第X話 のーまるえんど/END OF THE PROLOGUE




『もし、世界が終わってしまうとしたら、あなたはどうする?』



 その問いかけに、意味はない。だから、あなたが答える必要なんて、なかった。



 それは終わりの前の一瞬の残影。電源を切った後の画面に残った僅かな眩さ、その感覚。

 記憶にも残らない、しこりにすらなれない、不明。切って捨てられて当たり前な、ノイズ。


 別段見て、捨てていい。そうこれは、その程度のお話だ。


 けれども懸命に、子供は連ねる。


『あたしはね……それを一生懸命否定したんだ』


 命こぼして、それでもその生き方ばかりは真っ直ぐに。少女は刹那に輝く。

 その様は多くを魅了した。彼女の手を取って、大いに足掻いたものだって沢山いたというのに。


 もう、何もない。


『あはは…………でも、ダメだったよ』


 少女は壊れた身体を動かすことも出来ずに、空はもう朱く暮れなじんでごうごうと哭いている。


 これではもう、夜すら来やしない。さて何時、パリンと割れてしまうのか。


『愛して、いたのになぁ……』


 そう、彼女がどうしたところで、何もかもは終わってしまうのだった。






 要らないもの。そんなものはどこにもなければ、誰もかもが愛おしいと思った少女が独りだけ、いた。

 七曜花の乙女が一人、日田百合。佳日の無垢。全てを愛するというテキストの一片。病弱であれと創作者に呪われた、少女。


 百合は、この世の不幸を知って、奔走した。


 間もなく世界は終わる。

 それを口にし、否定された。世界に発信しようとして、削除される。空を終わらす赤色に手を伸ばしたところで、届かない。


「だからって、止められないよね!」


 けれども、不幸にもすべての幸せな生存を求める少女は、あがき続けた。

 どんなに悪口をかけられようとも、息の根すらつまりそうな暴力にさらされようとも、否定の否定を続けていく。


 ある時、そんな百合をみて、誰かが言った。


 信じてあげてもいいんじゃないか、と。


 それでも、ほとんど皆は口にする。


 あんな嘘つき、狂ってる、と。


 でも、少数だろうが誰かは確かに思ったのだ。


 それでも、彼女が必死に愛しているのに違いないじゃないか、と。


「え? 手伝ってくれるの? ありがとう!」


 熱が大概伝導するのはこの世の道理の一つ。勿論、大量に紛れて霧散することすらあり得ただろうが、少女は尽きまでは命の限りに燃えていたから、それは叶った。


「おねがい! みんな、死なないで! みんなでみんなを助けて!」


 そのはじめは、終末を騙った宗教もどき。それは百合――死にかけの美少女という看板――を十全に用いることで大きくなる。

 やがて拡大肥大化につれて次第に金銭が絡み出し、報道に利権も混じり、数多の欲だって関われば、百合だって汚れずにはいられなかった。


「ううっ……痛い、辛いよぉ……でも、そんなのどうでもいい!」


 しかし、どんなに泥に塗れようとも心ばかりは無垢のまま、彼女は終わりを止めようと足掻く。


 そうしてその頃、ようやく世界から人がこぼれ落ちているということがついに国々の締め付けでも抑えきれず、報道から顕在化するようになる。

 すると、一転、日田百合という人間は時の人となった。誰もが信じたくなかったアレは嘘ではなかったのだと。


 そこで皆は、ようやく気づく。この子は本当に世界を愛していたのだと。

 嘘つきじゃなかったんだ。ごめんなさい。

 そんな言葉すら優しいもの。ほとんどが謝りもせずにただ己が利のために持ち上げ出す。繕いばかりの笑みに向けて、けれども心の底からの笑顔で百合は返すのだった。



「あたしなんかのことより、みんなでみんなの幸せを考えようよ!」



 それが本心であることは、経歴からも理解できる。しかし、これは。


 そら畏ろしくはないか。



「お願いします!」


 歩行器に支えられながら頭を必死に下げてそんなことを口にする少女は、とうとう恐怖にて世界中の殆どの手を借りることに成功する。




 以降、無私によりひとつなぎになった多くは、学問に宗教に全てを混じえて命について考えるようになる。果たして何時まで、我々は生きていられるのだろうか。

 タイムリミットは、明白だ。それは、この世界の命脈を知る少女が亡くなってしまうまで。


「すぅ……はぁ……」


 つまり、それは幾ばくもないということだった。くまなく全身コードに繋がれ、脈動も僅か。その時には百合はそんな頃合いだった。


 ああ、どうして我々はこうなってしまうまで気づかなかったのか。どうも出来ないのか。世界中の人間は、狂乱する。


「はぁ。はぁ……うぅ。まだちょっと青いよ……みんな、安心して?」


 呼吸器の中で苦悶をあげながら、百合はそんな勝手なすべてにだって手を差し伸べる。

 次第に喉に力すら入らなくなれば、指先で。それも無理になりそうだったら頭を開いて摘出してもらい、目玉と脳と後は機械ばかりの存在にだってなる。

 そう成り果てても、皆の心に希望を残したくて、まだ終わらないよと伝え続けた。


『まだ……うん。ほんの少しだけ、空は青いかな』


 そうして、もう少しだけみんな頑張れるのだと百合はスピーカーから背中を今日も押す。

 端だけ青く、それ以外にひび割れた朱の下、どんどんと少女の元から人は存在しなくなっていく。それは、終わって崩れ行く世界にこれ以上意味を載せていけないから。


 あの蒼穹はどこに。赤の脈動はくまなく、血だらけの天は見るだけでこころ張り裂けそうだった。それでも、彼女は終わりを見続ける。


『あれ?』


 そして、ある日。放送に誰一人たりとて反応がなくなった。言葉で伝わらなければと、発光などの方法で意味を飛ばしてみたところで無意味。

 役割を持ちすぎてビルほどの大きさとなった、放送塔リリィ。過日には救いを求める人々が群れていた最後の場所。

 しかし、その周囲にはもう、人間の姿などないのだった。


『そっか、もう、終わりなんだ……』


 そこでようやく、百合は気づく。人々の努力は無為に終わったのだと。どうしようもなく、世界はやはり終わるのだ。

 繋がった機能を用いて断線ばかりのネットワーク上で確認してみれば、或いはと前にアーカイブ化した膨大な量の人類のデータすら最早罅に飲まれて消えてしまっている。


『やだ、なぁ……こんなんじゃあたし、ただみんなに苦労させて怯えさせちゃっただけだよ……』


 誰かがせめてもと、身体が生きていた頃の音声から創ってくれた上等な機械音声が、悲しげに鳴り響く。

 これでは、何も残せず終わってしまう。みんな、あんなに頑張ってくれたのに。それはあまりに悲しいことだ。でも、どうすれば。


「けらけら。やれ。まだあんたはそんなになっても、居なくなっちまったもんのことを考えてるのかい?」

『楠花ちゃん!』


 そして、プレイヤーからも高子ゴミ捨て場の神からすらも見放された世界に鬼が独り。

 残り僅かな世界をその角で引っかき損ねながら健在ぶりを見せ付ける。

 懐かしき尖りに、薬液に浸かりすぎてすっかり悪くなってしまった視力を凝らして百合は笑ん歪んだ。


『そうだ、楠花ちゃんはこの世界の存在ってわけじゃないもんね。なら何時まででも存在してくれる! 楠花ちゃんが忘れないなら、世界は終わらないよね!』


 その巨大な身体代わりの機械施設に数多取り付けられた全部のスピーカーから、そんな妄言はすがりつくように響いた。


「はは」


 硝子割れんばかりのあまりに立派な寝言に、さしもの楠花も苦笑。彼女はこう、返すのだった。


「……私の思い出に残る程度。そのくらいが、百合だったナニか。あんたの本当に望んでいたものかい?」

『あ……』


 そうだ。独りだけじゃない。もっともっと、沢山。それがキラキラしているのが嬉しかったのに。

 ああどうして、最期には自分と部外者独りばかりになってしまったのか。


『う、うぅ……ヤダ、やだよぉ……みんな、みんなが幸せであって欲しかったのに……うぅっ』


 メインヒロインだった、最早ほぼ人工物は、哭いた。

 あまりに虚しく、それは朱に呑まれていく。



『ああ』


 そして気づいた時にはもう、鬼の姿も失くなっていた。


 終に、世界に独り。やがて百合の視界も次第に赤に染まっていく。


『ごめんね。みんな』


 もう、赤錆びきった全体はろくに響かない。だからこれは彼女の残った生体部分が考えているばかりの言葉か。


 それは、つまり最期の本心。



『こんなことなら、あたし』



 あたし。それは一人称。そして、一人に世界は大きすぎる。

 そんなことに、今更百合は気づいた。


 だから。



『誰か一人を、愛するんだった」



 最期に残るは後悔ばかり。



 そしてぱりんと、全ては砕ける。




 これはそんな、世界の終わり。














「むにゃ……うん?」

「どうしたの、お姉ちゃん」

「あれ? アヤメ、あたし寝てた?」

「うん。ちょっと眠ってたけど……って、お姉ちゃん、涙流してるよ!」

「あ、ホントだ……」


 あたしは気づけば寝て、起きてた。それはアヤメと一緒にテレビを見ていた最中。時計の短い針が少ししか動いていないからちょっとの間だけだったみたいだ。

 でも電池切れでもなければこんなの今まであんまりなかったんだけど、どうしてだろう。

 気になって、あたしはアヤメに質問すると、アヤメは慌てちゃった。あれと、あたしが顔を拭うとヨダレの代わりに涙が一筋零れてることに気づく。

 どうして、だろう。あたしは首を傾げるのだった。


「……何か悲しい夢でも見たの?」

「ううん。ただ……」


 そう、それは違うと思う。あたしはきっと。


「あたしはこうして生きているんだなって」



 誰か一人を愛せることが素晴らしいって、思い出せたのが嬉しいんだ。




 ――END OF THE PROLOGUE――



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