ルート6 浄土の芳香 土川楠花(なか)


 土川楠花は、天保の識者によって鬼と目された異世界の侵略生物の突端であり、当然のように人間ではない。

 彼女が人間的であるのは、この世界の観測者が人間体をしていたからそれに倣っているだけ。

 楠花のまるで角のような、本来根に当たる硬質な部分が人外の証左である。


 さて、楠花が巨大で膨大な生き物の触腕、いいや根っこの先端だとして、その本体とは果たして何だろうか。

 仮にその質量情報量が幾つもの世界を破裂させてあまりある存在の名前を、エックスとする。

 このエックスは、常に増大肥大を続ける存在だ。そして、その成長はとうにエックスが生まれた世界を壁ごと壊して拡散し続けている。

 それは空間に時間軸、世界の壁にすら干渉しうるほどの極まった多量。

 増え続けるエックスが間近の世界に孔を開けて膨大を垂らし、世界を埋め尽くして滅ぼし、また拡散するなんていうことなんて既に幾度となく繰り返されたことだった。

 そして、そのエックスの先端部分、無量大数なんて下らない莫大な質量と繋がっている楠花もまた、そんな侵略の先駆け。

 あと億年ほど経てばこの世界も彼女が引き連れた膨大によって食まれてぱんぱんになりやがて滅びる、その筈だった。


「けれどまあ、その前に世界が滅びちゃ、しかたないねぇ」


 しかし、その前に制作者が敷いたルールにより、この世はリセットされる。

 空に入った赤い罅がその証。そして、その罅を中空にて笑顔で踏んづけて、世界を犯せる程の尖りを持った少女は笑顔を見せる。


「けらけら。超能力者に、機械のバケモンに、上位仕様の人間か。はっ、また冗談みたいなトクベツばかりがおでましだ」


 そして、同じ空の下に展開された、同じように当たり前のように違う方法にて空を飛ぶ相手を睨んだ。

 それは、敵対者。空に浮かぶ存在は三体ほどある。

 その左端、空を固定して立つ超能力者はあざけるような楠花の声を聴き、苛立たしく返す。


「真性のバケモノが、小賢しい……早く、そこをどけ」

「やだね」

「はぁ、オレ、仮にも女と戦いたくはないんだが」


 しかし楠花の態度はあまりにつれない。頑なであり、既に決まっている。そして終わっていて、極まった最先端だった。

 高位が故に当然のように空を征ける上位人間は、隣の機械存在の騒々しいブースターの音に眉しかめながら思わず不戦の望みを零してしまう。


 ああ、何しろこの世界に穴を開ける切っ先はそれなり以上に麗しい。

 花の綺麗を面に咲かせ、人としての美も満開。その頭頂部の根っこばかりを見なければ、犯したくも殺したくもないむしろ愛しんでみたくなる女性にも思える。

 つい、ままならないな、と上位人間は呟いてしまう。


 だがしかし、それでも既に対峙済み。これより始まるのは戦闘に他ならなかった。

 楠花は片方の柳眉を上げて、怒りにけらりと笑う。


「けらけら。お前達が灰燼に帰そうとしている土地が私の寝床じゃなけりゃ、どうでも良かったんだがねぇ。ま、生まれたところを間違えた不運を存分に呪うが良いよ」


 そう、海の上青き空にて既に始まっていたのは、他国が隠れて行おうとしていた、特殊な存在を集めて隠れて始めた日本への侵略行為。

 それを見咎めた楠花が、止めに入ったのが此度の顛末。


 侵略者こそが、侵略者と争う。まあ、そんなこともあり得るのかもしれない。

 ましてや、本体たるエックスはそもそも安定志向。部位によって意識が多分に分かれていても全体樹木のような性質を持っているから、争い等で起きるめまぐるしい変遷は望まない。

 そして、先鋒の土川楠花が大切な自分の範囲が壊されるという可能性を覚えたならば、どうするか。


 ましてや、その中に最も愛するものが入っているなんて、許せるものではない。


 それこそ、鬼は目の色を変えた。

 黒く、生々しくもグロく。あちら側が、こちらをまともに覗いた。


「さあて、鬼ごっこの開始だよ」

「散会っ!」


 宣誓して踏みだし、一歩も要らず当たり前のように敵対者との距離をゼロにする楠花。

 敵対者たちが途端に感じるはあまりの怖気。脱兎の如くその場から逃げる人間達。しかし、その最中に機械存在ばかりは判断に遅れた。


 それは硬質である。結びは金剛に近く、そして粘りまでもを兼ね備えた硬いの究極。

 あらゆる攻撃が意味を成さないはずの装甲の中には、星をすら滅ぼしてあまりある程の兵器を積んだ代物。


 だがそんな大げさな存在ですら楠花の手にかかれば。


 ぷちり。


 そんな音を周囲の者は聴いた。動きとしてはただ、彼女が機械に触れただけ。それだけで。


「圧壊、した?」

「ははは。みろよあのくず鉄。確か核とかすんげえ熱量が秘められてたはずだろ? それが爆発もせず圧されて一枚の鉄板みたいになってるぜ? どんな理屈でそうなったんだってんだ」

「なあに、私が撫でりゃ、みんなこんなもんさ」

「くっ!」


 そして、奇々怪々にも楠の少女は既に遠くに逃げた筈の二人の後ろに。爛々と、黒曜の瞳が敵の殲滅を望んでいる。

 だが勿論、ただやられるばかりの超越者ばかりが集まっていた訳では無い。

 背中に聞いた小さな声に戦いた超能力者がまず、爆発するように力を用いた。


 彼の頭は改造されている。脳の奥まで、それこそ詳らかにされて、その上で神秘を植え付けられた存在だ。

 少年に元々備わっていたパイロキネシスにサイコキネシス。その力は瀬戸際に置かれた人間達の狂気によって恐ろしいほどに強化されていた。

 彼は炎を操ることに特化している。それこそ、炎塊一つで国を焦がしても留まらない程の熱量を持つ、それが百を超えて一度に周囲に展開していく。


「うぉっ!」


 流石にこれには、近くに居た世界において上位の権能を持つ青年も驚かざるを得なかった。フレンドファイア、なんてロクでもない。

 だがなんとか紙一重で超能力を避け、溶解を上手に力場で避けつつ火に照らされながらも、その場から逃げるようにして、超越者たる彼は言う。


「おい、こんな技オレの近くで使うなよ、アチいな」

「すまないが、手を抜いてる暇なんて……はあ?」

「おお、焼けた焼けた。ほらほら見なよ、真っ黒だよ。私を皮一枚分でも焼くなんてたいしたもんだ」

「なっ」


 男同士の会話の途中、しかし当たり前のようにバケモノは介入し驚かす。

 炎は命中し、更に集束させて焼いたはずだ。だがしかし、男子二人の警戒を余所に、炎の中を突っ切ってきた鬼は、肌を茶褐色にしながらも無傷。

 無限に等しい質量の前では、熱量が幾ら高かろうと無力同然なのだろうか。彼女はその手、爪の先まで命を脅かす恐るべき尖りを開いて敵へと向かう。


「あ」


 それはこの場ではじめての、楠の一族の攻撃。

 世界は悲鳴を上げ、指の先端は空間を歪めるほどの質量によってあまりに朱く。

 数多の怨嗟を纏いながら、全てを滅ぼす概念そのものは指先を少年へと向けて。


「それじゃあ、二つ目」

「そうは行くか、『墜ちろ』っ!」

「おぅ」


 だがその手は閉ざされることはないのである。間に入ったそのまま絶対の行使力である青年の権能を全力で用いられ、カミサマの真下ほどの強さの言霊に従い鬼は海へと墜ちた。

 高さは多分。まるで音もなく、楠花は白波に呑まれる。それを確認した侵略者二人は、ようやく息をつけたようで、互いを見合う。


「勝てねえな」

「ああ、お前ならどうか分からないが、僕には無理だ。自分で言って信じられないが、火力が足りない」

「多分、オレだってきついって。ったく異世界の怪物相手とか、やってらんねぇよ」

「だが……」


 空にて、国家最高戦力とされた二粒は、しかしどうしようもないバケモノに、今更ながら怖じる。

 なんだあれは。これまで彼らが戦ってきたの悪だの正義だのとは違う。人と人との争いとは異なる、蹂躙の気配。

 触れれば終わり。それはどんな守りも許されない、侵略。避けなければぷちゅんと潰され内にある志も想いも何一つ圧されなかったことになるだろう。


 そうであるのに、しかし彼らはこの場から逃げ去ることさえなかった。

 それは親家族を政府の手で人質に取られているだけでなく、何しろ。


 ゲームのような世界のリセット。真っ先にどうでもいいと捨てられる物語外の世界の命運がその肩に託されているのだから。


 どんどんひび割れ、落ちていく愛すべき隣人たち。恐怖の中で賢いはずの彼らはまともに考えることすら許されず、これより対処療法的な悪行を行おうとしているのだ。


「分かってるって。それでもオレ等の国は決めたんだ。オレ等外の人間の世界のために世界の中心をゼロにして世界の延命を図るっていうイカれた作戦をな」

「……戦争になったら勝てないとかいうのは話半分で聴いていたが……アレが存在する限り、それは間違いなさそうだ」

「楠の根、平和をもたらす者か。ったく、あんなの潰して平らにするだけの存在じゃねえか」


 その名は、裏の世界で名高い日本を守る、ピースメーカー。平時には世界の守り手の一つと数えられたそれが、今や彼らの敵だ。

 だが、彼らが見た限り、土川楠花が持っているのは特異な力ではないようであった。

 世界を貫いてありとあらゆる場所に存在し得るからのワープ移動に、本体の質量に所以しているばかりの最強の力に耐久力。どれもこれもが異能ではないルール通り。

 だがしかし、そんなところこそ恐ろしい、と上位の人間は思った。


「けらけら、その通りさ」


 そして当然のようにびしょ濡れの楠花は、二人の間に現れる。

 努めずとも、笑顔になってしまう彼女の上機嫌が、対する相手には分からない。

 悍ましさを感じながら身構える彼らに、楠の花は語る。


「だが、そんな大げさなマッシャー程度に三千世界のツワモノ共は、抗うことも出来なかった……さてお前らもその一粒に、なりたいかい?」

「っ」

「あ」


 そして、圧。

 気当たり、という程度ではないただの気持ちを強く向けた程度。

 それだけで、普遍はトマトのように潰れるのが然り。そして、幾ら特別な代物であっても動くことなんて叶いやしない。


 それは蛇に睨まれた蛙という言葉ですら表せない、存在の格差。上だの下だのでは測れない、巨と単の違い。

 本気なんてこれっぽっちも出していないが、それでも十分。むしろ過分か。彼らは震えも、汗を流すことも言葉を垂らすことも許されないのだから。


「さて、後は刈るだけ……おや?」


 そうして、片目を閉じ元誰かの正義の味方だっただろう彼らを僅かに悼んでから、楠花が彼らを終わらせようとした、その時。



「ちゃーんす!」



 天から空が、ハンマーとして降ってきた。





 それは、空をマジカルによって固めた、夢のような重し。

 これまで幾つもの世界を脅かす何かを粉々にしてきた、素敵なハンマー。

 でも、そんな文鎮程度で、破れる存在で楠は名乗れない。


 存在が、世界の終わり。本来平和ではなく、終末を呼ぶもの。

 今回は勝手に終末が来てしまったが、それはそれ。忌まれるばかりの存在たる、は。


 小さな愛に見下されて、むしろ驚きを覚えるのだった。


 そう、件の空落としたる魔法のハンマーを行使して、楠花以外の存在を撃墜したのは、埼東ゆきこと魔法使いの少女。

 彼女は蕩けるような笑みをたたえて、当然のように上空から魔法に乗って鬼を見つめる。


「どうしたんだい、ゆき。らしくもないね。私ごとあいつらを殺そうだなんて」

「んーん! あいつらごとなかお姉ちゃんを殺そうと思ったの!」

「そりゃどうして?」


 愚問であると思いながらも、楠花は問った。

 そも、鬼は倒されるべき悪である。そして、楠花はこのゆきという少女の姉と色々とあった結果的に命を奪っている。恨まれているのはよく知っていた。


 でも、とも彼女は考えてしまうのである。

 思うは、繋がった手に、向けられた笑顔。そして、沢山の言葉の花。

 だからいくら色々とあっても、ゆきは私を好いていた。そればかりは信じたいな、と。


 そんなの甘ったるい、希望。そんなの鬼の持つべきものではない。だが。

 想起するのは、砂糖一粒のような少女、日田百合。胸は、愛に燃える。恋は、終わらせるだけだった世界をキレイに見せた。

 なるほど、愛は人を変える。なら、恋だってバケモノを変貌させ得るのだ。ありもしないかもしれない心の価値は、しかし無限に等しいものだから。


 不安に、鋭さ欠かしながら、見上げる楠花。ゆきは右手を差し出し、その感情に答える。

 そう、その赤い罅だらけの小さな手を持って、魔法少女だって等しく無価値に終わってしまうという答えを示すのだった。


「あはは。わたし、特別じゃなかったみたい。どこかの誰かみたいに、消えちゃうんだ」

「ゆき……」

「だから、わたしは大嫌いで大好きで、恋しくって憎らしいなかお姉ちゃんの心にだけは残りたい! ぶっ叩いて、認められたい!」

「そんな、ことしなくても、あんた……」

「だって!」


 ぽろりぽろり。魔法で留めている腕の繋ぎも欠片となって終末に耐えられずに落ちてく。

 きっと、何を言わずとも何をしなくとも、楠花はゆきのことを記憶しただろう。愛おしかった、子供として。

 でも、そんなことは許さないのだ。


 ぽろりぽろりとクシャクシャ顔から止めどなく、涙は溢れる。

 叩く、それはノック。ここにいるよという証を示す、それを得意な魔法とした彼女はだからこそ鬼の胸を借りる。


 少女には願いがあった、叶えたいこともあった、けれど。それだって終わりに消えてしまうなんて。


「やだ! わたしまだ、死にたくないよぉっ! 生きていたかった!」

「っ!」


 それは、この世のありとあらゆるもの本音。ゆきという少女が、これまで切り捨ててきた大切。

 だからそれを口にする資格はないのかもしれないけれど、それでも少女は言った。吐露して、泣きじゃくる。


「うわーん! ごめんね、皆! わたし、間違ってたよぉ。でも、もう死んじゃう。嫌だぁ!」

「くっ、ブンブン暴れてまぁ……」


 駄々とともに振るわれるは、空の価値を重しとしたどでかいハンマー。

 魔法はまともに受けづらい部分もあり、これにはさしもの楠花とて、対処に苦慮する。


「ったく」


 だがまあ、そんな苦労も人の子にとってはよくあること。ならば、ちょっと本気を出してもいいだろう。

 そう、この子のためならば。

 決めた思った、ならば。


「困った子だよ、ゆきは」

「あ……」


 その日、鬼は少女のために天蓋を割る。

 キラキラと、青空は天から地に落ちていった。


「言ったろう。誰だろうと足の裏は悪だらけ。生きることは最悪さ」

「うん……」


 楠花の胸元でぐったりとしているゆきはの姿は身体を無理にも繋げていた魔法が切れてしまったのだろう、その殆どがバラバラ。

 しかし、疲れ切ってしまったのか、おかげで楠花の言葉を素直に聞けた。

 愛すべき鬼に抱かれ、悪魔に魅入られた姉と対決するために魔の法則を使い正義に溺れた少女は、もう涙も零せない。

 ただ、無情な鬼の言葉に全てを諦めようとして。


「ただ、罪悪滔天それでも生きるべきだと私は思う。そして、極悪たる侵略者の私はね」

「なか、お姉ちゃん……泣いてるの?」

「……本当は! ずっと、誰もかもに生きて欲しいと思ってた! でも、そもそもの悪から選んで、滅ぼして、そればかりで!」

「お姉ちゃん……」

「ただ私は、ゆき、お前を忘れないよ」


 楠花という最強の少女の涙ながらの本音を聞いて、想いを取り戻した。

 それは、とても暖かいもので、柔らかなもので、間違っていたとしても尊くて。


 そんな愛によって動かした少女の欠けた指は、奇跡的も彼女の涙をさらえた。

 ただ、最期にゆきは笑顔を作りそこねたが。


「ありがとう。幸せになってね、なかお姉ちゃん」

「っう……!」


 不格好なその必死の表情は、土川楠花という少女の内に、残酷なまでに焼き付いた。



 ぱりん。


 そして、とうとう空に立つ特別は、鬼一人。当たり前の、そんな孤独。風ばかりが強く鳴り響く。


「……けらけら」


 太陽をひたすらに見上げ、雪のように粉々に消えてしまった彼女を想い、鬼は自らの独りぼっちを嗤って。



「……私なんかが、幸せになっていいのかい?」


 そんな、本音を最後に零すのだった。


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