1-23 祈祷術と魔法

 契約のために生じたもやが晴れていく。


「今ので契約は完了だよな?」

「えぇ。仰る通りです」

「それじゃあ今から! あたしが力の話をしてあげる!」


 わくわくした様子で、クロベニが説明しようとしてくれる。

 申し出はありがたいが……。


「先にカリオトさんを助けさせてくれないか?」


 そう断りながら、いまだに黒いもやがまとわりついているカリオトさんの隣に立つ。

 朝までは死なないといわれていたし、日が昇るまでまだ数刻はある。

 だが、気になって仕方がない。

 さっさと治したかった。

 そう思ったのはいいのだが……。


「どうすればいいんだ」


 困惑する。

 契約をして力を得たはずなのに、何をどうすればいいのかわかなかった。


「にへへー。駄目だよお兄ちゃん。私たちの力がすぐに使えるわけないよー!」

「そ、そうなのか」


 ルアネの時は割と直感で分かったから、今回も同じかと思ったんだが。


「勿論です。自分たちの力をお渡しはしましたし、事実キエルさんは使うことはできます。ただだからと言って、いきなり使いこなせるかは別です。そのような都合のいい話はありません」


 なるほどな。ルアネの力は、少し戦闘経験があったからというわけか。


「だから焦っちゃだめだよー!」

「自分たちが教えますので、素直に聞いていただければと」


 二人の言うことはもっともだ。

 カリオトさんを助けたい一心で冷静さを欠いていた。


「分かった……手短に頼む」

「よい心がけです。それでは契約でお渡しした力の扱いを説明しつつ、治療を行いましょう」


 スコーとマスクの呼吸音を響かせながら、ノワールが隣に立つ。

 白衣に白髪のため、夜でもよく目立つ。

 この頃、都で白衣を着ることを是とする異教の修道士がいるようだが。彼女の格好も関係あるのだろうか?

 もっとも、マスクのせいでどちらかというと異端かと疑ってしまうわけだが。

 おっといかん、余計なことは考えるな。しっかりノワールの話を聞かなければ。


「自分がキエルさんに授けた力は二つですが、今は特に必要な力だけをお教えいたします。それは祈祷術です」

「祈祷術を……俺が?」

「とはいえ過度な期待はしないでください。キエルさんは信仰深くないでしょうし、治療の経験などもないのです。使えたとしても【小癒】ヒール程度でしょう」


 【小癒】ヒールだけでも驚きだ。

 祈祷術といえば僧侶や神官が、修行を積み手に入れられる奇跡だ。

 教会に行くこともない俺が使えるようになるのは、まさに奇跡だった。

 だが嬉しいかと言われれば、話は別だ。


「使えるようになったのはいいが、カリオトさんを助けられるのか。病気に祈祷術は効かないじゃないか」


 運び込んだ際の修道士とギルド職員の問答を思い出す。

 祈祷術は病気には効き目が薄いのだ。

 現にノワールはコクと頷く。


「いい質問ですね。キエルさんの仰る通りです。ですが、今回は問題ないかと」

「なんでだよ」


 そう訊ねると、ノワールは細長い指で、俺の顔――眼か――を指さす。


「他の方と違って、眼が特別ですから。大丈夫です。自分の計算では成功するはずです」


 ノワールのマスクの目の箇所がキランと光る……ガラス張りだから元々輝いているのだが。

 表情を伺うことはできないが、自信満々のようだ。


「それで、どうすればいいんだ」

「まずはこの方の全身を見てください。キエルさんのお話が本当なら、死が視えるのでしたよね。因みにどのように視えるのですか?」

「あぁ。黒いもやのように視える」

「なるほど、ではどこかに黒いもやが濃くなっている箇所はありませんか?」


 もやが濃い箇所?


「……全身が黒いもやで覆われてるが」

「全身に? 潮臓病ちょうぞうびょうの症状から考えてありえないことですが……」


 ノワールが考え込む。

 おいおい、早速読みが外れてるじゃねぇか。


「ねー! 黒いもやが全身に覆われるんだよねー?」


 困っている俺たちを助けたのは、意外にもクロベニだった。


「え、えぇそうですが……」

「あたしわかっちゃったかも、どうかなーこれでー?」


 クロベニが指を回す。

 するとカリオトさんの全身にまとわりついていたもやのほとんどが、クロベニの手元に集まっていく。


「なっ!」

「へへー、呪いを一時的に集めたよー!」


 驚く俺にクロベニが自慢げに説明する。


「そういうことかい。二つの死因が混ざっていたせいで、よく視られなかったんだね。いやぁ。それにしてもやるじゃあないか。クロベニ」


 ルアネが感心したように褒める。

 なるほど、どうやら全身を覆っていたのは呪いによるものだったようだ。


「そんなに長くは操れないから、早くしてねー!」

「クロベニ。感謝します。それでどうでしょうか、キエルさん。今なら視つけられるのでは?」

「あぁ。確かにあるな」


 腹の一部にもやが集まっている。

 恐らくこれがノワールの言う病の箇所なのだろう。


「それで? どうすればいいんだ」

「簡単です。そのもやに対して直接祈祷術をかけてください」

「それだけでいいのか?」


 それじゃあ効果が出ない気がするのだが。

 だが、ノワールには自信があるらしい。


「ええ、お願いします。ただし、間違ってもこの方にはかけてはなりません。あくまで対象はもやに対してです」


 一言注意しつつ、そう断言する。

 本当なのだろうか。少し不安だ。だが信じるしかない。


「祈祷術についてですが、パスは自分が繋いで起きました。あとはそこに意志を流しこんでください」

「意志?」

「そうです。この方を治すという気概を込めてください。その後、自分の唱える言葉を復唱してください」

「分かった」


 それなら簡単だ。

 俺はもやに手をかざし、そして治って欲しいという気持ちを込める。


 すると手のひらが暖かくなると同時に、ほんのりと明るくなる。

 元パーティーメンバーだった僧侶のポペが祈祷術を使うとき、同じようなことが起きていた。

 どうやらうまく意志とやらを流し込めたようだ。

 ノワールが俺の手を確認すると、コクリと頷き、詠唱をし始める。

 俺も後に続いて口ずさむ。


「《大地の神よ。矮小な我らに、癒しを》」


 いつも聞く祈祷術より、短い祝詞。

 だが効果は問題ないようだ。

 黒いもやは手のひらの光に照らされると、みるみると小さくなり、そして消えた。

 ノワールがカリオトさんの身体を触る。


「……解析終了致しました。潮臓病ちょうぞうびょうの治療完了を確認」


 上手くいったようだ。

 心なしかカリオトさんの苦しそうな寝顔が、穏やかになった気がする。


「こらこら、キエル。まだもう一つあるのを忘れたのかい」


 ルアネが俺のことをいさめる。


「わかってる」


 気合を引き締める。

 次は呪死だな。


「あー終わったのー? 早かったねー! じゃあこれ、お兄ちゃんにあげる!」


 クロベニは待ってましたと言わんばかりに、いつの間にか持っていた黒い球を投げつける。

 慌てて受け止める。


「おっと。いきなりなん……だ」


 絶句した。

 黒い球だと思っていたものは、うごめいていた。

 楽しそうに、クロベニがけたけたと笑う。


「それねー! その女についてる呪いだよー!」


 なんちゅうもんを投げつけてくるんだ。

 ばっちいな。


「……俺はこれをどうしたらいいんだよ?」

「んっとねー! それをボッとするイメージをしてみてー!」

「?」


 なんともフワッとした説明だな。

 全然分からん。


「おそらくですが……火のことかと存じます」


 困っているとノワールが補足してくれた。

 なるほど、火をつけるイメージか。

 早速、手にしたもやの球が燃え上がるイメージをする。


 ボッ!


 すると突然、球が燃え始めた!?


「うわ!」


 本当に燃えるとは聞いてない。

 思わず落としてしまう。

 地面に落ちても球は燃え続けていた。そして、ついには燃えカスになり、散る。

 その様子をクロベニは楽しそうに笑う。


「これは?」

「ふふん、すごいでしょー!あたしのあげた呪いを払う力は!」


 どうやら、今のがクロベニのくれた力のようだ。

 それにしても呪いを払う力?

 今のはどう見ても……。


「魔法じゃないのか?」


 魔法使いが使うような【火の魔法】のそのものだった。

 詠唱しなくても使えるので、少し違いはあるようだが。


「それは私も思ったよ。呪いを払うというより、焼き殺してるように見えたけどねぇ」

「キエルさんとルアネの意見の通りかと」


 他の二人もそう思っているようだ。

 俺の気のせいではないらしい。

 一人、契約を結んだクロベニだけが納得のいかない顔をしている。


「あれー? なんでだろー? おかしいなー」


 どうやらクロベニにとっても不可解らしい。

 ぐむむ、と悩まし気に頭を抱えてる。


「まぁいいんじゃあないか。結果的に呪いはなくなったんだろう?」

「うーん……。そうだね! ルアネーチャンもそういってるし。いっか!」


 考えるのを諦めたようだ。

 そんなテキトーでいいのか……。

 思うところがないわけでもないが、俺が考えたところで無駄か。

 魔法なんて、今まで触れてきてなかったからな。

 ともかく呪いはなくなったのだ。文句はない。

 カリオトさんを確認する。

 さっきまでまとわりついていた黒いもやは綺麗になくなっていた。


「安心してー! もう何も憑いてないよ!」

潮臓病ちょうぞうびょうも完治しております。多少、体調の回復などに時間はかかりますが、安静にしていれば問題ありません」


 思わず深いため息をつく。

 よかった……。


「その、二人ともありがとう……助かった」

「お兄ちゃん優しー! もっと褒めてほめてー!」

「自分はできることをしたまでですので、お構いなく」


 クロベニとノワールに感謝を伝えると、二人とも満更ではない様子だった。

 だが、そこに茶々を入れる奴がいた。


「おやおやおやおや。キエル、それはいう必要のない言葉さ」


 確認するまでもない。ルアネだ。


「なんでだよ。礼ぐらい言ってもいいだろ」

「いいや。いらないね」


 断固として否定してくる。

 なんだ。やけにつっかかってくるじゃないか。


「だってその二人は君の死を貰う予定なんだから。それぐらいして当り前じゃあないか」

「それは……」


 そうなのだが。

 正論をぶつけられ、思わず言葉に詰まる。


「キエルはそういうところが甘いねぇ。全く、困ったもんだよ」


 ルアネがやれやれと肩をすくめる。

 あたかも長年連れ添ってきた相棒みたいなことを言ってくる。

 まだ出会って二日しか経ってないんだが。

 なんだこいつ。


「それで君たちはどういう契約を、キエルに押し付けたんだい? 教えてくれたまえよ」


 そんな俺を横目に、ルアネは二人に迫る。


「時間はたっぷりあるしね」


 心なしか、その顔は楽しげだった。

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