第1話 あらしの入学式⑸





 高く上がったボールを見上げて、野分は思わず息を飲んだ。


 飛んできたボールを打ち返した少年は、何が起きたがわからないとでも言うように目をぱちくりさせている。その手に握られているのはバットではない。数学教師が授業で使う大きな三角定規だ。


「す……すごいっ!」


 野分は歓声を上げて少年に駆け寄った。


「すごいよキミ! 新入生? 部活はもう決めた?」

「え……?」


 がっしり手を握って詰め寄ってくる野分の迫力に気圧されて、少年は目を白黒させた。

 野分は興奮に目をキラキラさせて少年の顔を覗き込んだ。

 遥かな頭上を越えていったボール。

 ボールをまっすぐに打ち返せるバランス。

 振り向きざまにボールに反応できる反射神経。

 素晴らしいバッティングセンスの持ち主だ。


「あっ、ごめんね。俺は嵐山 野分。キミの名前は?」

「……霧原きりはら 日和ひより


 片手を野分に握られてもう片方の手に三角定規を握って、日和は事態を飲み込めないように首を傾げるが、テンションの上がった野分は一気にたたみかける。


「霧原くん! 是非、野球部に入ってくれないか?」

「野球部?」

「ああ! 一緒に甲子園を目指そう!」

「……でも、オレ、野球の経験ないし、それに……」

「経験なんかなくてもいいよ! あんなにすごいバッティングの才能を持っているんだから、野球やらなきゃもったいないよ!」


 日和が何か言いかけたのを遮って、野分はそう断言した。

 その野分の力強い言葉に気圧されたのか、日和は口を噤んでまじまじと野分の顔をみつめた。

 野分もせっかくの才能の持ち主を逃してなるものかと、がっちり手を握り、しっかり日和の目をみつめている。


 結果、二人は赤い夕焼けの降り注ぐ校庭で、たっぷり三分間みつめあった。


 その面白くない光景に、晴が何か突っ込みを入れようと口を開きかけた時、野分が再び日和に質問をした。


「ところで、なんで三角定規を持っているの?」


 大きな三角定規は、主に黒板に図形を描く際に用いられるものである。なんだってそんなものを持って校庭を歩いていたのか、素朴な疑問を口にしただけだったのだが、視線を落として自らが手にしている物がなんなのかを目にした日和は、はっと衝撃を受けたように目を見開いた。


「ああっ! 鞄と間違えて持ってきちゃった!」


 その言葉に、今度こそ晴は突っ込みを入れた。


「……間違うか……?」



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