1-3 ルアネ・シュバルツ

 日が昇ってから、数刻は過ぎている。

 普通の冒険者であれば、すでにクエストを受注し、立ち去っているはずだ。

 今このギルドにいるのは、今日は休みと決めた奴か、あるいはただの酒飲みかだ。

 つまり大勢ではないのだが、少なくもない。

 そんな中、いきなりレモネードを吹き出す奴がいたらどうなるか。

 ……まぁそりゃあ浮くわな。


「げほ、がは」

「坊主、そんなんでむせるなら、ママのおっぱいでも飲んだらどうだ」


 周りの男どもが茶化し、笑いが起きる。

 うるせぇ。

 ってか浮いてるのが変なら、目の前の本当に浮いてる奴いるだろうが。

 ウェイトレスから借りたタオルで、机を拭きながら、ちらちらと元凶を見る。


(うわぁ……痴女が浮いてる)


 歓楽街で客引きをしたらすぐにでも客が殺到しそうな、素晴らしい裸体だ。

 乳はカリオトさんよりやや小さいが、それでも平均と比べればでかい。

 カリオトさんが異常なのである。


(というより、なんで周囲の奴らは騒がないんだ?)


 ボンキュッボンのお姉ちゃんが、ふわふわ浮いているのだ。

 なぜ騒がない。まるで見えていないかのよう……。

 ここでようやく気がつく。


(もしかして俺の眼にしか視えてないのか?)


 そんなこと起こりうるのだろうか。だがそうとしか説明できなかった。

 最も今まで死を黒いもやとしてしか見たことがないのに、痴女が見えるというのも異常なのだが。

 どうしても気になってしまい、ちらりと視る。そして後悔する。


(がっつり眼が合ってしまったー!?)


 サッとそらす。が、手遅れのようだ。


(うわー、なんか近づいてきてるんだが)


 視界の端から、痴女が近づいてくるのが視える。

 関わるとヤバそうだ。絶対無視しよう。

 決心すると、遠くの壁を眺める。


 そうこうしているうちに、痴女が俺の周辺まで来た。

 なぜか、俺の周りをぐるぐると周っている。まるで品定めをしているみたいだ。

 まぁそれはいいのだが、視界に入ってくるのはできればよしていただきたい。

 がっつり視えてしまうのだ。その、どこがとは言わないが。


 っていかんいかん、バレる。

 落ち着け。

 何も反応するな……。


「ふふ、如何にも凡人といった顔つきだね」

「おい、喧嘩売ってんのか」


 だが、早くも俺は相手をしてしまった。


「へ?」

「…………あ」


 痴女は驚きの表情を浮かべる。

 やべ。


「………………」

「……………………」


 しばらくの沈黙。

 とても気まずい。


「その……もしかして視えているのかい?」

「あ、あぁ」


 おそるおそると痴女が尋ねてくる。

 ここまできたら、無視するのも無理だろう。

 諦めて、頷く。

 すると、痴女の顔はみるみると赤くなっていき。


「へ」

「へ?」

「変態! サイテー! のぞき魔!!」

「おい、自分で見せといてそれはおかしいだろうが!」

「うわああああああああああああん!」


 俺が悪いかのように責め立てると、泣き始めてしまった。


 ◇


「なぁ、俺が悪かったって」

「ひっぐ、えっぐ」


 嘘だ。

 なんで俺が謝んなきゃいけないんだ。

 そう思いつつ、目の前のいまだ泣き続けている彼女に謝り続ける。


 思わず大声を叫んだところ、周囲から「何言ってんだ?」みたいな目線で睨まれた。

 というわけで、急ぎ周囲に誰もいない端の机に移動した。

 どうやら俺以外に視えないのは間違えないようだ。

 なお一瞬目を離したすきに、いつの間にか彼女は服を着ていた。


 どんな術だよ。

 ってかそれなら最初っから服着てろよ。

 そんなことを思いつつ、思考をめぐらす。

 さてどうしたものか。


「うっ、ひぐ。お嫁にいけないよぉ…………」

「ぐっ……」


 居心地が悪い。

 まずはこの空気をどうにかしなければ。


「何か飲み物……飲めるのか?」

「うぐ、の、飲め、る」

「そ、そうか」


 とりあえずレモネードをおごることにした。


“次に誰か困っている人がいたら、奢ってあげてください!”


 カリオトさんの言葉を思い出す。

 早速困っている人?に奢ることになったわけだ。

 未だ泣いている彼女にレモネードを差し出す。


 というより本当に飲めるのだろうか、さっきまで壁をすり抜けていたが……。

 疑問はすぐに晴れた。

 彼女は姿と、しっかりとレモネードを受け取ったのだ。

 驚いた。こいつ実体化してやがる。

 今なら他の奴らにも見えるし、触ることもできるだろう。

 これまでの黒いもやとは明らかに違う。


(本来、警戒するべきなんだろうが……)

「ぐす、ひっぐ……」


 なんていうんだろう。

 泣き顔を見てると気が抜けてしまう。


「まぁ、飲んで落ち着けよ」


 そういうと彼女はコクリと飲んだ。


「お、おいしい」


 どうやら気に入ってくれたようだ。

 笑みが浮かんでいる。

 落ち着いたからだろうか、俺が視ていることに気がついたようだ。

 コホンコホンとわざとらしく咳を行い。


「ふふふ、少し取り乱してしまったよ。すまないね」


 気取った風に話し始めた。

 ……えぇ。

 そのキャラで通すのか?

 絶対、ギャン泣きしてた時のほうが素の性格だろ。

 胡散臭うさんくさげな目線に気がついたのだろう。

 彼女は慌てながら答える。


「な、なんだい。これが私の本来のしゃべり方なのさ」

「いや流石に無理あるだろ。明らかに作ったキャラじゃねぇか」

「うるさいうるさい! そ、それ以上バカにすると暴れるんだからー!」


 ブワッと彼女の全身から黒いもやがにじみ出る。

 ダンジョン内の罠など目じゃない。鋭い殺意。


「わ、わかった。すまなかった」


 汗だくになりながら謝る。

 あんなのを自分に向けられた日には生きた心地がしない。


「ふふん、分かればいいのだよ。きみぃ」


 満面のドヤ顔とはこういうことを言うんだろうな。

 俺が謝っただけで、機嫌がよくなったようだ。


 うーん……異常な相手だし、危険な存在なのはわかる。わかるのだが。

 印象としてはポンコツっぽかった。

 決して口にはしないが。


「それで……お前は何者なんだ。人じゃないよな」

「勿論だとも。人を超越しているものさ」


 何を当たり前な。そういいたげに、彼女は笑いながら言う。

 そりゃそうだ。

 人間だったら、まず裸で飛び回らねぇ。


「なぜか畏怖ではなく、軽蔑の目線が向けられている気がするが……まぁいいだろう。私の名はルアネ・シュバルツ」


 長い金髪をかき上げながら、彼女――ルアネは名を告げる。


「死神さ」


 赤い眼は爛々と輝き。自信に満ち溢れていた。


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