化学の本を読むのと、小説を楽しむために村上春樹を読んだり、あるいは萌え萌えなライトノベルを読むのでは、同じ読書体験といっても得られるものは全然違うものとなります。
このエッセイでは読書を大きく三つに分けてみることにします。物語鑑賞と資料調査そして実用書の読書です。
物語鑑賞とはそのものつまり小説を読むこと、資料調査がSFのために化学の本を読んだり、作品の時代設定のために歴史の本を読んだり、はたまた哲学を勉強したりすることで、フィクションとノンフィクションと分けても良いかもしれません。実用書の読書はこの場合小説の教則本を読む行為としておきましょうか。
この中でさらに最も基本的な読書は何か? と聞かれたら、やはり物語鑑賞でしょう。特に現代の多くの小説は読解に特別な知識を必要とせず、物語の世界に浸り、その中で感情を動かされたり、考え込まされたりします。
作家の多くは、読者にわかりやすい文章を心掛けて書くことが大半ですし、哲学書を読んだり、化学の知識を得ることに比べれば物語鑑賞は比較的容易です。
もちろん非常に難解な文学も存在しますが、立派な読解を示せと言われなければ、読んで物語を感じることはそれほど難しいことではありません。
物語鑑賞において、求められるものはまず、量でしょう。それこそ古今東西の小説から現代のライトノベル、あるいは文学の名作を読み漁れば、それらは確実に僕や貴方の書く小説の血肉となります。
小説教則本、それも特にアメリカの教則本では、よく物語鑑賞を量的にこなすことを勧めています。
*1 Stephen King (2010) On Writing; 10th Anniversary Edition A memoir of the Craft. Charles Scribner's Sons (スティーブン・キング 田村義進(訳) (2013) 書くことについて 小学館文庫)
の中でスティーブン・キングもとにかく多読を勧めています。
キング自身もよく本を持ち歩き、空いた時間に読書に励んでいるとも語ってたりして、作者の生活の一面がうかがえて興味深いですね。
またキングは読むことにより、書くことに親しみを覚えて、書くことが楽になると言っています。小説家の一番の道具は語彙と文法だとも言い、これらもたくさん読むことで自然と身に付くと言います。
*2 Dean R. Koontz (1981) How to Write Best Selling Fiction. Writers Digest Books (ディーン・R・クーンツ 大出健(訳) (1996) ベストセラー小説の書き方 朝日新聞出版)
などでは、具体的なブックガイドを添えて多読を推奨しています。ブックガイドの本を七割読んでいて、かつ何らかの書く才能があれば、ベストセラー作家になる準備はできているとさえ言い切るくらいです。
キングとクーンツに共通するのは、とにかく読んでとにかく書くという最も単純なトレーニングを勧めていることがあげられます。ある意味これがベストセラー作家のトレーニング法と言ってもいいのかもしれませんね。
さて、読書を小説のトレーニングとしてみた時、問題となるのはどんな本をどれだけ読んで、かつどのように読むかです。例えばクーンツの様にブックガイドを示したり、名教則本を勧めたりすることはよくあるトレーニングとしての読書へのアプローチですね。
このエッセイでは特にお勧めの小説や作家を紹介することはしません、しかしそれでは芸がありませんので、一つ一つこの問題に取り組んでみたいと思います。
まず第一に、どんな本を読むか? これは難問です。例えばミステリー作家を目指す人なら、ある程度量的に質の高いミステリーを読むことを求められるでしょう。自分の書くジャンルの小説を読む、これは基本です。しかしあまりに読む本を限定してしまうことは視野を狭めてしまいます。
*3 (保坂和志 (2008) 書きあぐねている人のための小説入門 中央公論新社)の中で、保坂和志はいわゆる小説書きによくある役に立つ読書に警鐘をならしています。
保坂氏はこの本の中で。J文学系を目指す小説家志望の若者が決まって日本の小説しか読まず、広い大きな視点を持っていないことに注意を喚起しています。また保坂氏自身がJ文学とはスタイルも価値観も違うアフリカの小説を読んだ経験が良いアイデアの源泉になったと語っています。いきなりアフリカの小説を読めとは言いませんが、異なる価値観に触れることの大切さを語った例です。
僕もこの保坂氏の意見に賛成で、えり好みせず色々な小説を読んでみることをお勧めします。どんな小説でも読み始めてみると色々な面白さを発見できるものです。*2のクーンツの本でも自分を狭いジャンルに押しこめることは自分の可能性を狭める行為で、売れようとする作家は幅広い読書歴と幅広い執筆能力を持つべきだと語っています。
何を読むかについては、最終的には自分の好みで良いと思います。しかし興味を一度持ったら、貪欲に読むエネルギーは持ちたいものです。あまり効率を持ち出すことにも僕は違和感を感じます。読書は豊かにを心掛けて、色んな小説を読みたいものですね。
第二にどれだけ読むか? これについては結論はわかり切っています。小説書きの読書に終わりは無い。です。
このエッセイではこの後いくつものトレーニングを紹介します。それらの多くは、分解した小説を書く技術を効率的に高めるメソッドです。これらの技術はある程度身に付いたところでトレーニングの効果は小さくなります。つまりこれらの練習はどこかの時点で切り上げて次に行くべきと言えますが、読書をトレーニングとしてみた時にここでやめても良いというピークはありません、多分一生かかってもそのピークにはたどり着けません。
だから逆に焦る必要はありません、自分のペースで読みたい本を読みたいだけ楽しみましょう。まあ少しでも目安を上げるとすれば、小説を書こうと思っている人、特に新人賞に応募したい人は処女作を書く前に百冊程度小説を読んでおくと失敗は少なくなるかと思われます。
続いて、第三の問題、どのように読むか? じつはこれについては意外に考えられていないのが現状です。小説を書こうなんて考える人間にとって読書はあまりに当たり前で、どう読むかを論じたアドバイスは数ある小説教則本を見まわしてみても、そう多くはありません。
*4 (高橋源一郎 (2002) 一億三千万人のための小説教室 岩波新書)
に書かれたアドバイスは貴重な例外です。この本では小説の第一の実践は読書であり、それは小説と遊ぶことだと述べています。他人がもつ奇妙な世界で面白さを見つけ出し、そのボールをつかまえることが大事だと言っています。つかまえるとは考えながら読むことだとも言っています。
小説と遊ぶ、実にいい比喩だと思います。そう、小説は遊ぶものなんですよね。遊ぶから読書は楽しいんです。そして考えながら読む、考えるところが小説の実践なんだと思います。無理に考えこもうとしなくても良い小説は自然と考えて読んでしまいます。良いお話しで感動した、すると自然とこのシーンのここが好きだな、とかこのセリフが良かったとか、動かされた自分の心を自然と読解するものです。
それと忘れてはいけない読書のコツがあります。それはイメージしながら読むことです。場面をイメージすることで小説の内容はより記憶に定着しやすくなることは、いつぞの回か忘れましたがNHKの試してがってんでも取り上げられていたように記憶します。そしてここで培われたイメージ力はいざ執筆という時も必ず役に立ちます。場面をイメージする能力は小説の描写をする際にとても大事な能力となります。ある意味最強の読書のコツです。
さて、ここで少し話を一転。多くの教則本では語られることはないですが、物語の読解を深める方法が実は無いわけではありません、それが評論の技術です。ライトノベル等を、特に小説家になろうで小説を書く人にとってはどうでもいい話なんですが、評論をする際にガイドとなる批評理論というものが実はあります。
フロイト先生っぽい精神分析批評やら、小説(テキスト)を物としてとらえ歴史の中でそれを読み解くマルクス主義批評、私自身もチンプンカンプンの脱構築批評なんてのもあります。
こういった物語分析の技術の中に物語論なるものがあります。詳しくは後述する物語論の学習というトレーニング項目で話しますが、物語をその部品の単位に分解して並べ直し構造を分析する理論です。
これを身に付けることで、物語のエピソードの意味を理解したり、物語の演出の差異(どこに創意工夫あるいは矛盾があるか)などが理解できるようになります。
こういった分析理論は音楽で言うところの楽典に相当し、その内容はやはり楽典の様にやや退屈ですし、音楽理論無しでも立派に作曲できるのと同じように、これら物語論を知らなくても創作はできます。
しかし理論を身に付けることが物語創作をするのに便利であることは間違えないので、興味のある人は勉強してみてください。このエッセイでは物語論を語ることが目的ではないのでその詳しい内容には触れませんが、物語論を解説した書籍を後に紹介したいと思います。
さて、さらに物語鑑賞というものをもう少し考えてみましょう。小説家にとっての物語鑑賞は小説だけ、だから俺は小説しか読まないぜ、という小説原理主義もそれはそれでよいのですが、実際にライトノベルを書いたり、小説家になろうの読者向けに小説を書こうと思うと、やっぱりアニメや漫画やゲームの知識は欲しいです。というのも元来ライトノベルというものが、アニメや漫画的なフィクションを活字に落とし込んだものだからです。このあたりのことは大塚英志氏の評論が詳細に語っています。新井素子さんのデビュー作がルパンでどうこうってやつですね。興味深いお話しなのですがここでは詳しくは語りません。
話を続けましょう。そもそも、別ジャンルの物語は小説のアイデアの宝庫です。流行りのライトノベルばかりを読んで小説を書くと、どうしてもステレオタイプな小説になりがちです。特に新人賞を狙う小説家志望はこの辺に敏感であるべきです。確かどこかで大塚英志氏が別の時代の別ジャンルから素知らぬ顔をして、物語の題材を持ってくれば、現代ではオリジナリティある作品だと絶賛される作品が書けると言っていた記憶があります。
物語は何も小説だけではありません、映画しかり、アニメしかり、漫画しかり、ゲームだって参考になります。それこそ現代ではメディアミックスで同じ作品が映画や漫画、アニメや小説を行き来します。
ライトノベルが原作のアニメがあふれていることが示すように、今や小説は映像作品の原作としても熱い視線が注がれています。
断言しますが、小説を書く上で映像作品を見ることは必ず役に立ちます。小説の文章にたくさん触れることも、特に小説を書き始めたばかりの頃は大事ですが、ある程度書けるようになったら、アニメや映画や漫画も量的に鑑賞することを必ずやってほしいと思います。僕も全然足りてないんですけどね。
さて、ここで一つツッコミが入りそうです。確かに物語を量的に鑑賞することは創作の地力に大事かもしれない、しかし、それこそ浴びるように物語を鑑賞している人間が、一行も小説なんて書けないということも珍しくはないではないか。はい、自分でツッコミを入れてみました。でもその通りですよね。
じつは読書(物語鑑賞)というトレーニングにはトレーニングとして致命的な欠陥があるのです。それはフィードバックが無いことです。つまりいくら読書をしても上手くなったのか確認するすべが無いのです。
これは技術というより記憶そのものがそうなんですが、技術や記憶とは試行錯誤して失敗を繰り返しながら得ていくものなんです。これは記憶を扱ったラットの実験などから明らかなことです。
小説を読むだけではこの試行錯誤が無いんです。よって書くというフィードバックが得られる行為とセットでないと技術は身に付かないのです。
繰り返しますが読書は小説執筆の最も基本的で、重要なトレーニングです。しかしトレーニングとしては欠陥品なのです。
この読書の欠点はよくわきまえておくことをお勧めします。この他に紹介するトレーニングにもフィードバック(試行錯誤)が得られないトレーニングがいくつかあります。こういったトレーニングは必ずフィードバックが得られるトレーニングとセットで行うようにしてください。
さて、最も基本的なトレーニング、物語鑑賞の基本を押さえたところで、次の資料調査に進みましょう。
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