第2話 役者の夢は諦めた
小学生の頃、世の中は感染症一色だった。色々な行事が中止になって「かわいそうに」とよく言われた。でも、その行事がどう楽しいのか経験していないから知らないし、僕は家にいるのが好きだったから、正直さほど苦ではなかった。友達と会えないのは少し寂しかったけれど、嫌いなクラスメイトと会わなくて済む快適さのほうが勝っていたように思う。
テレビでは毎日、新規感染者数を発表して、その増減にコメンテーターたちが一喜一憂していた。あの頃のように、近頃は「完全失業率」が注目の的になっている。
15時、退勤1時間前。発表の時間だ。スマホで垂れ流しているWEB番組に耳を澄ませる。
「ここで、本日の完全失業率です。15.9%。本日の完全失業率は15.9%でした」
「16%を切るのは8日ぶりですね」
高い、よな。
こういうことに僕はあまり詳しくないけれど、10人中1人以上が働けていないのだから、とにかく大変なのはわかる。人間、働かなければ食べていけない。
でも、不思議なのだ。
どうしてバイトをしない?
求人が存在するのになぜ失業者が出るんだろう。
職業選択の自由という原則があるのはわかる。でも、誰もがみんな漫画家やスポーツ選手になれるわけじゃない。
「職業選択の自由があるのだから俺が漫画家になれないのはおかしい!」などと宣う人がいるだろうか。その人は頭がおかしい(ある意味漫画家に向いているかもしれない)。
狭き門をくぐれなかったなら、諦めて大きく開かれた門に行くしかない。違うだろうか。
店が潰れたとか、会社から首を切られたというのも、就きたい仕事に就けなかったのと同じことだ。経緯は違えど、食い扶持がないという状態は同じ。だったらバイトをすればいい。バイトの求人はある。
◆ ◆ ◆
「すいません、休み申請です」
「お、公演?」
「はい」
「いいねぇ夢があって。頑張って!」
僕は4年前まで、スーパーでレジ打ちのバイトをしながら小劇場で役者をやっていた。役者を「仕事」にしたいと、一時期は本気で思っていた。
今と同じで実家暮らしで、両親は甘い人たちだから、働かなくても生活はできた。バイトをしていたのは、公演の参加費や稽古場までの交通費、そして観劇費用のためだ。周りには観劇を疎かにする奴が多かったけれど、観もしないでどうしてなりたいと思うのか、僕は不思議でならなかった。
トップクラスと言われる舞台に足を運んで、映画もたくさん観て、競争率の高いオーディションを受け、芸能事務所にも入った。役者を「仕事」にするために、やるべきことは僕なりに全部やった。でも、だめだった。僕と同じだけの努力をして、僕よりルックスや勘に優れている奴は当然上に行く。全然努力なんかしていないのに軽々と追い抜いていく奴もいる。
失業率が10%を超えて、娯楽はとにかく安く済むものが持て囃され、演劇なんかは淘汰されていった。オーディション情報がグッと減り、とある老舗の劇場も閉鎖された時、どんどん狭くなるこの門は僕にはくぐれないと、諦めた。
古い知人はみんな、僕が諦めるのを待っていたのだと思う。SNSに「引退します」と投稿すると、普段の「出演します」の十倍以上の反響があった。みんな「お疲れ様でした」と言ってくれたけれど、僕は「ざまあみろ」だと受け取っていた。
「いつまでバイト生活続けんの?」
「そろそろ就職考えないの?」
きっとみんな、そう思っていたのだ。
◆ ◆ ◆
バイトは、恥ずかしいことなのだろうか?
公務員や正社員、事業主になれないと、人間として負けなのか?
仕事内容は簡単で、責任も軽いから、給料は安い。それは当たり前のことだ。自分一人食べていくのがやっとで、誰かを養うのは難しいだろう。
それでも、無職より良くはないか?
無職なら月収0円だがバイトを普通にやれば10万以上は稼げる。バイトに応募すればいいではないか。無職の人は、なぜやらない?
そんなに恥ずかしいのか?
夢見る若者がやるようなことだから、いい大人はやりたくないのか?
「総理にはこの数字が見えていないのかと、私は言いたいんですよ」
コメンテーターが唾を飛ばす。
失業者にはバイトの求人が見えていないのかと、僕は言いたい。
なりたい役者に、僕はなれなかった。知人たちが正規の労働者として研鑽していた時間を俳優修行に使っていたのだから、稼ぎが劣るのは仕方ない。でも、受け入れるしかないではないか。職業選択の自由はあるけれど、ない。正確には願ったり目指したりする自由だ。辿り着けるとは誰も言っていない。
仕事を選べるのは、選ばれた人たちだけだ。選ばれなかった人は諦めて、残された中から選ぶしかない。他に方法があるだろうか? 役者になりたい全員のために政府が公演をプロデュースしてギャラを払ってくれるのか? そんなわけないだろう。
町を歩けばバイト募集のポスターは貼ってある。検索すればいくらでもヒットする。雇用はあるのに、どうして失業率は上がる一方なのだろう。
うちの会社でも求人を出している。しかもこんな簡単な仕事で時給二千円だ。地元の漁師には感謝もされる。どうしてみんな、うちで働かないのだろうか?
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