第72話 発勁
昨晩は精神会館の宿舎に帰ってから、康之助の言い伝通りに加奈さんに報告した後、軽くご飯を食べてシャワーを浴び寝落ちてしまった。
相変わらず朝には、いつの間にかヒナが抱き付いているので、いつも通り口付けをしてからおきる。
これはヒナと決めたルールなのだ。
昨晩の一件は全て康之助さんが片付けてくれた。表向きには半グレ集団同士の抗争という事で、警察とは話がついている様だ。
まあ地元の警察は黒石家のいいなりの様なものなので、何とでも誤魔化す事は出来るのだが。
黒石良樹は、事前に康之助に、次事を起こしたら追放と言い渡されていた事もあり、彼の夢だった総合格闘家への夢は完全に潰えた。
それ以前に街中で猟銃をぶっ放した事や、それまで父親の省吾が握り潰していた悪行が表沙汰になり、実刑は確実だろう。
そして被害者でもあり加害者でもある俺達にはお咎め無しという事で落ち着いた。
康之助さん曰く、「女を守るために戦った奴を罰するつもりはねえ。逆にあそこで戦わない奴は男じゃねえ」と言われた時は嬉しかった。
それにした事といえば、ヒナさんが半グレ共の体毛を毛根ごと焼き尽くしたそれだけ。
唯一、一つだけこの精神会館に居る間は変化する事を禁止された。実質、ペナルティはそれだけである。
この精神会館ですっかりつまはじき者となってしまった俺達。
ちなみにヒナにはファンクラブが出来た様で、俺の嫌われっぷりは一層加速しそうだ……
8月13日。
今日は中国拳法の道場に行く予定だ。
そこでも俺達に好奇の視線が飛び交う……。
中国拳法の師範代は李力燐(25)若くして太極拳を極めたポーカーフェイスの女傑だ。
「私は李力燐、君達の噂は聞いてるね」
「あ、はい。俺は黒石優畄ですよろしくお願いします」
「私は黒石ヒナ、よろしくです」
ここで教える中国拳法は独特な呼吸法を取り入れた実戦重視のもので、覚えておけば後々にいろいろと応用が利きそうだ。
「中国拳法の基本は下半身、上半身は力が抜けて緩み、下半身は力強く実である。これが基本ね」
まず教わったのは站椿功、一つのポーズをとったまま一定時間動かず立つという単純だが奥の深い鍛錬方だ。
足を肩幅に広げて膝を軽く曲げる。そして手を合わせ頭を下げる。この体制で1時間動かずに静止するのだ。
その体制で30分、
(…… ただ動かない鍛錬がこんなにきついなんて)
そして1時間後、ただ同じ体制でいるだけなのにかなりの疲労感だ。能力のおかげで持ってはいるが、並の人だったら倒れているかもしれない。
全身から汗が滴り落ちる俺とヒナ。そしてさらに1時間後、ようやく李さんから終了の声がかかる。
「…… お2人とも站椿功は初めてですよね?」
顔は冷静そのものだが、声のトーンが何故か低い。
「はい。結構疲れるものですね」
「私はまだ出来たよ」
(…… 信じられないアル…… 思わずムキになって時間を延長してしまったアルが、それなのに潰れずにやり通すとは……)
そう、本来は個人の能力を見越して30〜1時間ぐらいで終わる予定の鍛錬なのだが、優畄達が余裕そうなのが気に入らず、勝手に時間を延長したのだ。
それも1時間も……
2人は思ったよりキツかっただ、まだ行けただと呑気に話をしている。
それがさらに彼女のプライドにさわった様だ。
彼女は優畄達が初心者という事も忘れて、彼女が日頃している様な厳しい鍛錬を2人にさせていく。
だがその鍛錬の悉くについてくる2人。しまいには李さんの方が息を荒げる始末……。
周りで見ていた関係者も、何度か注意してやめさせようと動こうとするが、優畄達が根を上げずについて行っているので見守ることにしたようだ。
気付いてみれば時間はもう午後3時。
「ハア、ハア…… よ、よく私の鍛錬についてきましたね…… ハア、ハア、後は貴方たちに…… 発勁という技を教えるのみです……」
もう半分投げやり気味の李さんは、フラフラしながらも康之助にこれだけは教えてやってくれ、と言われていた発勁を2人に教える事にした。
「はい!」
「お願いします!」
優畄とヒナの2人も、彼女が親身になって教えてくれていると勘違いし、返事に気合いが籠る。
発勁とはいわゆるワンインチパンチといわれる、僅か3cmの間さえあれば必殺の打撃とかす中国拳法の奥義の様な技だ。
「……発勁の奥義は、いかに効率よく力を相手の身体に伝えるか、正しいフォームで正しく突きを放つこれに尽きるのです」
基礎の基礎を日々怠ることなく続ける事で身につく正しいフォームによる正拳突きや、ボクシングのパンチのように、下半身で生み出した力を、拳に集約させるような正しいフォームをとることが何より大切なのだ。
早く言えば、ボクシングのストレートも、空手の正拳突きも、 剣道の多段連撃すらも、広義の発勁に含まれる。
「先ず私が見本を見せるので真似てください」
もはや投げやり気味な李さんが見本を見せてくれる。李さんは関係者の方々持つ厚めの板を軽々と割ってみせる。
李さんもここが見せ場と張り切っている様にみえた。
(凄い! 本当に2〜3cm程の距離から板をへし折ったぞ)
漫画で見たことのある技だけに優畄のテンションも上がる。
「まあ見てすぐ出来るようになる訳は無いので、頭の片隅にでも記憶しておいてください」
早く上がりたいのか、完全に投げやりな李さんだったが、「あれ、なんだその技なら私も出来るよ」の
突然のヒナさんのぶっ込みに李さんの目が見開く。
(えっ? ヒナさんなにを……)
「私出来るよ」
「そう言うなら、やってみるアル!(私の20年の修行をナメるなアル!)
ブチ切れて、ついには語尾にアルを付けて話す様になってしまった李さん。
幼少の頃から中国拳法の秘宝、伝説と謳われた祖父に鍛えられてきた李さん、無論恋愛なんぞしている間はなかった…… 彼氏いない歴年齢なのは内緒だ。
これまで武のみに生きてきたのだ、こんな小娘に負けてられないと言う自負がある。
「いいよ〜」
ヒナの少し間の抜けた返事も李さんを苛立たせる。
関係者の人が持つ、李さんが割ったのと同じような板の前にいくヒナ。そしてヒナが李さんの様な発勁で板を割って見せたのだ。
威力も李さんのより明らかに上の様に感じた。
それもヒナさんの発勁は、独自のアレンジが入ったオリジナル。実際に闘気を放出したかの様に、インパクトの瞬間ピカっと光るのだ。
(そ、そんな…… 私の20年が…… アル……………)
茫然自失といった様子の李さん。
「…… き、今日はもう上がっていいアル…… 」
そう言い捨てると李さんはフラフラと道場から出て行ってしまった。
「えっ、李さん?! 俺はまだ教わってな……」
「大丈夫よ。優畄には私が教えるから」
そう言うとにっこりと微笑むヒナ先生。その後俺はヒナ先生にみっちりスパルタの稽古を受け、発勁を使えるようになったのは言うまでもない。
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