麻痺

 最近やたらと何か大事な物を失っている気がするのだ。

 と言ってもそこまで露骨にこれというのがあるわけではない。

 痛みも感じるし心から笑っているし、心臓は動くし飯も美味い。眠りは十分すぎるほど取って趣味にもそれなりに力を注いでいる。

 ただ、笑いすぎているような気はする。他の情が霞むほど笑っている。辛苦を前に笑うし涙は堪えるし諦観を示せば口角が上がる。自衛作用なのだろうが、どうにもこれが悪さをしているような気がしていて堪らない。

 笑いは人生の潤滑油だと言う。その通りだろう。笑っていれば幸せになれる。その笑いの清濁に関わらず、笑えばとりあえず笑っている奴だけは幸せになれる。極論、他人を刺していても狂ったふりをして笑えばとりあえず頭がバカになったと錯覚する。笑いが脳内麻薬の分泌を促すというのを昔見た。実際問題笑いは依存性があって快楽を引き起こし使用者を馬鹿ハイにする合法的なドラッグである。

 たぶんこれは、本気で涙を忌避してきた自分自身への本能的な警告なのだろう。私はそう解釈した。私は泣き虫と言われ指を指されたあの頃から、好みの変化やらなにやらを言い訳にして苦しい事を避けるようにした。出会っても、鼻で笑うようになった。或いは楽に逃げた。私は目を背けて努力を打ち捨て、艱難を最小限に抑えた人生設計を組み立てた。私はいつしか、逃げに近い人生に納得する人格を作り上げていた、らしい。人は当たり前と思い込めばそれを普通だと誤認するよう出来ているが、その性質を無意識下で悪用出来るというのもまた人の性質である。兎角私はあらゆる手を使い極力傷を負わぬような舗装を仕上げた。そこで自己嫌悪に陥ることはないし、己の人生に文句を言われる筋合いもないと思っているが、まあ一縷の悔恨があるのも本当だ。自己偽装も完璧ではないらしい。人間らしくて良いだろう、と誇りたくなる。誰にかは知らない。

 まあ、心と体の小さな歪みが、やがていつか自分を乱すのだろう。溜めた涙がいずれ腐って、内側から崩れていく未来があるかもしれない。さて、そのズレに見て見ぬふりを決め込んで、人生の最後まで騙し騙しやっていけるだろうか。一応予定では後六十余年であるのだが、果たしてモルヒネは何時まで効いてくれるだろう。……そも、薬効の切れを気にしている時点で、結構限界かもしれないが。

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