第7話 球拾いの天才⑼






「人数も揃っていない野球部が、勝手に人の弟を勧誘しないでもらえるか」

「あ、兄貴」


 険しい顔つきの霜枝 晴彦が、弟に群がる野球部を睨みつけた。


 先程まで荒れ狂っていた霜枝だが、今は落ち着いたのか、どうやら雨彦を迎えに来たらしい。


「雨、さっさとバレー部に戻るぞ。早くしろ」


 霜枝の後ろには、バレー部の上級生らしい生徒が目を眇めてこちらを眺めている。雨彦はびくっと肩を揺らした。


「まさかお前、野球部に入ろうなんて馬鹿なことを考えてんじゃないだろうな」


 雨彦の様子を見て、霜枝が怒りを露わにする。それに雷が食ってかかった。


「おい、なんで野球部に入るのが馬鹿なことなんだよ!」

「才能の無駄遣いは無駄なことだろ?」


 霜枝ははっと鼻で笑い飛ばした。


「才能だあ? 球拾いしかさせてやがらなかった癖に」

「黙ってろ雷。てめえには関係ねえ」


 霜枝と雷がぎりぎりと睨み合う。その一触即発の雰囲気に、霜枝の背後にいた生徒が間に割り込んで霜枝を諌めた。


「そうそう、落ち着けよ晴彦。どっちを選ぶかは雨彦が決めることだろ」


 そう言って、バレー部の上級生は雨彦を見据えた。


「なあ? どうすんだ」


 硬い声で尋ねられて、雨彦は身をすくませた。


「……も、戻ります」


 野球部に入るなんて、考えていない。雨彦はバレー部でこれまで通りに球拾いが出来ればそれでいいのだ。

 だが、上級生は冷たい目のままで言った。


「球拾いが好きなんだろ? だったら、そいつらの言う通り、野球部だっていいわけだろ?」


 雨彦が小さな声で口にした答えを、上級生が切り捨てる。


三寒みさむさん!」


 霜枝が口を挟むが、三寒と呼ばれた上級生はそれを無視した。


「バレーじゃなくて、テニスでもバスケでもいいだろ。どこで球を拾おうがお前の自由だ。なんでバレー部に戻るんだ?」

「なんでって……」

「お兄ちゃんがいるからだろ?」


 雨彦は息を飲んだ。


「自分は球拾いだけしていればいい。きつい練習もプレッシャーのかかる試合も、全部強くて背の高いお兄ちゃんがやってくれるからな。お兄ちゃんが周りの期待に応えてくれるから、自分は何もしなくて済む」


 雨彦の顔色が変わった。


「バレー部のキャプテンとして、お前にずっと言いたかったんだがな。いい加減に、晴彦の後ろに隠れるのはやめろ」


 三寒は威厳たっぷりに雨彦に命じた。


「キャプテン命令だ。霜枝 雨彦、一週間、バレー部への参加を禁じる」

「ちょっと!」

「その間、何をしていようがお前の自由だ。一週間後、部に戻るか戻らないかも、お前が決めろ」

「三寒さん! 勝手にそんなこと」

「晴彦。お前も少しは弟離れしろ。じゃあな、雨彦」


 三寒は言うだけ言って背を向けてしまった。

 その背中と俯く弟を見比べて、霜枝は追いかけようと身を翻しながら言った。


「くそっ、待ってろ雨! あんなの絶対撤回させるから」

「……いい。キャプテンの言う通りだ。俺、ちゃんと考える。一週間」


 俯いたまま、雨彦は三寒に言われた言葉を重く受け止めていた。


 図星を刺された、と思ったのだ。

 真面目に練習をしている部員達の横で、球拾いだけしていたいだなんて言ってふらふらしていたツケが回ってきたのだ。これまでそれが許されてきたのは、兄がエースだったからだ。兄に守られていたから、他の部員達は雨彦に苦言をぶつけられなかったのだ。キャプテンはずっと雨彦に言いたかったのだろう。


「……バレー部に戻りたくなったら、一週間経ってなくてもちゃんと言うんだぞ!」


 弟を案じながらも、霜枝はバレー部に戻っていった。




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