第9話 謎解きの糸

 ななみに案内されて、やって来たのは青い服の鑑識係が五人。鍵ら全員に離れから出るよう促し、豊楽も四界の部屋から追い出された。離れの入り口脇には制服警官が立ち、渡り廊下には刑事四人が待ち構えている。昼間会った市警の数坂に、隣の小さいのは多登キラリ、その横のやたらデカいのは……鍵は目を丸くした。相手も驚いて声を上げる。


「あっ、首吊り屋。何してんだ、おまえ」


 県警捜査一課の原樹である。ならば残る一人は。


「先輩ーっ!」


 笹桑ゆかりが抱きついたのは。


「どういう事だ。何故ここにいる」


 金髪の築根麻耶が、呆れ顔で立っていた。鍵は困ったように、ため息をつく。


「こっちのセリフですよ。何でここにいるんですか」


 しかし築根は返事をせず、数坂とキラリに向いた。


「では、手分けをして事情を聞きましょうか」

「了解しました」


 数坂はうなずき、豊楽たちに向かって軽く両手を上げた。


「はい、ちょっと寒いところ申し訳ないですが、簡単に話を聞かせてください」


 数坂とキラリ、そして原樹が別れて事情聴取を始める。築根は鍵をアゴで促した。


「ちょっと来い」


 鍵と笹桑を少し離れた場所に連れて行き、築根麻耶は腕を組んで小声で話し始める。


「我々がここに来た理由は、だいたいわかるな」


 いささか面倒臭そうな顔でうなずく探偵。


「国田満夫さんの件ですか」

「そうだ、国田満夫と同じ死に方の死体が出たと県警に報告が上がった。だから市警に頼んで捜査に参加させてもらってたんだ。そこにまた同じ死に方の死体が出た」


「ただの自殺なんでしょう?」


 厄介事は御免だと言わんばかりの鍵を、築根は鋭い目で見つめる。


「本当にただの自殺なら、おまえの出番じゃないのか」


 鍵は横を向いて、またため息を繰り返した。


「祈部三太郎さんは遺書を書いてるじゃないですか」

「誰が書いたか、わからない遺書をな」


 横顔を貫かんばかりの築根の視線。笹桑が、ぷっと噴き出す。


「鍵さんと同じ事言ってるっすね」


 それを横目でにらみつける鍵に、築根はこう続けた。


「そして国田満夫は遺書を書いていない」


 勘弁してくださいよ、と探偵の横顔が語る。


「自殺する人が全員、遺書を書く訳じゃないですよね」

「ならば遺書を書いたからといって、すべて自殺とは限らない」


「国田さんが自殺だって言ったのは、私じゃないですよ」

「そうだ、県警は状況的に国田は自殺だと判断した」


「それが気に入らないと」


 明確な返答はない。築根はしばし沈黙した後、誰かに言い聞かせるようにつぶやいた。


「現場に争った跡はなかった。首に刺さっていたタコ焼きピックは国田が買った物だし、国田の指紋が検出されている」

「タコ焼きピックが国田さんの物って、間違いないんですか」


 いつの間にか、鍵の右手の指先が細かく動いている。


「間違いない。財布にレシートがあったし、部屋にはメモも残っていた。道具屋の店員も明言はできなかったが、国田らしき男にタコ焼きピックの場所をたずねられたと証言している」


 一つ一つ間違いのないように思い出しながら、築根は話した。捜査上の秘密の暴露であったが、いまはそれどころではないと視線が告げている。鍵は不満げなため息をついた。


「……気に入りませんね」

「何が気に入らない」


「国田さんの家にタコ焼き器はあったんですか」

「ホットプレートには、タコ焼き用プレートがセットされていたが」


「タコ焼き器があるのにピックだけ買いに行ったのは、何か気持ち悪いでしょう」

「だがタコ焼きは箸や竹串でもできるからな。心境の変化という可能性もあるかも知れない」


「それよりも何よりも」


 鍵の右手の指先が大きく動いた。


「何でメモがあるんです」


 築根はポカンと口を開けた。意味がわからないという風に。笹桑も「そこ?」という顔をしている。鍵の右手の指は、まるでオーケストラの指揮でもしているかの如く、ブンブンと振り回されていた。


「そのメモは、買い物用のメモじゃないんですか」

「そうだ。メモの内容はレシートと合致している」


「じゃ、何で買い物に持って行かなかったんです。服のポケットか財布の中、もしくはゴミ箱の中にでもあったなら話はわかりますが、部屋に買い物メモが残ってる意味がわからない」


「ああ、それはわかっている。大きさだ」


 拍子抜けしたのか、築根は苦笑した。


「メモと言っても、A2サイズのカレンダーを四つ切りにした裏をメモに使っていたんだ。そんな大きさの紙を買い物には持って行かないだろう」

「A4はちょっと大きいかもっすね」


 笹桑はうなずいているが、鍵は首を振る。


「じゃ、何のためにそこに書いたんですか」

「それは……」


 女刑事は言い淀んだ。何のため? 鍵は大きく息を吐き出した。


「それはつまり、誰かに言われたから書き留めた、って事じゃないんですか」


 築根の目が見開かれ、笹桑の目が丸くなる。


「誰にだ」

「やっぱりそれって」


「それを調べるのは警察の仕事ですよね」


 鍵は念を押すようにそう言った。


「そうだな……まずは通話記録か」


 築根は考え込む。やっと話が通じたという顔でため息をついた鍵だったが、不意に「あ」と小さな声を出した。


「どうした」


 顔を上げた築根に、しかし探偵は自分の頭の中に意識を向けてつぶやく。


「そうか。電話である必要はない訳だ」

「どういう事だ」


「国田さんは盗聴してたんですか」


 そこまで話すのは躊躇われたのか、一瞬間を空けたものの、結局築根はうなずいた。


「国田の部屋には受信機があった」

「ほらやっぱり」


 嬉しそうな笹桑を余所に、鍵は築根をのぞき込むように見つめた。


「馬雲千香さんの部屋を盗聴していた?」


 女刑事は一瞬、キラリに事情聴取を受ける馬雲千香へと目をやったが、すぐに目をそらして首を振る。


「いや、馬雲千香の部屋を盗聴していた形跡はなかった」

「なかった、ですか」


 今度は鍵が考え込んだ。


「国田さんが死んだ当日、近隣の防犯カメラに彼女が映っていたりは」


 築根はまた首を振る。


「そこまでは調べていない。国田のマンションには防犯カメラがないし、周辺の防犯カメラの情報の開示には、照会書を出す必要がある。自殺と判断した件で出せるかどうか」


「そうですね、だいたい国田さんと馬雲千香さんのマンションは、直線距離で二百メートルも離れていない訳ですし。近所を通ったからって不自然とは言えないか」


 そう話す鍵に、築根は興味深げな視線を向けた。


「そこまで馬雲千香を疑うのには、何か根拠があるのか。それとも探偵の勘か」


 その問いに、探偵は苦々しげな笑みを浮かべた。


「依頼人は嘘をつく。この業界の常識です。でも、ただ嘘をついてるだけじゃ意味がない。嘘というのは本当の事に紛れ込ませるから意味を持つものでしょう。国田さんの言葉の中にも真実はあるんです。私は依頼人を信用してるだけですよ」




「とりあえず、今夜どこで何をしていたか、簡単に教えて頂けますか」


 背の低い女刑事が、業務用の笑顔でメモ帳を片手に問いかけた。千香は僕を守るように前に立ちはだかり、相手をにらみつけている。


「いずるは、ずっと私と一緒にいました。それでいいでしょう」

「そうなんですか。では、他にどなたかと一緒ではありませんでしたか」


「私の言う事が信用できないと?」

「いえ、信用するとかしないとかではなく、証言としての確度の高さに関わりますので」


 女刑事の見た目は子供のようだが、それなりに経験値はあるのだろう、千香の剣幕にも動じない。それが気に入らないのか、千香の口調はどんどんトゲトゲしくなる。


「嘘なんてついていません。これっぽっちも、毛の先ほどもです。わかりませんか」


 それじゃダメだよ。


 僕がそう言うと、千香は口をつぐみ、哀しげな犬のような顔でこちらを見つめる。それがおかしくて笑いそうになってしまったのだけれど、何とか我慢して僕は続けた。


 嘘をついているかどうかはどうでもいいんだ。極端な話、嘘でもいいから証拠能力の高い証言をしてほしいんだよ、刑事さんは。


「さすがに嘘は困りますけど、理屈としてはそうなりますね」


 小さな女刑事は笑顔でうなずいた。


 僕は今夜の出来事を思い出して口にした。


 まず夕方六時半ごろ。ななみさんが風呂が沸いたと知らせに来てくれたので、僕と千香はそれぞれ男湯と女湯に入りました。ええ、温泉みたいですよね。ここのお風呂は広いんですよ。七時過ぎに風呂を上がると、夕食の用意がしてあったので食事をして、八時ごろかな、ななみさんが食器を下げに来たので渡しました。そのとき、戸女さんも廊下を通ったから覚えているんじゃないですかね。


「八時以降は、何かありましたか」


 女刑事は、熱心にメモを取っている。僕はしばし間を取って、ちょっともったいぶった。


 そうですね、あ、九時前に霜松先生が挨拶に来てくれました。そこから十分か十五分ほど話したかも知れません。


「よろしければ、どんな話をしたか聞かせて頂けますか」


 世間話もしましたけど、主に三太郎さんの話です。自殺するなんて予想外でしたから。


 などと言ってみたところ、メモを取る手が止まった。


「……三太郎さんの自殺は、そんなに予想外でしたか」


 探るような目で、こちらを見つめる。僕はうなずいた。


 そりゃあそうでしょう。あの人をよく知ってるなら、普通自殺するとは思いませんよ。


「でも、実際に亡くなってしまった」


 ええ、人間は意外な行動を取るものですね。


 僕がそう答えると、女刑事はしばらく何かを考えていたが、不意に顔を上げて微笑んだ。


「それ以降は、何もありませんでしたか」


 何も。ここは何もないところですから、すぐに寝る用意をして床につきました。


 それを聞くと、相手は千香に顔を向けた。


「他に何か気付いた点はありますか」

「ありません。いずるの言った事で全部です」


 千香は強く言い切る。女刑事はちょっと苦笑すると、頭を下げた。


「ご協力、感謝いたします」




 警察案件から逃げ回ってたのに、見事に警察案件にとっ捕まったな。まあ自業自得だ、諦めろ。


 さて、ここで話を整理してみよう。この祈部邸で死んだのは二人、祈部三太郎と祈部四界だ。昨夜のうちに三太郎が、そして今夜四界が死んだ。三太郎も四界も首の後ろに凶器を突き刺して死亡している。三太郎は遺書を残し、四界は遺書を残していない。


 問題は、この二人の死と国田満夫の死が関連しているのかどうか。死に方は同じに思える。現場に争った形跡がない点も同様だ。もし仮にこの三件が殺人なら、手口は非常に似通っていると言える。同一犯の可能性もあるかも知れない。


 ただしこの場合、三太郎の事件だけが二つの意味で特異性を持つ。一つは遺書の存在。もう一つは馬雲千香が関わった形跡がない事だ。国田の事件は馬雲千香が最大の容疑者だし、四界の死んだときには馬雲千香は祈部邸内にいた。だが、三太郎の事件には彼女との接点が見られない。これは何を意味するのか。


 とりあえず推理の取っかかりはこの辺りだろう。健闘を祈る。嫌味じゃないぞ。 JC




 四界の遺体は、その夜のうちに警察に引き取られた。司法解剖に回されるのだ。部屋にはPCも筆記用具もあったが、遺書は見つかっていない。


 翌日には三太郎の遺体が戻ってくるはずだったが、こちらも急遽司法解剖に回される事になった。さて困った。司法解剖となると、遺体がいつ戻ってくるかわからない。それまで通夜も葬儀もできないのだ。翌朝の祈部の家には、何とも言いようのない空気が漂っていた。


 しかも三太郎と四界の部屋には、刑事が早朝から詰めかけている。家の者は食事も喉を通らない。もっとも笹桑は平然と飯を食い、鍵も茶碗を空にした。目玉焼きをコショウで真っ黒にしながら。存外神経が太いのだろう。


 とは言うものの、四界の部屋の捜査をしている刑事の誰かが、いつも六道の部屋の前に立っているし、当然四界と三太郎の部屋には入れないしで、鍵は事実上身動きが取れない。やる事がないので一旦事務所に戻ってもいいか霜松市松に確認したのだが、普段は無表情な顔に、見るからに不満げな様子を浮かべられたので諦めた。もう前金は受け取っているのだ、ここは納得しよう、と。


 そうなると食事以外の時間は、笹桑と一緒に部屋に籠もるしかない。手持ち無沙汰でもあり、どうしても考えてしまうのが三太郎と四界の、そして国田満夫の死。自殺の可能性が消えた訳ではないが、もし仮に、この三件の死が他殺だとしたら。


 国田を殺したのは馬雲千香だろう。事務所で聞いた国田の言葉が本当なら、馬雲千香には殺す動機がある。ストーカーを何とかしたかったのだ。おそらく国田の部屋のメモは、盗聴器を通じて馬雲千香から受けた指示を書き留めたもの。国田にタコ焼きピックを買わせた上で、それを使って国田の首を刺して殺す。部屋を出入りするところを誰かに見られれば一発でアウトだが、目撃者がいなければ知らぬ存ぜぬで押し通せると踏んだのではないか。ただし。


 国田の部屋には、馬雲千香を盗聴していた形跡が残っていなかった。殺した後に受信機を持ち去ったのだろうか。馬雲千香の部屋にも盗聴器はなかったが、多少でも電気工事の知識があれば、コンセントなど簡単に交換できる。しかし、だ。


 ならば三太郎はどうやって殺したというのか。三太郎が死んだとき、まだ馬雲千香は祈部邸には来ていなかった。無論、皆が寝静まった夜中に忍び込む事は絶対に不可能という訳ではなかろう。そして一旦外に出て、何食わぬ顔で昼間に訪れる事も。だが動機は。三太郎が死んで、馬雲千香に何の得がある。


 まして続けざまに四界を殺すメリットは何だ。四界が死んだとき、馬雲千香はここにいた。当然、容疑者になる。三太郎のときとは状況がまるで違う。それでも殺さなければならない理由があったとでもいうのか。


 鍵は大きく息を吸い込んだ。


 考え方を変えてみよう。四界と三太郎は同じ家の中で、続けざまに殺された。この二人が死んで得をするのは誰だ。まず挙がるのが九南だろう。二人が、いや六道も含めた三人がいなくなれば、祈部の家の後継者となるのは確実だ。すべての富を独占できる。とは言え。


 そう、九南には国田を殺す理由がない。


 鍵は息をゆっくり吐き出す。そのとき頭の中の歯車が、カチャリと回ったような気がした。


 分ければいいんだ。国田は馬雲千香が殺した。三太郎と四界は九南が殺した。これで話は丸く収まる。収まるのだが。鍵の眉間に皺が寄る。その馬雲千香と祈部九南が、何故いま同じ屋根の下にいるんだ。偶然か? 馬鹿な。そんな偶然などある訳がなかろう。


 これは間違いなく必然だ。作為だ。何者かの何らかの意図の下に、この二人がここにいる。国田と三太郎と四界の死に方が同じように見えるのも、誰かの意図が働いているはずだ。いったい誰の意図だ。この三人が死んで得をするのは誰だ。


 自分ではないのか。


 確かにこの三人が死んでも、自分には、鍵蔵人にはメリットがない。だがもう一人の自分にもメリットがないと言い切れるだろうか。少なくとも、現段階で三人すべてと接点を持つのは自分か……もしくは笹桑だ。


 笹桑が犯人? いや、待て。国田と三太郎の場合はともかく、四界の死亡推定時刻は午後九時から十時の間のはず。そのとき笹桑は自分と一緒にいた。記憶はある。ならばつまり、笹桑は少なくとも四界殺しの犯人ではない。そして自分も。


 足りない。情報が全然足りない。けれど何の情報を得れば、絡まった糸のすべてが解けるのだろう。鍵にはまるで見当がつかなかった。


「やっぱり事件の事、考えてるっすね」


 気持ちも知らず、笹桑が楽しげに声をかける。探偵はムッとした顔でつぶやいた。


「余計なお世話です」

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