幻の空明

---わた雲---

小潮小学校 壱

 変わり果てた母校を前に、凛々(りり)は立ち尽くした。十二年ぶりに訪れたそこはしっかり十二年分汚れ、十二年前には無かった力を放っていた。

 そこそこ新しい学校であった。在学中に三十周年の記念撮影があったから今もまだ四十代と若い学校であるはずだ。懐かしい光景にさまざまな記憶が掘り起こされていくが部下と一緒に来ていることを思い出し、お得意のポーカーフェイスにより一層力を入れる。

「時間の記録を」

 左から凛々の様子を伺っていた颯希(さつき)に視線をやり、そう指示を出す。颯希は右手首の腕時計を見ながら左手に持ったスマートフォンを操作し、本部と繋ぐ。

「令和三年二月六日五時四分。場所、さいたま市立小潮小学校。これから根源を探します。颯希」

 スマートフォンに抑揚のない淡々とした喋りで颯希がそう吹き込むと、スピーカー設定になっていたそれから『承知いたしました。お気をつけて』と同じくらい正気を感じない声で返ってきた。

 颯希はスマートフォンの通話を切り、終わりましたと言うようにこちらを見た。ポニーテールにしてある、長くまっすぐな黒い髪がその無駄のない動作に合わせてなびく。

「ありがと。じゃあ気が進まないけど取り掛かりますか。……各自持ち場へ。配布した校内地図に割り振られられている教室を使えよ、例えその教室の机が全てひっくり返っていたとしても」

 後ろを振り向き、静かに後ろで控えていた三十人程度の部下たちにそう指示を出す。部下たちは凛々の横を通り過ぎる時に意思のこもった目を向け、凛々たちのために開かれていた校門から続々と入っていく。

 未だに凛々よりも若い子たちの覚悟を決めたたくさんの目が向けられるのを凛々は苦手としていた。信頼が息苦しい。リーダーなんて向いていない。人事ミスだと思うがどうにもならなくまた今日も現場にリーダーとして立っていた。

 震えそうになる指先を握り込み、浅く息を吸って深く吐く凛々の右肩にそっと触れる形のない手。首を動かし右斜め上を見れば、ぼんやり透けて輝く美青年が上から凛々の顔を覗き込んでいた。凛々の守護霊である彼は静かに微笑み凛々を見つめた。

「……わかったよ」

 口の中だけにあるような音で、誰にも自分にも聞こえないくらい小さな声で彼にそう言った。彼はより一層微笑みすっと凛々の後ろに戻り姿を消した。

 誰よりもその人のことを理解する守護霊は、原則その本人にしか見えず、本人としか会話もできない。受け入れ道を示し寄り添い共に生きる守護霊には敵わない。

 静かな説得、無言の圧、絶対的な信頼。こうして凛々は今日も守護霊に腹を括らされるのだ。

 学校に向き直ると、変わらず凛々の左に颯希が立っていることに気付いた。待っていたのか、逃げないように見張っていたのか知らないが、静かにそこにいた。守護霊みたいで不気味なやつと、心の中で悪態を吐くが、颯希は凛々が誰よりも可愛がっている妹分だった。

「……待っていなくていいのに」

 ぐだぐだしていて、また守護霊に説得されたのを見られていた決まりの悪さでそう言うと、「凛々様を守るのが仕事なので」と間髪入れずに返されてしまった。

 どんな顔して言っているのだろうと思って颯希を見るが、いつも通り無表情で何を考えているのだか、さっぱりわからない。颯希のように仕事と割り切れてしまえば楽なのだろうか。凛々は誰か仲間を失うのが怖くて仕方がなかった。

「……行くか。夜までに片付けないとややこしいことになる」

 正直、今も日の出前でほぼ夜みたいなものではあるが、四時を過ぎているので危険は低い。見た目には真っ暗で入りたい見た目をしていないが校内に入らなければ何もできない。

「手を握りましょうか? 暗闇が怖いんですよね?」

 颯希が無表情で右手を差し出してくるのに腹が立って、左手でその手をはらう。馬鹿にしている気は本人にはないのかもしれないが、高いプライドがその発言を許せなかった。

「いらない! 両手空けておかないと咄嗟のことに対応できないだろ」

「暗闇が平気なら良いですけど。……先ほど、机がひっくり返っていてもと言ってましたが、何か怪異に心当たりでも?」

 切り替えの速さは組織一と言っても過言ではない颯希はもう話を変えてくる。昔はこうではなかったのに、と大して昔でもない数年前の颯希を思い出しながらも頭を切り替える。

「ああ、それは怪異じゃなくて。在学中近所で有名なくらいには荒れていて、高学年の時そうなっている教室を見たことがある」

「ええ……? この学校の評判を集めましたが周りの学校と比較して治安が良い方でしたよ」

「じゃあ変わったんだな、十二年で。まあ当時も私の一つ上の学年と私の学年、二つ下の学年くらいしか目立って荒れていなかったしな」

 よく考えてみれば学校が荒れていたというより荒れている学年があったという方が正しいかもしれない。そうならば今は元通り普通の学校になっている可能性が高い。

 校門を通り、右手にあるグラウンドを見ながら進み左手にある数段の階段を上がれば校舎の入り口がある。ガラス張りの入口から見える中は、既に中に部下がいるにも関わらず下駄箱がずらりと並ぶそこは真っ暗で、眉間に皺を寄せる。懐中電灯を付けて中に入り、凛々は電気のスイッチを探し見つけると叩くように雑に全てつけた。

「凛々様、電気はつけないようにと言われています。電気代がかかるので」

 消そうとするの颯希を「バレねぇから。万が一バレたってって上が怒られるだけだよ」と止める。颯希は何か言いたそうだったが、無視してずんずんと先に進む。

 その後も凛々は電気のスイッチを見つけるたびに全てつけたが、もう颯希は何も言わなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る