第68話 デート
黒石68 デート
ヒナが退いて、今度は俺が黒石兵吾の前に立つ。
彼とヒナの真剣勝負は見ていた。そして黒石兵吾の動きもしっかりと学習させてもらった。
「連戦でも大丈夫ですか? 休むならこちらは待ちますが」
「こっちとら武道をはじめて50年、そんなやわな鍛え方はしとらんよ。ナメるなよ小僧!」
「そうですか……」
この練習試合に審判はいない。どちらかが前に出た時点で始まるのだ。
俺はリミッターを外して本来の6割の力で踏み込む。
兵吾も一瞬驚愕した様に目を見開いていたが、直ぐに優畄に対応する様に動く。
(そのスピードなら娘っ子の方が早かったぞ!)
懐に入った俺はフェイントを交えながらチャンスを狙い、兵吾の周りを周るように動いていく。その間に一切手は出さない。
「手を出さなきゃなんも出来ねえとおもったか?」
よく合気道の達人で、手を触れず気だけで倒すというものがあるが、それはお約束の中でのお話し。
実戦でそんな事は出来はしない。
だが兵吾にとってはほんの1cmで充分、ほんの一触れだけで勢いを利用して俺を投げて見せたのだ。
「グハッ!」
周りの人には優畄が勝手に倒れた様に見えただろう。だが投げられた本人には分かっていた。
(凄いな…… ほんの一瞬、ほんの少し触れられただけでこの威力か)
相手の力を利用して打ち、投げる合気道の技術と、彼特有の能力【絶対空間】が可能にする技なのだ。
この【絶対空間】は兵吾から50cm四方と距離は短いが、その空間内でのあらゆる動きを補助し、最適な角度と速さで体が反応する様になる。彼にとってはまさに絶対領域。
俺は倒された勢いを利用して、追撃を避ける様に距離を取りつつ立ち上がる。
(まさか2人連続でワシに能力を使わせるとはな、フフフまったくもって血が騒ぐわい)
兵吾はひらりと飛び跳ねて優畄から距離を取るとその場に胡座をかいて座ってしまった。
「おい小僧! 主等の強さは分かった。ワシから教える事はもう何もない。これで切り上げて遊びに行っても構わんぞ」
「えっ?! (もう終わり?!)
兵吾からのまさかの終了宣言に拍子抜けな優畄。
「なんだ、みなまで言わにゃあ分からんか、これ以上お前達とやり合って負けるのが嫌だからもう主等とは戦わん!」
「し、師匠!?」
「師範代そ、その様なことは……」
周りのお弟子さんや関係者があたふたと騒ぎ出すが、知った事かと兵吾は立ち上がると道場を去っていく。
そして最後に俺達に向き直ると一言だけ、俺たちにアドバイスをくれた。
「小僧、主等に最後にアドバイスをしてやる。いいか黒石の力には溺れるな。それだけじゃ」
そう言い残し黒石兵吾は去って行った。
俺とヒナは顔を見合わせると、気まずそうに笑い合う。
今はまだ兵吾の言った言葉の意味を分からない2人だが、後にその意味を理解する事になる。今は知る由もない近い未来の出来事だ。
合気道の道場からやってられんとばかりに頭を振りながら兵吾は出てくる。
「よお爺ちゃん、もお帰るのか?」
「康之助か、またデタラメな奴等を連れてきおって……」
兵吾の性格から、優畄達と兵吾が戦うと予想して見に来ていたのだ。
「俺が呼んだわけじゃない、本家からの依頼だ」
「ワシとしては、もうちっと相手をしていたかったがな、どんどん強くなる彼奴らを見ているのは楽しい」
「フフッ、ありがとうな。あの2人にはこの後、息抜きでもしてもらうさ」
康之助の2人を思っての言葉の裏を読み、一瞬目付きが鋭く厳しくなる兵吾。
「本家の連中相当焦っている様じゃな」
「……なんの事だ」
兵吾は深くため息を吐くと康之助を見据える。
「あの坊主が新しい器候補なんじゃろ? 40年前から何も変わっとらんな。いや、それ以前から、何百年も前から、あんなおぞましき行為を続けてきとるんじゃ彼奴らは……」
「…… 」
元当主候補でもあった康之助は目を閉じて何かを思うのか、それを口に出す事はなかった。
「あの坊主達ならまだ間に合う。せめて本家の連中の手の届かぬ所において守ってやりたいが……」
兵吾は道場の方を振り向き先程まで戦っていた2人の事を思う。
「…… 心当たりはあるんだがな、今は時期じゃない。その時が来れば導いてやるつもりだが……」
「さしもの貴様も本家と事を構えるのは怖いと見える。10年前の出来事をまだ引きずっとるのか?」
内心を探る様に康之助の目を見据える兵吾。
「忘れようとは努力しているんだがな……」
「忘れようたって忘れられる訳がねえ、自分の分身を失ったんだからな」
「……」
「あの坊主達には同じ悲劇を繰り返させるな。そのためならこのワシの安い命も使ってくれて構わんよ」
ニカっと笑うと兵吾は昼間から酒でも飲みに行くのか、足早に繁華街の方へ消えて行った。
「……爺ちゃん、力だけではどうしようもない事だってあるんだぜ……。あの闇を知ってしまっては、逆らう気力なんて無くなるんだ。あの漆黒の闇を知ってしまっては……」
一瞬まるで子供の様に怯えた顔を見せた康之助、そして我にかえると足早にその場を後にした。
黒石兵吾からお墨付きを貰った俺達は、技の確認と道場の人達への挨拶だけ済ませると、まだ午前中という事もありどうしようか迷っていた。
するとそこに加奈さんが、康之助さんからの伝言を伝えにやって来た。
「はいこれ」
「えっ、なんですかこれ?」
加奈さんが俺に2万円の入った封筒を渡してくる。
「康之助さんからの伝言、町にでも行って2人で楽しんで来いだって」
「えっ?」
「だから、2人でもデートに行って来いて事よ」
思いがけずヒナと2人でデートに行く事になってしまった。
シャワーを浴びたら、精神会館から支給してもらった柔道着からお出掛け用の服に着替える。
ヒナはピッチピッチのジーンズにTシャツというシンプルな服装だ。シンプルだからこそヒナさんの引き締まった、モデル体型が際立って眩しい。
(引き締まっているのに出る所は出ていて、ヒナさん素敵っス!)
資金の2万円を手に町での予定を考える。
「ヒナは行きたい所ある?」
「私ラーメンていうの食べたい」
ヒナはカップラーメンしか食べたことがないため、本当のラーメンが食べたかったのだ。
「よし、じゃあラーメンを食べに行こう」
「おう〜!」
これから行くラーメン屋は加奈さんに聞いて決めてある。魚介類の貝類から出汁を取った塩ラーメン。
ラーメン初めてのヒナには最初はアッサリ系で行こうと思ったのだ。
「塩ラーメンか、楽しみだな〜」
俺と手を繋ぎながら歩くヒナは本当に楽しそうだ。
(ヒナ、嬉しそうで良かった。少しでも息抜きになればいいけど。)
俺達にこんな日が来るなんて、こんな日がいつまでも続いてくれでばいい。そんな事を思い俺は、ヒナの手の温もりを感じながら歩くのだ。
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