第10話

二番街への石橋を渡りきると、バレントは馬から飛び降りた。活気を帯びた工業街の喧騒が、建物に反響し、耳に煩い。

 橋のすぐ右側にある製鉄兼武具製造店の店主ロッドが、見慣れた黒い馬と髭面の男を見つけて、金槌を持っていた手を止めた。

「おうー、バレント、来たか! 今日は何が取れたんだ?」

「エレパーベアだ。青水晶で、かなりサイズも大きかった」

「この時期のベア種は冬眠前で美味いし、毛皮の艶もいいんだろ。最高じゃねぇか!」ロッドは金槌を作業台の上に乱雑に投げた。「んでだ……俺に何かお土産はねぇのか?」

「言うと思ったぞ、ロッド。……勿論、肉を持ってきた。腿の肉だ」バレントは鞄を漁ると、木製の三十センチほどの長方形の箱を取り出した。「新鮮だし臭みも少ないが、しっかり下味をつけて食べるといい」

 箱の上蓋には青い水晶が埋め込まれており、ロッドが嬉しそうに箱の中を開けると、中からひんやりとした冷気が溢れ出し、白い布に包まれた赤くて柔らかそうな肉が姿を現した。脂も程よく載っているが、赤みの強い肉の塊だ。

 わざとらしく涎を拭き取る仕草をすると、ロッドは布ごと肉を取り出した。それを持って裏へ向かいながら男は柄にもなく嬉しそうな声で言った。

「いつも、ありがとな! 馬、止めていけよ」

「ああ、ありがとう」

 バレントが馬をいつもの蒸気パイプに結びつけていると、裏からドスドスと戻ってきたロッドは思い出したかのように尋ねた。

「アーリちゃんの調子はどうだ? 仲良くやれてんのか? すこしゃ、お前に懐いたか?」

「まぁ……ぼちぼちだ。血が生臭いってたまに避けられるが、それ以外はまぁ……上手くやれていると思うが」

 バレントの話をニヤニヤしながら聞いていたロッドは、そこで男らしく笑った。

「子供は正直だな。バングが小さかった頃も『オヤジ、金属クセェ!』とかよく言われたもんだ」

 ロッドは腕を組んで、楽しそうに子供との記憶を語った。

「経験者は語るってか。後はそうだな……」バレントは少し言おうか言わまいか悩んで続けた。「本が欲しいって言われたよ、怪物関連のが読みたいってな」

「良かったじゃねぇか! 少しでも興味を持ってくれたんなら。そのうちハンターになりてぇとか言い出すかもな」

「それは……あまり賛成できない。あいつらを相手にするのがどれだけ危険か分かるだろ?」

 バレントはしばらく黙って考え込んだ。神妙な面持ちで、ロッドの言葉を頭の中で反芻している。

「おいおい、冗談だ、そんな深く考えるなって。まだ四歳とかなんだろ」

「まあ……それもそうだな、ありがとう。またなんかあったら相談に乗ってくれ」

「気楽にやれよ。子育てなんて難しいもんだ。誰も親になるまで、子育てだけはやった事ねぇんだからな。あまり気張るなよ」

 ロッドはバレントの肩を叩き、諭すようにそう言うと、後ろを向いてまたなんらかの機械を弄り始めた。

 その場で少し悩んだのち、バレントは街の喧騒の中に紛れていった。


 ロッドと別れたのち、バレントは木の匂いが沸き立つ一番街を抜け、五番街にある萎びた本屋の前に辿り着いた。

 中に入ると、ぼーっとしていた白髪で猫背、老齢の店主が話しかけてくる。

「いらっしゃい。何かお探しかね?」

 使い古された紙の匂いと、店主が吸う煙草の匂いが充満する店内には、背の高い本棚にびっしりと色の違う背表紙が並んでいる。まだ昼過ぎだと言うのに店内はかなり暗く、店主がいるカウンターの上に置かれている蝋燭の光が店の中の唯一の光源だった。

 店主はオレンジ色の柔らかい光に照らされ、皺くちゃだが優しそうな顔でバレントの方を見ていた。彼の後ろにも大量の本が、山のように積まれていて、もはやその本の上に座っているように見えた。

「ああ、図鑑はあるか? その……怪物関連のやつなんだが」

「うーん、いろいろあるがのぉ……」

 店主は少し訝しげだ。勿論バレントが腕利きのハンターだと言う事を知っていて、何を今更本が欲しくなるのだろうという考えにも至ったのだろう。

 バレントは唸っている店主に、もう少し説明を付け足した。

「そうだな……子供が読めるような、図が多いやつがいい」

 躊躇いがちにバレントがそう伝えると、老齢の店主は記憶を手繰り寄せるように考え込んだ。そして、ゆっくりと立ち上がると歳の割に意外としっかりとした足取りで、六つある本棚の一つにまっすぐ歩いていった。古ぼけた背表紙が並ぶ本棚の中段から、一番綺麗な青っぽい色の分厚い本を抜き取った。

 表紙には黒いインクで、羊のような角と大型鳥類の翼の生えたおどろおどろしい猿の絵が描かれていて、その上には「ハーゲンティ・マレフィキウム」と題名が描かれていた。

 錬金術に長ける悪魔ハーゲンティと、彼の気紛れな悪戯で生み出された怪物達。それらの学名がハーゲンティ・マレフィキウムであり、歪な形に複合された怪物達を呼ぶのにこれ以上ぴったりな名前は見当たらない。


「これかのぉ、怪物図鑑。エレンボス・ニュクレスク著じゃの。結構最近刊行されたものじゃが、売れ行きはあまり良くないのでのぉ……二百グランでいいぞ」

 そう言うと店主は指を二本立てて見せた。

「ありがとう、後は……料理の本とかないか? 俺はハンターなのだが、取った肉の調理が下手でな。何か参考になるものがあればいいんだが」

「料理の本じゃな……はて、そんな本あったかのぉ」

 そう言うと店主はまたウンウンと唸り、考え込んでしまった。

「……あればいいなと思っただけだ。無ければ大丈夫だ」

「すまんのう、ハンターさん」店主は白く染まる髭を撫で、申し訳なさそうな顔をした。「ほとんどの本はオーソリティーに持って行かれてしまっての」

「本屋も大変だな」バレントはそう言うと手元のメモを見た。「それ以外に、何か面白い本のおすすめはないか? 子供が読んで楽しめるやつがいいんだが」

「子供向けの本のう……確かあったはずじゃ」

 白髪の店主は店内をゆっくりと見渡して、スタスタと歩いていき、入り口のすぐ右側にあった本棚から濃い赤色のカバーがついた本を取り出した。

 同じく濃赤色の本の表紙には、二本脚で雄大に立つ王冠を被った半獅子半人が小高い丘の上で、剣を掲げている絵が描かれていた。彼は腕の中には長い髪の少女を、大事そうに抱きかかえている。彼女は人間ではあったが、犬のような尻尾と尖った耳が生えていた。


「これは昔、この街に居た有名な作家が書いた本でな。確か……五つの国の争いを描いた話での。指揮した勇敢な獅子王とその娘の話……じゃったかのう」

「少し難しそうだが……」

 バレントはその本を受け取り、ページをパラパラと捲った。中には挿絵などもあり、難しい単語も見た限りは少なく見える。

「どうじゃ? その物語は続きもある。気に入ったら、それも買ってくれるとありがたいのぉ」

「面白そうじゃないか。これはいくらだ?」

「二つ合わせて六百グランでどうじゃ?」

 バレントは赤色の紙幣を六枚数えて、店主に手渡した。

「少し待っててくれるかの」

 そう言って紙幣を受け取ると、店主はカウンターの裏へ回り込んで、何かを取り出してバレントに差し出した。

「栞か? なかなか凝ったデザインじゃないか」

 それは小さな木の板を削って塗装を施して作られた栞だった。大きな幹を持つ木とそれに巻きつく植物。ニスも綺麗に塗られていて、指で撫でると滑らかな肌触りがした。

 バレントはそれをカウンターの小さな灯火にかざす。暖かな光が木彫りの隙間を抜けて、暖かい植物の絵を浮かび上がらせた。

「わしが作ったもんじゃよ。いい暇つぶしになっててなぁ」

「いい腕だな、有り難く使わせてもらうよ」

 鞄にそれらを仕舞い込むと、バレントは店を後にした。


 四番街を吹く風が古臭い匂いを運んでくる。このブロックを行き交うのは老いた人々がほとんどで、立ち並ぶ店も置いてある商品も古びた物が多かった。絵画などの美術品や様々な模様の陶器、アンティーク調の時計などの工芸品。相当の鑑定眼が無ければ価値の分からなそうな物が無造作に置かれている。

 バレントが店の前を横切っても、店主達はタバコの煙を吹かし、ぼんやりと中央街セントラルの大規模な工事の様子を眺めているだけだった。


 シティの西に位置する四番街からさらに南へ下っていくと、六番街へと繋がる橋が見えてきた。

 橋の欄干に寄りかかるように、寝息を立てて酔っ払い達が眠りこけている。バレントは彼らの足を跨いで橋を渡った。

 六番街の大通りには電飾の取り付けられた看板の店々が並び、地面にゲームボードを置いて娯楽に耽る老人達や、樽の上で腕っ節比べをしている屈強な男達、酒を売り歩く若い女衆で賑わっていた。

 どうやら、このブロックでは酒を飲んでいない方が異常らしい、バレントが十メートル進むたびに売り子の女達が色鮮やかなスカートをヒラヒラさせながら、入れ替わり立ち替わり近寄ってきては、やれ五十グランだ、安くしとくだと売り文句を投げつけてきた。


 六番街の中心地である十字路に差し掛かると、角の酒場から野太い男の怒鳴り声が聞こえてくる。

「待てぇ、ドロボー!」

 声の方にバレントが注意を向けると、長い黒髪を靡かせながら褐色の女が両開きの扉を蹴破って走り去っていった。顔の下半分を隠すように白い布を巻き、何かで一杯になった麻袋を抱きかかえていた。


 それに遅れること数秒、白いシャツを着た太った男が必死の形相で出てくるなり、何やらよくわからない事を叫んでいる。走り去っていった女の後ろ姿を睨みつけて、男は怒りのままに拳を振っている。太った男はバレントを見つけるなり、声色を変えて懇願し始めた。

「ば、バレントさん! あ、あの女を捕まえて、麻袋を取り戻してくれませんか?」

 急に呼びつけられて、バレントは驚いて数秒黙りこくって、咄嗟に目を逸らす。が、男の二つの目が別の方を向かないのに負け、面倒くさそうに答えた。

「なんで俺に頼むんだ……兵士を呼べばいいだろ、その方が確実だ」

「お、お願いしますよぉ、あいつらは飲んだくれるばかりで、泥棒の対処なんかしないんですから! あなたもよく知ってるでしょう⁈ お詫びに良い酒用意しときますから! 頼みますよぉ」

 巨体を小さく縮こませて懇願してくる店主に、バレントはやれやれと首を振った。

 なんと言おうと彼の頼みを断ることはできない事を、彼と目が合った瞬間から、なんとなく察していた。周りの人間の目も、自分に向けられていることもあって断ることは憚られる。


「見つけられなくても、根に持つんじゃないぞ」

 そう吐き捨てるように言うと、裏路地に消えていった褐色の女を追いかけるため、バレントは走り出す。

 そんな光景もこの街の酔っ払い達にとっては普通のことなのだろう、一瞬注意を向けたかと思うと、すぐに仲間と酒を楽しみ始めた。

 若い女衆が呼び込みをする店の脇の裏路地へ消えていった女の後ろ、五十メートルほどの距離でバレントも路地に入っていく。

「おい、待て! 止まれ!」

「そう言われて、誰が待つかってんだ!」

 女は路地に並んでいた空の酒樽を倒し、追いかけてくるバレントに向かって蹴り飛ばした。雪崩の様に押し寄せる樽は、お互いにぶつかり合いガラガラと軽い音を響かせた。

 バレントはそれを軽々と避け、さらに速度を上げ追い立てた。

 女は路地を左へ右へとくねくねと曲がりながら、酒樽をなぎ倒し逃げていく。


 日光の遮られた路地裏には、生ゴミの匂いが立ち込め、レストランの裏口からは食器を洗う音や食材をまな板の上で切る音が聞こえてくる。

「あっ」

角を曲がった瞬間、ゴミの入った袋を蹴り上げ、女は派手に転ぶ。抱えていた麻袋を落とすと、中に入っていた大量の金貨が溢れ出す。


「……おい、大丈夫か」

 後ろから来た路地を曲がって女が転んでいるのを発見すると、バレントはそう声をかけて近寄った。一応、麻袋を拾い上げ、転んで痛がっている女に近寄った。

 悔しさからか、転んだ恥ずかしさからか、女は顔を伏せたまま倒れ込んでいる。

「最悪だ……早く兵士に突き出せよ」

「まぁ、落ち着け」バレントはこぼした金貨を拾い集めている。「……お前はなんで泥棒なんかしてるんだ?」

「ちっ……おっさんに関係ないだろ」

 バレントは黙々と金貨を拾い集めている。返事は返さない。それどころか、全ての硬貨を拾い上げると、袋を持って去ろうとする。

 それが予想外の行動だったのか彼女は動揺して、声を荒げた。

「な、なんで……連行しないんだよ! 兵士に突き出せば良いだろ……」

「牢屋にぶち込まれるために盗みをしてるなら、お望み通りしてやるが?」

「……」

 バレントの静かなトーンに、女は黙りこくるばかりだった。

「俺はお前にも関係ないが、この街にも関係したくない。俺を付け狙う人殺しならまだしも、泥棒が居ようが、街がどうなろうが正直どうでもいい。だからお前を捕まえることにも興味はない。買い物ができて、素材が売れればそれでいいし」バレントは袋を持ち上げて見せる。「俺はこのあの店主がよこすといった酒を貰えればそれでいい。だから理由を聞いたんだ」

「い、いや別にそんな理由はないけどさ……」

「なら逃げるなり、兵士に自分から捕まりに行くなり——」

 女の腹がゴロゴロと大きな音を立てて、バレントの言葉を遮った。女は自分の腹がなったのにも関わらず、少し驚いて、そして恥ずかしそうにした。

 バレントは鼻で軽く笑う。

「飯の種が必要だったのか。別に金貨を盗む必要はなかっただろうに」

「……うるせえ」

 女は突っぱねるようにそう言うが、彼女の腹はうめき声をあげ続けている。

「おい、昼飯でも食うか? ちょうど俺もこれからなんだ」

「か、金……持ってない……」

「そんなことは知ってる、目の前で金貨を盗むほどだろ? 奢ってやるって言ってるんだ」バレントは麻袋を揺らせてみせた。「ただし、お前がこの金貨を一緒に、返しにくるならな」

「謝れって言ってるのか? あの強欲店主に? なんでそんな事をしなきゃいけないんだよ!」

「……お前に昼飯を食わせてやろうっていう人間が、そう言うからだ」

「それなら飯はいらない! あんな野郎に——」

 女の腹が力強く呻く。何か食わせろ、というセリフが聞こえてきそうだ。

「ちなみに今日はハンバーガーを食う予定なんだが。残念だな。モウルビーフ百パーセントの弾力と肉汁が——」

「は……ハンバーガー……‼️」

 バレントを遮るように、女は声を漏らした。至極返答に悩んだ様子だったが、食の誘惑は彼女の空腹をさらに加速させた。

 最後には生唾飲み込み、覚悟を決めたようだった。

「し、しょうがないな! 付いていってやろう」


 茶色の塗装が施された木目調の店内には、ロープが巻かれたランタンがぶら下げられ、柔らかいオレンジ色の光が店内を照らしている。店の奥では、数人の演奏者達が小粋な音楽を奏でている。

 ジューシーな牛肉の焼ける匂いと、建物に使われている木材の匂いが混じりあって、スモーキーな匂いがバレント達の鼻腔をくすぐる。

 他の客たちが談笑しながら麦酒と料理を楽しんでいるのをぼんやりと見ていた女は、急にバレントの方を向いた。

「……そうだ、まだ名前を言ってなかったな、あたしはミリナってんだ。メシ、奢ってもらうなんて悪いな」

 女は名乗ると同時に、口元を覆っていた布を外すと、彼女の顔全体が露わになった。喋り方や口調から、バレントが想像していたよりも、よほど若そうな顔立ちだ。

「ミリナか。俺はバレントだ、よろしく」

「……んでだ、なんで飯を奢ってくれるんだ? 自分で言うのもなんだが、盗人に飯を奢るなんてかなり奇妙な行動だぞ」

「確かにそうだな」バレントはゆっくりと顎鬚を撫でた。「俺も若い頃は苦労したからな」

「ふーん……そっか」

 ミリナは目の前にいるバレントの様相からそんな言葉が出て、少し驚いた様子だった。何か言葉を続けようと女は口を半開きにしたが、料理を持ってきた店員に遮られた。

「お待たせしました。モウルビーフ百パーセントのバーガー、二つです」

 小綺麗な白いシャツを着こなした店員は、大きなハンバーガーとフライドポテトが乗っかった皿を二つ運んできた。

「ありがとう」

 バレントが礼を言うと、店員は軽く頭を下げた。

「それでは、お食事をお楽しみください。失礼します」

 皿の上に置かれたハンバーガーは、男のバレントが持ってもかなり大きなサイズだ。分厚いミンチバーグと数種類の野菜が大胆に、そして豪快に小麦色をしたバンズからはみ出している。

 ミリナは皿が置かれるなり、豪快にそれを口へ押し込む。肉汁とソースが溢れ、彼女の口元を伝って皿の上に滴り落ちた。

「ふ、ふへへはほへ!」

「口に入れたまま、喋るんじゃない」

 女は咀嚼もままならぬまま、それを飲み込み、さらに水で押し込むと興奮したように喋り出した。

「悪りぃな、あまり人と飯食うこととかねぇんだ。しかしこれうまいな! こんなに癖のない肉を食うのも、でかいハンバーガーを食うのも初めてだぞ!」

 そういうとミリナは、また大きな口を開けてバーガーにかぶりつく。

「モウルは原種の牛という生物に近い怪物でな、味も原種に近いらしく、脂にも上品な旨味があるんだ。数少ない家畜化に成功した種類でもある。街の西の広大な土地で放牧されたモウルカウはしっかりと肥えて美味い」

「ふーん、詳しいんだな……」女はバーガーを小さくもう一口齧った。「そういえば、バレントはどうしてハンターになったんだ?」

 そう言われるとバレントは少し躊躇って、ゆっくりと話し始める。

「家族をモンスターに殺されたんだ、まだシティのブロックが二十五個に分かれていた頃だ、あまり珍しくもない。住む所がなくなって、路地裏で食べ残しとかを漁って生活してたところを師匠に拾われたんだ」

「そ、そうか……なんか聞いて悪かったな」

「いや、いいんだ。ところでお前……」バレントはグラスに入ったソーダで舌を濡らす。「ハンターになることに興味はないか?」

 フライドポテトを口の中がいっぱいになる程放り込んでいたミリナは、ピタリと動きを止めた。

「ハンター……?」

 返す言葉を探している彼女の様子を見て、バレントは続けた。

「白昼堂々、酒場から金を盗むってことは自分の運動能力に自信があるんだろ? ハンターは簡単にこなせる仕事じゃないが、さっきの逃走を見てもお前は素質がありそうだと思った」

 バレントは髭にバンズの食べカスを付けながら、ハンバーガーにかぶり付き、トマトのペーストをポテトにかけて口に放り込んだ。

 それでもまだ返答に困っているミリナを見てバレントは続けた。

「師匠も紹介する。対象にもよるが素材を売るのは金になる。自分で食べ物を取って、余った物を職人達に売るだけだ。上手くやれば金にも困らないし、盗みなんかよりもずっと役に立つ」

「……私でもできるのか? 正直、頭も良くないし……大丈夫なのかよ?」

「ナーディオ師匠の指導は厳しいが、腕は確かだ。時間は掛かるかもしれないが、お前なら一人前になれるはずだ」

 ミリナは少し俯いて悩んでいた。

「一人前になれば、美味いものも食い放題だぞ?」


 

 七番街、キュービックシティの南部中央に位置するこのブロックには、火薬の匂いと射撃音、獣の血の臭いで溢れていた。

 大通りを行く人はほとんどおらず、銃火器を置く店以外は厩舎や藁でできた射撃用の的の置かれた訓練場。他の街に比べて路地も広く、大きな家屋やアパートが立ち並ぶ。

「そういえば、お前、家はあるのか?」

「逆に聞くけど……あるように見えるか? 七番の橋の上で寝ている」

「そうか、それも師匠に相談するといい。いい家を探す手伝いもしてくれると思うぞ。それまでは師匠の家にお世話になるといい」

「橋よりいい家か……それは楽しみだな」


「師匠の仕事場はもうすぐそこだ」

 バレントが指差す先、オクトホースが五匹並ぶ厩舎の隣、刃物や銃器、ロープなどが壁にかけられている店があった。

 店前には木の椅子の上に座っている老齢の人物が、大きめのナイフを磨いていた。集中して丁寧に磨きあげているのか、バレント達が近くまで来ても、彼は顔を上げずに作業に没頭していた。

 老人と呼ぶのは烏滸がましいほどの屈強な肉体が、彼の着ている深緑色のロングコート越しでも分かった。長く伸ばした白髪を後ろにまとめている。頰の傷と顔の皺が、この老人の長いハンター歴を体現していた。


「お久しぶりです、師匠」

 投げかけられた声に老人は顔をゆっくりとあげ、バレントの顔を見て、それから隣に立っていたミリナを見た。

「おー、バレントかぁ」師匠と呼ばれた男は、磨いていたナイフを腿に取り付けられたホルダーに差し込んだ。「どうした、子供に続いて、彼女でもできたのか?」

「ち、違いますよ!」バレントは慌てて両手のひらを前に突き出し、師匠の言葉を否定した。「狩人の素質がありそうな奴を見つけたんで、連れてきてみたんですが……どうでしょうか?」

「そんなに慌てんでもいいだろ」ナーディオは目尻の皺を寄せ、大声で笑った。「してそこのお前、名前はなんていうんだ?」

「み、ミリナ、だ……! 世話に……お世話に、なる、ます」

 ミリナは着ているローブの裾が頭の上に被さるほど、深く頭を下げた。

「……なるほどな」ナーディオは、頭を上げたミリナの顔を見た。「そこの橋の下に住んでおる娘か。狩人に興味があったとは知らなかったがなぁ……」

「じ、実はハンターになりたかったわけじゃない……ですが、泥棒してた所をおっさんに捕まって……」

「ほう、なるほどなぁ」ナーディオは白い髭を親指と人差し指で、摘むように撫でた。「んで、どうなんだバレント? 何故この子なんだ?」

「こいつは俺の見た中でもかなり才能がありそうだと思いました。……実際追いかけるのに、少し苦労しましたし」

「ふむ、盗っ人か……」ナーディオは何かを思い出すように地面を見て、頰の傷跡を撫でた。「正直に言おう。ハンターは生半可な気持ちでもなれるこたぁ、なれる。だがな、街の外に出て怪物と対峙するってことは、常に命の危険は伴う事と同義だ、それは分かってるか? それでもやってみるってのか」

 師匠の率直で無骨な言葉に、ミリナは口を噤むことしかできなかった。

 ナーディオも腕を組んで彼女の返答を待つのみだった。


 十秒、二十秒と時間が過ぎ、やがてミリナは口を開いた。

「……や、やります」下を向いていたミリナは、真っ直ぐにナーディオに目線を合わせた。「何かに向いているって……初めて言われたから。泥棒なんて本当はしたくないし、家も欲しい! 何よりおいしいものを腹一杯食べたい!」


 ナーディオはミリナの言葉を聞きながら頷くと、店の中へと消えていく。

 店の奥から彼の低く、しゃがれた声が聞こえてくる。

「ハッハッハッハ、素直でいいじゃないか! 今の気持ちを忘れんなよ!」

「はい! やれるだけ付いていきます!」


 ナーディオは奥から五冊の分厚い本を持って、戻ってきた。

「んじゃあ、早速怪物達の勉強から始めるとするかな」

「え……」

 露骨に落胆の表情を見せるミリナを目の前に、戻ってきたナーディオは分厚い本を差し出した。表紙の所々が折れ、手垢で薄汚れていて、かなり年季が入っているようだった。


「じゃあ、頑張れよ! 師匠、そいつのこと、よろしくお願いします」

「ああ、お前も腕を磨く事を忘れるな」


 バレントはナーディオと彼に引っ張られていくミリナの元を後にし、来た道を引き返していく。


 七番街の表通りを行くバレントが、十字路に差し掛かると、セントラルへ続く石を積み上げた塀と木製の巨大なゲートが見えた。二十メートルほどの高さの塀の奥には、さらに背の高い煉瓦造りの建物群が見えている。

セントラルの中心地であろう場所には、一際背の高い建物の工事が進んでいて、鉄の骨組みが剥き出しの状態になっていた。

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