ルート4 佳日の希望 日田アヤメ②

 お姉ちゃんしか居ないと、そう追い掛けてばかりの日田アヤメとて、自分の心はある程度理解している。

 きっと、それはインプリンティングの成れの果て。熱にぐずつき汚れた、愛にしては汚い色をした想い。

 姉に対する独占欲。それは、ひょっとしたら恋とすら呼べない乞いなのかもしれなかった。

 先日まで他人だった人を隣に、何時ものようにアヤメはベッドシーツを、知らずにその手で躙る。


「だが、それでいいじゃないか」

「そう、ですか?」

「ああ。たとえ他人に後ろ指さされようが、幸せになれりゃ上出来だ」

「はぁ……」


 だがそんな誤った心ですら、粗雑な叔母には丸が付くようなレベル。

 他人を傷つけるわけでもなく、紛いなりにも相手を尊重しながら向かいあっている。発展がなかろうが、禁忌だろうが、そんなの知ったことかと戦い破れた先達は語る。

 むしろ、知った仲こそ互いを幸せにしやすいだろうと、アブノーマルな菊子は思わなくもない。


 人は億年の先なんて見ない。むしろ近視的にも今私の隣を歩む貴女を。


 世界が終わることなんて知らなくっても、この想いを亡くしたら私は終わるんだ。なら、懸命に好きに挑まなければ。

 そんな思考が明滅し、親愛を犯す。お姉ちゃん。そんな文句すら遠すぎて。


 アヤメはあおり立てる菊子の前で思わず呟いた。


「百合……」


 それは、続かない悩ましさの末の一言。

 何故、姉の下の名前を口にするだけでこんなに胸が揺れる。これが恋でなければ全ては嘘だ。

 純粋、無垢という花言葉を持つ枯れる花に、永久の願いをかけて。

 攻略宣言はとうの昔。でも、常識の向こうで誰よりも遅れていた少女は、叔母さんに推されてとうとうそれを口にする。



「貴女を好きな私を許して……」



 許しが必要ならば、それは人でも神に対してでもない。

 自分、そうして相手という輪にすらならない一筋の関係。それのみが接触を結合を許してくれたのなら。

 今回ばかりは返答者がいる虚空に向けて、アヤメは吐露をはじめる。


「怖かった、んです」

「そう、かい……」

「きっと、いや間違いなく百合は私を愛してくれている。それは恋なんかよりずっと尊くって、だからそれを汚してしまう私が嫌いで」

「……だが」

「ええ。それでも、私には番いたい心がある。あの子を独り占めにしたい、醜さが確かにあって」


 姉と妹。血と恩と愛とで緩く結ばれるべき関係に、しかしもっともっととアヤメは熱を欲した。

 どうして、私はあの子の唇が恋しい。親しいあの人が遠く感じてしまう。

 それが、狂いのためとしたって、正しくこの胸元は高く鳴っていて。だから、結論は何時だって恋なのだけれども。


 それでも、知らず己の指は重なり合い、不安を形作る。だって、だって、私は乙女。できれば恋を返してほしくって。


「こんな私でも、百合は、お姉さんは……恋して、くれるかな?」


 この熱病は、感染ってと願う。綺麗な綺麗な愛で磨かれた少女は、醜いかもしれない想いを持て余しながら。

 それでも、希望に頬を染めていた。

 そんなこんながあまりに愛らしい。思わず、汚れた大人の彼女は微笑みとともに吹き出した。


「ぷっ」

「む……貴女、どうして笑うんですか?」

「いや、あんたら関係があまりに綺麗でさ。そして相手を綺麗と信じ過ぎだと思ってさ」


 好きと好き。それが並んでこんなに真っ直ぐに向かい合っているのなんて、奇跡的だ。

 私よりもあの子。そんなのアイアムアイな普通一般には無理なのに、この子供たちはいっそ羨ましいくらいにまで大切なものを得ている。


 そんなこそ歪。

 姉に、妹。たったそれだけの関係に恋が混ざってしまえばそれは厄介だろう。

 だがそもそも恋したのは妹であり、姉は恋させるまでに愛したのだ。それが、おかしくて間違っていない筈がない。

 自信を持って、菊子は持論を語る。


「あんたがこんだけ歪んでるんだ。そりゃ、百合だって正しいばかりじゃない。きっと同じように歪んでるよ」

「そんな……」


 そう、日田菊子の結論としても、やはり日田百合という少女は誤っていた。

 他人が大好きで、自分なんてどうでもいいからみんなの幸せを望んでばかり。そんな人でなしは、でも妹のことだけは忘れず特別に守っていて。

 そんな執着が、あのふわふわ浮いてばかりの少女の数少ない人間らしさでなくて、他に何と呼べるだろう。


 割れ鍋に綴じ蓋。自分が分からない壊れた姉の代わりと言わんばかりに姉ばかりを認める妹。

 それらはあまりにぴったりで、残酷なまでに二人っきり。でも。


「信じてあげな。あの子だって、間違っているってことを」


 そのお隣で母親代わりになって欲しいと請われた叔母さんは、ただ彼女らの誤った幸せを望む。

 姉と妹、だがそんな二人だって間違って一緒になったっていいだろう。

 正解なんてこの世にないとだけは理解している、ばってん真っ黒けの女性は誤っても生き延び続けたその全身を、両手を大きく広げて。


「そんで、あんたはもう、気持ちに嘘はつかなくっていいんだ」

「っ!」


 こんなに優しい子達に自分なんかがしていいことではないとは知っている。でも、それでも今彼女らの隣に私しかいないのであれば。

 そう考えて、菊子はアヤメを抱く。大昔に親にしてもらったものを拙くも真似たそれは、しかし親知らずの子には過ぎた出来であったようだった。

 落涙。大嫌いだった筈の相手にそんな恥を誘発させられたことは、嫌であれども。


「うぅ……」

「辛かったね……」


 だからといって裏のない優しさを見抜く目くらいは、物語のナビゲーター、人の心を数で見ることすら出来る少女にはあったのだ。

 これは、好意であれば嫌がる必要もなくて、そしてこの人は自分のはじめての理解者。ならば。

 間近であればシワすら望めて、そしてその醜さからすらも今は目を離せない。努めて涙を堪えながらもアヤメは笑って言い張る。


「ぐす……精々、私は貴女を利用してあげますから」

「そうかい。そりゃ、楽しみだね」


 百合がこの世に対する献花としての一本の白百合だとしたら、アヤメは柔らかなそんな乙女を包まんとするフラワーブーケの少女。

 優しさこそが本質で、強がりこそ嘘である。そして、そんな彼女が微笑んでくれたことばかりを良しとして、菊子は言葉なんて信用しない。

 微笑みには、微笑み。それが男を惚れさす手管から来た得意としても、それを年増は歓迎して手本を示す。


「むぅ……」


 嫌に組みやすくなり過ぎた叔母さんに、そろそろ愛着地味た気持ちをすら覚え出しているアヤメ。

 無防備に腹を差し出すことさえないが、それでもそっぽ向いて愛を受け取らないままでは、いられない。

 少女は柔らか極まりない唇を尖らせ、苦し紛れにこう呟くしかなかった。


「ですから、その……これから、よろしく、お願いします……」

「ああ。よろしくね」


 差し出された手は冷たく、細い。けれども、それを頼りなさとはもう取れないくらいに少女は満ちていて。



「それじゃ私、どう百合に告白しましょうか?」

「いや、流石にそりゃ早いよ。段階すっとばし過ぎだ。こういうのはまず、意識させるのが肝要だよ」

「そ、そうですか……いえ、私実はこういうのははじめてで……」

「初心過ぎるね……初恋が姉かぁ……流石に私だって兄さんへの恋ははじめてじゃなかったがねぇ……二桁まではいってないだろうが、何度目だったかな」

「いやに恋、多いですね……」


 だからこそ握り返してもう、彼女らは離れることはないだろう。


「そういえば、貴女って結構悪い噂ありましたね……遠戚の誰かが通夜で何か色々語っていましたが……」

「ああ。それなら大概本当だろう。人様に大ぼら吹かれようが、それを超えた人生経験をしてきた自信があるよ」

「それは胸を張って言うことでしょうか……まあ、頼りになる叔母様ということでいいでしょうかね」

「ああ、恋なら私は百戦錬磨。大船に乗ったつもりでいなよ」

「まさか……恋してばかりだったから未婚だとか、そんな事実はあったりしませんよね?」

「んぐ……いや、実際成就した方が多いし……まあ、本気のヤツは全部散ってるのは確かだが、そりゃあねぇ……」

「はぁ。本当にこの人を頼りにして大丈夫なのでしょうかね……」


 とうに寝入った百合を他所にすらして、夜にやいのやいの。

 一つベッドに腰掛け隣り合い、ああだこうだと恋愛相談を行う二人は、まるで仲の良い母子のようだった。

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