第93話


 目が覚めると治療院のベッドに寝かされていた。

 キョウスケさんが戻してくれたようで、左腕やお腹に痛みはない。

 ゆっくり上半身を起こすと。


 私の隣で、レンジュさんが寝ていた。



 ……なにしてんだこの人。

 とりあえず着衣を確認。特に乱れはない。

 まあ、触るくらいはしたかもしんないけど、そのくらいなら大目に見よう。

 命の恩人だし、と思い。




 体が震えている事に気付いた。



「…………おおっと?」



 左腕を押さえ付ける。涙が零れる。

 うああ。駄目だ、止まらん。


 目を瞑るとすぐそこに銀熊が居る気がする。




 怖かった。死ぬかと思った。もう終わりだと思った。

 実際、レンジュさんが居なかったら殺されていた。

 生を、諦めそうになっていた。



 ……落ち着け。深呼吸しろ。

 もう敵はいない。怖いものはいない。

 恐怖する必要はない。

 だから、涙を止めろ。



 枕を引き寄せて顔を埋める。

 嗚咽に喉が痙攣する。

 おかしくなりそうな心を、噛み殺す。

 お前弱い私は出てくるな。引っ込んでろ。




「オウカちゃん、大丈夫かなっ!?」



 声をかけられて、びくり、と体が跳ねる。

 恐々と顔を上げると、微笑んでいるレンジュさんの顔が目の前にあった。



「……何で笑ってんですか」

「そこにオウカちゃんがいるからかなっ!!」

「訳、わかんねーです」



 くすり、と笑われる。

 頭ん中ぐっちゃぐちゃで意味が分かんない。

 ……とりあえず、帰ろう。

 多分いま、人前に出ちゃ行けない顔してるし。



「ねえオウカちゃんっ!!」

「……なんですか」

「ちゅーしていいかなっ!?」



 ………。

 は? 今なんつった?



「え、なん……したいんですか?」

「弱ってるオウカちゃん見てるとこう、ムラムラっとねっ!!」

「……変態。風穴開けますよ」

「風穴は勘弁かなっ!!」


 ぴょんとベッドから飛び降りてくるりと振り返る。

 黒い長髪がふわりと舞った。

 あのとき見た光景に似ていて、何だか少しほっとする。


「実家のシスター曰く、弱ってる時と酔ってる時に口説いてくる奴は八つ裂きにしていいらしいです」

「その教えはちょっと過激すぎないかなっ!?」

「レンジュさんなら大丈夫。レッツ八つ裂き」

「普通にアウトだからね!?」


 ちょっとした冗談なのに…そんなに叫ぶこと無いじゃん。

 元気だなーこの人。


「アタシがツッコミに回るとは……恐るべしだねっ!!」

「普段から意図してボケてるじゃないですか」

「あ、やっぱバレてたのかっ!!」

「分かりやすいですし。元気付けようとしてくれたのも含めて」

「……そこは気付かないフリしようかっ!!」

「ありがとうございます。ちょっと立ち直りました」


 気が付くと震えが止まっていた。

 自然と体の強張りが解れていく。


「こういうの、良く分かんないんだけどねっ!! オウカちゃんには笑っててほしいかなっ!!」

「……一瞬、ちゅーされてもいいかなって思いました」

「ついにデレ期きたっ!?」

「ああ、勘違いだったみたいです」

「勘違いなのっ!?」


 がっくりと肩を落とす英雄様。

 この人も、本気で言ってるのか分かんないとこあるなー。

 ……本気だったら困る、気がする。


「……今度また、お菓子作って持っていきます。何がいいですか?」

「お酒のツマミかなっ!!」

「いいですけど……それお菓子なのかなー」



 命を救ってくれた恩にしては軽すぎるけど、多分こんな感じが正解なんだと思う。

 ……踏み込むのも突っぱねるのも、まだちょっと怖いし。



 キョウスケさんは今忙しいという事だったので、後日改めてお礼に来ると伝えてもらう事にした。




 で、冒険者ギルドに顔を出したら、めっちゃ怒られた。

 レンジュさんから事情の説明があったらしい。おのれ。


 一時間くらいお説教されたあと、リーザさんが腰に手を当てて念押しをしてきた。


「オウカちゃん、無理な時は迷わず逃げなきゃダメよ?」

「はい、わかりました」

「じゃあ、強い魔物に遭遇したら?」

「時間稼ぎします」



 更に怒られた。



「まったく……もうちょっと自分を大事にしなさいね?」

「え、してますよ。自分超大事」

「……今回は私も悪いところがあったけど、お願いだから無茶しないで」

「あー。分かりました。可能な限りでそうします」

「確約はしてくれないのね」

「んーと……すみません、正直あまり自信ないです」


 多分、同じような状況に出くわしたら、また同じ事をすると思う。

 その時にまた助けて貰えるとは限らないけど、それでも。

 あの場面で、見なかったフリなんて、私には出来ないから。

 

 あー。武器、もうちょい威力が欲しいなー。

 ちょっと探してみようかな。


「あのね、覚えておいてほしいんだけど。どんなに強い冒険者でもゴブリンにやられる事もあるの。

 オウカちゃんは強いけど、それでも無理は駄目。貴女が死んだら、私は泣くわよ?」

「う……はい。気を付けます」



 泣かれるのは困るし、今後も油断はしないようにしよう。

 今回は本当に運が良かっただけだもんね。


 今私が死んだら、いろんな人が困ってしまう。

 オウカ食堂の子達や冒険者ギルドの人達、それに教会のみんなも。

 そこんとこだけは、早めにどうにかしとかないといけないなーとは思う。

 私がいつ、いなくなっても良いように。




 どうせ私は、偽りの生き物なのだから。

 生まれを知ったあの時から、私の命は軽くなったのだから。

 せめて、みんなが困らないようにだけ、しておかないと。





「オウカちゃん?」

「…………ああ、すみません。ちょっと考え事を」


 ダメだ。心が弱ってる。ちゃんとしないと。

 また、迷惑をかけてしまう。


「まだ調子が戻ってないのかもね。今日はもう休んだ方がいいわ」

「はい……ああ、そういや熊の素材ってどうなりました?」

「騎士団長さんがオウカちゃんの分って置いていったわよ。まだ査定中だけどね」


 そうなんだ。それもお礼言わなきゃな。

 そのおかげでお金はいるんだし。

 教会のみんなに仕送りができる。


「それもまた今度ね。とりあえず今日は休んでらっしゃい」

「はい。じゃあ、お疲れ様です」

「お疲れ様。またね」



 ひらひらと振られた手に答え、寮の自室に向かった。

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