怪物と狩人と時々グルメ 〜この世で唯一の力を持つ少女はこの世界に何を見いだすのか〜
遠藤ボレロ
第1話
秋口の森は赤く染まり、その間を気ままに吹く風が手当たり次第に木の葉を散らしていく。
風が抜ける音の中に、地面の木の葉を踏みしめながら二匹の半羊半鹿の怪物がゆっくりと森の奥へと進んでいくのが見える。雄と雌のつがいなのだろう、一匹は二メートルほどで、もう片方は一回り小さいサイズであった。
羊のようにその生物を覆う体毛は、これから到来する寒波に備えてか、長く毛深く伸びている。頭部から生えた二本の角は、蜘蛛の巣かのように複雑に絡み合って枝分かれする。その角の生え際の間には赤いごつごつとした水晶が埋め込まれ、木々の間から零れ落ちる光を反射して、同じ色の影を地面に落とす。
クシャリ……クシャリ……。昨晩降った雨を吸った土とその上の落ち葉を踏みしめる音が風の中に溶けていく。
風下二百メートル。木の陰から伸びる黒く細長い銃身は、その毛玉に向けられている。銃を持つ女の細いがほどよく筋肉が付いた腕は、しっかりとそのライフルを支えていた。
長い金髪を後ろで束ね、獲物に気付かれないように自然に溶け込む地味な色のコートとパンツ。燃えるように赤い右目と一面の花畑のような紫色の左目。線は細いがしっかりと肉体的鍛錬を積んだのが伺える体つきをしている。
彼女は地面に膝をつき、照準器を赤い右目で覗き込んでいる。獲物を撃つ興奮からか、必要以上に手に力が入っているようにも見え、呼吸で銃全体が大きく上下を繰り返している。
「……いいかアーリ、呼吸は静かにゆっくりだ。引き金を引くまで目を瞑るんじゃないぞ」
彼女の隣に立つ——立派な白い毛が少し混じった髭を蓄えた——男は声を殺すようにそう言った。
髪は寝癖を整えた程度、日に焼けた肌。お洒落という言葉とは程遠い男であったが、眼光は鋭く獲物を捉えていた。目じりに寄った皺が、彼のこれまでの人生を物語っているようだった。
落ち着いた口調ではあったが、彼自身も少し緊張しているようで、深い緑色のジャケットの裾をぐっと掴んでいた。
うん。彼女は呟くようにそういって頷くと、ふーっと静かに息を吐き出した。
あたかもそれを合図かのように風が止む。
静かすぎるほどの静寂が生まれ、彼女に聞こえるのはキーンという自分の内側から生まれた耳鳴りのような音だけ。耳鳴りがするだけの世界で彼女の引き金にかけられた細長い指に力が込められ、一気に引き抜かれる。
鳴り響いた銃声は木々の間を抜け、森一杯に広がっていく。
ドサリ。地面に巨体が倒れこむのと、ほぼ同時に一回り小さい雌が逃げ出していく。周囲の木々に止まっていたで鳥達も慌てふためき、散り散りになって飛んでいく。
森全体がほんの一秒だけ騒めいた。
銃口から立ち上る煙はすーっと上へ伸び、吹き始めた風に靡いて消えていく。
少女はぼーっとその煙を眺めていたが、肩をトンと叩かれて、現実に引き戻された。
「よくやったな。降ろしていいぞ」
髭面の男は彼女の肩を軽く叩くと、そのまま足早に倒れた生物へ近づいていく。少女は一メートルほどの銃をそれに付いた茶色い革のベルトで背負い、男の後ろを追うようについていく。
彼らの脇を一陣の風が吹き抜けたかと思うと、真っ白な狼が数秒も立たずに倒れた獲物の所まで駆け寄った。彼らの猟犬代わり——にしてはかなりサイズが大きい——世にも珍しい真っ白な狼だった。
白狼はしばらく寝転がったそれの様子を見ていたが、すぐに二人の方を向いて頷いた。
「ループ! アーリの初めての獲物はどうだ?」
男が狼に向けて叫んだ。
「膝の関節を綺麗に撃ち抜いている」狼は近づいてきた二人に低めの女性の声でそう言った。「もう既にバレントより上手いんじゃないか? そろそろ老いぼれは引退かもしれないな」
これも日常茶飯事。ループという大きな白狼は喋る上に、毒々しい冗談まで言えるのだ。
近くで見ると、横倒れになった半羊半鹿の生き物はさらに大きく見えた。ムムジカと呼ばれるその生き物は膝から出血こそしているが、まだ息はしていて腹部から胸部にかけてが大きく上下している。死期を悟ったのだろうか、鼻息は静かで、目は穏やかに風に揺れ動く木々の葉をただ見つめている。
「アーリが一端のハンターになったら考えるさ」
皮肉交じりの言葉を小さく笑い飛ばし、バレントと呼ばれた男は倒れた怪物の近くにしゃがみ込んで、撃ち抜かれた膝部分を指差す。
「いい場所を撃ったな。ライトニング弾は動きを止めるだけのものだから、首元や腿の付け根が一番効力を発揮してくれるんだが、膝の関節でも物理的に同じことができる。むしろこっちのほうが細い分、難しいんだが……」
それを聞いて少女は口角を緩め、照れと満足感が混じったような表情を見せた。
「鷹の目を使ったの」彼女の色の違う両目が一瞬で黄色に代わる。「これならあの距離でも近距離と変わらないくらいで見えるから」
黄色い二つの目。猛禽類のようなそれは、真っすぐにバレントを見つめたあと、ループを見た。
流れる沈黙。
少女は何かマズい事をしてしまったかのように思え、直ぐに目を元の赤と紫に戻した。
「咄嗟に思いついたのか? すごいじゃないか」
「ふむ……」バレントは一瞬表情を曇らせた。「まぁ、それはアーリの能力だ、悪用しなければいい。さ、まだ生きている内にクリスタルを取り出して血抜きだ。やれるか?」
少女はほっと胸を撫で下ろした。それからはっきりとした口調で言った。
「やってみる。失敗しないといいけど」
アーリは膝を付いて腿に装着したホルダーからナイフを抜く。
刃渡り二十センチほどのナイフは木製の柄がつけられており、人差し指が掛かる部分が重火器のトリガーのようになっている。ちょうど中指が掛かる辺りには、炎のような模様の入った赤い水晶が埋め込まれている。
彼女が人差し指でトリガーを引くと、ナイフの刃が徐々に加熱されていき、赤くなっていく。四秒もたたない内にそれは溶けだした鉄のように赤くなり、湿った空気中の水分を蒸発させて白い煙を吐き出し始める。
「こいつはまだ麻痺していると思うが、ナイフを走らせると暴れる事もある。血を抜くまでは——」
「気を抜くなでしょ。分かってる。ナーディオさんにも言われた」
「ああ、それで一年間に数人のハンターが命を落としているからな、熟練のハンターでも起こりうる事だ。気を付けるんだぞ」
アーリは頷き、発熱するナイフを怪物の眉間に突き立てる。水晶の周りをなぞるように、ゆっくりと深く、正確にナイフを走らせると肉の焦げた匂いが周囲に充満する。
一周なぞり切ると、赤い水晶はぽとりと地面に落ちた。鹿の目玉からは命の灯がすこし消えた様に見えたが、それはまだしっかりと呼吸をしていた。
「上手くできたかな……」
バレントはそれを拾い上げ、輝きを、そして切り出し口を確認するようにじっくりと眺めた。
「はじめてにしては上出来だ。脳や内臓を傷つけなければいい」
バレントは根元にこびり付いた肉片をナイフでこそぎ落とすと、背中に背負った鞄の中にそれを仕舞い込んだ。
「あとは血抜きだ」バレントはムムジカの立派な角を掴み首を持ち上げて、指をゆっくりと走らせる。「ここだ」
バレントが指差した場所はその奇妙な生き物の頸動脈だった。
怪物にも血は流れている。そして、血を抜いて置けば、肉が悪くなるスピードを抑えられる。ハンター達に脈々と伝えられてきた知識の賜物だった。
「一気にいけ、苦しませないようにな」
少女には手に持った熱が冷めてきたナイフをそこにあてがい、皮とその下にある太い血管を断ち切るように前後に動かす。
ムムジカはぴくりと身体を振るわせたが、それ以上の抵抗はしなかった。
溢れだしてくる赤い血は、少女と男の手を流れ落ち、茶色い毛皮を伝って地面に血溜まりを作っていく。
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