第16話

「おいバレント、あれを見ろ」ループは顎で四番街の方向を示した。「何か起きてるぞ、暴動か?」

 バレントが建物の屋上縁から顔を出すと、四番街と中央街セントラルを繋ぐ大きな門に、かなりの数の兵士達が集合し始めていた。閉じられた門の外からは微かに怒声のような声が聞こえる。かと思うと、六メートルほどの巨大な門が、外側からどんどんと押し開けられようとしている。

「わからないな。先を——」

《……い、……ント……》

 何か不気味で歪な音声がバレントの耳に届いた。あまりにざらざらとした音だ、聞こうとしなくても確実に耳に残る。

「ん? 何か言ったか、ループ」

「いや、私は何も」ループはそう言って、バレントの方を振り返った。「もしかして、さっきの壁登りで頭でも打ったん——」

《聞こえるか……レント、ガント……に話しかけ……》

 先ほどよりもだいぶ鮮明に、聞こえてきた。バレントにはその声が何処から聞こえてきたのか分かった。自分の左腕、手首のあたりからだと。

「その声はロッドか? どういうことだ」

 聞こえてきた場所、声の主が分かってなお、バレントはさらに困惑した。どういう原理でロッドの声が聞こえてくるのか、全く理解できなかったからだ。

《お、聞こえたか。よかった。いいか、これは通信機能と言ってな、オーソリティーが隠している技術の一つだ。遠くにいる相手と会話できるってやつだな》

 バレントは訝しげに首を傾げて、自分の手首を見た。半信半疑だったが、ロッドの事はよく知っていたし、よく分からないこのガントレットを作れるならそんな技術もあるのだろうという事で、バレントはなんとなく状況を理解した。

「これでいいか!」

バレントは手首を噛むほど、口を近づけて大きな声でそう言った。

《で、デケェよ! もう少し距離を離しても、聞こえるぞ!》

「……す、すまん」バレントは少し距離を離して喋り出す。「こんな感じでいいのか?」

《ああ、平気だ》ガントレット越しにロッドは咳払いをする。《早速だが、クルスが先程、俺の所に来て、事のあらましを聞いてきた。どうやら四番と六番で暴れるらしい》

「見えている。大門をぶっ壊しそうな勢いだぞ? 大丈夫なのか?」

《ったく、陽動のつもりらしいが……》ロッドが通信機越しにため息をついたのが、バレントに分かった。《流石にやりすぎだと思うんだが……まぁ、上手く利用してくれ。潜入するんだろうし、今からこちらから喋らないからな、何かあればまたガントレットに向かって喋ってくれ》

「……わかった」

 そう言ってバレントは四番大門を見た。壁はドスドスと外側から押されて、少しだけ開きそうになっている。兵士達はそれを数十人がかりで抑え込んでいるが、もう一人が通れるほど門が開いている。

「なんだかよく分からんものを人間は作るんだな」

「正直、俺にも分からんが……まぁ使う奴が使えば便利なんだろうけどな」バレントは慣れた手つきで次の建物にフックを打ち込む。「先へ進むぞ、時間が惜しい」


 冷たい春の夜風が、屋上を行くバレント達の背中を押した。

 目的の一番豪勢な建物に着くまで、二十分も掛かった。監視の目から逃れるために、警戒しながら進んだためだ。暴動も合間って、きっと誰にも見つからなかったであろう。

 バレントは目的の建物の屋上から、最上階のバルコニーへと降りた。

 濃い紺色のカーテンの隙間からガラス越しに中を覗き込むと、天井から吊るされた黄色いクリスタルのシャンデリアが、外の僅かな光を淡く反射しているのが目についた。しかし、シャンデリアには明かりが灯されていなく、部屋の中は薄暗い。

 静かな部屋の中央には、腕利きの職人に長い年月を掛けて作らせたであろう、大きな長テーブルと並べられた豪華な椅子が置かれている。床は大理石で出来ていて、つやつやと月の光を反射している。

 暗くてよく見えないが、高そうな絵と彫刻の数々からどうやら会食をする場のように見える。それも重要人物達用、きっとオーソリティーのメンバーが集まる場所なのだろう、とバレントは直感した。

「ループ、人影は見えるか?」

「……いや、ここから見える範囲は、だがな」ループはカーテンの隙間から内部を出来るだけ確認した。「ガラス、割るか?」

 バレントは少し考え込んだが、小さくうなずいてガントレットでガラス窓を殴った。ガラスは甲高い音と共に砕け、破片が月明かりを反射して部屋の中へ飛び散った。窓のロックを外し、ガラス窓を開け放つと、カーテンが風を受けて膨らむ。

 バレント達が中に入ると、その部屋は窓の外から見えていたよりも広く、彼らの家二つ分か、それ以上の敷地があった。

「匂いはするか?」

「僅かにな」鼻を左右に振って、嗅ぎ慣れたアーリの匂いを探す。「だが嫌な匂いで、鼻が曲がりそうだ。混沌とした……なんと言えばいいのか」

「臭いってことだな、とりあえずアーリの方へ向かうぞ」

 ループはバレントに頷いてみせてから、広い部屋の大きな扉の方へ向かった。


 その時だった、大きなシャンデリアが風に揺らされる。その揺れは次第に大きくなっていく。不自然なほど。

 それに気が付いたバレントは叫んだ。

「ループ! 避けろ!」

 バレントの言葉に、ループは咄嗟に左方向へ飛び退いた。

 すんでのところで、シャンデリアが大きな音を立てて、大理石の床へ、そして部屋中央のテーブルへと落下する。無数の小さな黄色いクリスタルがバラバラと地面に散らばって、カラカラと音を立て飛散した。

「勘だけは、いいコソ泥だなぁ! ただし、鼻は効かないんだなぁ?」

 シャンデリアと一緒に大柄で銀色の鎧を着た男が、物凄い音を立てながら降りてきた。

 男の身につけている鎧が、すでに大きな体をより一層大きく見せている。金髪の滑らかな短髪。屈強な筋骨と高い身長。ゴツゴツとした顔には、ニタリとした不敵な笑顔を浮かべている。

 バレントとループは、その男の顔を知っていた。ガードベル兵団の団長、そしてルークズ・オーソリティーの一柱を担う男だ。

「ガードベル!」

 バレントは侵入した時点で、彼らの反抗を覚悟していた。

「ハンター・バレントぉ! 分かってるぜぇ、娘を取り返しにきたんだろ?」

 バレントの呼びかけに、男は部屋いっぱいに響くほどの大声で返した。

「アーリは何処にいる? 何故、彼女を連行した?」

 心の中に沸き立つ怒りや憎しみをぶつけた。自分が不甲斐ないばかりに、アーリが連れ去られてしまった事ですら。

「連行だと? ふむ……連行かぁ、それはいい言い回しだな!」ガードベルは高らかに、腹からの笑いを上げた。「保護したと言って欲しい所なんだがな。あれは、明らかに危険物だ。然るべき処置をせねばならない。お前も見ただろう? あの怪物もどきが持つ力は、街を滅ぼしかねん」

「それは誰にとっての危険なんだ? お前の下らない英雄思想にとってか? 私達にはあの子が危険に思えないんだがな」

 ループは穏やかに淡々と、ガードベルに言葉を投げた。

「黙れ、怪物風情が! 俺の慈悲で怪物のお前を殺さずにおいているんだ! 反抗するならば、この場で、この俺の手によって刑罰を下す!」

「ほう、試してみるか?」ループは自分の牙を、緑の液体で濡らした。「私の毒なら苦しまずに死ねるぞ?」

「……俺に逆らった事を後悔しろ! お前らはここで死刑だ!」

 大男は背中に背負った剣を抜いた。

 バレントはそれを見て、鞄に差したショットガンを掴んだ。

「戦いたくないが……このまま、通してくれる気はないみたいだな」

 男の手に握られた真っ白な剣身が、窓の外から入ってくる陰鬱な光に照らされて、不気味にきらりと静かに輝いた。

 ループはバレントが安全装置を外すより早く飛び出し、ガードベルの肘に噛み付いた。

 腕甲の関節部分に、ループの牙から漏れ出した毒が染み込んでいく。どろどろとした液体が、前腕を伝って指の先から流れていく。

「離せ、怪物が!」

 巨大な狼に噛みつかれ、体制を崩したガードベルだが、ひるまずに剣を振り上げる。

「ループ! 離れろ!」

 そう叫んだバレントは、ループが男の体を蹴り飛ばして離れた瞬間、男の振り上げた腕を狙って引き金を引く。

 火薬が爆ぜる音と共に、男の右腕の剣と腕甲の一部が弾け、真っ赤な炎と黒い煙に巻かれる。

「ガードベル! 俺は殺しをしたくない」バレントは銃口をガードベルの胴体に向けた。「だが、俺はお前らがアーリを殺すなら、兵士全員を殺してでも阻止する」

 腕にショットガンを撃ち込まれてもなお、男は不敵な笑みを壊さない。

「うぬぼれとはこの事か」

「何がおかしい? 右腕が吹き飛んだんだぞ?」

 巨大な怪物ですら、苦痛に顔を歪めるほどの威力を持つ火炎散弾フレイム・シェルを食らっても男は、平然としている。

 バレントはその異様さに、思わず一歩後退りしてしまった。

「バレント、何か変だ。こいつの中から人間の匂いがしない。現に血が流れていない」

 バレントはループの言葉に、ガードベルの足元を見た。あれほどの衝撃であれば、床に血が流れていてもおかしくはないはずなのだが、そこには彼の破損した腕甲が転がっているのみ。


 ガードベルは不敵に笑う。


「お前は、俺の年齢を知っているか? お前が子供の頃の、俺の顔を、覚えていないのか? そして、何も疑問に思わないのか、それともただの無知なのか?」黒い煙が段々と薄まっていく。「俺は人間の体を、既に捨てた!」

「……ど、どう言う意味だ?」

 ガードベルが黒煙の中から引っ張り出した右腕は、おおよそ通常の人間のそれではなかった。散弾の爆発で、皮膚が焼き切れた下からは、白っぽい銀色の腕が出てきたのだ。細い金属を縒り合わせた筋肉繊維とでも呼べばいいのだろうか。

 そして男が指を動かすと、あらぬ方向を向いていた指が一本ずつ、ゴキゴキと耳障りの悪い音を立てて、元の位置に戻っていく。

「人工筋繊維。ロスト・テクノロジーのすいを集めて作られた最強の鎧だ。それが俺の体。筋肉なんて甘っちょろいものは、二十年前に捨てた。偉大な英雄に張るためには、弱い体など必要ないからな! もちろん体内に血は巡っていないから毒も効かない」

「……つまり木偶人形みたいな物って事だな。滑稽な踊りでも見せてくれよ、ガードベル人形よ!」

 ループの悪態に、ガードベルは一瞬怒りの表情を見せたが、それをぐっと飲み込んで続けた。

「わかったら、今すぐ引き返せ。死が俺を止める事はない」

 バレントは馬鹿らしいと言った感じで首を振った。

「筋繊維だかなんだか知らないが……」バレントはショットガンに弾を込める。「俺はアーリを助け出すためならなんでもする。命を投げ出すことも厭わない。あの子は俺の家族だ!」

「フン、ならばこの部屋で死ね!」

 ガードベルは一瞬しゃがみ込んだかと思うと、脚の人工筋肉がギリギリと音を立てた。野太い掛け声と共に、溜め込んだ力を一気に解放し、ガードベルはバレントへ飛びかかる。

 突撃してくるガードベルを回避するバレント。顔の横すれすれをガードベルの巨体が、大砲の弾の様に通り抜けた。

「バレント! もう一発くるぞ!」

 ガードベルは部屋の奥の壁を蹴り、もう一度砲弾のように跳ぶ。

 闘牛士のように回避したバレントは、ガードベルが地面に着地する瞬間を狙って、火炎散弾を左足へ向けて打ち込んだ。

 黒煙と共にふくらはぎの鎧が弾け、金属製の筋繊維が現れる。

 地面の上を滑り、反転するガードベル。剝き出しになった金属繊維が大理石を引っ搔くと、キキッと耳障りの悪い音を立てた。

「そんなもので止まらないと言っただろう!」

 ガードベルは地面に落ちていた剣へ駆け寄り、拾い上げる。

 もう一発、同じ場所に撃ち込まれた散弾を気にも止めず、剣を振り上げてバレントの方へ飛びかかる。

 ガードベルはバレントに向けて剣を振り下ろす。が、体勢を崩して剣の先は地面の大理石にめり込んだ。

「あぁ⁈」

 ループがガードベルの左足、はだけた金属繊維に噛み付いて、バランスをずらしていたのだった。

「クソ犬めが!」

 ガードベルはループを蹴り飛ばした。ループの体はゴムボールのように跳ね、大理石の上を滑って壁にぶつかった。

 壁に掛けられている絵が衝撃でストンと地面に落ちる。

「貴様は後で人民の前で晒し者にしながらゆっくりと殺してやる! その後、骨の髄までしゃぶり尽くしてやる!」

「ループの肉は毒性がある。不味いぞ」

 冷淡な言葉に、銃声が続いた。

 バレントはもう一発金属繊維へと打ち込んだのだ。

「効かないと言ったはずだが?」

 ガードベルはゆっくりと振り返って、バレントを睨みつけた。金属繊維は二発の散弾の爆発を受けてもなお、その原型を留めていた。

「やってみなきゃ、分からないだろ?」

 バレントはそう言ってもう一発、ふくらはぎを狙って打ち込んだ。

 小さな赤いボールが金属繊維にぶつかり、火炎と共に爆発する。繊維の数本が切れたが、その形を崩すことはない。

「精々、意味のない事を継続して、後悔するがいい!」

 ガードベルは拳を振り上げて、突撃してくる。

 バレントはショットガンを投げ捨て、ライフルを取り出した。

 ガードベルは、一瞬だが、焦りの表情を見せた。だが、歯を食いしばって雄叫びを上げながら、目の前に立つ男を殴りつけようとする。

 バレントはその一瞬を見逃さなかった。もしかしたら、ライトニング弾を撃ち込まれたくないのかもしれない。

 そう思いついた瞬間、無慈悲にライフルの引き金を引く。

 火薬の破裂と共に放たれた銃弾は、ガードベルのふくらはぎの繊維に、奥深く突き刺さった。

「むああああ」

 その瞬間、ガードベルは声をあげてその場に膝から崩れ落ちる。金属製の筋肉繊維を電気が流れ、ガードベルの体は拳を振り上げたまま、ビクビクと痙攣している。

 しばらく、抗っている様だったが、男はやがて膝から崩れ落ちた。

 それを見届けたバレントは、ループに駆け寄った。

「ループ、平気か?」

「……こんな事で、死ぬ私だと?」

 ループは壁際でなんとか立ち上がった。

「あいつは……」耳をすませ、ガードベルの体の躍動を聞いた。「まだ、生きてるぞ」

「ライトニング弾を撃ち込んだ。体が麻痺して、しばらくは動けないはずだ、その間に急ぐぞ」

 二人はお互いに頷くと、部屋の出口まで駆け出した。

 廊下に出れるであろう扉に手を掛けた時、二人の背後で微かに鎧の音がした

 バレント達がハッとして振り返ると、息を切らしたガードベルが立っていた。部屋の石柱を破壊し、投げつけようとしている。

 バレント達がそれに気づいて飛び退くと、彼らに向けて石柱の一部が飛んできた。破砕音と共に、背後の扉が破壊され、石柱を形作っていた石が砕ける。

「電気を体に流している俺様が、電気の対策をしていないとでも思ったか?」ガードベルは高らかに笑い上げた。「ハンターとは、実に甘っちょろい! クソ臭い演技でもすっかり騙されちまうなんて……そんな事しているから、ベドムに負けるんだ」

 バレントは静かにガードベルの言葉を聞いていたが、心の中では燃えたぎるほどの怒りや憎しみを覚えていた。知らずのうちに拳に力が入り、奥歯を砕かんとするほど顎を噛み締めている自分に気が付いた。

「ループ、先に行け」

 はっきりとしたバレントの言葉に、ループは頷いて壊れたドアの隙間を縫って外に出た。

 外に出て行ったループを見て、ガードベルはニタリと笑う。

「……一人で俺様の相手をしようってか? 本物の馬鹿だ。体を半分に——」

「黙れ」

 たった三文字の言葉で、ガードベルは気圧された。

 バレントは静かにガードベルに向かって歩きだす。ナイフを抜き、スイッチを入れた。ナイフの刃が赤くなっていく。

 ナイフの熱の様に、怒りで沸々とバレントの血管が沸き立つのを感じた。

 ガードベルは剣を拾い、歩いてくるバレントを待ち受けた。

 ガントレットから銛が放たれ、ガードベルのふくらはぎに突き刺さった。繊維の奥深くへ突き刺さり、返しがしっかりと繊維を引っ掛ける。

「なっ……」ガードベルは自分のふくらはぎを見た。「また意味のないことを——」

 バレントの肩の装置がギュルギュルと駆動し、ワイヤーを巻き取り始める。バレントは大理石の上を滑り込み、ワイヤーの加速を乗せて、ガードベルの股下を滑り抜けた。

 かと思うと、赤い光の一閃がガードベルのふくらはぎを通り抜けた。ふくらはぎの筋繊維の大部分が切られ、ガードベルはバランスを崩す。

「ば、馬鹿な!」ガードベルは膝をつく。「なぜ切れる! ただのヒートナイフに……!」

 バレントはフックをガードベルの後頭部に撃ち込み、ワイヤーの巻き取る力を使って、背中に飛び乗った。

「お、おい!」

 ガードベルは手に持った剣を背中のバレントに突き刺そうとするが、ぴたりと動きを止めた。

「目玉は果たして筋繊維か?」バレントは静かにナイフを目の前に突き出した。「アーリが何処にいるか教えてもらおう」

「俺がお前に負け——」

 ゆっくりとヒートナイフが眼球に突き立てられた。ナイフが沈んでいくごとに、目玉につながれたケーブルがバチバチと音を立ててショートしていく。目玉自体も何かしらの機械で代用されており、そのパーツがナイフの熱で溶けていく。

「早く言え、目玉を貫通して金属製の脳味噌に達する前にな……」

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