第2話 変わった名前

 国田と尾上が事務所を出て行くと、鍵蔵人はキッチンに立った。笛つきのヤカンに水を入れ、ガスコンロにかける。そして手にするカップ麺。


「まーたカップ麺すか。身体壊れるっすよ」

「いいんですよ、放っといてください」


「て言うか、外で朝ご飯食べてこなかったんすか」

「それどころじゃなかったんでね」


 昨夜女子中学生を助けたおかげで、夜通し警察の取り調べを受けていたとは口が裂けても言わない。まして自分にその記憶がないなどとは。この笹桑にそんな事を知られたら、どんな素っ頓狂な事を言い出すか知れたものではないからだ。


「……て言うか、笹桑さん何でここにいるんですか」

「いやっすねえ、帰らない理由なんて女の子に言わせないでくださいよ」


「真面目な話、帰って欲しいんですけど」

「大丈夫っすよ、襲いかかったりしませんから。それよりどう思うっすか、さっきの件」


 興味津々な表情は本業の顔をのぞかせる。笹桑ゆかりは週刊紙の事件記者である。長い手足に細い腰、鼻のソバカスにも愛嬌があるし、芸能人にでもなれば良かったのにと鍵は思うのだが、本人はそちら方面に興味がないらしい。もっとも、事件記者の方もそれほど熱心とは言えず、もっぱら人脈作りに忙しいようだ。


 まだ少し鼻がムズムズする。鍵は一昨日から少し風邪気味であった。昨日は仕事も用事もなかったし、早めに寝たらあの始末。まったく面倒な。そう思いながらガスの青い炎を見つめる。


「ねーえ、鍵さーん」


 笹桑の声を無視していると、ヤカンの笛が鳴った。鍵は火を止め、蓋を開けてあった超激辛担々麺に熱湯を流し込む。閉じた蓋の上に液体スープの袋を乗せて、箸と一緒にソファ前のコーヒーテーブルまで運んだ。


 眉を寄せた笹桑の、異界の生物を見るかの如き視線。


「朝からこれ食べるんすか」

「ええ、目が覚めるんですよ」


「いやいやいや、これ食べたことあるっすけど、唐辛子の辛さ以外に何の味もしないっすよね」

「そうですか? ダシが効いてて美味しいと思いますけど」


 信じられないという顔の笹桑ゆかりを横目に、鍵はカップの蓋を外した。


「あれ、もう三分経ちました?」

「この麺は二分がベストなんです」


 そして液体スープの袋の端を切り、真っ赤でドロドロなスープを麺の上にかぶせると、箸で底から持ち上げるようにして混ぜる。漂う濃厚な唐辛子のニオイに、笹桑は鼻を押さえた。


「結論としては、たいした事件じゃないと思います」


 鍵はそう言って超激辛担々麺の一口目をすすり、一方の笹桑は苦しげに、しかし好奇心には勝てないのか身を乗り出してたずねる。


「どの辺がたいした事件じゃないんすか。結構凄い事件だと思うんすけど」


 鍵は内ポケットから取り出したコショウの瓶の蓋を開けると、真っ赤なスープにドバドバと放り込んだ。


「ただの警察案件ですよ」


 そしてカップを持ち上げて、スープを一口飲む。その口元に満足そうな笑みが浮かんだ。これなら風邪も吹き飛びそうだ。


「彼らの言う事が事実なら、彼らの言葉に嘘がないなら、警察に通報すれば済む話です。そうすれば事件も解決してくれますし、身の安全も保証してくれます」


 身の安全という言葉に、笹桑が反応する。


「つまり国田さんが危険って事っすか」

「あの話が全部本当なら、たぶんそうでしょうね」


 全部本当なら、を強調してそう言うと、鍵は赤黒くなった超激辛担々麺を一心不乱にすすった。


「誰が国田さんを狙うんすか。やっぱり馬雲千香?」


 笹桑ゆかりは鍵の顔をのぞき込むが、相手の視線はカップの内側にしか向けられない。


「さあ、そこまではわかりませんけど、おそらくはその辺でしょう」

「わかってたなら言ってあげれば良かったのに」


「じゃあ笹桑さんが言ってあげてください。私は通り一遍の調査をして、報告書に書いておきますので」

「えーっ、引き受けてくれたじゃないっすか」


「そりゃ商売ですから引き受けますよ。でも私は警察案件、それも殺人事件になんてまるで興味がないんです。当たり所を間違えましたね」


 そして鍵は、すっかり空になったカップをテーブルに置いた。


「ところで笹桑さん、聞いてもいいですか」


 ようやく顔を向けた鍵に、笹桑はふくれっ面を見せている。


「何すか、安全日なら教えてあげてもいいっすけど」

「いや要らないです。それよりさっきの二人、彼らはどういう関係なんですか。友達というには年齢が離れているように思えましたけど」


「友達っすよ。同好の士とも言いますけど」


 不満げな笹桑の言葉に、久しぶりに聞く言い回しだな、と鍵は思った。


「趣味仲間か何かですか」

「そうっすね。悲惨な交通事故とか殺人事件の現場に」


「……は?」

「花を供えて手を合わせて、マスコミの取材に答える人っているじゃないすか」


「ああ、いますね」

「アレを趣味でやってるグループがあるんすよ。尾上君はそのリーダーで、国田さんはメンバーなんす」


 さすがの鍵も呆気に取られた。職業柄いろんな趣味の人間を知っているが、これは初めてだ。何ともまあ素敵な趣味があったものである。


「つまりアレですか。あなた方は事件現場で知り合ったと」

「そうそう、現場で三回くらい連続で顔合わせて、これはもしや、と思って声かけたらビンゴで。ちょっとした人脈っしょ」


 笹桑は何故か鼻高々である。


「あの国田さんも、しょっちゅう現場に来てるんですか」


 鍵の問いに笹桑は首を振った。


「いや、国田さんは一回しか見た事ないっす。尾上君ほど現場好きじゃないみたいで」


 まあそれはそうだろう。何せストーカーが本業なのだ、趣味だけにかまけている訳にも行くまい。


「で、どうっすか」


 と、笹桑がたずねる。


「何がですか」

「何がじゃないっすよ。やっぱりこれ相当面白い事件だと思うんすけど。鍵さんも興味湧いてきたんすよね。謎が謎を呼ばないっすか」


 ワクワクした顔を笹桑が近付ける。本当にコロコロ表情が変わるな、鍵は苦笑した。


「やっぱり面白くはないですね。殺人事件ですし」

「何言ってんすか、難解な殺人事件を華麗に解決してこその私立探偵っしょ」


 これは何とも酷い偏見だなとは思ったが、口にするのはやめておいた。


「依頼人は嘘をつく。この業界の常識です。尾上さんはともかく、国田さんはおそらく全部を話してはいないですよ。全部話していないから、謎があるように見えるんです。そんな状況で謎解きもへったくれもありません。笹桑さんの言う面白い事件なんてのは、所詮そんなもんです」


「えー、そこを何とかするのが名探偵じゃないっすか」

「だったらベーカー街にでも行けばいいでしょう。私の手には余ります」


 鍵はコショウの瓶を内ポケットに戻すと、カップと箸とを手に立ち上がった。カップをゴミ箱に捨て箸を洗い、コップ一杯の水を飲む。特にこれといって何もひらめきはしなかった。




 馬雲千香の簡単なプロフィールは、ネットですぐに見つかった。二十五歳、独身、血液型はO型。職業はバイオリニスト。技術的な評価はそこそこだが外見の評価は高く、メディアに何度か取り上げられていた。だが、どちらにせよ一流というほどではない。やはり一流どころはこんな地方都市ではなく、都内に暮らすもんじゃないのか。芸能界には疎い鍵だが、そういうイメージがあった。


 さすがに住所は出て来ないものの、これは国田の情報がある。マンション名で検索してみると賃貸の情報はない。それなりに人気の分譲マンションか。オートロック。ペット可。ストーカーも可なのだろうか。そんな事を思いながら情報を漁る。駅近。ショッピングモールや学校も近い。マンションの情報から見える事はたいしてない。ただ、コンセントに埃が溜まってショートするくらいだ、昨日今日住み始めた訳でもなかろう。


 鍵は酷く苦いコーヒーを一口飲んだ。いま二十五歳。マンションを購入したのは何歳だろう。その資金はどこから出たのか。親が金持ちなのか、それとも。


 そこで一つため息をつく。まあ何にせよ情報は必要だ。行うのは通り一遍の合法的な調査だけであっても、調査報告書は書かねばならない。報告書なしに請求書は出せないのだから。鍵蔵人の意識はネットの中を徘徊した。




◇ ◇ ◇




「六道の行方がわからんのだ、市松」

 広い座敷の一番奥、床の間を背負う一段高くなった場所に座る祈部いのりべほうらくに、しもまついちまつは無表情な顔を向けた。息子の祈部六道は四十もとうに過ぎた、いい歳をした大人だ。普通に考えても一日二日姿が見えないくらいで騒ぐ事はない。八十三年も人間をやって来た豊楽に、その道理がわからないはずもあるまい。ましてや、行方がわからないなど有り得ないのだ。豊楽は六道の行方を知っている。間違いなく。


 しかし白髪交じりの霜松市松は、そんな思いを顔にも口にも出さない。すると豊楽は照れくさそうに、小さく苦笑いを浮かべてこう続けた。


「かと言って、アレの事で警察を頼る訳にも行かん。誰ぞ捜してくれる者はおらんだろうか。おまえは顔が広かろう、心当たりはないか」


 チャンスと言えた。豊楽が何を企んでいるのかは知らないが、これは絶好の機会である。霜松市松は口元に浮かびそうになる笑みを懸命にこらえ、無表情を装って答えた。


「……私立探偵でよろしければ」




「違う……違う」


 十畳はあるだろう広い和室。しかし、これでもこの家では狭い方だ。高い天井に浮き上がる木目は人の顔のよう。いくら暖房を入れても部屋が暖まらないのは、物理的な理由だけではないのではないか。少女はいつもそんな事を思う。


「これも違う」


 部屋の真ん中に敷かれた布団。寝間着に半纏はんてん姿でそこに寝転ぶ少女は、日がな一日ずっと枕元のノートPCに触れていた。液晶画面に映るブラウザには、画像検索の結果。その大半のサムネイルには、ドクロの顔に大きな鎌を持つ者の姿が。


「やっぱり違う」


 インターネットの情報量は膨大だ。だが自分の求めている情報が必ずその中にあるとは限らない。少女はずっと探していた。検索ワードを変えながら、何度も何度も試していた。けれど、それは見つからない。


「やっぱりないのかな」


 少女は諦めかけていた。このインターネットの画像の中には、の姿は存在していないのではないかと。




◇ ◇ ◇




 警察案件の何が不服だ。確かに警察案件は通報すれば警察の仕事だが、通報以前に解決してはならんという法律はない。時間をかけずに解決できるのなら、すべての謎を解いてから通報しても別に問題はなかろう。まして依頼者がいて商売になるのなら、積極的に依頼を受けるべきじゃないか。


 おまえ、いつまで自殺ばかり追いかけるつもりなんだ。そんな事だから警察や同業者から「首吊り屋」なんて言われるんだろうに。いい加減、現実を見ろ。生きる事に向き合え。おまえがコショウを手放せない理由がわかってるか。それは単なる摂食障害じゃない。遠回しな自殺願望だ。


 おまえが一人で死ぬのなら別に構わないが、道連れにされる身にもなれ。どんなに苦しかろうが嫌だろうが、生きていてもらわないと困るんだよ。とにかく仕事を受けろ。警察案件をどんどん受けろ。金を稼いで飯を食え。とりあえず、コショウのかかっていない飯をな。 JC




◇ ◇ ◇




 霜松市松。鍵は名刺を二度見した。職業は医師だという。変わった名前だ。普通は苗字と同じ字を下の名前には使わないものだろう。パッと思いつくのは吉備真備か小野小町くらいか、などと思っていると。


「変な名前だと思いますか」

「いえ、それほどでも」


 目の前のソファに座る分厚い眼鏡の六十がらみの男に、鍵は営業スマイルを浮かべた。それほどでも、はおかしいかなと思いながら。一方、霜松市松はコーヒーテーブルに置かれた鍵の名刺を見やりながら、無表情につぶやく。


「実際のところ、自分でも変な名前だとは思いますよ。うちの父親は変わった男でしてね、他人のやらない事ばかりやりたがる。そして失敗して痛い目を見る、その繰り返しでした。そんな親がつけた名前ですから、変なのは仕方ない」


「はあ」


 話が見えない。日曜日の朝一番からアポなしのいきなりの来訪者。この男はいったい何の用で、この事務所までやって来たというのだろう。まさか親の愚痴をこぼしに来た訳でもあるまいに。そう訝る鍵に顔を向け、霜松市松はこう切り出した。


「鍵……くろうどさん」


 探偵の顔が僅かに引きつった。


「くらんど、です」

「ああ、失敬。それはともかく、あなたが首を突っ込む事件は、自殺絡みばかりとうかがっております。何かこだわりがあっての事なのでしょうか」


「何をお知りになりたいのですか」


 口には出さないものの、不愉快であると空気が告げる。しかし霜松市松は動じない。表情も姿勢も揺らぐ事すらしない。


「イロイロ調べさせていただきました。あなた、自分で思っているより有名ですよ」

「探偵を探偵した訳ですか。いったい何が目的です」


 すると霜松市松は頭を下げた。


「ご不快に思われたのなら謝罪します。ただ私は力を借りたいだけなのです」


 そして顔を上げる。


「私の雇い主の息子さんが、数日前から行方不明になっています。誰にも言わず、書き置きなども残しておりません。もしかしたら自殺の可能性もあるのでは、と考えているところです」


 鍵は迷惑そうに眉を寄せた。


「確かに私は自殺関連の事件に首を突っ込む傾向がありますが、別に自殺の専門家ではないですよ」


「自殺を思いとどまらせる段階であれば専門家の意見は有用でしょうが、行方を捜すとなれば求められるのは経験です。報酬は規定の倍額をお約束いたしましょう。何とか最優先でお願いできないでしょうか」


 そう言って、おそらく金が入っているのであろう封筒を差し出す。これには鍵も揺れた。余った金の使い道に困っているような生活ではない。有り体に言えば貧乏暮らしである。事務所の維持費だけで毎月ヒーヒー言ってるのだ。断る理由はないように思えた。とは言え。


「他に受けている仕事もあります。最優先で可能かどうか、返事は明日で構いませんか」


 国田満夫の件との調整が必要だ。鍵の言葉に霜松市松はうなずき、ようやく微笑みを見せた。


「それでは明日、また連絡致します。良いご返事を期待しておりますよ」




 その夜、鍵は国田満夫に電話をかけた。結局、霜松市松の話を先に片付ける事にしたのだ。何せ調査料が規定の倍額、その半金と相談料をすでに前金として渡されている。一方国田はまだ相談料も振り込んでいない。どちらを優先するかなど自明の理である。国田の依頼は後回しにする。


 しかし、スマホにかけても国田は出なかった。もう午後九時、さすがに街の電器屋は閉店しているだろう。勤務中なら出られないのもわかるが、この時間に出ないのは何故だ。留守番電話にもならないし、状況がよくわからない。半ば意地になった鍵の耳に、呼び出し音が二十回を超えた頃、ようやく通話状態になった。だが聞こえてきたのは。


「もしもし」


 鍵の全身に緊張が走った。間違いない、女の声だ。何でストーカー男の電話に女が出る。もしかして家族だろうか? いや、それにしては違和感がある。失敗した、家族構成くらい確認しておくんだった。


「もしもし」


 女の声が繰り返す。鍵は腹を決めた。


「もしもし、鍵と申しますが、国田満夫さんの電話じゃありませんか」


 すると女の声は、一段トーンを上げてこう返してきた。


「おまえ、首吊り屋か!」

「……はぁ?」




 三十分としないうちにパトカーのサイレンが聞こえ、事務所のインターホンが鳴らされる。さも迷惑そうな顔で鍵がドアを開けると、見慣れた二人が立っていた。


「どういう事だ、いったい」


 ズカズカと事務所の奥まで入ってきた築根麻耶が、苛立たしげな声を上げる。身長は鍵より少し低い程度、金髪に染めた長い髪を後ろで団子にまとめている。美人かどうかで言えば間違いなく美人なのだが、ガラスのような儚さはない。アクリル樹脂と陰口を叩かれる程度には頑丈な面の皮をしている。


「鍵、国田満夫とはどんな関係だ」

「職務上の守秘義務が、とか言ってる場合じゃないんでしょうね」


「さすが、わかってるじゃないか」


 と、男の声。逃がさないぞという意志表示なのか、それとも基本に忠実なのか、ドアの前から動かない原樹敦夫は、身長百八十センチを大きく超える巨漢。ラグビーで鍛えたという胸板の厚さは岩のようだ。ニヤリと笑ってこう言う。


「首吊り屋、おまえ国田とはどういう関係だ。まさか強請りでもやってたんじゃないだろうな」


「冗談でしょう、人聞きの悪い事を言わないでください。そもそもあんな貧乏人を強請って何が出てくるんです。依頼ですよ。仕事の依頼を受けてたんで、ちょっと連絡しただけです」


「どんな依頼だ」

「それは言えません」


「あ、おまえな。公務執行妨害で逮捕してもいいんだぞ」


 だが鍵は、そんな原樹の脅しを無視した。


「あなた方二人がここにいるって事は、殺人なんですか」


 そう、この二人がここにいる以上、少なくとも国田満夫が死んでいるのは間違いない。築根麻耶が小さく首をかしげる。


「その可能性もあるが、自殺の可能性も捨て切れない」

「あ、警部補、それは」


 捜査情報の漏洩に原樹が慌てたが、築根は平然と笑った。


「構わないよ、文殊の知恵ってヤツさ」


 築根と原樹は県警捜査一課に所属し、普段は殺人事件を中心に取り扱っている。ただ、課内ではどちらかと言えば冷や飯食いの扱いらしい。特に築根はキャリア組なのだが、出世からは遠のいているようだ。


「それでどうなんだ、鍵。国田が自殺するような理由に心当たりはないのか」


 築根の問いに、鍵はしばし首をひねった。だが考えるまでもない。そんな心当たりはない。あるはずがないのだ。何せ国田は馬雲千香のストーカー、そしてつい最近その馬雲千香の秘密を知った。ストーカーとしては喜びこそすれ、死にたくなるなど有り得まい。


 鍵蔵人の脳が回り始める。自殺と聞いて俄然興味が湧いてきたのである。


「私が知る限りでは、ないですね。いったいどんな状況で死んでたんですか」

「さすがにまだ、そこまでは教えられんよ」


 築根が苦笑し、こう続けた。


「もし自殺じゃないとしたら、殺される理由に心当たりはあるか」


 すると鍵は、いかにも興味がしぼんだと言いたげな顔で、ため息をついた。


「……馬雲千香ですかね」


 鍵は素直に、国田満夫が馬雲千香のストーカーをしていた事を話した。死人に義理立てても仕方ない。それに元々これは警察案件だと思っていたのだ。警察に解決してもらえば、死んだ国田も浮かばれるだろう。


「その馬雲千香のマンションで、誰かが殺された?」


 緊張が見える築根に、鍵はうなずいた。


「国田さんはそう思っていたようですね」

「笹桑にも聞いてみないとな」


 そうつぶやく刑事の築根と雑誌記者の笹桑は、旧知の間柄。問われれば、もしかしたら鍵に話していない事まで全部話すかも知れない。だがそれで鍵が困る訳ではない。最初からなかった話だと思えばいいだけだ。どうせしばらくは霜松市松の依頼に、かかりっ切りとなるのだから。

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