第20話

 誰も何も喋らない。重たい空気が流れる森の中で、蹄がたまに木々を踏みしめる音だけが響き渡る。どこへ繋がっているのか、誰がいるのか。味方なのか、敵なのか。

 

 どうやらこの道は東の方角に続いてるらしく、出発した時に見えていた雄大な山々がすぐ近くにまで迫ってきている。木々も樹海の常緑樹じょうりょくじゅと山の紅葉樹が混じり合い始め、赤と緑のコントラストが垣間見える。

 樹海とはまた違う乾いた空気が、湿った空気に染み込んでくる。空から溢れるじんわりと暖かい陽の光が溢れてきていなければ、かなり寒かったであろう。


 心なしか、彼女達の進む道の両脇から生えている石の塊が大きくなってきているようで、馬に乗っているアーリの腰ほどの高さになっている。

 

「だーっ、考えても考えてもわかんない! お腹すいた! お昼ご飯にしませんかー!」

 どんよりとした空気を弾き出すが如く、ミリナの声が響き渡る。その声に驚いた鳥達が何羽か空へ飛びだった。

 ミリナは泣きじゃくる子供のように、馬の上でゆらゆらと揺れている。


 道の真ん中でループが止まると、後続のアーリとミリナの馬も足を止めた。

「……はぁ、しょうがない。アーリ、飯にしよう。この先何があるかも分からんからな」

「うん、エイプロスの肉、食べておかなきゃいけないし」

 

 彼女達は道の脇に生えている大きな石に寄り添う形で馬を留め、料理をするための薪を集め始めた。

 この辺りは乾いた木々も多く、薪には苦労しなさそうだ。耳をよく澄ますと、少し離れた所で水が流れている音が微かに聞こえてくる。

「水、汲んでくるね」

 アーリは水筒を手に取ると、足早に水の音がなる方へ歩いていく。陽の光がモザイクアートのように形作る道を行くと、二分と経たずに水の元へとたどり着く。

 そこは黒っぽい岩に水が打ち付ける小さな滝だった。

 きっと、そこから昨日の川に流れて大きな川になるのだろう、そんなことを考えながらアーリは水を水筒にいれ、一口飲んだ。疲れて乾ききった体に、優しい口当たりの水が染み込んでいく感覚がする。


「火、ついた!」

 ミリナの嬉しそうに叫ぶ声が、ここまで聞こえてきた。今回は早くに火がつけられた様だ。


 アーリが戻ると、天へ高く高く伸びるほど、焚き火は燃え上がっている。まるでおとぎ話に出てきた空の爬虫類が火を吹いた時のように。


「あ、ああ、ああああ! なんで……」

「い、言っただろ!」

 ミリナは落ち込んで膝を付き、普段は落ち着いているループも慌てたようにキョロキョロと辺りを見渡している。

 近くに寄ると、頰が焼けるほどの熱気が焚き火から放たれている。


「ど、どうしたの?」

 駆け寄ったアーリに気づき、ミリナがか細い声で泣きついた。

「き、きのこがぁああ」

「……き、のこ?」


 アーリが帰ってきたのを見て、ループも幾分か落ち着きを取り戻した様だ。


「……あ、ああ。ミリナがなんだか見たことのないきのこを持ってきたんだ。赤に黄色の点がついたやつだ」そういうとループは炎の中を鼻先で指した。「危ないからやめろと言ったんだが……それを枝に刺して火に突っ込んだんだ。そうしたら火が勢いを強め始めてな」

「……おいしそうだったのに……どうして」


 火の中では黒焦げになったきのこだったらしきものが、パチパチと音を立てて炎を吐き出している。

 がっくりと膝をつき、鼻水を垂らすほど泣き出しているミリナの横で、ループはやれやれと首を振った。

 

 ミリナには少し失礼だが、少女は小さくクスクスと笑った。彼女が居てくれるだけでなんだか、空気が軽くなる。堅苦しい気持ちが柔らかくなるのだ。


「ミリナさん、いてくれてありがとう」


 アーリはそういうと、料理をし始めた。


 料理とは言っても肉を切って、木を削った串に刺すだけの簡単なものだが、少女の目には食べたことのないエイプロスの肉がとても魅力的に映った。

 硬くしっかりとした肉質であるが、串に刺せばなんとか食料には見える。


「まぁ、食べれ、そう……だな」

 始めは少し嫌がっていたループも、焼けていく肉から溢れ出る艶やかな脂と濃厚な香りに考えを改めたらしい。

 燃え切ったきのこに落ち込んでいたミリナも、気持ちを持ち直したようだ。


「さ、焼けたよ!」

 アーリが串を持ち上げると、しっかりと焼き色の付いた肉が火の中から出てくる。ループの分は皿に入れ、アーリとミリナはそのまま食べる事にした。


「いただきます!」

 アーリはそういうと、まだ湯気の立つエイプロスの肉に噛り付いた。

 モウル・ビーフよりはしっかりとした弾力のある噛みごたえ。口の中を荒々しくも、クセのなく食べやすい風味が駆け抜ける。脂身が多いのにも関わらず、すっきりとしていてくどくない。

 パンとの相性もよく、アーリたちはすぐに食べ終えてしまった。


「意外とうまかったな。食べられたもんじゃないかと思ったが」

「うん、残りは夜にスープとかにして食べようね」

「スープかぁ! お腹すいたぁなぁ」

「……まぁいいか。行くぞ、この先に何があるか確かめるんだろう?」

 

 片付けをし、彼女達は再び石の道の先を目指して進み出す。しばらく見てきたこの景色も少しは目に馴染んできて、不安を煽る材料では無くなっていた。


 しかし、両脇に生えている石は、石と呼べるほど小さくなくなり、次第に周囲の景色を阻害するほどのそり立つ壁になっていく。

 先ほどまで苔や植物に塗れていた地面が、真っ黒な土へと代わり、周囲には怪物が破壊したであろう壁の残骸が残されている。


 しんみりと冷たい空気が道の奥から流れてきている。


 ふと気づくと、両脇に広がっていた壁が怪物が通れるほどのアーチ状になっており、ぽっかりと真っ黒な空間がその先へ広がっている。まるで巨大な化け物が口をあんぐりと開けて、入ってくる獲物を待ち受けているかのようだ。

 

「洞窟……みたいだな」ループは立ち止まり、後ろの二人を見た。「行くんだな?」

「うん。ミリナさんもいい?」

「あたしはアーリちゃんに付いて来ただけじゃなくて、師匠を探すためにきたんだよ。見つけるまでは帰れない」


 彼女達はお互いに無言で頷きあう。未知の暗闇などで一度決めた覚悟は揺らがないようだ。

 

 アーリとミリナは馬の鞍からぶら下げたランタンを手に取ると、ノブを捻って明かりを灯す。黄色を帯びた光が彼女達のすぐ先をぼんやりと照らし出す。

「行こう」

 アーリを先頭に彼女達は暗闇の中へ歩き出した。

 どうやらここから先、地面は土ではなく、何か黒っぽい石がぎっしりと地面に敷き詰められ、平面になるように押し固められているらしい。

 周りを取り囲む石の壁が、コツコツと蹄の音を反響させる。ただでさえ八本の足があるオクトホースの足音が幾重にも重なって、少女達の耳に届く。周囲にさらに十頭のオクトホースがいると言われても疑わないほどだ。


「バレントの匂いはまだ続いているんだよね」

「ああ、先ほどよりは強い。ナーディオや別の人間、オクトホースの匂いもする」

 彼女達の声もやはり反響し、ぐわんぐわんと大気を揺らす。


「うわー!」

 ミリナが急に声をあげた。叫びが洞穴の壁いっぱいに反響し、トンネルの奥へと消えていく。


「どうした⁈」

 ループが咄嗟に体制を低くし、戦闘の構えを取る。

「あ、い、いや……」ミリナが首元を撫でると、周囲の光がゆらゆらと揺れた。「な、なんか叫びたくなっちゃって」

「……ったく。まぁいい——」

「バレントー!」 

 アーリも真似して叫んでみると、やはり声は響き、遠くの方へ消えていく。

「おもしろい! 私がいっぱい、いるみたい!」

「だよね!」

「……お前までか」

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