アーク=ライト・フォン・レギンレイヴ 傭兵剣士と古の巨人
イザーク
第1話 かみなりの試練
かち、かち、かち……
懐中時計の針が時を刻む。
さらさらと流れる砂時計の音すら響く沈黙の中、平和ボケした俺の意識が戦闘用に切り替わっていく。
「……アークさん、準備はいいですか?」
「ああ。はじめてくれ」
色素の抜けた薄紫色の髪をした12歳の少女、ソフィの問いに、俺は頷いた。
それを契機に、たいして大きくもない小屋の天井に暗雲が立ち込めていく。
暗雲の内部には青と金色の雷がひしめき合い、ゴロゴロと音を立てながら、落ちるのを今か今かと待っているのが嫌でも分かった。
なんの工夫もない小屋の中に、突如として雷雲が発生する。
この有りうべからざる現象を起こしたのは雷の魔法、そして人工の魔道士であるソフィである。
「いきますよ……?」
声などかけなくても良いと言ったのに、優しい彼女は処刑先の俺にすら情けをかけてくれるらしい。
答える必要はないと、黙ったままの俺の元に、光が届く。
雪がちらつき出した空の下で、彼女が戸惑いがちに腕を振り下ろしたからだ。
暗雲から部屋の中央に、つまり俺へ向かって雷が放たれる。
雷の速さは自然のままの雷速。
音速の何十万倍ものそれは、只人の身で避けられるようなものではなく、さながら断頭台の刃のような無慈悲さで俺を貫く。
「……!」
ーーはずだった。
雷が俺を貫く寸前、俺は左に身体を傾け、一歩進んだ。
たったそれだけ、絶妙なタイミングで動いたそれによって、雷は俺へと当たらず、通り過ぎて剥き出しの地面へと着弾した。
跳ね返るもの、地面を這う電気の波もさらりと躱す。
「まだまだ……!」
分厚い外套とマントを着て、床に座り込んだ彼女の右手が人差し指だけを残して、かぎ爪のように曲げられる。
すると次の雷が落ちて来た。やや黄色がかった二本の雷撃は、彼女の魔力が込められているのか、自然のものより速く、重い。
それを小さな側転で躱す。
俺の躱した先を読んで降って来た四本の雷を、空中で逆さまのまま緩く横回転して躱す。床に片手をついて自分の身体を跳ね上げ、その次の八本と十六本の雷の間をすり抜ける。
「……えい!」
可愛らしい掛け声と共に、俺の手元に着弾した全く可愛らしくない威力の雷。
そこから跳ね返った電の粒を避けながら、縦に回った俺は上を見た。
無数の雷が降り注いで来ていた。
(64……128……256……512……)
と、一回ごとに倍々に増えていく雷の数を数えながら俺は避け続ける。
ほとんど真っ直ぐに進む光と違い、雷は枝分かれし、時にジグザグ移動や往復したりと気まぐれだ。
だからこそ、良い訓練になる。
魔術を使わなければ光の方が数倍速いのだが、真っ直ぐに進むだけの光など、訓練を受けた傭兵にとって怖くもなんともない。
魔法で光に追尾能力を付けても良いのだが、それよりも威力やランダム性が高い雷を無数に落とされる方が、良い訓練になると言われている。
動体視力や反射神経、空間把握能力や回避能力、耐久性などが鍛えられるのだ。
「やっほー。お兄ちゃん、やってるねー!」
「あ、ミディ」
「どうだ。アークの様子は」
「ガリア団長……はい、調子いいです。昨日より、ずっとよけています」
「そうか」
窓の外で、おかっぱ頭の少女と黒髪の偉丈夫がソフィに話しかけている。
身の丈以上の騎兵槍を持ち、腰に片刃の剣と太刀を佩いた黒鎧の大男、つまり俺の親父は、値踏みするような目で俺を見た。
普段の血の通った暖かい言動が嘘のような、剣のように冷たい視線に、背筋に冷たいものが走る。
傭兵となるべく磨いた勘が、一瞬後に殺されるはずの場所を察知して、無意識のうちに身体を動かそうとする。
(落ち着け……これは罠だ)
勝手に動こうとする身体を制御する。訓練の結果身についた反射的な回避を、意識してやめさせる。
前回は親父の殺気の篭った視線に気を取られて、雷に当たってしまった。今回はそのてつを踏むわけにはいかない。
『なんで訓練の邪魔をしたんだ? 親父』
『戦場では背後を狙われるのは当然だ。漁夫の利を狙っているのは一人ではないぞ。全員だ』
ミディの回復魔法の実験台になりながら尋ねた俺を、困ったような顔で言った親父の言葉が全てだった。
親父は俺の知る限り最強の傭兵である。
知識も実力も経験も、駆け出し未満の見習いの俺とは比べ物にならない。
剣を交えれば、一合で俺は敗れる。
いや、訓練ならともかく実戦では、親父の剣に俺の剣を掠らせることすら出来まい。それくらいの実力差がある。
残念ながら親父の説明には説得力があった。
俺は親父の当ててくる心臓麻痺を起こしそう殺気の遠当てを無視し、努めて冷静にソフィの雷を躱し続けた。
激しく動き回るようなスペースはないので、出来る限り小さな動作で、ソフィの雷を避け続ける。今回はそういう趣旨の訓練だ。
修行に付き合ってくれるソフィも慣れたもので、昔は一度に一つしか出せなかった雷も、今では百本でも千本でも思いのままに出せるようになってしまった。
火力だけならもう立派な魔道士だ。そう思っていたのだが、親父や傭兵団の仲間たちに言わせるとまだまだらしい。
たしかに精神面や肉体面では一般人と大差ないので、そのせいで戦場に出せないと言うのは納得なのだが、もしかしてまだ火力が足らないのだろうか。
そんなことを考えながら、通算1万本目の雷をバク転でひらりと躱す。
(このままじゃまずいな……)
もはや一度に放たれる雷の量が多過ぎて、最初のように剣術の歩法を活かして小さな動作で躱すことは出来なくなっていた。
動作は小さければ小さいほど、淀みが少ない。自分や周囲への負担が少なく、隙も生まないのだ。武術の達人がほんの小さな移動で敵の攻撃を捌いていくのはそういうことなのである。
だが、未熟者の俺には一歩も動かず、多数の雷を躱すことなど出来ない。どうしてもアクロバットな動作を入れざるを得なくなる。
(親父が俺くらいの頃には出来ていたことだ。負けてたまるか)
だからといって諦めるのは論外だ。出来ないなら出来ないなりに足掻くしかない。
俺は敵の機を盗むのではなく、さらに物理的な速度を上げた。
「ぐっ……!」
だが、物理的な速度を上げたことで、新たな強敵が加わった。
それは淀み。空気の壁、空間の壁だ。
水の中で早く走ろうとすれば強い抵抗があるように、空気の中でも早く走れば走るほど、空気は粘着き、まるで洪水や津波のように押し寄せる。
無理矢理通ろうとすれば、摩擦と空間の圧縮で黒焦げになるし、それすら無視して強引に速さを上げれば、空気の壁に衝突して大爆発が起こる。
詳しい理屈は知らんが、世界を構成する小さな粒々がぶつかって壊れたり、融合したりして大爆発が起こるらしい。
アトミックパンチと言うらしいが、魔道師の言うことは相変わらず小難しすぎて、俺にはよく分からん。
人外の強さを持った親父は全くこたえないし、俺も死なん事は死なんのだが、妹二人は爆発に巻き込まれてまず確実に死ぬだろう。それはちょっといただけない。
俺は加速は最低限に留め、ゼリーのような空気を身体で切り裂きながら、雷が落ちる範囲から離脱する。
部屋全体を攻撃する雷の雨だが、別に全く隙間がないというわけでもなく、ほぼ同時というだけで完全に同時な訳でもない。
スピードを上げれば上げるほど、それがよく分かった。
俺は雷と雷の間に瞬間的に身体を捻じ込んでは離脱。
雷が落ちかけている場所や、雷が落ちて電気が消えようとしている場所に滑り込んでは離脱、というのを繰り返していく。
「……びりびりゆか」
「うわぁ……ソフィちゃんえげつなー」
すると、今度はソフィは趣向を変え始めた。
倍々計算によって余裕が出来た雷のうち一定数を、常に地面に叩きつけ、這わせ続けることにしたのだ。
そうなると、もはや地面は使い物にならない。
「さあ、どうするアーク。雷が一発でも当たったら、修行は続行。そういう約束だぞ」
一番頼り甲斐のある足場が消えてしまったか。
だが……!
「まだやれる……!」
スピードを上げれば、空気の粘度が上がる。上げれば上げるほど空気は粘着き、質量のある壁へと近づいていく。
だからこそ、"空気を蹴って宙を跳べる"。
あんまりスピードを上げ過ぎると空気が爆弾と化してしまうので、スピードはほどほどにしてーー
(水の上を走る訓練がここで活きるな)
理論上、人は魔法なんか使わなくたって、速ささえ足りていれば水の上を走れるのだ。
水の浮力が体重に負ける前に、次の一歩を踏み出し続ければ良い。
そんな我が団の魔道士いわく「脳味噌まで筋肉に侵された理論」を真顔で実践し続けるのが、我らが傭兵団であり、この国の軍隊である。
だからこれは、それの応用。
泥のように粘ついた空気に片足で着地し、すぐさま跳躍する。雷雲を突き抜けて天井へ。
今度はその天井を蹴って家の壁へと跳び、そこから更に反対の壁へと飛ぶ。
時折り宙を蹴って、タイミングをずらしたり、方向を変えることも忘れない。
やってることは水の上と何も変わらない。沈む前に飛ぶ。それを三次元でやってるだけだ。
「雷の檻よ……」
「あっ、ソフィちゃんキレた」
業を煮やしたソフィが雷で巨大な牢獄を作り始めた。
増えに増えた雷を常に落とし続けて、部屋をすっぽりと覆ってしまった。
そのまま徐々に包囲を縮めていく作戦らしい。
仕方がないので、空中で前転して体勢を整え、上へと空中ジャンプ。
そこへすかさず飛んでくる雷。
(もはや、被弾なしでの回避は不可能。なら、やるしかない)
目を閉じて、集中する。
無数の雷が降ってくるが、それらは全て身体に染み込ませた反射が避けてくれると信じる。
己の力で外界を欺くのが魔導師ならば、力を内に秘めたまま押し通るのが傭兵なのだから。
砂が落ちきる。
カチリ、と音が鳴り、時を告げた。
「魔法の時間は終わりだ」
ーーガリア流奥義 破魔の太刀
俺は抜剣し、蒼く輝く剣で雷雲を斬りつけた。
雷雲に限らず、雲というものは普通斬れない。何故ならただの水蒸気と埃の塊だからだ。
雷雲を斬ったところで雷が止まるわけでもない。剣は空を切り、無様に感電して死体を晒すのが関の山である。
魔力が宿っているなら、尚更だ。
魔力により強化され、この世のものではなくなった雲は、同じくこの世のものでないものを扱う魔術なしでは祓えない。
この世のルールよりも、魔術師個人の敷いたルールを優先するようになった雷雲は、たとえこの世を焼き尽くすような巨大な爆弾を使ったとしても、それで周囲全てが消し飛んだとしても、変わらずそこに残り続けるだろう。
(だが……それがどうした?)
斬る。
ただ、その一点に意識が収束する。
魔法? 科学? 雲は斬れない?
そんな理屈は知らん。
俺が斬ったなら、死ね。
理不尽な魔の力を、さらに理不尽な意志で無理矢理押し通す。
それが奥義、破魔の太刀なのだ。
「……! 魔の雲を斬り祓ったか。それまでだな」
魔力を斬られ、魔法で無理矢理呼び出されていた雷雲が、雲散霧消する。
俺も雷の消えた地面に着地し、親父たちの方を向きなおった。
「……はっ、はあ……!」
止めていた呼気を吐き出す。汗が噴き出し、顎から垂れる。それでも意地で倒れない。膝をつかない。
(きっついな……)
破魔の太刀は奥義の一つ。
理不尽な魔法から身を守りながら、魔法や霊のようなこの世ならざるものを一撃で斬り破る攻防一体の剣術奥義だ。
自身と剣を合わせて一本の霊剣となし、己の流儀を満天下に押し通す。そういう秘技である。
だが、元来武道とは他者に対するものではなく、己に対するもの。
他者を導く法魔導や魔法ではなく、己を律する道武道なのだ。
それ故か威力は絶大なれど、魔法ほどの汎用性や柔軟性はなく、消耗も激し過ぎた。
出来ない無理を無理矢理押し通すからだろう。
武器を担いで山の中を一晩中マラソンしたこともある俺が、今の一瞬でくたくたになってしまった。
もう今日は動けそうにない。
「まあまあ、と言ったところだな。よく頑張ったと言いたいが、それぐらいでバテているようでは実戦では使えんぞ」
「……ああ。わかってる」
俺は座ったまま頷いた。
本来干渉出来ない強力な魔法や呪いだろうと斬り破ることが出来るのは確かに凄い。
が、撃った後にこれでは話にならない。
味方の援護があったとしても、分の悪い賭けになりそうだ。実戦では別の技を使ったほうが良いだろう。
「ふぅ……終わりました」
「おつかれ、ソフィ、お兄ちゃん!」
自分のことのように喜んで駆け寄ってきたミディと、ちょっとふらつきながら寄ってきたソフィ。
いえーい、と打ち込まれたミディの平手を手で受け止めながら、俺は言った。
「ありがとうミディ。ソフィ、今日は手伝わせて悪かったな。俺はいいから今日はもう休め」
「はい……おつかれさまでした」
ぺこり、とソフィは頭を下げた。
白いモコモコしたフードが頭にかぶさる。相変わらず礼儀正しいが、やっぱりちょっと硬いな。
「ああ、おつかれ。ゆっくりしていてくれ。あとで焼きリンゴでも差し入れよう」
「は、はい。ありがとうございます」
魔力を消耗した時は、美味しい肉や果物でも食べてゆっくりと休むのが一番だ。
それに彼女はもう少し甘え方を覚えた方がいい。その方が新しい家族にも馴染めるだろう。
「あっ、じゃあわたし、まなひーりんぐかけるよ。って、なんで逃げるの!?」
「この間、そう言って"まなえくすぷろーじょん"使ったこと、わすれてないから……」
「今度は大丈夫だもん! ああっ、待って! ソフィちゃん!」
幸いにも我が家のコミュニケーション番長ミディは、既に彼女の懐にいるみたいだ。
義妹と仲良くなるのは彼女に任せて、俺は俺の仕事をしよう。
訓練に使った廃屋の壁を軽く叩いて点検している親父を手伝いながら、俺は尋ねた。
「で、どうだ親父。仕事には出れそうか」
「ふっ、またその話か」
「俺ももうガキじゃない。いい加減見習いは卒業したい」
俺は努めて淡々と親父に言い募った。
俺の親父は傭兵団の長をしているが、周囲の厳しい環境もあって、経営はそこまで上手くいっていない。
暮らしていけないほどではないが、俺を無駄飯食らいの木偶の坊のまま置いておけるほどではなかった。
それに自分で言うのもなんだが、俺はよく食べる方だ。運動した後は、腹一杯気兼ねなく飲み食いして、昼寝でもしたい。
「毎度毎度、アシッドに『働かずに食う飯は美味いか』って嫌味を言われる身にもなってくれ」
「気にするな。奴はそういう男だ。奴はお前が傭兵になろうとなるまいと、皮肉は言い続けるぞ」
「構わない。だったらなおのこと実力をつけて、黙らせてやらないとな」
だいたい今の実力では、何を言っても説得力がない。経験が薄いから何を言っても知ったかぶりになってしまう。
俺は俺の誇れる俺でありたいのだ。家族を守り、互いに信頼出来るそんな俺に。
他にも色々理由はあるが、俺はいい加減仕事に出たかった。居心地の良いはずの故郷に、窮屈さを感じる程度には。
「まあ、この調子なら山賊くらいなら、なんとかなるだろう。よかろう、明日からお前も仕事に加われ」
「本当か!」
「ああ。ただし、無理だと思ったら訓練に逆戻りさせるからな?」
「わかった。期待しててくれ」
威厳のある声でそう締めた親父に、俺は拳を握った。
傭兵は感情を見せるべからず。だが、それ以上の期待が俺の心を満たしていた。
何かが変わる。そういう期待が。
「お兄ちゃん! お父さん! お話終わったんなら、洗濯物取り込むの手伝って!」
「なっ、取り込んでなかったのか!? 明日から仕事なのに凍っちまうぞ!」
「だから、急いで! 今、クリフとソフィにも手伝って貰ってるから!」
「あ、ああ! じゃあ親父、俺はもう行くぞ」
「ああ、先に行ってろ。ここを片付けてからいく」
慌てて駆け出した俺の後ろで、親父が珍しく嬉しそうに笑った。
「ふっ。まだまだ、だな」
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