巡る殺意と嘘つきお嬢様

深見萩緒

巡る殺意と嘘つきお嬢様


 昔からそうだ。私は、人の隠し事を暴くのが上手い。それこそ、カミワザ的に。


 お父さんが、地元ではかなり有力な議員をやっているせいもあるかもしれない。私の家――ちょっとした豪邸と言っても差し支えない自宅には、お父さんを訪ねて様々な人がやって来た。

 議員さん。企業の役員さん。学校の理事さん。その他、俗に「権力者」と言われる人たち。

 その人たちは口を揃えて言う。「いえいえ、お構いなく。ちょっと、ご挨拶に伺っただけですから」と。それが嘘であることに気が付いたとき――たぶん私がまだ十歳にも満たなかった頃――あの頃から、私は嘘を見抜くのが上手くなっていったと思う。


 新顔のお客さんがいらっしゃると、お父さんは必ず私を呼んで挨拶をさせる。そしてお客さんが帰ったら、私に訊くのだ。「さっきの人、どう思ったかな?」

 そして私は答える。今の人は嘘をついてるよ。昨日の人はお父さんを騙そうとしてる。さっきの人は正直な人。でもあの秘書さんは駄目……。


 お父さんは、私の特技に頼っていたのか、私の特技を伸ばそうとしていたのか……きっと、どっちもだと思う。おかげで「嘘発見器」としての私の実力には磨きがかかり、今や仕草ひとつ、視線ひとつに含まれた嘘すら容易に見抜けるようになった。

 将来は、探偵になれば良いんじゃない。そう言ってからかってきたのは、幼馴染だったかな……。


 便利な能力であることは認める。おかげで大学生になり、お父さんの反対を押し切って一人暮らしを始めた今でも、悪い人に騙されたり変な男に引っかかったりはしていない。

 だけど、この能力さえなければ感じなくても良かっただろう、余計なストレスを抱え込んでしまうのも事実だ。

 他人の本音が見えすぎる。見なくてもいい「裏側」が見えてしまう。


 人間は嘘をつく生き物だ。イラッとすることがあっても「別に、気にしてないよ」と笑ってみせる。それは正しい処世術であり、悪いことではない。だけど、私の目にははっきりと「嘘」として映ってしまう。

 自分の本音を隠し、真意を隠し、当たり障りのない言葉と表情でラッピングして陳列する。ずらりと並べられた「態度」の中から、自分が一番こころよく感じられるものを選び取り、何食わぬ顔をして受け取る。それが普通。

 だけど私には見えてしまう。正しく、美しく、品良く陳列された商品の裏側。ラッピングフィルムの中身。本当だったら見なくても良い、埃臭くて薄汚れた本音の内部……。


 お義母さんのことだって、そうだ。私が小学生の時に、本当のお母さんは家を出ていった。そして私が中学に上がった頃、お父さんは再婚した。

 お義母さんは私に親切にしてくれたけど、全部「嘘」なんだって分かってしまう。それが悪意のある嘘じゃなかったとしても、心は重く沈んでしまう。家庭を円満に保つために、お義母さんが隠そうとしてくれている気持ち――私を疎ましく思う気持ちが、まざまざと見えてしまう。

 それがイヤで、無理やり上京して一人暮らしを始めたようなものだ。だけど一人になったらそれはそれで、静かな部屋で余計なことを色々と考え続けてしまう。この能力がなかったら、私の人生は違っていたかな、とか……。



 そんなわけで、考え事がぐるぐる渦巻いて上の空になりがちな意識に、ここ数日の睡眠不足がここぞとばかりに追い打ちをかけてくる。

 アイロンがけしたシャツのようにパリッと引き締まった空気と、その神経質さに疲れて吐き出された溜息。活気と疲労が混在する、朝の通勤ラッシュ。ぼーっとしているとまでは言わないけれど、しかし確かにいつもよりは注意が散漫になった状態で、私はホームを歩いていた。人の流れに逆らわないように、機械的に足を動かす。

 電車の接近を知らせるベルが鳴り、聞き慣れたアナウンスが流れ始めた。快速電車が通過します。危険ですので、白い線の内側でお待ちください……。


 と、私の視界が揺らいだ。肩に感じた衝撃。何が起こったのか、最初は理解できなかった。斜めに傾ぐ上体。なんとかバランスを保とうと、ミュールを履いた足がたたらを踏む。危険ですので、白い線の内側でお待ちください。左足が、白い線を踏み越えた。

「あ、危ないっ!」

 逞しい腕が私を捉えた。脳が揺れる。電車の風圧を感じる。誰かの悲鳴が聞こえる。一緒くたになって襲いかかってきた全ては、私の処理能力を遥かに超えていた。何が起こったのか、全く理解できない。茫然自失という言葉がふさわしい。気が付いたときには、壮年の駅員が心配そうに、私の顔を覗き込んでいた。


 ホームから転落しそうになった私。咄嗟にその腕を掴んで、私を助けてくれた見知らぬ青年。もし彼が手を伸ばしてくれなければ、私は今頃ミンチになっていただろう。

 目眩でもしたのか、ふらりとホームに倒れていった。それが彼の証言だった。「間に合って良かったですよ」と笑い、青年はそそくさとこの場を立ち去ろうとする。その袖を、私はしっかりと掴んだ。

「良かったら、お礼をさせてもらえませんか?」

 にっこりと笑う。イヤとは言わせない。だって、彼は嘘をついている。



 それからは、簡単なものだった。適当にお洒落なカフェに引っ張って行って、あれこれと話を聞き出す。当たり障りのない――例えば、彼の出身だとか趣味だとか。マニュアル免許を取ったばかりなのだと彼が言えば、ここぞとばかりに「マニュアル運転できる男の人って、かっこいいですよねえ」と褒めちぎる。「マニュアル免許って、オートマ免許と見た目も違うんですか? ちょっと見せてください!」と言えば、何の疑いもなく免許を差し出してくれる。馬鹿だなあ、と思うけれど顔には出さない。

「ふうん……」

 免許をまじまじと見つめると、さすがに何かを感じたのか、「そろそろ返してくれない?」と彼は言った。私はそれを無視して、穏やかな微笑みを彼に向ける。

「さっきの駅でのこと、何か隠してることがありますよね?」

 彼の顔がこわばる。

「な、何のこと? 何も隠してないけど……」

 ――嘘。

「私がホームに倒れていったのを、あなた、見たんですか?」

「うん、見たよ。バランスを崩して……」

 ――これも嘘。

「……私は、誰かに突き飛ばされたような気がしたんですけど……その犯人を、見たんじゃないですか?」

「み、み、見てないよ」

「――……うそ、ですね」

「な、何だお前! 命の恩人に向かって!」

「大きな声、出さないでください」

 私はこれみよがしに、彼の免許証と……さっきズボンから抜き取っておいた、彼のスマホを見せびらかした。まったく、なんで男の人って、ジーンズの後ろのポケットにスマホやら財布やらを入れるんだろう。不用心ったらない。

「こっちは全部知ってるんです。警察に駆け込んでも良いんですよ?」

「え? え?」

 目を白黒させる彼の瞳には、かすかな怯えと後悔の色がちらついていた。



 気の弱い人間というのは、なぜだか変に思い切りの良いところがある。それで最後まで思い切りを貫けるなら良いんだけれど、生来気が弱いせいで途中で馬脚を現すこととなってしまう。彼もそのタイプらしい。

 ちょっと揺さぶりをかけてやっただけで、刑事ドラマの犯人のようにうつむいて、彼は全てを白状した。

「百万円あげるから、あなたを殺してくれって頼まれて……それで、突き飛ばしたんだけど、でも、怖くなって咄嗟に腕を掴んじゃって……うう、ごめんなさい……」

 呆れた。気が弱くて、中途半端で、無責任。人を殺しかけておいて殺しきれず、しらを切り通すこともできず、しかも誰かに依頼されたなんてことまで自白してしまうとは、なんて最低な人間。


 私はもはや軽蔑の色を隠そうともせず、目の前で小さくなっている青年を睨みつけた。

「それで、誰に頼まれたんですか? 言っておきますが、私に隠し事をしても無駄ですよ」

「えっと、でも喋ったら、俺……」

「この期に及んで保身に走れる立場だと思ってるんですか? さっきまでの会話、全部録音してありますけど、警察に行きましょうか?」

「ううう……」

 彼がほとんど泣きながら白状したのは、私の全然知らない女の名前だった。知り合いか、知り合いの知り合いにそういう女がいなかったか、いくら考えても心当たりがない。

「その人は、あなたの何なんですか?」

「も、元カノ……」

 私の頭に、クエスチョンマークがみっつほど並んだ。元カノ? この男の元カノが、どうして私を殺そうとするんだろう。それも、百万円を渡してまで。

「……元カノさんと、連絡つきますか?」

「ひっ……勘弁してくださいよお」

 ICレコーダーをちらつかせる。この男に拒否権などないのだ。



 元カノの方は、情けない元彼氏よりもずっと堅牢な精神をしていた。ちょっとここでは言えないような方法で、なんとか口を割らせようと試みてみた。けれどそれで分かったのは、絶対に何も喋らないぞという強い意思と、私に対する明確な殺意を持っているということだけだった。私には、彼女の恨みを買ったような記憶もなければ、面識も接点もないんだけれど。

「お嬢、お嬢!」

 尋問に行き詰まった頃、すっかり私の小間使いになってしまった突き飛ばし実行犯気弱男(名前は忘れた)が、頬を紅潮させて路地裏に駆け込んできた。

「色々、手がかりになりそうなものがありましたよ!」

 私が路地裏で元カノさんと「お話し」をしている間、彼には元カノさんの自宅を捜索してもらっていた。彼にとっては元カノ兼依頼人を裏切ることになるはずなんだけど、彼は私を「お嬢」なんて呼んで媚びへつらい、喜んで任務を遂行してくれた。どこまでも、浅ましいやつ。

 それでも、彼の仕事ぶりは称賛に値するものだった。


「ふうん、ストーカーか。相手は、このバンドマンですか?」

 元カノさんの部屋の壁は、ビジュアル系バンドのボーカルらしき人物の写真で埋め尽くされていた。それも、どれも盗撮らしいアングルのものだ。そのほかにも、色々なものがコレクションされていた。ボーカルさんの爪やら髪の毛やら、下着やら、使用後のティッシュやら……オエッ。


 結論から言うと、彼女もまた、殺人を依頼されたということだった。熱心にストーカーを続けていた愛しいボーカルさんから、「あの女を殺してくれたら付き合ってやるぜ……」なんて囁かれでもしたんだろう。それでも実行は出来なかった。だから気弱で流されやすい元カレに頼んだのだ。百万円あげるから、あの女を殺してくれない? と。


 ……どういうことだろう?

 残念ながら、ボーカルさんの顔にも名前にも覚えがない。ついでに言えば、バンドの名前も聞いたことすらない。それが、どうして私を殺そうとするんだろう? なんだか、分からなくなってきた。

 それでも、放置するわけにはいかない。命を狙われているのだ。またいつなんどき、誰が私を殺しに来るか分からない。

「お嬢、どうします? この男も調べますか?」

 気弱男はなぜだかイキイキしているし。私は溜息をつきながらも、ボーカルさんの調査を言いつけた。やるなら、徹底的にやらなければ。



 何度も殴られて、おキレイな顔をパンパンに腫らしたボーカルさんが白状する。頼まれたんだ、あんたを殺してくれって……。

 誰に頼まれたの? 嘘をついてもすぐに分かる。私が合図をしたら、気弱男は目を輝かせながらボーカルくんを殴ってくれる。こいつ、なかなか良い性格をしているみたいだ。私が拳を痛めなくて良いのは助かる。

 ボーカルくんが名前を上げた、バンド仲間の先輩とやらの家にもお邪魔する。そして同じことを繰り返す。

 頼まれたんす、バイト先の友達に……。

 頼まれたんですよお、サークルの後輩に……。

 頼まれたんだよ! 彼女の兄貴に……。


 気弱男の元カレ。元カレがストーカーしていたバンドマン。バンドマンの先輩。先輩さんのバイト友達。バイトくんの後輩。後輩くんの彼女のお兄さん。お兄さんが入れ込んでいるキャバ嬢。キャバ嬢さんのお得意さん。お得意さんの不倫相手。不倫相手の不倫相手。不倫相手の奥さん。奥さんの主婦友達。主婦友さんの息子さん。息子さんの彼女。彼女さんのお父さん。お父さんの会社の上司。上司さんの取引相手。取引相手の恩師。恩師さんがよく行くラーメン屋の店主。店主さんの囲碁仲間。囲碁仲間さんの娘。娘さんのヨガの先生。ヨガの先生の……。



「頼まれたんです。あなたを殺してくれって。でも自分じゃ実行できなくて、だから誰かに頼もうと思って……」


 みんながみんな、そう証言した。そしてそれは嘘ではない。なんだかくらくらしてきた。この連鎖はどこまで続くんだろう? 一体どれほどの人間が、私を殺そうとしているんだろう?

「なんだか面白いことになってきましたね、お嬢」

 小間使いも板についてきた気弱男が、いやらしい含み笑いを私に向ける。私は彼の頭を思いっきり引っ叩き、引き続きの調査をお願いした。こうなったら徹底的に調べて、私を殺してくれと最初に依頼した人物を、絶対に見つけ出してやる。


 実を言うと、この頃になると私は、この状況を少しばかり楽しみ初めていた。「他人の隠し事を絶対に見破る」という私の特技がなかったら、調査はどこかの段階で頓挫していたことだろう。

 私は身につけた特技をもって、自分自身を守っている。犯人を追い詰めている。それは純粋に快感であり、自分の特技を卑屈に思い始めていた私を前向きにさせてくれた。果たして喜んでいいものかどうか……私に殺意を持つ人間は、続々と判明し続けている。今も……。



 そして、ひと月ほどが経ったある日。「お嬢! お嬢!」と聞き慣れた声が私を呼ぶ。いつもよりワントーン高い、上気した声。

「お嬢! ついに黒幕に辿り着きましたよ!」

 その言葉に偽りの色はなく、私の心臓がぴょこんと跳ねる。黒幕。一番最初に、私を殺してくれと誰かに依頼した人間。

 あの日――気弱男を尋問したカフェの窓際の席で、私たちは興奮しながら顔を突き合わせた。気弱男が少しだけもったいぶって、胸ポケットから一枚の写真を取り出す。その写真を見た瞬間――。


「んふっ」

 私の唇から、笑いが漏れた。「知り合いですか?」と気弱男が尋ねる。私はそれに答えない。「んふふふっ」笑いだけが、こぼれ続ける。


 お義母さん。

 そう呟くと、気弱男が「えっ」と短い声を上げた。

「おかあさんって、お嬢のお母さんですか。お母さんが、どうしてお嬢を殺そうとするんですか」

「んふふ……実の母親じゃないんですよ。んふふふ、お義母さん。んふふ、んふふふふ……」

「お、お嬢。大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。いいえ、大丈夫どころじゃないわ。んふふ、んふふふ」

 笑いが止まらない。お義母さんが私を愛していないことなんて、とっくに分かっていた。「実の娘同様に思っているのよ」なんて大嘘だって、とっくに気が付いていた。

 ああ、だけど、お義母さん。殺したいとまで思っていたんだ。


 私の目尻から涙がこぼれた。これは歓喜の涙だ。これではっきりした。私の特技は、私の命を救ってくれる。これまでの人生で悩んでいたことが、急にばかばかしく思えた。

 これからは、もっとこの特技を伸ばしていこう。どんな些細な隠し事も――どんな些細な殺意も見逃さないように。自分の命を守れるように。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る