第零話 バッドエンド

 水野葵は奇跡そのものである。そして、奇跡に選ばれてしまった者でもあった。

 甘ったるい、チョコレートの見目。淡く細かいレイヤ。全てが愛されるばかりの必然。葵はそんな麗しさを纏った乙女。

 そんな葵はしかし、どうしようもなく簡素な内面をしていた。伽藍堂こそ、風を孕むもの。胸元の冷たさを日頃より感じていた少女は、訥々と零す。


「私は、ずっと独りなのかな」


 独りぼっちは、誰だって嫌なもの。そう葵は思っている。けれども、少女は独りである。それは、彼女の持つ不可思議な力にあった。

 視線を宙に流せば全ての意味を見る。そして手を伸ばしてみれば、そこに動線は集まった。全ての物語を動かす重み。それを委ねられているのが葵という少女。

 たとえば死に向かう意味を散らし、いたずらに生き物を癒やしたとして、そんな気まぐれでさえもお話のアクセント。物語のターニング・ポイントにすらなり得た。


「火膳ふよう……私はあの子の大切なものになる可能性がある、か……」


 以前、猫に『手当て』をして、ふようという少女の関心を買った、そんな思い出。そしてそこから寄せられる彼女やそれ以外の特定少女に大して向けられる必然的な線の流れ。

 それを気持ちが悪いものと、葵は思う。思うが、それでも路線からはみ出ることが出来ずに結局彼女らに関わらざるを得ない自分すらまた、気持ちが悪いものだった。

 飛び抜けた力を持って、更に大いなるご都合に流される。それは正しく。


「だって、これじゃまるで私……操作されてるばかりの物語の主人公……」


 そんな呟きこそ、この世界の真理。彼女の居るセカイは、まるでゲームの中の世界だった。それも、同性を愛せと急かされるかのように展開しているのがまた、少女にとっては最悪。

 愛されている、というのは分かる。特に日田百合などに至っては、恋慕が透けて見えるよう。葵が振り向く度に、頬を染めるその有り様は確かにいじらしい。


「私は、誰も愛せないのに」


 びゅうと、そんな言の葉は少女の茶色い前髪と共に風にさらわれて散った。それはまるで、そんなことを言うのは駄目だといるかのようで、葵は不愉快になる。

 なるほど確かに恋愛を求めるゲームで、誰も好きにならなかったらそれはバッドエンドだろう。そんなのプレイヤーは中々望むまい。

 愛し愛されることばかりが、必要とされるその痛苦。しかし、そんなのは誰だって味わっているものかもしれないと、葵も思わなくもなかった。そう、生命こそが愛ならば。

 葵は、自らの豊かな胸元に手を置く。タイを歪めるは、黒に近い色のか細い指。そして、彼女はどきりどきりとした動きを感じて、安堵するのだった。


「私は生きてる」


 なら、愛せるかな、と葵は言えない。その自信はまるでないから。

 毎度状況が先に愛を急かして、本心は遅れてやってくる。だからこそ、未だ恋愛という状況に至っていない葵に、自らの気持ちを測るのは難しかった。


 つまるところ、少女は流されることに慣れすぎていたのだ。そして、本心からでなくても行動すれば、愛される。ならば、自分の愛なんて本当に必要なのかと思ってしまっても仕方なかった。

 愛が刹那であっても構わないし恋が永遠だって良いなんてこと、奇跡的なばかりの少女は知らない。そして、運命をすら少女は信じなかった。


「はぁ」


 ロマンチストが空を見るなら、エゴイストは己を見つける。そして葵は。


「あ、こんなことに居たー。葵、大丈夫?」

「……百合。うん、大丈夫」


 声に惹かれて、少女は少女を見つめた。潰され牽かれたカカオ豆の暗がりを持った少女は、まるでミルクの紙魚のようなクリーム色の乙女に嘘をつく。

 しかし、大丈夫と嘘をついてばかりの少女が、人のヘタを見抜くのなんて当たり前。心配そうに、大粒の瞳がきらきらと輝いて葵を見上げる。


「それって嘘! 本当のこと、あたしに言って!」

「嘘、か……そう、かもね」


 なんとなく、口が軽い。これは今筋書き通りの部分ではないことに、葵は気づく。なるほど、主人公が暗く悩んでいるばかりのシーンなんて普通は余計。だから観られていないのだ。なら、自由にできる。

 要はこれはフリー演技の時間ということ。ならば、とすらすらと口元から言葉は紡がれた。


「百合。貴女は誰かを愛してる?」

「え? うん。アヤメに友達に、先生にお医者さんにナースさんに、えっと……当たり前だけど、葵もだよー!」

「そう」


 人懐っこくて、すべてを愛する女の子。そういうテンプレート人物紹介が葵には透けて見えている。だから、百合という少女がそんな嘘のようなことを本気で囀るのは、彼女にとって当然。

 けれども、と思う。もしそんな人が己に疑問を持ったらどういった行動をとるのだろうか。気になった葵は、百合に問う。


「あのね、百合。もしその人を愛している気持ちが、誰かに操られていたから起きたのだったら、どう思う?」

「どう思うって? うーん……そうだね……」


 返答までの時間はスリーテンポに満たない。けれども、その数秒は葵にとってはとても永く感じられた。

 何しろ、目の前の綺麗なものが、もし汚い言葉を口にしたとしたら、それはあまりに残念だから。

 また、たとえば百合が操られている思いなんかに価値はないよと否定でもしたら、葵は自らの首を括りたくなる。

 拷問のような、数瞬。けれど、悩むのをとっくに止めて表情を喜色に染めた百合は、葵に言うのだった。


「うん! 私は操ってくれた誰かにありがとうって思うな!」

「え?」


 それは、想定外。何しろ、主体を奪われた生き物が、与えられた幸福を気味悪がるというのは、葵にとっては当たり前だったから。

 しかし、人懐っこくて、すべてを愛する女の子である日田百合は、嘘だって気味の悪い不自然だって愛する。そしてそれは、そうあるべきだから、ではなく本心から。

 壊れた身体を持った彼女は、人並みに人を愛せる幸せを、心の底から喜んでいたから。


「たとえ嘘でも私は皆を愛せた。そんなの嬉しくてたまんない。なら、幸せだよ!」


 愛。それは、請いではない。ただ一つの、幸せに対する返報の仕方。

 病弱であれという運命呪いに傷つけられた百合はしかし皆を愛して、幸せだと叫ぶ。健気からでも病みからでもなく、健全な心根から。


 だって、人を好きになれるって、そんなに幸せなことは他にないのだから、と。


 ああ彼女は愛してくれとは決して言わない。だけれど。


 なんて愛おしいのだと、葵は思ったのだ。


「あはは……そう、だね。こんなに、幸せなんだ」

「わわ、葵泣いてるっ! 大丈夫?」


 慌てる百合の前で、葵は落涙を恥ずかしがらない。何しろ、そんなことよりも今までの無様こそ恥ずべきものだったから。


「ぐす……ふふ……大丈夫」


 でも、もしも心配になってしまうという理由で百合が自分が泣くのを嫌うのだったら、笑顔になろう。

 もう、泣かない。


 そう、決めた。決まってしまった、終わってしまった。結論は出た。


 ただ動かすばかりのプレイヤーにとって、主人公の想いなんてどうでもいい。

 けれども、葵の変わらない想いは、今ここで形作られたのだった。




 だから。



「ううん。いいよ。あたしは奇跡なんて望まない」


 そんな拒絶が百合の口から出たのは、好感度足らずの結果ではない。

 笑顔を努めて、百合一人を望んだ。誰よりも、彼女に愛されるようになった実感が葵にはある。

 でも、足りなかった。葵は、愕然とする。


「ああ――――」


 百合は奇跡を望まない。そんなこと、はじめから分かっていたことだ。

 淡雪のような彼女は、そのまま消え去るが定め。少女にハッピーエンドはあり得ない。あるのは葵のビターエンド。

 でも、そんな理なんて越えて、葵は。



 百合に、彼女自身を愛して欲しかった。



「悲しいな」


 愛に肢体は要らない。それは真理だと葵は思う。

 心だけで充分。それだけで全てを捨てられる。そして、私は百合の心を得られた。ならば。



「――ごめんね」



 再びやり直すために奇跡を使い、そして、葵は紅い花になった。





 人生は、一度きり。そんなことすら、奇跡の少女は分からなかったのだ。


 物語に書かれた奇跡なんて、コイン一個の価値もない。


 こんてぃにゅー。奇跡を対価に世界にそれを求めて失敗した、これはそんな少女のバッドエンド。


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