第20話 リンダ

 朝食はフルーツたっぷりのグラノーラを作って、三人で食卓を囲った。

「リチャード、コーヒー飲みます?」

「俺が入れるから、ナオは食べてて」

「俺は紅茶ね、ディック」

 先に食べ終わったリチャードは立ち上がり、キッチンへ入っていく。

「ラブラブだねえ」

「…………うん」

 昨日のあれを見られたのだ。ラブラブじゃないと言えば、蒸し返される。事実、ラブラブだ。それはもう、コーヒーの熱なんか敵わないほど火傷しそうなほどに。

 リチャードの作るコーヒーは美味しい。前にセシルに言ったことがある。そしたら「それ本気で言ってんの」と真顔で返された。何か思い出がありそうだけれど、そっとしておいた。

「紅茶も無事に届くといいなあ……」

 セシルは遠い目で呟いた。

「願いは届くものだよ」

「願いがどうしたの?」

 三人分のカップを持って、リチャードがやってきた。

 ブラックとミルクたっぷりのコーヒー、そして紅茶。

「え? 紅茶だ……ちゃんとしてる」

「何が出てくると思ってたんだ。飲め」

「わっかんないじゃん。前例があるんだし」

「飲み物くらい作れる」

 リチャードはセシルと話すと辛辣でぶっきらぼうだ。

 仲がよく、ふたりはメールも電話もよくしている。僕の知らないリチャードをよく教えてもらう。

 宿題を解いてもらったとか、忙しい両親の代わりにご飯を作ってくれたとか。料理以外は完璧の兄貴だと豪語している。

 まったりと三人で過ごした後、セシルは帰っていった。

 リチャードは僕をソファーに押し倒し、優しいキスといやらしいキスを交互にくれる。

「リチャード、今日は……」

「うん。リンダの母親を探しにいく。けど、もう少しだけ」

 リチャードは基本的に時間厳守だが、当てはまらない場合もある。こういうときだ。

 シャツの隙間から中を見ようと、リチャードは顔を覗かせる。

「堂々としたセクハラだ」

「セクハラどころか、猥褻罪で逮捕かな。バンザイして」

 同居してリチャードの新しい一面を知れた。僕のスーパーヒーローは、穏やかで優しくて、かなりの性欲王。


 たっぷりと愛を育んだ後は、買い物ついでにドライブを楽しんだ。

 いつもと違う道に首を傾げていると、

「数年前だから自信がなかったけど、合っていたみたいだな」

「ここって?」

「リンダの家だ。今は母親が暮らしている」

 事件の匂いがなさそうな住宅街だ。綺麗な花も咲き、春の匂いがする家が並ぶ。よくある乗用車が数台止まっている。

「昨日、通報しておいたんだ」

「やっぱりあの車は警察関係者でしたか」

「ああ。君がリンダの母親と話して、セシルがリンダに似た人を見たといっていた。偶然じゃない」

 リチャードはきっぱりと言い切った。

「家にいるよりも、どこかで待ち合わせしたりしている可能性が高そうなんですが……」

「かもね。君ならどこで待ち合わせする?」

「人込みに紛れようとするかもしれません。昨日みたいに、ショッピングモールとか」

「俺たちはあくまでデートでね。向かおうか」

 ハンサムのウィンクは心臓をばしばし叩く。いまだに慣れない。世界一の王子様。ついでに運転しているときのむき出しの二の腕がかっこいい。言い始めたらきりがない。

 二の腕につん、と触れてみた。運転する直前だったのでまずかった。

 リチャードは驚いた顔で、けれどすぐに笑ってくれる。この余裕の笑み、世界中の人に自慢しまくりたい。

 規定のスピードよりも少し遅めに、リチャードは横切る女性を一瞥していく。プロの顔だった。なるべく迷惑をかけないよう、そして少しでも役に立てるように、僕もすれ違う女性たちがリンダではないかと視線を送る。

 どちらかの端末が鳴った。僕の鞄からだ。昨日からよく電話がかかってくる日で、出版社からだった。

『やあ、サイン会大成功だったみたいだね』

「おかげさまで。今日はどうしたんですか?」

『会社から用って言うより、サイン会をした本屋があっただろう? そこに君に会いたいって女性が来たらしいんだよ』

「ファンの方ですか?」

『いや、昔からの顔馴染みだって言ってたらしい。名前はアリス・ブラウンと名乗っていたが……』

「アリス・ブラウン……」

 二年前、クラーク医師と一緒に別荘で会った夫婦だ。

 呟くと、リチャードは会うように伝えてほしいと隣で話す。すぐに誰なのか理解したのだろう。

「前にお世話になった方です。連絡先は聞いてますか?」

 担当者から伝えられる電話番号をメモにまとめ、電話を切った。

「あのときの医師の妻の名だ」

「ええ……彼女が僕に連絡をしてくるなんて思えません」

「おそらくリンダだな。お互いに分かる名前を使って何か伝えたいことがあるんだろう」

「でも、なぜ僕に連絡を?」

「偶然に連絡を取れる確率が他の人よりあったからだ。君は小説家をしていて名前が知られている。別荘で本の話題になっただろう? 調べれば君のペンネームだってすぐに出てくる。たまたま本屋でサイン会のポスターを見つけ、連絡を取ろうとしてきたわけだ」

「セシルの方が仲良かったのに」

「セシルはどこに住んでいるかも分からない。俺はFBIで論外だ。そうなると君しかいない」

「かけてもいいでしょうか?」

 リチャードはすぐに返事をしなかった。

 悩んだ挙げ句、彼は自分の端末を僕に渡す。

「逆探知できないし割れることもない。あと俺の存在を匂わすことはなしで」

「分かりました」

 緊張して声がかすれる。リチャードは僕の太股に手を置き、大丈夫だと頷いた。

 コールは二桁まで続いた。鳴るたびに僕の心臓の方が早くなっていき、切ってしまいたい衝動に駆られる。

『ハロー?』

 出た。人間はしばらく会っていないと声から忘れるというが、すぐにリンダだと分かった。

「ハロー」

『…………ナオね』

「どちらさま?」

『アリス・ブラウンと名乗ったはずだけど』

「……………………」

 リンダだ。間違いなく彼女だ。

 二年も前のことなのに、あのときの恐怖と緊張感が混じった感情が溢れてきて、ふくらはぎの辺りが痙攣し始める。

 端末に線を繋ぎ、リチャードは黙って耳を傾けている。それだけで頼もしい。

『本当は分かってるんでしょう? 私だってこと』

「……リンダ」

『そう、リンダよ。今、そこに誰かいる?』

「ううん、一人。ショッピングモールに来てる」

『家じゃないのに電話をかけてきたの?』

「さっき電話がかかってきて聞かされたばかりなんだ。いても立ってもいられなくて……」

 本題には触れず、当たり障りのない会話で少しでも長くかける。

『ナオ……あなたに会いたいわ』

 さて、どうしようか。

 こうなることは予測できたはずなのに、いざ言われてみると返事に躊躇する。

 相手は殺人を犯した人間だ。二年も行方をくらまし、罪を償っていない。が、この機会を逃せば彼女は確実に雲隠れする。

 今度こそ、絶対に姿を現さない。

 細心の注意を払って言動に気をつけなければならない。

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