第1話 おはよう
最後に見た空は綺麗だった。
程よく雲の浮かんでいた空は日の出と共に赤く染まり、やがて黄金に包まれては見慣れた青空へと変わっていった。
頬を撫でる風は心地好く、傷付いた体と己が犯した罪に痛めた心を癒してくれている気がした。
火口から伸びるサンドスターの結晶は日光を浴び輝きを見せ、四神とセーバルちゃんの犠牲の上に成り立つアンチセルリウムフィルターはその美しい輝きを守る為黒く淀んだものを抑え込む。
妻と共にその中へ飛び込んでどれくらいの年月が経っただろうか?
肉体は火口に眠り意識だけになると、しばらくは二人で様々な世界を渡り歩いていた。
行く先々でその見慣れたようでどこか違った景色をその目に写しては、俺はいつものように妻への愛を囁いた。
あれはなんとも不思議な状態だ、そこにいないはずなのに確かに俺達はその世界を歩き景色を見ているのだから。
人に会い話すこともできたし物に触れることもできたが、その逆に認識されないこともあった。さらに不思議なことに鏡には自分達の姿が写らない。
そんな不思議な旅路を妻と手を繋いで歩き続けていた。
歩いて歩いて、時に向かい合って笑い合い。
今度はあそこに行こう?次はここにしようって。
…
だがいつしかお互い眠りについたのだろう。
旅の記憶が途中からどこか薄らぼんやりとしている、それでも唯一確かなことは隣に妻がいること。手を握ると握り返してくれるあの感覚だけはハッキリとこの手に伝わっていたんだ。
だから意識が溶けていくようなあの状態でも安心して眠ることができた。
君が居てくれたらどこへだって行ける、俺は何だってできるから。
だから安心して眠り続けた。
そう君さえそばにいてくれたら俺は…。
ねぇ?いつか目を覚ますことがあったら。
また。
一緒に…。
…
「…ん?…キくん?」
眩しい。
ここはどこだ。
目が覚めた?ような感覚を覚えゆっくりと目を開くが、ハッキリとしない視界が広がっている。光がやけに眩しく感じ上手く目を開くことができない。
何か声も聞こえる気がするがこちらもハッキリと認識できない、頭がボーッとしていて耳に詰め物でもしてるような聞こえかたをしている。
「ユウ… ん?私… る?…ウキくん?」
誰…?
目は眩しくて見えないし耳もよく聞こえないんだよ。
だが誰かがそこにいて俺を呼んでいるのはわかった。
そうか、妻が俺を呼んでいるのかもしれない。
もしかしてそこにいるのは君なのかい?だってずっと隣にいたんだ、先に起きて俺を待っていてくれてるとしても何もおかしくはないだろう。
だがなんだろうかこの感覚は… しばらく忘れていたであろうこの感覚。他人に会う感覚というか、顔見知りに会うような感覚というか。
その感覚がこの声を妻ではないと俺に訴えかけている気がする。
だとしたら誰だと言うのか。
「ユウキくん?ユウキくん聞こえる?」
ユウキくん… か、どこか懐かしいその呼ばれ方でわかった。そうかあなたか… 他人と言うには些か失礼な相手だ。家族同然。
やがて目が慣れてくると女性の姿が見えた、耳に入る声はずいぶん長いこと聞いていなかった優しい声であるとその時にやっと認識できた。
彼女は俺をよく知っているであろう人。
ただし妻ではない。
でも俺もこの人をよく知っている。
「ユウキくん?私がわかる?ユウキくん?」
まだ少しボヤけるが、心配そうに俺の顔を覗き込み必死に名前を呼ぶ女性が目に入る。
なんて懐かしいのだろう、もう二度と会うことはないのかなと思っていたのだけど。
ご無沙汰しております。
「カコ先生…?」
「あぁ良かった、起きたって聞いて年甲斐もなくすっ飛んで来たのよ?そう私、記憶はしっかりしてるみたいね?おはよう… でいいのかしら?それともおかえりなさい?」
大恩人のカコ先生、長い黒髪は妻とよく似ていて少し癖がついており末端に行くにつれ深緑へと染まっている。本当に久しい… 身内に会うのは何年ぶりなのだろうか。
ほんの少し老いただろうか?単に俺のイメージの方が若かっただけかもしれないが、それでも先生は変わらず若く美しいままだ… どれくらいの間顔を見ていないのかは定かではないがそれなりの年数が過ぎているはず、それでも歳を感じないということはやはり先生はそういう体なのだろう。
それにしても先生がいるということはここは火山ではない?柔らかなベッド、真っ白なシーツ… 先生の様子を見るにまさか俺は?
「先生これは… 現実ですか?」
信じられなかった、フィルターになるのは死と同一の覚悟を持っていたからだ。
いつかはこの役目も終わるのだろうという気持ちもあったが、人生最後の大仕事だと思い全て捨てて挑んだのだ。
だから自分が今置かれたこの状況がすぐには信じられなかった。
先生はそんな俺に“今”というものを教えてくれた。
「えぇ、貴方は帰ってきたのよ?長い間よく頑張ったわね?でももう大丈夫、今やフィルターは誰の犠牲もなく張られている、心配はいらないの。でも本当に長かった… お疲れ様?あれから“100年”も掛かってしまったけれど」
「100年…?」
起きてから未だに頭がハッキリせず大きな反応ができていなかったのだがこれには流石に内心驚いていた。
100年?あれから100年も過ぎたって?流石の先生も少しは老ける訳だ。
たまげたな… そうだ、早く妻にも教えてやろう。ビックリするぞ?100年も経ったら俺達結婚何年目になったんだろう?
いろいろ聞きたいこともあるのだが今一番に欲しいのは妻の姿、声、温もり。
まずはあの時よく付いてきてくれたと感謝を伝えたい。
おかげで寂しくなんかなかったと。
こらからもずっと一緒だと。
だから俺は気怠い体をゆっくりと起こし先生の方を向き直すとすぐに妻のことを尋ねた。
「あの先生、妻はどこに?」
先生は俺の体を起こすの手伝いながらずっと何か喋り続けていたのだが、俺はあまり聞いておらずただひたすら妻のことで頭がいっぱいになっていた。
なので体を起こしきる頃には先生には少し申し訳ないと思いつつ少々食い気味に妻のことを尋ねてしまった。
彼女に会えるのが楽しみだ。
「彼女は… ねぇユウキくん?えっと… とりあえず何か食べたら?100年ぶりの食事でしょ?しっかり時間を掛けて体を慣らさないと…」
今話を逸らしたのか?食事などいいんだ、妻はどうした?
「妻と食べます、まだ眠っているなら起きるまで待ちます、とにかく早く顔が見たいんです」
「…」
黙りこんでしまった。
なんだろうか?先生のこの表情。
何故そんな困った顔をするのか起きたばかりの俺はよく理解できなかった。
正直空腹でもなんでもない、そんなことはいいから早く妻に会いたいんだ。
「ユウキくん… 起きたばかりでよく理解できないかもしれないけれど、聞いてほしいことがあって」
先生はそう言うと俺から目を逸らし俯いてしまった。そんな顔でこれから何を話そうというのか、まさかそれは妻に関連することなのだろうか?
何故そんなにも話しにくいような顔をするのか。
「実は…」
先生がいかにも辛そうな目をして顔を上げた時だ。
「待て… よいカコ、我から伝えよう」
まったく気付かなかったがいつの間にか開いたドアから一人フレンズが現れ先生の肩に手を置いた。
彼女は…。
「シロ、ようやく起きたのじゃな?心配かけよって!なんじゃその面は?まさか我を忘れたわけではあるまい?」
「スザク様… いえとんでもない、ご無沙汰しておりました」
俺が簡単に会釈をしてそう言った相手は無論忘れるわけもない四神の一人スザク様だ。
俺がよほどボサっとした顔でもしてたのだろう、柔らかい笑みを俺に向け簡単に労いの言葉をくれた。
「そうじゃな、100年は長すぎじゃな?しかしまた会えて嬉しいぞ?我らの代わりによくやってくれた」
「はい… あのそれで妻は?」
「そうじゃったな、すまない… そうじゃろうな… やはり一番の気掛かりじゃろうからな」
妻のことを尋ねるとやはりスザク様の表情にも曇りが見えた。
十中八九妻に何かあったのだということだと思う、一体どうした?意識が戻る見込みがない?怪我をした?まさか記憶を無くした?
何が起きたにせよ早く妻の事が知りたい、そして何かあったのなら俺が支えたい。
他の誰でもない俺が。
「心して聞け?じゃがまず今のお前の肉体について話させてもらうぞ?よいな?」
恐らく嫌だと言っても無駄なんだろう、説教くさいスザク様のことだから。
それに多分俺の事が妻の事に直結しているからそう言ったのだと思う。
俺が黙って頷くと、スザク様は小さく深呼吸をした後に俺の事を教えてくれた。
「今のお前は昔とは違う、我ら守護けものと同様に体の全てをけものプラズムで構成しておる」
「全てをですか?」
「そうじゃ、サンドスターに記憶されたお前の情報が長い年月で劣化し滅びてしまった生身の肉体を再構築したということ… ヒトとの混血であったお前の肉体はもう無い」
驚いたが、声を挙げるほどではなかった。
前と同じ状態で戻れるだなんて正直思っていなかったからだ。
加えてスザク様が言うには、守護けものと同じようにとは言ったがやはり前例のない不可解な状態であるらしく、神のように信仰などで存在が強固なものとなっているのではないらしい。
故に当然人間ではなくなったし、フレンズとしても守護けものの皆さんや普通のフレンズ達とは別の状態… カコ先生の見立てだと不安定な存在である可能性が高いのだそうだ。
「それで… な…」
スザク様の表情は先生と同様に辛く苦しそうなものへと変わっていく。
俺のことは聞いた、それじゃ妻は?
俺は一切目を逸らさなかった。
瞬き一つせずにスザク様からの説明を待っていた。
妻はどうしたんだ?早く教えてくれ。
「シロ… お前の妻は…」
聞かなきゃよかったとは思わないし、教えてくれたことにも感謝している。
もっと問い詰めてやりたいとも思ったが聞いたことが全てなのだとわかっていたので責めようとは思わなかった。
ただどうしたら良いのかわからなかった、行き場のない感情が大きすぎて聞いた時に全てが砕けちったようで何も言えなかったし、何かしようとも思えなかった。
スザク様は俺にこう言ったのだ。
「戻ってこれなかった… 肉体は再構築されずサンドスターに… 星に還ってしまった… もうこの世にはおらんのじゃ」
言い切った時、スザク様は俯いたまま膝の上で拳を力一杯握りしめ大粒の涙をいくつも落としていた。
隣にいたカコ先生もやがて耐えきれなくなったのか両手で顔を覆い小さく肩を震わせていた。
「すまぬ…!我らがもっと早くお前達を救えたら!そしたら間に合っていたのかもしれぬ!シロすまぬ!何を言われても言い訳はせん!怒りを覚えるのなら殴ってくれて構わん!ただわかってくれ…!我らも… 辛いのじゃ!悔しいのじゃ!くっ… 本当にすまなかった…」
俺は何も言わなかった。
何も言葉が出てこなかった。
何故こうなった?考えても考えてもスザク様や先生にはなんの責任もないのはわかっているし、考えれば考えるほど妻が消えたのは俺のワガママのせいだと思えて仕方なかった。
消えた… もういない…?
君が?
どうして?じゃあ俺のやったことは間違いだったのか?ならできるとわかっていながら四神とセーバルちゃんのことを見て見ぬふりをするべきだったのか?
そうして自分を犠牲にしながらも懸命に生きるスザク様達から目を逸らし、俺は君や子供達に囲まれてただ幸せに暮らしていればよかったのか?
どーせ100年後にみんな解放されるとしたら俺がしたのはただのお節介だったということか?
それで妻が…。
君が消えてしまった。
「ユウキくん…?大丈夫?」
「シロ…?」
目を真っ赤にした二人が奇妙そうに俺の顔を眺めている。
俺は何も言わなかった。
なぜか不思議と。
涙も出なかった。
怒りもない、悲しみもない、勿論楽しくもなんともない。
何も無いんだ… 何も。
そんな俺を見て二人は口を動かしてパクパクと何か必死に伝えようとしているが、だんだんと頭が真っ白になっていって何も聞こえなくなっていく。
目に見える世界は綺麗に彩られた美しい世界なのかもしれない、だがせっかく目覚めて慣れてきた俺の目にはもうどこも色褪せた世界にしか見えなくなっていた。
君はどうして一人で行ってしまったの?ずっと一緒だと約束してたじゃないか?あの日も共にいることを望んで二人で飛び込んだんじゃないか?
君は本当にもうどこにもいないの?
俺は…?じゃあ俺はどうして無様に今生き残ってるんだ?
100年も先の未来で、君のいないこの世界で、俺は何のために生きろって言うんだ。
俺は何のために目覚めた?体を失ったからけものプラズムで再構築だと?そんなことしてまで何故この世にしがみついてる?
これは… 罰か?
100年前、そのずっと前から俺は何度も君を泣かせてきた。
最後に二人で火口へ飛び込む前も一人で勝手に決めて君を残して火山を登った、その時もやっぱり泣かせてしまった。
初めて会ったあの日から、好きだと気付いたあの日から。
俺は何度君を泣かせたんだろうか。
もしかして仕返ししてるのかい?こんなに悲しいんだぞって意地悪をしてるのかい?
俺が悪かったよ、本当にごめん… 今まで辛い思いばかりさせて。
何度だって謝るよ?ワガママだってなんでも聞くよ?もう二度と君を悲しませたりしないよ?
だからお願いだ…。
俺もそっちへ連れて行ってよ?
どこ行っちゃったんだよ…。
かばんちゃん…。
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