こんなテレワークがしたい人生だった

みょうじん

第1話 メ イ ド が あ ら わ れ た !

「ですので、ここの条件はもう少し当社有利な形にしたいと考えておりまして……」

入社させて頂いて以来、ここまで集中して先方との打ち合わせに望んだことはないかもしれない。自宅からのオンライン打ち合わせでは、通常ややカジュアルになりがちと囁かれているが、僕はかっちりスーツを着込み全力投球姿勢を見せつけている。一緒に会議に望んでいる同僚も先方もオフィスカジュアルな服装なので、みんな僕の姿にやや驚いていた。「たまには着てやらないともったいないと思いまして」などと僕が冗談めかして言ったことがアイスブレイク代わりになり、結構いい感じの空気で打ち合わせに入れたと思う。もちろんスーツなんて大嫌いな僕だが、社会人たるもの建前を忘れてはいけないのだ。

そう、スーツを着て戦場に望むくらいの集中力を発揮しなければならないのにはもちろん理由がある。

正直付き合いが非常に長く、当社とも関係が深い先方相手の取引であるので本来は双方ともにリラックスして望めるもののはずだった。

しかし、僕の個人的な状況により全力投球をしないとちょっと不味いという精神状態に陥っているのだ。

もちろんそれで取引がうまく回るのなら問題ないのだけれど……

「お掃除終わりました、ご主人さま」

その状況を作っている原因が普通に僕に話しかけてくる。骨伝導ヘッドフォンを愛用していたことが災いして、涼やかなその声が明瞭に僕のもとに届いてしまう。

「そおっ!いうわけですので、当社の提案としては一商品あたりの価格はメールで送付しております見積書記載の形にさせて頂きたいと思っておりますので、改めてご確認頂ければと思います」

さっきの声は向こう側に届いていないよな、大丈夫だよね……全身から冷や汗を吹き出しつつ、若干の乱れを伴いつつもなんとか説明を終えることができた。

「Web会議中でしたか。大変失礼致しました。後ほど改めてお伺い致します」

衣擦れの音からおそらくいつもの丁寧かつ美しいお辞儀をしているのだろう。しれっとしているに違いないが、絶対打ち合わせ中だって気づいていただろっ!

「そうですね、鏑木かぶらぎさんがおっしゃっていることは大変良くわかりました。当社としても受け入れ可能かと思いますが、念の為もう一度持ち帰らせてください」

先方担当者さんはそういってくれて、なんとかつつがなく打ち合わせは終了した。多分さっきの「ご主人さま」云々は聞こえていないと思うし、そう信じるしかない。同席していた同僚からも「お疲れ様! さっきの説明わかりやすくてよかったよ~」というお褒めの言葉も頂けた。

まだお昼前の自宅なのにもかかわらず、ぐちゃぐちゃに疲れ切ってしまい、「おうちにかえりたい……」とつぶやく僕を誰が責められようか。


いま。僕の家にはメイドがいる。それ以上でもそれ以下でもないし、これ以上付け加えるべき説明も思いつかない。

でもそれだけでは不親切なので、もう少し経緯とかそういったものをお話させて頂ければ幸いです。そして僕の動揺を理解したならそっと慰めてほしい。


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