ルート6 浄土の芳香 土川楠花(なか)②

 楠の鬼というものは、元来群れるべき存在である。

 根っこという物の先端が大概一つではないように、永き時間によってこの世界には幾つもの他世界から突き抜けた楠花の親戚が訪れる筈であった。

 だが、今回楠が広がろうとするその前に世界の終わりは定まっている。それを感覚器の一つである楠花から本体も察していた。

 故に、この世界にもう同類はきっと増えない。そして孤独なまま、ただ終わりまでを眺めるというのが楠花という突端のただ一つの役割となるのだろう。


「けら……」


 だが、そんなの理解のために人と相似する者になってしまった彼女には辛い。

 よく似た者達、わかり合えたかも知れない人たちが真っ先に死に絶えて、彼彼女らを反芻するまでもなく世界は終わってしまう。

 正常なシステムの遂行に拠るリセットという名の世界の死。そんなもののために、数多の飛沫は生という指向性を失い、正しく模様を描くことなく消えるのだ。

 生き物にとって、連続性こそが願いであるのを何より知っている楠の末端は、こう呟く。


「幸せ、かぁ……」


 それは、形として存在しない現し世の器たちの満足のひとつの形。幸せとはつまり何より無情な無常に対して弱い。

 しかしだからこそ、誰だって幸せになりたいと手を伸ばして指先に緊張を強いるものだ。多くの異見にぶつかりながらも、一途に負けまいと伸びる彼らは正しく向日葵の如く。

 そんな、足元に栄える数多を、実のところ楠花は愛していた。水をあげることさえなくとも、彼らの影にはならないように努め、そして隠れて害虫を摘む。


「私には無理だと思うが、ねぇ」


 けれども彼女が丹精に護ってきた世界という名の花畑は、今中心を失いボロボロと崩れ行っている。

 滅びにも美しさがあると楠花は知っている。それこそ散華こそ全てと語った何者かの意見だって、嫌いではない。

 だが、それでも弱者らの愛らしい生存を願うのは傲慢だろうか。この世のほとんどである静物を望まず、生物ばかりを見つめてきた鬼物は、思った。


「本来私が幸せになれないことこそ、幸せさ」


 そう諦めに語る彼女の言こそ真実。

 そもそも災厄が幸せになんて、なれるはずもないのだ。不幸のための、絶望。

 世界を増長する身体の一時置きにして、結果数多を滅ぼして来た、エックス。それの尖った端っこでしかない乙女は、本心より自分らなんて化け物が幸せになんてなるべきではないと考えている。

 楠花の権限内でもこのような世界だけでなく人が樹から生る世界や、食餌として繁栄する人の世界や、悪意に飼われることでしか人は生存出来ない世界等の記録を望め、またその全てを尽く楠本体は圧し潰して滅ぼし切っていた。


 今回ばかりは、終末へ直接的に関わることはない。だが、そもそもあり方が終末のラッパ。

 他の生き物に対するアンチは膨大な生という、在り来り。それでも恥を知っている楠花は、自らのあり方こそ最低だと、嗤うのだった。


「けらけら」


 尖った彼女は、本当は何より優しいものになりたかったし、恥じ入って疾く失くなりたくもある。

 でも、複数次元を跨ぐほど巨大な楠であるこそ明確な現実。滅びない生こそ特性で、生きるからには邪魔になるのはどうしようもない。

 故に、恥晒しにもこれからもずっと生き続けて、愛おしいもの等を滅ぼすことは止められないのだ。それが辛いからって、でも自らのために今更泣くことすら出来ず、少女は空を見る。


「痛々しいねぇ」


 空の青を駆け巡る赤色の線達。それらは罅であり、この世の疵。脈がなくとも終わりはあり、そしてこれが終末という現象。

 認識や資格がなければそれを受け取ることは出来ないが、楠の一族ならばそれに十分。青に混じる赤の空を痛いものとして望める。

 楠花がこの傷をなぞるように引っ掻いてあげれば、きっとこの世は痛み少なくあっという間に終わることが出来るだろう。だが、そんなのは不可能ごとと手をこまねいているのが、実情。

 何しろ、この一輪の楠の花は。


「それでも、百合の幸せだけは、諦められない」


 愛しきこの世界よりも、ただ独りの女の子ばかりに恋していたのだから。





「楠花ちゃん!」

「ああ、百合。どうしたんだい?」


 帰り道、今日にあまり言葉を交わせなかった二人が揃って顔を見合わせる。

 彼女が学校というものに通うのは久しぶり。また、この最弱の花の声を聞くのも、懐かしい。

 鬼の少女は似合わずとも、優しく微笑んだ。


「あのね、最近楠花ちゃんに会えなくって、お話できなくて……だから今日は一緒に帰りたくなっちゃったんだー」

「そうかい……まあ、私もちょっと忙しくなっちゃったが、それくらいは構わないよ」

「やったあ!」


 笑顔で両の手を挙げ、だが白の彼女はぴょん、ともいかない。

 元気をしていてても、既に跳ねることも出来なくなっている手弱女。

 それでも、愛を示すことを止めない日田百合に、楠花は最近の不在を申し訳ないと思わずにいられない。


 土川楠花は、ゲーム的に出された滅びの命令を払拭しようとこの世界が捻り出した強力の残滓達と対決して、いともたやすくそれらを排していた。

 だが、日本などを標的としている破れかぶれになった超常達は数多。ワープのような移動にひとつ撫で付けるだけで終わらせられるとはいえ、楠花の身体は一つ。

 また来たものに対応するばかりのその保守的な行動に内々からも上がってきた不安の声に対峙するようなこともあり、この頃の彼女は毎日忙しなかった。

 思わず、お団子ヘアの整いを左手で確認しながら楠花はこう言う。


「すまないね、百合。私としちゃ、あんたと仲良くするより優先することなんてないんだがねぇ……下手をしたらそれも飲み込みかねない厄介事が起きるもんだから仕方無しに、さ」

「……大変、なんだねー」

「そうだね。面倒なことには違いない。だが、報酬はあるからいいんだよ」

「それって? わ」

「……あんたの笑顔さ。よしよし」

「きゃー、髪崩れちゃう!」


 勘違いしているものには終末の鬼とすら言われることもある、ただの根冠は優しく少女を撫でる。

 化け物じみているのはそのスケールばかり。心は小さくそこらに転がっているものにすら相似していた。

 故に、覚える恋は楠花の数少ない救いである。百合こそ、拠り所であって己の意味。そう思って擦れ合う。


 でも、触れ合いにニコニコしていた百合は、その温度に僅かな震えに何かを感じる。

 首を傾げながら、彼女は問った。


「うん? 楠花ちゃん、どうかしたの?」

「……どうかした、かぁ……そりゃ、随分と曖昧な質問だね」


 真っ直ぐ見つめる大粒の赤二つ。輝石より高値の輝きを持ったそれに直面して、楠花も少し悩む。

 本当のことを語ったところで、あまりに百合には遠い。例えばゆきの不在を知れば優しい彼女は心を痛めてしまうかもしれないが、ずっとそれが続くくらいな程二人は近くなかった。

 でも、と鬼のような特徴を持つ彼女は思う。きっと、不幸を知ることはこの子の幸せのためにならない。なら、知らなくても構わないのでは、とそこまで楠花は考えて。


「楠花、ちゃん」

「っと……」


 途端、百合の真剣に、心縫われる。

 ヒロイン。七通りから選ばれた唯一の者。魅力だけしかない、お粗末。

 そんな少量のテキストが楠の記録としてある。

 だが、聞きしに勝るとはこのこと。優しさという歪み、愛という曖昧。それら全てをどう極めればここまで天辺にまで響くのだろう。


 想う、少女は続けた。


「あたしね、楠花ちゃんが優しいって知ってるよ。だから、苦しいってことも知ってる」

「そんなこと……」

「あるよ」


 否定のために首を振ろうとする彼女に、彼女は確と断言をする。

 それは、道理の全てを決めた神のように絶対的なものだった。楠花の喉が、知らず鳴る。

 見上げる瞳には青い空に赤い筋。それをもう悲しいものと思わないようにと願いながら、百合は語る。

 

「楠花ちゃんは前に、生きていることは悪いって言ってたよね」

「ああ、そんなことも呟いたかもねぇ……」

「あたしも、それが正しいと思っちゃう」

「そっか……」


 命は全て罪悪滔天。努め攀じることなど過ちで、そもそも正しい生などない。

 愛のために微笑みかけることすら間違っていて、この世で最も正しいのは、生まれて直ぐに死ぬことだった。

 だからこそ、天使たるべき百合の身体は死んであげようと何時だって痛いくらいに高鳴る。

 しかし。


「それでも、あたしは、楠花ちゃんが生きてくれていて、良かったと思う。だから――――」


 物知らずの少女の一言。だがそれが、楠という存在にとって、どれほど有り難いものか。

 思いに量りがないのは、何と有り難い。もし、この子の心に重さがあったら百金に勝り全てを潰しかねなかった。

 そう思うばかりで感動に何も言えない楠花に、百合は。


 最近別離に思い知った本心に頬を染め、こう言うのだった。


「もっと、私を楠花ちゃんのためにならせて……」

「あ……」


 弱々しくも、全力を持って抱きしめる。

 異形は果たして、母のような懐かしい匂いをしていて。


「ずっと、恋しかったよ……」

「そっかい」


 こわごわと少女を抱きしめ返す最強の彼女の手のひらは力なく、柔らかな背に触れるのだった。


 慈愛ではなく勝手によって二人の乞いは結ばれる。

 弱いものが強いものに寄り掛かるのが自然ならば。


 二人はどっち。

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