第11話 ならば両手で叩き斬ろう

『ドラゴンズハンド……斬り落とされ、乾燥した竜の腕。

 世界の始まりより古き竜は、決して死ぬことがない。死とはまどろみに過ぎず、やがて命を喰らい、蘇るだろう。それがたとえどんな姿に成り果てようとも……

 ほー、なるほどなるほど……』


『おーお、お勉強はそれで終わりかい? クリフ』


『うるへえ! 俺だって好き好んでやってるんじゃねぇんだ! ドラゴンが只者じゃねえってことくらい、分かってらあ!』


 ありし日のクリフとホルストの会話が頭をよぎる。あれはたしか春の日、俺が性懲りもなく親父との手合わせに負けて、座禅を組まされていた時だったはずだ。

『目に頼り過ぎるな。もっと自然の音に耳を傾けろ』

 そう言われ続けて2週間、耳を澄ましたら川のせせらぎの向こうからクリフたちの声が聞こえてきて驚いたのを、よく覚えてる。



「はぁ……はあ……」


「くそぉっ! 何発叩き込みゃあ気が済むんだ!」


 みんなを守るのが、だいぶキツくなってきた。

 白銀の巨大な手が、家を握り潰しながら立ち上がる。異様な雰囲気だ。


 竜の腕は銀の腕輪が無数に繋がったような形をしている。白銀を包帯がわりに腕に巻き付けてるような形と言っても良いかもしれない。

 そいつも俺たちとの攻防で、あるいは無理な使い方による自滅で傷だらけになり、焼け爛れてもいたが、奴の発する緑の光と周りを漂う霧が瞬く間に腕の傷を癒してしまう。


 奴はもう最初のように、虫みたいな暴れ方はしていない。

 持ち主の肉体を乗っ取ったのか、二本の足で立ち、巨大な腕をだらりと垂らしている。持ち主は俺より少し年嵩の若い男だが、完全に意識を失っていた。


「これで何度目だ、アーク?」


「五度目だ。弾はあと何発余ってる」


「二十五発だ。参ったなこりゃ」


「完全に膠着状態だ。このままじゃジリ貧だぞ」


 何度壊そうとしても回復を繰り返す向こうに対して、こっちはとっくに満身創痍。

 村人たちが避難してくれたおかげで、多少戦いやすくはなったが、彼らの足では遅すぎて十分な距離を取れていない。

 おかげでこっちは全速力で走ることも出来ない。


 かみなりの試練を超えた俺たちが、本気で加速したり剣を振るったりすると、世界を構成する粒々にぶつかって辺り一帯を盛大に吹き飛ばす羽目になる。

 村を守るために戦って、村を吹っ飛ばすのでは本末転倒にもほどがある。阿呆の所業と言って良い。最低でも村の人間は助けないと、任務は失敗だろう。


 かといって、それら諸々の事情を纏めて攻撃力に変えられる奥義月影や、魔を祓う破魔の剣も乱発出来るようなものじゃない。

 武器や心身への負担が大きすぎて、考えなしに放てば、あっという間に手詰まりになるのだ。


 ……本音を言えば、俺は竜の手に捕まってしまった村人も助けたかった。

 いくら契約違反とはいえ、不憫がすぎる。竜の手のミイラなんて、百人いたら百人とも一生巡り合わないだろうものに遭遇して死ぬとか、不運にもほどがあるだろう。

 だが、そんな余裕も徐々になくなってきていた。


「ーーっ!」


 ガキンッ、と不意に振るわれた銀の腕を上へと弾く。敵の豪腕に暴風が吹き荒れたが、なんとか大地に根を張ったかのように動かないでいられた。


 鍛え上げた肉体と技は裏切らない。


 雷の速さで飛べなくても、飛ぶために鍛え上げた肉体は、竜の腕の直撃を逸らし続ける頑強さと集中力を俺に与えてくれていた。


 弾く。弾く弾く弾く。

 歯を食いしばり、縦横無尽に、荒々しく振るわれる銀の腕を最小限の動作で躱し、弾き続ける。


 腕の先や脚の先など、俺の動作が小さければ小さいほど、物理的な速度が遅ければ遅いほどに、周囲への影響は小さくて済む。

 身体全体を使って全力疾走するのを誤魔化すには奥義クラスの消耗が必要だが、剣先や足先だけならぎりぎり通常技の範疇だ。


 故に俺に求められるのは玄妙なる不動の剣術。出来るだけ小さな動作で敵の暴虐を無効化すること。

 周囲を爆発させず、なおかつこちらを一撃で殺しうる竜の攻撃に対応出来るギリギリの速さを出し続ける、気が狂いそうなチキンレースを楽しむ心だ。


 寄生している人間のことなどお構いなしに、加速し続ける銀の腕を、先読みで弾いて強制的に止めていく。

 さながら濁流に杭打ち、大河の流れを誘導するような、あるいは爆音に休符を打ち込んで無理矢理音楽にしていく感覚だろうか。


「aAAAAAAA!!」


 敵に理性はない。加速の末に大爆発を起こそうが、それで寄生先の哀れな男やその親戚が死のうが、どうとも思わないだろう。その程度で死ぬ竜ではないし、そもそも腕しかないのに思考を期待する方が無茶だ。


 だから、俺たちが止める。家族の役に立ちたいと涙を流した男に、家族を殺させはしない。


「aAAAAAAA!!」

「ーーっ!」


 しかし、理性はなくとも本能はある。

 竜の本能。狩人として、不死者として、闘争の支配者としての本能が、奴を脅威の化け物へと変えている。

 的確なのだ。

 考える頭もないくせに、拳の振るい方、爪の使い方、腕の振るい方が極めて的確。荒々しさの中に同居しがちな、稚拙さが全く見られない。熟練の狩人だ。しかも……


「腕が伸びただと!? まずい、アーク!」


「くっ!」


 唐突に化け物としての本性を現すから始末が悪い!

 竜の腕が伸びたなんて話は寡聞にして聞いたことがないが、こいつは至近距離の格闘戦の最中に平然とやってきやがった。


 おかげで弾きも銃撃も失敗、奴の腕に大きなしなりが加わったことで、タイミングをずらされてしまった。


 なんとか防御は間に合ったが、能動的に敵の攻撃を打ち落としたのではなく、剣を盾に受け止めた形になり、盛大に吹っ飛ばされた。


 千年杉で出来た家を三軒ほど貫いてようやく止まった俺は、血の唾を吐いて瓦礫の中から身を起こした。


「やってくれたな」


 腹にきついのを貰って多少ふらふらするが、タフさには自信がある。


 俺は剣を杖に立ち上がった。床材から生命力を分けて貰おうとした所で、銀の腕が猛烈な速度で突っ込んでくる。


 回復を待っている時間はない。

 狙うはカウンター、敵の力を利用して輪切りにしてやる!


「来い! 二度目の死をくれてやる!」


 俺が集中し、折れかけた剣を水平に構えた時、背後から雪片が舞った。



『そなたに竜狩りの秘技をお見せしよう』


 風が吹いた。一陣の風が。

 最初は柔らかく、次に吹き荒ぶように強く、最後は嵐のような大風となって、俺の背後に収束する。


『竜狩りの槍よ、太陽の化身よ。この地にかつての誉れを再現させよ』


「電磁……鉄弓!」


 嵐のような老人の声が朗々と響きわたる中、馬のいななきと、溌剌とした乙女の声がすると同時に、遂にそれは射出された。


 見た目はクリフの使う雷鉄砲とよく似ている。

 飛んでいるものが銅を含んだ豆ではなく、矢尻から矢柄まで鉄で出来た長大な鉄の矢であったが、それは些細な違いだろう。原理は一緒だ。


 だが、含んでいる力が桁違いだった。

 ソフィとクリフの、つまり人の魔力と工夫で飛んでいる弾丸とは違い、少女の放った矢に宿るのは純粋な神秘。神なる者の力、権能の一端であった。


「ーーっく!?」


 俺は攻撃を取りやめ、すぐに身を引いた。下手をしなくても、巻き込まれて消し炭になる。


 横っ飛びに転がった先に見たのは、黒い矢が竜の硬質な手を真っ向から打ち砕かんとする姿。

 鉤爪のように伸ばされた白銀の手と、青白い雷光を纏った紅蓮の矢が拮抗、いや徐々に押していく。


「竜狩りの神の矢で……再生する間もなく消し飛ばすつもりか?」


「そうよ。それが今、わたしに出来る唯一のことですもの」


 無意識に呟いていた独り言に答えがあったことに驚き、振り向くと、そこには一人の少女がいた。


 服装と顔つきからして、北東の遊牧民だろうか。

 神雷を纏った二本の角を持つ赤鹿に跨り、黒と緑の中間くらいの色の髪を、後ろで一つに纏めている。


 魔法使いとしてはどうかは分からないが、剣士として、弓使いとして、よく鍛えられているのが、その伸びやかな姿勢と澄んだ目でよく分かった。


 手には遊牧民特有の複合弓。後ろ腰にはごく短い矢の束が収まった矢筒を、脇には緩く湾曲した片刃剣を佩き、背中には長大な矢を収めた矢筒を背負っている。完全武装と言って良い。


「あんた、助けに来てくれたのか?」


「そうよ。あなた達ではなく、この村の人を、ですけど」


「それでも良い。何故かこっちは増援が遅れていてな。感謝する」


 俺が心からの謝意を送ると、少女はその端正な相貌を困惑に染めた。


「べつに、感謝されることではない気がするけど……むしろ、わたしの方こそ、村を守ってくれてありがとう、というか……」


 感謝され慣れていないのか、顔を敵の方へ向けてもごもごと言っている。意外と可愛げのある奴だ。


「このまま畳み掛けたいが、行けるか?」


「もう少し待って。あの矢には我らが父祖の力が宿ってる。下手な手出しは危険よ。わたしも、あなたもね」


「そうか。なら、今の内に情報を共有しておこう。俺の持ってる情報をあんたに渡す。あんたも支障のない範囲で情報をくれ」


「わかったわ」


 あの矢はどう見ても人間の持つ力ではなく、神か、それに類する物の力を借り受けたものだ。

 それ故に強いが、融通の効かないものでもあるのだろう。奇跡ってのはそんなもんだ。


 あの矢が何処までやれるかは分からない。だが、倒してくれるならそれはそれで構わない。

 俺の受けた任務は山賊討伐と村の防衛。そのためなら竜の首とて惜しくない。


 それに現状、こっちは手詰まりだ。


 奥義である月影か、貴重なエンチャント用アイテムを使わなければまともなダメージは望めず、それすらあっという間に回復されてしまう。


 俺が親父みたいに月影を通常攻撃みたいに連発出来れば良かったんだが、それも出来ない。

 ならばと雷を纏った剣と弾丸で敵の手に雷を蓄積させて内側から壊す作戦も試したが……継続的な強化が出来る分、月影ほどの爆発力を持てない雷剣や雷銃ではやはり、決定打に欠けていた。


 その辺のことを奥義のことなどはぼかして彼女に手早く説明していると、土煙の中から見慣れたシルエットが寄ってきた。


「アーク、無事か!」

「ああ、無事だ」


 瓦礫を掻き分けながら寄ってきたクリフは開口一番無事かと叫び、それに俺が答えると猛烈な勢いでまくしたて始めた。  


「あーもう無事なら無事って言えよ! 瓦礫の中から出てこないから、心配しちまったじゃねえか!

 だいたい、あの光線みたいなのはなんだ!? あんな神さまみたいな技なんてお前持ってなかったはず、って女の人ぉ!?」


「はーい」


 ここまでほぼ一瞬の出来事である。

 竜の腕が大人しいうちは回復に専念したいということもあり、俺は地面に膝をつき、剣を床に突き刺したまま待った。


 奥義の名を陽光。

 己の手や剣に宿る力を敢えて空にすることで、敵や周囲の物から力を奪う技だ。

 これもやはり、親父は息でも吸うかのように使えるが、俺には目を閉じて集中しなければ使えない。


 この家の床や壁は千年杉製だから、無駄に生命力に満ち溢れている。それなら村を守るために、少しばかり頂いても文句はでないだろう。


「あー、アーク? この人はどこのどなたさんだ?」


「さっきの凄い弓を射った人で、この村の救援だ。一応共闘する方向で纏まった。情報を共有しといてくれ」


「ほー。名前は?」


「知らん。自分で聞けば良いだろう」


「いや、初対面の女の子に名前聞くなんて、なんかナンパみてえじゃねえか」


 俺は呆れてクリフを見た。そこには明後日の方を見て照れている少年がいた。

 さっきの少女といい、ここが戦場だと分かっているのだろうか。可愛げを出している場合ではない。


「スクルドよ、銃使いさん」


「お、おう。俺はクリフ。こっちはアーク。ガリア傭兵団のもんだ、です」


 クスクスと笑うスクルドに半笑いで応じるクリフ。なんだこれ。

 とはいえ、共闘する同業者相手に挨拶しないのも不義理なので、俺は手短かに告げた。


「ガリア傭兵団のアークだ」


「北と東の間から来たスクルドよ。よろしく」


「ああ、よろしく」


北と東の間から来た……何とも変わった自己紹介というか……


「妙な言い回しだな……」


「あら、そうかしら? お気に召さない? 西の剣士さん?」


「いや、別にどうでもいい。気を悪くしたなら謝る。クリフ、後は頼むぞ。俺は少し寝る」


「ああ、おやす……って、待てコラあっ!?」


 負傷と体力の回復に必要なのは、良質な食事と睡眠、手当てである。


 だが、ここで一つ問題が発生する。


 修練を積み、肉体をひたすら強化したことで、俺たちガリア傭兵団の戦士は、あらゆる毒や病魔などを無効化する体質を得た。


『常に万全たれ』


 その教えを忠実に守った結果とも言えるが、同時にあらゆる良薬や回復魔法も無効化してしまう体質も得てしまった。


 良薬も毒薬も分量が違うだけで本質的な差はないからだろう。


 食事や水を取ることは出来るが、それでも心身や魂に強い作用を持つものや内側から作用する魔法の類は効かない。


 なので怪我や消耗をした場合、回復魔法や傷薬の類は使えないのだ。自然回復くらいしか出来ない。


 出来ることはせいぜい包帯でも巻いて、飯食って寝るくらいか。ここには飯はないので、代わりに千年杉から生命力を頂きながら寝ることにした。


 仕事柄、親父から生き残ることを真っ先に叩き込まれた俺は、早寝早起きは得意な方だ。

 寝ながらでもある程度は周囲の状況を把握出来るし、今はクリフとスクルドもいる。いつも以上に安心して、昼寝が出来るというわけだ。


「……うそっ、ほんとに寝ちゃった!?」


「これがアークやおやじたちの回復方法なんだよ……ったく、昔っから二人ともオレに面倒ごとばっかり押し付けやがって……」


「面倒ごと? わたしと話すのが面倒ってこと?」


「えっ……あーいや違う違う違います! 情報の整理とか交換とか、そういうのが面倒だなぁってだけであって……」


「……ふーん、そう」


(なんだこの女拗ねやがったぞ!? 面倒くせぇ……)


「聞こえてるわよ、クリフ」


「ふぇふあ!? いや、いやいや、これはですね!」


 何やってんだ、こいつら……

 さっさと情報の共有と整理をしろと言いたいが、それより心身と魂の回復を優先させねばならなかった。


 ドラゴンは生物学的にも頂点だが、霊的にも頂点に近い。下手な幽霊や悪霊など、そこにいるだけでまとめて祓えてしまう。


 そんな高位の存在と戦うと、攻撃が当たっていようがいまいが、気づかないうちに勝手に魂が損傷していくようだ。


(綺麗すぎる水の中で魚が生きていけないのと同じなのかもな……)


 戦っている最中も感じていた、自分の本質的な何かが蝕まれていく感覚。


 だが、たとえ腕だけしかないとはいえ、ドラゴンと敵対するということは、そういうことだ。それだけのリスクがあるのを承知で、俺は挑まねばならない。


 魂が損傷すれば、その器である肉体や、魂の上に乗っている精神も傷つき、バランスを失っていく。

(このままではまずい)


 自力で回復出来る俺はともかく、現状では薬草や薬品に頼るしかないクリフに、回復手段があるのかすら分からないスクルド。


 これでは肉体はともかく、魂は無理だ。長期戦は取り返しがつかないことになる。


(くそっ、親父たちは何処にいるんだ)


 奴の正体がドラゴンズハンドだと分かった瞬間にはもう、狼煙を上げている。

 特殊な魔力と音と煙の三枚仕立てだ。まず、親父たちが分からないということはない。

 となると、わざと助けに来ないか、助けに行きたくても行けない状態だということになる。


(こっちだって予想外の化け物が出ているんだ。向こうがそうなってても、不思議ではないか)


 そうすると、やはり自力でこの状況をなんとかする必要がある。だが、出来るのか?


(眠っていると、逆にはっきりと分かるもんなんだな)


 先程スクルドが放った電磁鉄弓。あれはスクルドにとっては弓だが、本来はそうではない。


 槍だ。


 俺の目蓋の裏には、稲妻の矢に被るようにして騎兵突撃を敢行する騎士の霊が、はっきりと映し出されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る