★3★ それは遅れてやってきた。

 極力雇っている通いの使用人達と顔を合わせたくない私は、大抵前日の夕食と翌日の朝食を作っておくように頼んである。口に入って腹を満たせる食事でさえあれば、特に味にはこだわりがなかった。


 毒物の類いは幼少期から少量ずつ取り入れて耐性をつけてあるので、万一使用人に毒を仕込まれていたとしても命を落とす心配は少ない。逆を言えばその料理が旨いか不味いかではなく、毒かそうでないかを見分けるだけの味覚しか持ち合わせていないのだ。

 

 一人で食事を摂るには無駄に広い食堂には椅子は二脚しかない。他の屋敷がどんな風かは知らないが、それでもこの長いテーブルに対して椅子が二脚しかないのは、幼い頃から滑稽だった。この屋敷ではどの時代であろうとも、両親と子供が揃うことはない。


 固くなったパンを冷めたスープに浸して口に運びながら、今日の仕事内容が書かれた書類をテーブルに広げて確認する。


「銀に反応しない毒薬と自白剤、増強剤は王城、避妊薬は貴族家からで……一般からの注文は手術用の麻酔薬か」


 上級貴族達からの避妊薬の注文数は年々増えている。中には常連と言ってもいいような家が複数あった。ダンピエール家は一応貴族の階級は与えられていても、ただの首輪としての称号でしかないうえに、給金も仕事の内容に対して多いとはいえない。


 こうなればもう、殺し続けて生かされ続けることがこの世に生まれ落ちたことへの罰だろう。


 もともと他の代々貴族家である人間達の考えることなど分からないが、ここまで暢気に種をばら蒔く精神構造とはどんなものなのだろうか、とは思う。後々の禍根になると危惧する程度には、避妊薬の注文数からも分かっているというのに。


 だが少々の呆れは残るものの、それを自分が考えたところでどうなることでもないので、次の書類へと視線を移す。そこにはこの先一ヶ月の処刑予定が記されており、その中から一番近い処刑の日程を確認した。


 処刑人一族と言えども、所詮身体は一つ。断頭のように技術を必要としない刑罰には、死刑執行のために専門の役人へと指示を出すのが、ダンピエールの当主たる私の仕事だ。


 役人達は命じられた処刑方法に則って刑を執行するだけの装置であり、民衆や遺族からの恨みや恐れの感情はすべてダンピエール家の人間に戻ってくる。


 長い年月をかけて処刑方と規定を事細かに設けた一族。代々改良すべき部分を書き足し続ける処刑手引き書は、それだけでももう一種の拷問具のごとき重さと分厚さになっている。


 内容としては、致し方のない理由から犯罪に手を染めた罪人の命を苦痛なく奪う方法、あるいはどうしようもない外道が二度と人間に転生する気がなくなるよう、一切の希望を刈り取る苦痛を与えて命を奪う方法などが記されていた。


 ただ自分としては、趣味で書き記している調薬書の手直しの方が好みではある。


「次は二週間後か。罪状は親殺し……車裂きだな」


 親殺しは久々に出た案件だ。拷問に使う鉄棒の方はいいとしても、罪人をくくりつける車輪の方は前回使ってから間が空いている。二週間後に備えて道具の点検を先にしておくように通達をしておくべきだろう。火葬の手配もきちんと確認させなければと思案していたその時――。


 非常に驚くべきことに、来客を告げる呼び鈴が盛大に鳴ったのだ。使用人が誰もいない屋敷内の生活音は皆無であり、常であれば静寂が耳に痛いほどのしんとした空間に、来客用の呼び鈴が立てる音は想像以上に響く。


 当然執事もいないので出迎えは当主である私が出なければならないのだが、来訪者の心当たりなどまったくない……いや、待て、まさか……。


 一瞬だけ脳裏に浮かんだ心当たり。あれは父の喪が明けたばかりだった二週間前。深夜の非常識な時間帯に屋敷を訪ねてきた不愉快な訪問者のことだ。


 早足で向かった玄関ではすでに呼び鈴だけでは我慢出来なくなったのか、豪快なノッカー音まで響いていた。事前連絡もこちらの了承もない状態での朝の訪問。ここまで非常識かつ無礼極まる行いが出来るとは……。前回人目を盗んでコソコソと訪問してきたのは何だったのか。


 ノッカーを叩きつけられて震えているドアを開ける前に、一度落ち着こうと深呼吸をしていると、流石の相手も疲れたのか音が止んだ。


 その隙をついてドアを開け、そこに立っている人物に一言文句を言おうと息を吸い込んだのだが――意を決して開けたドアの先には、誰もいなかった。肩透かしを食らった気分で首を傾げると、下の方から「おおきいひとね」と声がして。


 ゆっくりと視線を下げるとそこには、二日分の旅支度が収まりそうなトランクを持った、見知らぬ若い女性が立っていた。


 瑠璃色の双眸は微笑みの形に細められ、濃い茶色の髪は絹のように滑らか。乳白色の肌にそこだけくっきりと紅を引いたような唇。初めて見る女性であるはずなのに、ふとどこか知っているような気がした。


「――気付かずに失礼した。貴女は?」


「わたし? わたしはルネよ。おとうさまから、あなたへのおてがみ、あずかってきたわ」


 そんな見た目よりもだいぶ幼い受け答えと、独特な歌うような声にまた微妙に何かが胸の奥を引っ掻いた。しかしそれとは別に非常に嫌な予感がする。二週間前に訪れたあの男は、こちらの発言に対して“諦める”とは言わなかった。


 案の定それを裏付けるように、彼女がトランクから取り出して寄越した手紙によって、事態が最悪の方向へと舵を切ったことに気付く。


「非常に言い出しにくいのだが、君から受け取った――、」


「ルネよ」


「……ルネから受け取ったこれは、手紙ではなかった」


「あら、そうなの? でもおとうさまは、てがみだといったわ」


「手紙……と言うか、これは婚姻届だ。君の名前と君の父親の名前がすでに書き込まれている。どういうことだ? 何か聞かされていないのか?」


 尋ねる言葉がやや詰問口調になってしまったが、この場面であれば仕方がないだろう。おまけに彼女の家名は、国の中でも特に金に困っているという噂も聞かない伯爵家のギレム家。


 だとしたらあの晩やってきた男が彼女の父親だったのだろう。本来ならばこんなところに嫁がされるような身分の娘ではない。ルネと名乗った彼女は困ったように眉を下げて「なにも、しらないの」と言った。その答えに溜息をつくと、彼女は「ごめんなさい」と謝ってくる。


 何となく何も知らないという言葉が嘘ではないと感じるのは、彼女の言動や緩慢な動作が“少しだけ人より足りない”と思われたからだ。推測するに彼女は父親からここに棄てられたのだろう……と。 


 ――キュルルルルル。


 突然私の耳に小さくてか弱い腹の虫が鳴く声が聞こえた。音のした方を見やれば、ルネが頬に手をあてている。僅かにだがその頬が赤くなっていた。考えてみればこちらもまだ朝食の途中である。


「どうやら君も空腹なようだ。私も朝食の途中で君にここへ呼び出されたからまだ腹が減っている。だから……ひとまず中へ。何か食べながら話そう」


 人と会話をするのは得意ではない。口をついて出たのもかなり素っ気ない声だったものの、あまり気にせずに彼女の手からトランクを取り上げる。むしろここで帰ると言ってくれることを期待もした。


 けれど彼女は「ありがとう」と嬉しそうに笑う。おかしなことに、どうしたことか私の目にそれは“笑顔”以外の何ものにも見えず、彼女の死顔を欠片も感じ取ることが出来ない事実に頭を掻いた。



◆◆◆注釈◆◆◆


モデルはフランスの処刑人一族と、日本の処刑人一族がモデルです。

処刑方法はフランス式(ギロチン発明前)となっております_¢(・ω・)


※イギリスやドイツはまた立場や方法が違ったりします。

※処刑人で調べものをする際は残酷な描写が多いのでご注意下さい。

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