#3 手紙

『僕は就職活動に失敗して、新卒では就職出来なかったんです』


 公園のベンチで、僕は隣のベンチに座る汐里さんに思い出したことを話し始めた。


『半年くらい仕事を探してようやくある会社に就職出来たんですが、その会社は深夜残業は当たり前、ノルマは厳しく、出来なければ上司に罵倒され続けるという、いわゆるブラック企業でした。それでもなんとか働き続けたのですが、1年くらい経った頃には精神的にも肉体的にも疲れきっていました。そんなある日のことです。両親の30回目の結婚記念日が近いことを知った僕は、密かに両親へのプレゼントを用意しました。高価、とはいきませんが、それでもその時の僕にしては、けっこう頑張った方だと思います……』


 こんな話、退屈してるんじゃないかと不安になったが、汐里さんは真剣に耳を傾けてくれていた。


『その日は、なんとか仕事を少しだけ早めに終わらせて会社を出ました。途中で両親へのプレゼントを受け取り、▼▼駅に着いてバスを待っている時でした。会社の上司から電話がかかってきて、急に客先に出す資料が必要になったから今すぐ会社に戻って翌朝までに仕上げろと言われました。その時は日ごろの疲れと両親へのプレゼントのこともあり、少しだけ渋るような態度をとってしまいました。次の瞬間からはもう罵詈雑言の嵐です。なんとか1度電話を切ると、僕は仕方なく駅へ戻ろうとしました。ただ、その間にもまた上司から電話がきて、5分以内に来なければ減給だとか、ありとあらゆる言葉の暴力というものを受け続けました。そのあたりからです、少し記憶があやふやになったのは。僕は悲しくて、苦しくて、何かを求めるように改札ではなく駅ビルのほうに向かいました。確か従業員専用と書かれた扉を通ったと思います。非常階段へ出ると、夜風が心地よかったことは覚えています。僕は上へ上へと階段を上りました。そして、扉で閉ざされそれ以上進めなくなったところで振り返ると、そこには広々とした夜の海のような街の光景が広がっていました。ここで泳いだら楽しいだろうな。本当に、その時は、そう思ったんです……』


 汐里さんを見ると、俯いたまま固く手を握り締めていた。


『あとは、汐里さんもご存知の通りです……ごめんなさい。こんな話、聞きたくなかったですよね』

 汐里さんは首を横に振った。

「いいえ、は、誰かに聞いて欲しかったんですよね。だから、いいんです」

『ありがとうございます。そう言ってもらえただけでも嬉しいです。……それで、これだけお世話になっておいて本当に恐縮なんですが、実は、もう1つだけお願いしたいことがあるんです……』

 汐里さんがきょとんとした表情で首を傾げる。

「はい。……私にできることであれば」


 ※※※


「あそこですか?」

『はい、あれが僕の家です』

 僕と汐里さんは、あの公園のあるバス停からいくつか停留所を戻った先にある僕の実家の近くにいた。

『すみません、もう一度確認しますが、僕が死んだのは10ヶ月前で合ってますよね』

「はい、間違いありません。それで、何をしたいのですか?」

『記憶が戻ったことで、僕の本当の心残りがどこにあったのかもわかったんです。あの日、両親に用意したプレゼントなんですが、そのまま会社に持って帰ったら上司に何を言われるかわからないと思い、実はとっさに駅入口の所にあるコインロッカーに預けておいたんです。ただ、僕はそのまま死んでしまい、携帯で預けるタイプだったそのロッカーには鍵がなく、鍵になるはずの僕のスマホは、多分一緒に粉々になってしまったはずです。だから――』

「それでここへ来る途中、コインロッカーのことを調べて欲しいと言ったのですね? 調べた限りでは、あの鉄道会社では、コインロッカーの使用期限を1日以上過ぎた場合はロッカーから撤去の上で遺失物と同様に1年間保存、1年を越えて申告のない場合は順次廃棄、とあります」

 汐里さんが、再度スマホの画面を覗いて読み上げる。

『ということは、まだ僕の荷物は保管されている可能性が高いということですね』

「規定通りならそうなります」

『良かった。僕はどうしてもあのプレゼントを両親に渡したかったんです』

「頑張って買ったものだからですか?」

『それもありますが……実はそのプレゼントの袋には、一緒に手紙を入れていたんです。両親に手紙なんて初めて書いたんですよ。僕は遺書も残さず死んでしまったから、両親への感謝を伝えられる手段はもうその手紙だけなんです』

 汐里さんは一瞬唇を噛み締めた後、何かを心に決めたように僕に向き直った。

「わかりました。私は何をすればいいのですか?」

『手紙を書きたいのですが、今の僕にはそれも叶わなくなりました。なので、僕の言葉を代筆して家のポストに入れてもらえないでしようか』

「はい。では、少し待ってください」

 汐里さんは鞄から可愛らしいレターセットとペンを取り出すと、僕の言葉を待った。

『……では、お願いします。お父さん、お母さん、どうしても伝えたいことがあり手紙を書きます。実は、僕はあの日▼▼駅のコインロッカーに荷物を預けてあり、そのロッカーの番号は○○、荷物の特徴は、赤いペーパーバッグの――』


 ※※※


「お家のポストに投函してきました。でも、大丈夫でしょうか。筆跡もたぶん違いますし、最悪、悪質なイタズラだと思われる可能性も……」

 駆け足で戻ってきた汐里さんが少し不安気な表情でささやいた。

『いえ、大丈夫だと思います。少なくとも、僕は信じてます』

「そうであって欲しいと、私も思いますが……」

 僕は居住まいを正すと、汐里さんに深く一礼した。

『汐里さん。本当にありがとうございました。あなたのおかげで、僕の願いは叶えられそうです』

「いえ、私のしたことなんてそれほど……」

『そんなことありません。汐里さんは僕に気づいてくれました。それに、何の縁もない僕のために色々としていただいて……』

「あー、それは、本当に気になさらずに。こういうことは私の家の宿命とでもいうものなので。ホントに……困った体質です」

 そう言って、汐里さんは自嘲するように遠くを見つめる。

『こんなことを聞くのは失礼かもしれませんが、汐里さんは何者なんですか? 何か、普通の人とは違う力を持ってられるように思えます』

 汐里さんは、少し困ったような表情をした後、小さな声でつぶやいた、

「そうですね……。魔女です、といったら信じますか? 正確には、今はその見習いみたいなものですが」

『魔女、ですか。……いえ、信じます。まぁ、僕の思ってるイメージとはだいぶ違いますけど』

「んー、ん?」

 ちょっとだけ、汐里さんの顔が引きつったような気がした。


 ※※※


 僕は実家の向かいにある家の塀の上に座っていた。

 最後に汐里さんと会ってから何日が過ぎただろうか。

 記憶は戻ったとはいえ、所詮こんな亡霊の身には時間の感覚なんて適当だから、油断するとすぐに忘れそうになる。

 そんなことを考えていると、1台のタクシーが僕の実家の前で止まった。

 中から降りてきたのは、赤いペーパーバッグを抱きしめて泣きじゃくる母と、それを支えるように横に立つ父だった。


 良かった。あのプレゼント、ちゃんと届いたんだ。


 ……父さん、母さん、ごめんなさい。本当は、生きて親孝行しなきゃだめだよね。


 でも、今はこれが僕に出来る精一杯のことです。


 どうか、どうかお体を大事に。次は、できるだけ先のどこかでまた。


 空を見上げると、太陽の光とはまた別の光の束が僕に降り注いでいた。

 僕の身体は、暖かく強い力でどんどん天空に向けて舞い上がっていく。


 ああ、これが。


 この時が来たのか。


 僕は最後にもう一度だけ遠ざかる地上を振り返った。

 そして、再び空を見上げた時、僕の全ては光の粒子へと還っていった。


 終


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虚無の乗客 椰子草 奈那史 @yashikusa

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