★7★ 狂乱の広場にて。
本職のある日は前日から使用人達にその旨を伝え、当日人殺しの雇い主の元に働きに来て気まずい思いをしないように計らってある。それに屋敷を構えてある場所も広場から徒歩で迎えない距離ではない。そのためルネを屋敷から人目につかず連れ出すのは比較的容易だった。
彼女にとって初めての昼間の外出であり、私にとっては仕事である死刑執行の日は、抜けるように高く青い秋空に恵まれた。
処刑台の上から見渡す広場には娯楽に飢えた見物人がひしめき合い、狂気を纏った声を上げて罪人を殺せと叫ぶ。処刑台の真ん中には四肢と腰を折られた血塗れの男が、猿ぐつわを噛まされ血走った目で何事か叫んでいる。だがそれが言葉なのか単なる悲鳴なのか、命乞いなのかは分からなかった。
よほど抵抗をしたのか、単にこちらの手引き通りに刑を執行せずに役人達が特権意識で余計な暴力を振るったのか、本来骨を砕くだけではあり得ない流血ぶりだ。
男の身体は大きな木製の車輪に仰け反らせる形でくくりつけられ、もがくたびに潰れた手足から血が滴り落ちる。それを冷めた目で見つめる私を、くくりつけられた男が一瞬だけ正気と狂気の狭間の視線で睨み付けた。
しかしそんな視線を向けられることなど、呼吸をするのと同じようなものだ。何の感慨もなく見つめ返す先で、男が口の端から血の泡を垂れ流して失神する。痙攣する男に見物人達から罵声が浴びせられかけ、その熱狂は役人が罪状を読み上げる時を遠ざけた。
その間に私は処刑台の上から見物人達を見渡すふりをしながら、ルネを……彼女を置き去りにした辺りに視線をやる。今日は思いのほか“良い席”が取れたのだ。けれど彼女は未だに何が起こっているのか理解していないのか、私の顔が自分の方を向いたことが嬉しいとばかりに微笑みを浮かべた。
仕事中にそれに応えるわけにもいかない。気付かないふりをして視線を逸らしたものの、何故か彼女が今どんな表情をしているのかが気にかかった。兵士達が特に騒がしい見物人達数名を取り押さえたことで、ようやく役人が失神している男の罪状を読み上げる。
この見世物に何度も顔を出している常連などは、罪状を読み上げずとも処刑方だけで罪を割り出せるのだが、そこまで詳しくない者達や、これから何か犯罪に手を染めようとしている者達への抑止力としての意味合いが大きい。
親殺しの罪状が読み上げられ、刑の完了期限は罪人が息絶えるまで。それまではここにこのまま数日放置となること、その間に罪人に慈悲を与えたり逃がそうとした者には厳罰が下ることを広場にいる見物人達に宣言する。
最後に役人がこちらを向き、私に一歩前に出るようにと視線で促す。その要望に応えて一歩踏み出しぐるりと広場を見渡すと、あれだけ賑やかだった周囲はほんの一時だけ熱狂を手離した。
「この刑は処刑人トリスタン・ロベーヌ・ダンピエール監修のもと執行される!」
そう読み上げる役人の声は、ここまでの間に喉に負担をかけすぎてやや割れてはいたが、私が焼印が見えるように心臓の上に右手を乗せて軽く会釈をすると、処刑台のすぐ下にいた見物人達が気味悪そうに後ずさった。
――ルネは、この光景を見ているだろうか。
――彼女は、この名前が呼ばれるのを聞いただろうか。
――あの娘は私を軽蔑してくれただろうか。
――こんな男の妻になるべきではないと理解してくれただろうか。
いつもより心持ち長目にその場に留まり、彼女がいる方角に微かに意識を向けたのだが……信じられないことに、それでもルネはあの蕩けるような微笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
その姿を見て内心絶句する。彼女はよほど手酷く心をやられてしまっているのだろうか。もしもそうであるのなら、戒律の厳しい修道院よりも、救護院を併設した教会預かりの方が良いかもしれない。
今日は名前と処刑方を貸しに来たようなものなので、この後の仕事は役人達任せだ。彼女がまだ望むかどうかは別にしても、約束通り昼間の散歩は出来る。処刑台を降りて裏手に回り、そこでここまでかぶってきていた帽子と上着と手袋を着用し、何食わぬ顔で表の広場の雑踏に紛れ込む。
毎回刑の執行後しばらくは混雑するのでこれで人目を誤魔化せる。見物人達が熱狂するのは日常の鬱憤を忘れられる
それが私の知る普通であり、これからも変わらないことだと思っている。だというのに……人混みに紛れて彼女の待つ広場の角に積まれた木箱群に向かえば、そこでは今か今かと私の到着を待ち構えている彼女の姿があった。
前日から目立たないようにと言い聞かせていたことをしっかり守り、そわそわと身体を揺らしはしても、木箱の上に立ち上がったりはしていないようでホッとする。他の木箱の上ではまだ興奮冷めやらぬ見物人達が騒いでいるが、ルネは足をブラブラとさせながらも、意識は処刑台からすっかりこちらに向いていた。
彼女が座る三つほど積まれた木箱の前に立ち止まれば、細い腕を広げたルネが胸に飛び込んでくる。抱きしめてくる力が思いのほか強く、彼女が何も感じていないわけではないということに気付く。
「――……少し待たせた」
「でも、きてくれたわ」
「待っていてくれと言ったんだ。迎えに来るのは当然だろう。ルネさえ疲れていなければ、約束通り散歩の続きをしよう」
「つかれていないわ。おさんぽ、しましょう?」
そう言うとルネは密着していた身体を離し、黒い手袋をはめた私の右手を握って振った。小さなその手を握り返すことには未だに慣れないが、彼女は開いたままの私の指を、自身の左手で一本ずつ閉じさせていく。
……いつもながら随分強制的な手の繋ぎ方だ。けれど一度そうされてしまえば、手の繋ぎ方を思い出せる。そっと壊さないように握り込めば、小さな手の温もりが手袋越しに伝わってきた。
嬉しそうに微笑む彼女の耳に、これ以上この広場の声を聞かせたくなくて。押し合う見物人達から彼女の身体を庇いながら広場をあとにした。
だが手を繋いで歩き始めてから少しすると、段々と言い様のない支えが喉の奥からせり上がってくる感覚があり、歩みが遅くなる。そんな私の異変に気付いたルネが「どうしたの?」と下から覗き込んでくるも、何故か瑠璃色の瞳を真っ直ぐ見れずに視線を逸らした。
彼女は気付いていないものの、人気のない道を選んで歩いたので周りには誰もいない。どうしても確かめたいことがあったからだ。それは――。
「ルネ、今日あの場に立った私を見てどう思った?」
「うん? あなたがよくみえて、うれしかったわ」
「そういうことではなく、あの場所にいた血塗れの男を……彼をあんな目に合わせたのが私だと言えば、君は怖いかと聞いているんだ」
愚かなことを聞いている自覚はあった。恐ろしくて当然の光景をわざと見せておいて何を馬鹿げた質問をと、自分を恥じる気持ちもある。ただこうでもしないと目の前に立つ彼女は歪んだ“私”の本質を見ようとしない。
いつまでも記憶の中にいる気まぐれで薬を渡した当時の私に囚われ続けている。処刑人一族との結婚は勘違いだったで済むものではない。それをこんな娘に押し付けたギレム家を、私は初めて私心で罰したいと思った。
――それなのに。
「あそこにいたひと、あなたのほかは、みんなこわいわ。あなただけが、こわくなかった」
「それはルネが私に持つ必要のない恩義を感じているからだ」
「むずかしいのはきらい。あなたは、うれしそうじゃなかったもの」
彼女の唇から飛び出したその一言に、思わず逸らしていた視線を戻してしまう。するとその隙をついて伸びてきた小さな手が、私の襟首をグッと掴んだ。
「だって、あのひとは、いたいのでしょう? わたしには、わからないけど。みんなは、しってるはずじゃない」
言葉が上手くまとまらないのがもどかしいのか、それでも懸命に眉根を寄せて自分の言葉を彼女は探している。しかし瑠璃色の双眸に映り込む自分の顔は、こんな時でもやはりいつもの無表情だった。
「ひとがいたいと、うれしいの? みんな、おとうさまみたいね」
そう瑠璃色の瞳を伏せて珍しく溜息をついた彼女の言葉の最後は、どこか投げやりで諦めている風に聞こえた。
「わたしに“いたい”かって、きいたのは、あなただけ。それがうれしいのは、どうしてだめなの?」
その言葉と同時に解かれた襟首の拘束に、今度は私の方が彼女の華奢な身体を抱きしめていた。突き放す必要があったから連れ出したはずなのに、まるで真逆のことをする自分が分からない。
ただこうでもしないとこのまま彼女が消えてしまうような気がして、勝手に身体が動いていた。言葉もなくすがりついてくる彼女から、微かにひきつるような呼吸が聞こえる。
「駄目ではない。ルネが正しい。君だけが……あの場で唯一正しかった」
だからやはり手放さなくてはならないのだという言葉も、今だけは。切り刻んで、意味をなくして、胸の奥底に沈めてしまえばいい。
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