★18★ 死神の新年穢れ。
一月は一年の始まりである陽麗祭があるため、穢れである処刑は一ヶ月間行われない。そのために十月後半から十二月終盤にかけての処刑が多くなるのだが、では広場で処刑が行われないこの期間は、処刑人も暇なのかと問われればそうではなかったりする。
十二月の最後の週から処刑は一時中止となるが、その間に王城の劣悪な環境である地下牢獄で刑の執行を待たずに獄中死……この場合は凍死した元・罪人の遺体処理として駆り出される。
凍死する人間は毎年結構な数が出るし、冬場であれば遺体が腐る心配もない。普段は断頭をするほどの重罪犯となるとそうそう現れないが、それでも処刑人の腕が落ちないのはこういう背景があるからだ。実のところ一年で一番首を落とす仕事が多いのがこの時期であったりする。
朝の十時には仕事に取りかかるのだが、問題は同席する遺体処理要員の役人達が朝食を吐くせいで、吐瀉物の処理に半分人手が割かれて作業が度々中断されることだろうか。
こちらとしては一日のノルマである八人を効率良く終わらせて早く帰宅したいのだが、無表情にカボチャでも割るように首を落とす私を見る彼等の瞳は、みな恐怖に凍りついている。以前までなら何とも思わなかったのに、やや不愉快に感じるのは妙な気分だ。
しかし気にせず一体、また一体と首のない死体を作る。この作業だけなら日に十五体は余裕でいけるのだが、遺体処理をする人間が翌日からいなくなってしまう。
流石にこの作業中はルネと揃いの指輪もどきをつけるのは忍びないので、今は大切に服の内ポケットにしまってあった。これさえあれば彼女を身近に感じて、クリストフ神父の言うように人間でいられる気がしたからだ。
人の継ぎ目は生きている人間の上でも像を結ぶ。死顔と同じく解体線のようなものが見えるのだ。遺体を引き摺って袋に詰めるために屈み込む者にも、両側から抱えて台車に載せる者にも、次の遺体を用意する者にも、平等に。
嫌な職業病だとは思うものの、不思議とルネにはこのどちらもまだ見えたことはない。もしかすると情に左右されるものなのだろうかと内心首を傾げながら、この日最後となる一体の継ぎ目に向かって斧を振り下ろした。
馴染んだ重みと一瞬だけ感じる
――『良い出来だ』――
そう在りし日の声が耳に甦る。この作業の時くらいしか、父が言葉を紡ぐことはなかった。あれが息子に情を植え付けないためのものであったとしたら……そこまで考えて、止めた。今更そんなことを考えたところで、あの日々の何が変わるわけでもない。ただ、何故か胸の奥がグッと押し込まれたように苦しくなった。
その微妙な違和感を抱えつつ仕事が終わったことを視線で告げ、彼等が私と余計なやり取りをしないで済むよう目礼だけしてその場を離れる。背後から盛大にえづく声と悪態が聞こえたが、それらは無視した。
この時期は暖かい時期と違い袖口にまで返り血が飛ぶことは珍しいものの、かといってまったく汚れないわけでもない。水場で汚れを洗い落とそうと思い立った時、そういえばルネと初めて出逢ったのも今日のような作業をしていた日だと思い出す。
家の人間とはぐれて一人でうろついていたくせに、私のことを見て怪我をしていると勘違いした女の子。その実、自身の方が余程酷い傷を負っているのに、他人である死神の息子を心配した足りない娘。それがルネだった。
一歩一歩、歩むごとにルネの顔が見たくなる。誰かが自分を見て微笑む姿など、彼女に出逢うまで夢ですら見たことがなかった。今日のような日は尚更あの笑顔を見たいと強く願うようになっていた。
しかし、雪を踏みしめて足早に城の裏へと抜ける門を目指していた背に「ダンピエール殿」と、聞き覚えのある声がかけられて足を止める。振り向いた先の植え込みの影から現れた男の姿に、僅かに身体に力が入った。
値踏みをするような陰気な瞳は灰青色。灰色の髪を撫でつけ、鷲鼻に落ち窪んだ目は老いた猛禽類を思わせる……彼女の父親であり、聖女を死神の元へと嫁がせた人非人。
「……お久し振りです、ギレム殿」
口に出してから、そういえばこの陰気な男の家名すら初めて口に出したのだと気付いた。仮にも長女を妻にもらったというのに、血の繋がりなど何と遠くて虚しいことかと嗤いたくなる。
そんなこちらの嘲りを感じたのか、義父は眉をひそめて口を開いた。
「すでに
「前回あのような形でお会いしてからもう一年と三ヶ月ぶりでしたか。本当にお久し振りだ。しかし私の妻をアレ呼ばわりするのは止めて頂けますか。不愉快だ」
「これは異なことを。ダンピエールの家訓では、まだ子を身籠らん女は妻とは呼べぬのではありませんかな」
「お言葉ですが……子が出来にくいのは我が一族の定めかと。幼少の頃より毒に馴染む訓練を受けるために、男女ともに生殖機能が低いので」
丸きり嘘ではないが、本当でもない。しかし出会い頭になんとも不躾な言葉遊びを吹っ掛けられたものだ。すでに吐いた不愉快という言葉だけでは足りない気分になり奥歯を食い縛る。もうこれ以上彼女を貶める言葉を彼女の肉親から聞きたくはなかった。
――だが。
「ならば間を開けずに抱けば良い。幸いどちらもまだ若いのだから毎晩肌を重ねていればすぐにも出来よう。アレの使い道など最早子を孕むこと以外にあるまい」
――不躾すぎる言葉遊びに胸の内側で青い火が揺らめき、大きくなった。
「あまりお言葉がすぎるようなら、義妹の式の日程を調べてご挨拶に参りましょうか? それともこの場で大声で義父上と親しみを込めてお呼びしても?」
「戯れ言を」
「どちらが」
それまでは探り合うようだった私達の空気は、途端に一触即発の空気へと変わる。殺してやりたい。この何の罪も侵していないと大手を振って陽の下を歩く男を。一撃で殺さずに、何度も激痛を味わうように首に斧を振り下ろしてやりたい。
初めて会った日から変わらぬ醜い死顔を、ここで今すぐ引きずり出してやりたいという気持ちが胸の内で渦巻く。残酷過ぎると数代前のダンピエール当主が封じた馬を使った馬走、別名四つ裂き刑と呼ばれる方法をこの男で試したいと思った。
そんな物騒なことをチラとでも考えたこちらの空気を察したのか、相手は不愉快そうな表情を作ったが、その瞳の奥には脅えと侮蔑が浮かぶ。
「ダンピエール殿……あまり陛下をお待たせせぬよう。処刑人の一族としての責任感を持ち、一日も早く次代の血を繋がれよ」
「――ご忠告、痛み入る」
親しみなどまるでない互いの別れの言葉を吐き捨てるようにその場を離れる。白い雪を踏みしめる音とザアザアと怒りで滾る血の音が耳にうるさい。内ポケットの指輪もどきを上着越しになぞれば、まだ人間でいられると自分に暗示をかける。
――『良い出来だ』――
あの言葉を私もいつか我が子に吐くのだろうか。
だとしたら、いったいどんな心で吐くのだろうか。
そうなったとして、彼女は変わらずにあの言葉を言ってくれるだろうか。
その時そんな夢想を嘲笑うかのように、袖口から一滴ホトリと落ちて。白い無垢な雪の上に、赤く小さな花が開いた。
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