第18話

「兵団長、東の樹海で新しい怪物が出現した模様です! 櫓が破壊されたため、侵攻先は確認出来ませんが、街に向かっている可能性があるとのことです」

「直ちに警戒態勢を取れ。搬入された対機械怪物弾を壁上砲台に運搬するのを忘れるな」

「ハッ!」

「以降報告は逐一するように、行け!」


 資料や文献に囲まれた狭苦しい団長室で、ジェネスは一冊の分厚い本をめくっていた。この部屋は外と変わらないほどの肌寒いのだが、彼は頭が冴えるからこれでいいと暖房器具は何も置かれていない。

 テーブルの上には彼の執務である武器の発注や新兵選考のための書類が山の様に積まれている。そして、一番手前に積まれているのは失踪した市民達の名前が記されているリストだ。失踪したであろう場所、職業、名前などが事細かに記されている。


「……こんな時にまでか」

 ジェネスは露骨に機嫌悪そうな表情を浮かべ、そう呟いた。

 

 彼が手にしている本は怪物の図解が載ったもので、赤いカバーには著者エレンボス・ニュクレスクの名が記されている。彼が開いているページは、レオルプトルの絵と生態、大まかな生息域が記されている。発行されてから年数が経っており、カバーもページ一枚一枚も手垢で汚れている。古い造紙技術で作られているからか、破れかけてている箇所も幾つか見受けられる。


 その夜、街には怪物の襲撃は無かった。いつもと同じ朝の日差しが東の空から昇ってきた。いつもと同じ日常が街では始まるが、壁の上では兵士達がせわしなく働いている。



 樹海の野営地にも木々の間から、真っ白な日差しがこぼれ落ちてきている。早朝の樹海はしんみりと肌寒い。鳥類達も目覚めたらしく、空に向かって囀っている。

「ミリナ、起きろ」

「う〜ん、もう食べれないです〜」

「……ったく」

 ループは二本足で立ち上がり、思い切りミリナの腹にのしかかるように前足を載せた。

 うぐっ、と呻き声をあげたかと思うとミリナは飛び起きた。

「んばっ……な、あ、朝か」

「ああ、起きる時間だ。アーリはもう起きて、顔を洗いに行ったぞ」

「は、はいー行ってきまーす」

 ミリナはそういうと寝起きのだるい体を引き摺って、しぶしぶと川の方へ歩き出した。昨日の事もあるので、一応銃は肩に掛けている。

 

 ミリナが川に着くと、アーリは水流のほとりでどこか一点を見つめていた。

「アーリちゃ——」


 ミリナが声を掛けようとするも、アーリは左手のひらを彼女に向けて見せている。静かにしろというサインだ。

 それから彼女は一言も話さず、視線の先を指差した。そこにいたのは一匹の大型鳥類怪物であった。僅かな光を受けて虹色に輝く羽、人間には作りだせないようなしなやかな曲線の体。怪物と呼ぶにはあまりに美しく、可憐な立ち姿。そしてガラス細工のように透き通った目玉。それらを支える一本足ですら美しい。


「レインボーバード……」

「……うん、昔図鑑を読んでる時にバレントが教えてくれたんだ。図鑑では白黒だけど、本当は七つの色を持ってるんだよって」

 ミリナはハンターの本能から銃を持ち上げる。が、アーリはそれを制止するように手を上げた。

「だめだよ。レインボーバードは危険な怪物じゃないんだって、それに見ると幸せになれるんだって」

「そっか、ごめん」

 ミリナは銃を降ろし、しばらくアーリと一緒になって、幻想的な鳥獣を見ていた。しばらくすると怪物は思いのままに飛んで行ってしまった。


 川で顔を洗って野営地に戻ると、買ってきたパンを一人一つ齧った。

 纏めた荷物を背負い、馬へ飛び乗ると、野営地を後にした。


「しゅっぱーつ!」

「まずは昨日のエイプロスを調べてみるんだよね?」

 馬に揺られながらアーリはそう言った。

「ああ、それからバレントの匂いを辿る。それが一番確実だ」

「了解っすー!」


 しばらく昨日通った道を馬に揺られる。昼と夜では全く違う一面を見せる木々の海は、嗅覚の鋭いループがいなければ迷ってしまってもおかしくはない。

 

「着いたぞ」

 ループがボソリと言った。

  昨日の戦いの傷跡がそのままの状態で、そこに残されていた。光の中でみると、怪物の金属部分は黒く光っていて、怪物本来のままの胸部は茶色い体毛に覆われていた。今にも動き出しそうだが、ループでなくともこの怪物が微動だにしておらず、呼吸すらしていないのは分かる。

「や、やっぱりでかいなぁ」

「助けてくれなかったらこいつにやられてたかも」

「今度は必ず私達の手も借りるんだぞ」


 成長の早い植物は昨日の今日だというのに、すでに怪物を森の一部にしようとその蔓を伸ばし始めていた。

 アーリは馬から飛び降りると、太ももに巻いたホルダーからナイフを抜いて、地面に倒れ込んだ怪物に近づいた。

「な、なにしてるの、アーリちゃん」

「機械の事はわかんないけど……」アーリは怪物の肩によじ登り、ナイフを突き立てた。「怪物の事なら少しは分かるでしょ?」

「でも、研究員の人に調べてもらったほうがいいんじゃ……」

「ふ、珍しくまともな事を言うんだな。まぁあいつらには、レオルプトルがあるから平気だろう」ループもアーリのすぐ近くに軽々と飛び乗った。「私達も少しは敵を知っておく必要がある」


 機械と生物の間、肩と腕のつなぎ目近くにナイフはすっと入っていく。膝や肘、指などを動かしている人工筋肉とは違い、ここは怪物そのものの肉である事が分かる。


 ナイフが深々と入っていく。少女の右手に伝わる感覚がコツンと何か硬い物に当たる感覚を捉えた。

「骨か?」

「うん」アーリは四角く肉に切り込みを入れ、肩の骨格を露わにする。「普通の怪物の物みたいだけど」

「ああ、腕や足、頭部以外は金属が埋め込まれていないらしいな」

「肩の関節辺りから機械に改造されてるみたいだね」


 アーリがナイフで指した先、そこは金属と毛皮の境目であった。上から覆いかぶせる形で機械がうめこまれ、金具と人工筋肉で固定されているらしい。


 ミリナは腕からやっとの思いでよじ登ってアーリの後ろから切り口を覗き込んだ。

「えっと、だったら食べれるんですかね……? エイプロスってあんまり発見されないし、街にも並ばないから食べた事無くて」

 ミリナは怪物や機械の体云々うんぬん以上に食い気が勝るようだ。アーリの切り取った肉塊に熱い視線を送っている。


「……お前は本当に」ループはやれやれと首を振る。「まぁ食べれない事はないが……筋張っていて食べにくいと思うが」

「た、食べてみたいなーなんて」

「うん、食べてみよう。私も使える能力が増えるし、食べれる物は食べておかないと」

「本当に言ってるのか? 誰かが改造してるんだぞ?」

 嫌そうな顔をするループの鼻の前に、アーリは肉を突き出した。咄嗟のことだったがループは鼻をひくつかせ匂いを確かめている。

「どう? 変な匂い、する?」 

「いや、しないが……」ループは観念したように、首を垂らした。「わかった。そこまで言うなら」

「うん、お昼に食べようっか」そう言うとアーリは鞄の中に入れていた冷蔵箱に肉を仕舞い込んだ。「頭の方もみてみよう? 怪物だったら頭部にクリスタルがあるはず」


 そう言うとアーリは怪物の体を渡って、頭の方に近づいた。首から上全てを覆う鉄の仮面には二本の猛牛のような角があるのみで、怪物の特徴である頭部のクリスタルが見当たらない。顎などの関節からは赤色の人工筋肉が見える。


 アーリがナイフで鉄の部品を叩くと、かんかんと軽い音がする。


「んーなんか大きい気がしなーい? あたまでっかち……って言うんだっけ?」

「ふむ……なるほど。そういう事だな」

「なにか分かったの?」

「いや、怪物には必ずクリスタルがあるんだ。そしてそれが割れると、クリスタルが元に戻るまで身動きが取れなくなるのは知っているな」ループは自分の額に生えたゴツゴツとした緑色の水晶を突き出した。「クリスタルを守るための人工筋肉、そして鉄の装甲なのだろう。少し大きく感じたのは水晶と人工筋肉を入れるためなんだろう」

「あったま、いいー。流石ループさんです!」

「いや……ただの予想だがな。本当は装甲を剥ぎ取って見れればいいのだが」

「今はそんな時間も力もないね……」アーリはナイフを仕舞って、立ち上がる。「クリスタルを破壊して止める事はできないってだけは覚えておこ」

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