星と月

坂本梧朗

第1話


 職員朝礼を終え、職員室を出た定免隆三は、重苦しい負担感と不安に閉ざされがちな心を、気持ちを落着かせることで積極的なものに切り換えようといつものように工夫しながら、受持ちクラスに向かって歩いていった。七、八十メートル近い廊下の突き当たりにエレベーターがあり、隆三はそれに乗って三階まで行く。隆三と同じ二年生のクラス担任達もエレベーターに乗り込む。三階、四階が二年生の教室のあるフロアだ。狭い箱の中に六、七人のクラス担任が押し込まれる。隆三は憂鬱な圧迫感を覚える。ほとんどが隆三よりも十歳以上若い担任達の中に隆三が親しみを覚える者はいない。エレベーターの中で彼等同士はあれこれと話を交わすのだが、隆三は誰とも話さず、話しかけられもせず、沈黙している。一分足らずの間なのだが、隆三にとっては長く感じられる苦痛な時間だ。エレベーターから吐き出されるとほっとする。

 教室が近づく。学校に楽しさや喜びはほとんどないが、あるとすればそれは生徒から生まれる。生徒は教師に苦しみをもたらすが喜びももたらす。学校では生徒があらゆる事の源泉なのだ。そんなことを考えると気持ちが少し元気になる。隆三は戸を開け、教室に足を踏み入れる。

 教壇に立って見回すと、生徒はそれぞれの形を示してそこにいる。自分の席から離れ、三人ほどで集まって話をしている者たち。後ろの壁際では、一人が背後から腕で首を締め、もう一人が前から腹を拳で打つしぐさをしている。首を締められた生徒は腕を外そうと抗いながら声を上げている。自分の席で宿題かなにかをノートに書いている者もいる。文庫本を読んでいる者もいる。それぞれの生徒の在り様がそこに出ている。

 教壇でしばらく待つが生徒は静まらない。委員長も号令を掛けない。教師が教室に入ってくれば、委員長がすかさず「起立!」の号令を掛け、生徒はその時点で授業を受ける態勢ができているというのが学校では理想とされる。それを思うと隆三は少し苛立つ。つまらんなぁ、と思い、舌打ちしたくなる。しかし彼は〈落着け、落着け〉と自分に言い聞かす。二十年に近い教員生活で隆三が学んだ処世訓の第一は「落着くこと」だった。委員長の橋元はどうも号令の掛け方が遅い。注意をしておかなければならないなと思いながら、隆三は橋元に号令を促す。

「起立! 」

 号令が掛かり、生徒たちは立ち上がるが、気をつけをして正面を見ている者は少ない。横を向き、後ろを向いて話を続けている者が目につく。ポケットに手を入れたままの者もいる。委員長は「気をつけ!」とは言わない。代りに「チェックお願いします」と言う。チェック項目は詰襟のホックがとまっているか、襟章はきちんと付いているか、ズボンからシャツが出ていないか、上靴に履き替えているか、鞄をロッカーに入れているか、などいくつもある。これが担任として毎朝真っ先にする仕事だ。生徒はマンネリ化して、チェックされる側としての受動性が身についてしまう。自らきちんとしようとする自主的な気持ちが萎える。それで隆三は「チェックお願いします」と言われると、「自分でチェックしろ」と呼びかける。「上から下までちゃんとできているか」と問いかける。隆三にとってそれはこうした管理に対して生徒の自主性を守ろうとするささやかな抵抗でもあった。

 チェック項目のなかでいちばん時間を取るのが上靴への履き替えだ。学校には下足室がない。教室での履き替えとなる。校舎が新築される前までは上靴などはなく土足でよかった。ところが新校舎が竣工してそこでの生活が始まると、新しい校舎を汚してはいけないということで上靴への履き替えを強制しだした。一方、新校舎には従来通り下足室は作ってなかった。つまり見通しのない学校側のご都合主義による負担を生徒と担任に負わせているのだ。生徒の足元に目をやると土足のままの者が何人もいる。毎朝のことで隆三はウンザリしながら、「靴を履き替えろ! 」と指示する。「毎朝同じことをいわれるな!」と声を荒げる。ノロノロと生徒が靴を履き替え始める。それでも履き替えない者がいる。後ろだから見えないとでも思うのか、動こうとしない。隆三が「早く履き替えろ。名前を呼ばれるなよ」と促すがだめだ。仕方なく彼は名指しして注意する。上靴が終われば次は鞄だ。鞄から教科書、ノートを取り出して机に入れ、空の鞄は廊下にあるロッカーに入れさせる。これは机間巡視の邪魔にならないことと教室内の整理整頓のためだった。鞄を机の脇に置いたままの者があちこちと目につく。これも名指しで言わないと動かない生徒がいる。こうしてチェックを終えるまでに五分ほどの時間を費やす。

 馬鹿なことだ、と隆三は思う。こんなチェックがあるために毎朝の生徒との出会いが不愉快なものになる。「チェックお願いします」と委員長が言うのは朝のホームルームだけではない。授業の始まり毎に言うのだ。学年会議でこの規則を提案した井崎という教師の得意気な顔を隆三は苦々しく思い起こした。井崎は生徒を「商品」という言葉で表す教師だった。学校教育を企業経営になぞらえるのが井崎の得意論法で、いかに売れ筋の商品を開発し、大量に販売するかが企業経営の眼目であるように、学校も世間受けの良い生徒をできるだけ多く送り出す必要がある。それが学校の評価を高め、教員の実績と目されるものだと言うのだ。井崎が言う良い生徒とは国公立大学や有名私大に合格する生徒であり、スポーツで全国的な賞を取るような生徒を意味した。それ以外の生徒は不良品だった。

 井崎は学校の広報活動の責任者になっていた。少子化が進行し、入試の受験者が減っていくことに危機感を募らせた学校首脳部は学校を宣伝する広報活動に力を入れることにした。さらに首脳部は中学生を対象とする進学塾と提携する方策を立てた。高校を受験する中学生が受験校を決める際、判断に最も影響を与えるのが塾の教師の助言であるというデータがあった。校長、教頭を始めとして教師たちが塾に足繁く通い始めた。教師たちは塾の分析や意見によく耳を傾けるように指示された。間違ってもあの学校はお高くとまっていると塾から思われてはならなかった。できるだけ多くの中学生に受験を勧めてくれるよう、辞を低くして塾にお願いしなければならなかった。井崎が教育のお手本とするものは今や企業経営から塾のノウハウに移りつつあった。

 隆三は出席を確認する。今朝は朝の課外がある日だった。出席簿を見ると四、五人に欠席を示す斜線が引いてある。名前を呼んで理由を訊く。遅刻した者もいるし、全く受講し なかった者もいる。正当な理由もなく時間の半分以上を遅刻した者、全く受講しなかった者には罰として放課後の掃除を課す。松山慎弥の席が空いている。またか、と隆三は思う。気にしても仕方がないという思いで隆三は伝達事項を述べ始めた。

 朝のホームを終えると、時間はもう一時限目の開始時刻になっており、隆三はそのまま一時限目の授業に入った。担任をしているクラスの授業が一時限目にある日が週のうち四日ある。その日は朝のホームと連続することになる。それにも隆三は慣れていた。一時限目が終わるまで松山は姿を現さなかった。

 その日は三時限目も担任クラスの授業があった。隆三が担任をしているクラスは私立文系のクラスだった。二年生からは志望大学別にクラスが編成され、国公立、私立のそれぞれ理系、文系に生徒は区分された。志望別のクラス編成と銘打ってはいても、偏差値による分断が行われているので、成績が一定水準内にない者は志望していても国公立の特進クラスには入れなかった。カリキュラムも大学受験に即して作られていて、受験に不必要な教科・科目はカリキュラムから削られていた。例えば私立文系のコースには理科、数学がなかった。それは私立理系のクラスに社会科、古典がないのと対応していた。その代り、受験に必要な教科・科目の時間数は増やしてあった。私立文系の場合、国語の時間数は週に十一時間もあった。国語の教師である隆三は担任クラスの現代文と古典を計八時間担当していた。だから担任クラスの授業を一日に二回する日が週に三日あった。

 三時限目に教室に行くと、松山の席は依然として空席だった。まだ家庭に連絡していないことに気づき、いかんなと隆三は反省した。朝の出欠確認で、無届けで欠席の生徒がおれば、職員室に戻ってから家庭に連絡するのが通例だが、ホームの後、そのまま授業に入ったり、追われる仕事があると後回しになり、そのうち忘れて、気がつけば昼近くなっていて、連絡を受ける保護者の気持ちを思うとこれは拙いと舌打ちしたくなることもあった。松山の場合は日頃から遅刻や欠席が多く、またかという気持ちが先に来て、即電話をしようという気持ちが起きない。また電話をすると母親と長話になることが懸念され、億劫さが電話をかけることのブレーキにもなった。

「教科書を出して」

 隆三は生徒に呼びかけて授業に入った。

 中央から一つ右にずれた列の、前から四番目にいる立林が相変らず私語をする。自分の前、横、斜め後ろの生徒に次々と話しかける。体重は百キロを越え上背もあり、肥満した丸い体に似合わず短気で怒りっぽい立林に話しかけられると、無視するわけにもいかず、日頃真面目な生徒も話に応じている。立林のこうした態度は学期始めの席替え以来続いていた。

 隆三は席替えを抽選で行った。その抽選で立林は列の最後尾に座るように不正をした。それを隆三が見抜き、抽選の結果通りに戻したのだが、それへの反発だった。本来の座席に戻された立林は、「やる気なくなった。寝よう」と聞こえよがしに言って机に俯せたが、やがて後ろや横の生徒に話を仕掛け始めた。以前から授業中はよく眠る生徒だったが、今 度は私語が多くなった。注意をしても、静かになるのは当座だけだった。

 隆三が立林という生徒を認知したのは去年の今頃だった。「総合学習」の時間に、廃棄された家電や自動車をリサイクルする工場を見学に行った折のことだ。生徒を学校の外に引率する時、教師は緊張する。学校の体面を気にするからだ。学校のきちんとしたところを見せようとするし、その反対は極力避けたく思う。隆三にもそういう気持ちは当然あった。工場側の指示に従って生徒を動かし、説明は静かに聞かせ、展示品や備品を破損したりしないよう気を配っていた。その日、ペアを組んで工場を見学することになっていたクラスの担任が欠勤した。隆三は自分のクラスに加えてその教師のクラスも引率しなければならなくなった。性状を把握していない生徒を動かすのは難しい。生徒の方でも担任とそれ以外の教師とで対応を変える面がある。案の定、担任が欠勤したクラスの生徒の動きはバラけていて、私語が多く、集合・移動も遅れ勝ちだった。隆三は余計な責任を負わせられた不運を託ちながら苛立っていた。いつのまにか隆三は、自分のクラスより手のかかる欠勤した教師のクラスの方に付いて工場を廻る形になっていた。

 廃棄された家電から造られたプラスチックの粒などが展示されている場所で事件は起きた。女性の説明員が製造のプロセスを肉声で説明するのだがよく聞き取れない。「静かに!」と隆三は何度か注意していた。その時、「わっ」という叫びが聞こえて、大きな図体の生徒が床に倒れた。隆三は倒れた生徒の側に行き、「何をしとるのか!」と怒鳴った。そして「恥ずかしいとは思わんのか! 」ともう一度怒鳴った。すると倒れた生徒が、「何で俺に言うんか、こいつが俺をこかしたんやろうが! 」と目を剥いて突っかかってきた。それが立林だった。横に立林をこかした稲田という生徒がいた。これも反抗的な目で隆三を見ていた。どちらも欠勤した教師のクラスの生徒で、そのクラスきってのワルと教師たちからは目されていた。生徒の意外な、しかも強烈な反応に隆三は戸惑い、怯んだ。稲田はこれまでも何度か突っかかってきたことがあったが、立林がこんな態度に出たのは初めてだった。授業では接していたが、こんな面のある生徒だったのかと隆三はそのとき初めて立林を認知した思いだった。隆三は気持ちを立て直そうとしたが、立林が言ったことが頭にひっかかって強い態度が取れなくなっていた。事情を確認してから叱るべきだったという悔いが既に隆三から勢いを奪っていた。隆三より十センチ以上も背の高い立林が睨む目には威圧感があった。しかしここで引き下がるわけにはいかなかった。「何だ、その言葉遣いは」と隆三は立林をたしなめた。「お前がわけのわからんことを言うけやろうが! 」と立林はますます激昂した。二人は睨み合った。自分の叱り方に落度があったという負い目が隆三の態度を弱くしていた。隆三は視線を外し、「お前がやったんか」と稲田に目を向けた。「お互いふざけよったんでこうなった」と、稲田はそれがどうしたという態度で言った。明らかに立林の態度が伝染していた。隆三たちを周囲の生徒が注視していた。女性の説明員も説明を止めて隆三と二人の生徒のやりとりを見ていた。まずいな、と隆三は思って焦った。「すみません、説明を続けてください」と隆三は説明員に言い、二人には「こっちに来い」と言って部屋の隅に連れて行った。そして一息入れて、「これは授業と同じで、遊びにきているわけではないんだから、ふざけとるというのが間違っとろうが」と二人に言った。そう言うと、殴りかからんばかりだった立林の目の光が少し弱まった。話をしている隆三の側に女の説明員がやって来て、「先生、時間がありませんから次へ移動します」と告げ、生徒達を次の見学場所に導いて行った。説明員の薄く笑った表情に、〈生徒になめられた先生は大変ですね〉という囁きを聞いたように思い、隆三は屈辱を覚えた。

 結局二人は自分たちの非を認め、その場は終った。その後、講習室でのまとめの講話の途中、隆三は二人を呼び出し、教師に対する言葉遣いについて改めて注意をした。二人は今度は抗弁せず、薄笑いを浮かべながらも頷いた。それでこの件は終ったのだが、隆三にも立林にもこの出来事は蟠りを残した。

 二年生のクラスをどう編成するかを話し合う会議で、立林と稲田を引き離すことが決められ、二人は私立文系の二クラスに別々に入れられた。その一クラスを隆三が担任した。立林がいる方のクラスだった。

 立林とどう接するかは隆三にとって確かに大きな課題だった。隆三は立林に慎重に対応した。最初の衝突の時に叱り方にミスがあったという意識は隆三の裡に尾を引いてあり、間違いを繰り返さないように気をつけた。キレやすい生徒であることがわかったので、立林を刺激するような物言いは避けた。何事も言葉で道理を説いて分からせようとした。それは隆三が生徒に接する際の一般的な態度だったが、立林には特に意識して行った。そんな隆三に立林も反発を抑えて従った。しかしそれはその場限りのことだった。授業態度が変わらないことにそれは表れていた。隆三の授業に対して立林は寝るか、しゃべるかの対応を続けていた。そこには立林の隆三に対する不信、反発が示されていた。一方、隆三の裡では、衆人環視の中で自分に罵言を浴びせた立林に対する怒りや嫌悪、そして恐れが消えていなかった。そしてそうした感情がある限り、立林を変えることはできないだろうと、隆三自身も感じるのだった。悪い出会い方をしたというのが隆三の立林に抱く感慨だった。

 授業の途中、隆三は「松山が来んなぁ」と呟いてみた。生徒の間から何か反応が出るかと思ったのだ。朝のホームで松山の欠席を確認したとき、生徒の中から「あいつ、朝、駅におったやん」という囁きが聞こえたことを隆三は思い出したのだ。案の定、生徒から反応があった。

「松山は朝来とったけど、門立ちの先生から何か言われよった」

 と一人の生徒が言った。

「朝来とったか」

 隆三が訊き返すと生徒は頷いた。しかし三時限目になっているのに松山は姿を見せない。

「何かあったな」

 隆三が顔をしかめて言うと、剽軽なことをよく言う生徒が、

「松山君退学うー」

 と声をあげ、笑いが生まれた。

 授業を終えた隆三は職員室に戻り、一息ついた。担任クラスの二コマの授業を終え、今日の授業の半分は終ったことになる。しかし松山に問題が起こったことが分かり、隆三は寛いだ気分にはなれなかった。彼は職員室の中を見回した。何の変化もないようだった。松山はどこかで取調べを受けているのだろうと隆三は思った。

 昼休みだ。隆三は昼食を摂ることにした。鞄から弁当を出し、机の引出しを引いてインスタント味噌汁の包みを一つ取り出した。食事の準備をするときは心に微かな弾みがある。準備を始めてから食べ終わるまではいやなことは忘れていられるような気がするのだ。幸い隆三の真正面の席の時田は会議で不在だ。視線を気にせず飯が食える。湯茶室に行って急須の茶葉を替え、濃い目の茶を湯呑みに注ぐ。棚から椀を取り出し、その中にインスタント味噌汁の味噌と具をいれ、熱湯を注いでスプーンでかき混ぜ味噌を溶かす。両手に湯呑みと味噌汁椀を持って、零さないように気をつけながら席まで戻る。

 隆三が食事を終える頃、体育科の須藤がその大きな体躯を職員室に現した。須藤は隆三と同じ二年生のクラス担任だったが、二年の席は通過して、一年生の教員の机が並ぶブロックに行き、そこにいる教師と話を始めた。会話は隆三の耳にも入ってくる。

「友達のライターを持ってきた、煙草は吸っていない、と言ってるから、それがどうなるか、やろ」

「誰? 」

「松山、二の十の」

 この言葉を聞いて、隆三は頭を上げ、そう言った須藤を見た。どうやら松山は煙草関連の事で調べを受けているようだ。須藤は担任の隆三を無視したままだ。

「ライター所持だけでも処分の対象だし、あれはきっと家でも吸ってるよ」

 須藤の相手をしている一年の担任で、生徒指導部に属している教師がそう言った。須藤も生徒指導部の教師だった。三時限目まで時間をかけて取調べが行われたが、松山はまだ喫煙の事実を認めず、抵抗しているらしいことを隆三はこのやり取りから察知した。それにしても三時限目までつぶすとは執拗だなと隆三は思った。俺のクラスの生徒だからか、とチラと思った。松山に何が起きたのか気にはなったが、須藤に訊く気にはならず、他の生徒指導部の教員に日頃話を交わす者もおらず、また生徒指導部から連絡もなく、隆三は落着かない時間を過ごした。

 松山の件について生徒部から隆三に連絡があったのは午後になってからだった。須藤と話をしていた一年の担任の教師が松山が書いた調書を持って報告に来た。この教師が発見者だった。話によれば、今朝松山は遅刻してきて、校門指導をしていたその教師から注意を受けた。鞄がペチャンコだったので、教師は教科書は入っているのか、見せろと鞄の中を開けさせた。鞄の底に煙草の粉があるのが見つかった。教師はこれは煙草を持っていると考えてポケット検査をした。するとズボンのポケットからライターがでてきた。本人は友達のライターをうっかり持ってきたと弁明したが、その後の取調べで自分のものだと認め、喫煙の事実も認めたという。

 出るべきものが出てきたなと隆三は思った。クラスとしては一学期の立林の喫煙に次ぐ 問題行動だった。

 松山慎弥は問題の多い生徒だった。先ず遅刻欠席が多かった。一週間のうち一日は必ず欠席した。そのため一学期の終りには欠課時数が授業時数の三分の一を上回ってしまう科目がいくつか出てきた。授業時数の三分の一以上欠席すれば、たとえ試験の点数は足りていても単位は認定されないのだった。生活態度においても、シャツをズボンから出す、上靴に履き替えない、教科書、ノートを机の中に置いたまま帰るなど、再三の注意に拘らず規則を守らない面が多く見られた。授業中も集中がなく、よく眠った。教科書が机上に出てないことも多く、紛失した教科書も一、二冊あった。一学期の成績は十一科目中五科目が欠点で、学年で唯一人、保護者同席で、教頭から進級について注意警告を受けた生徒だった。一年生の時から問題のある生徒として名前が挙がっていた。家で暴れるという話も一年時の担任から伝え聞いてもいた。

 しかし、隆三は松山に対してそれほど悪い印象は持っていなかった。持続はしないにしても注意すればおとなしく聞くし、人懐っこい面やどことなく剽軽さも感じさせた。内側に不信と反発を蔵している立林などと違って気軽く接することができた。隆三には合うタイプの生徒だと言えた。小柄な生徒で、教室では何かにつけからかいの対象になっていた。上唇に手術痕があり、そのため鼻筋が少し歪んで見えるため、「鼻曲がり」「鼻折れ」などという言葉が浴びせられた。その頻繁さと表現のどぎつさに隆三も放っておけず、執拗な発信源になっている生徒を呼び出して、「身体的な特徴を標的にしたイジメに該当するから絶対にやめろ」と注意したのだった。処罰の対象となっているイジメに当たると言われ、その生徒の顔にも緊張が表れ、その後はからかいの言葉も聞かれなくなったが、松山はそういう言葉を投げられても、内心はともかく、へらへら笑っていることが多かった。


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