27話


 上演中の劇場の扉を乱暴に開け放った時のような、痛ましい静寂が一点に向かって突き刺さるように集中する。


 殻木からきも、道祖みちのやも、観測員たちまでもが――。

 その一点を食い入るように目を剥いて見つめ、固唾を呑んだ。


 あの場違いな音が向かった先――昧弥まいやがぐらりと傾ぎ……、



「――地下ここに私を引き込んだ時点で勝ったと……そう思ったか?」



 殻木を覆いかぶさるように覗き込んだ。



「……な……なんでだ……」



 殻木は自分を押し潰そうとする現実を拒絶しようと、弱々しく首を横に振った。



「――ククッ」


「どうやって……そんな……ッ!」


「クハッ、クハハッ!」


「――いったい……!?」


「ハハハハハァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」



 先ほどまでの恐慌が演技だったかのように――いや、事実演技だったのだろう……。


 殻木は口を戦慄かせながら目を見開き、昧弥を穴が開くほどに見つめた。芥子粒のように小さくなった瞳孔が震え、顔色は死人のように青褪めている。


 昧弥は牙を剥き、愉悦を滾らせた顔でそれを存分に見下ろした。



「――初めからだ、下作が」



 満足いくまで嘲弄し終えた昧弥は姿勢を戻し、懐から小型のインカムを取り出して装着した。



「ダーニャ」


『はい』


目標ターゲットは?」


『すでに四肢を潰し、自決防止の措置も施しております』


「いい働きだ。お客様にはゆっくりとくつろいでいただけ。せっかく駆けつけてくださったのだ……話を聞く時間は十分に用意しなくてはなぁ」


『お任せを……お楽しみいただけるよう、誠意ご奉仕致します』



 そこで通信を切り、昧弥は改めて殻木を見下ろした。



「さて……」


「ひっ! うぐ、がッ!?」


「これで貴様の策も仕舞いか? 出せるものがあるなら今の内だ。すでに幕は下り始めているぞ?」



 昧弥は無造作に殻木の髪を鷲掴みにすると、力任せに引き上げる。


 しかし、殻木にはすでに手を振り払う力もなく、なされるが儘に吊り上げられ、強制的に上に向けさせられた顔を恐怖と苦悶に歪めただけだった。



「……はっ。いかにも下作らしい、つまらん幕切れ。興ざめもいいところだ。せめて囀って見せれば、少しは楽しめるというものを」


「……どうやぐべぇ!?」



 恐怖に駆られた殻木が口を開いた瞬間、昧弥の拳が鼻面に叩き込まれていた。



「誰が喋っていいと言った? 誰の許しだ?」


「おぐ、ぅ、だ、だっで今……」


「うん? ああ、囀ろうとしたのか。すまんな、あまりに聞き苦しかったのでな……つい黙らせてしまった」



 ぼたぼたと鼻血を垂らして呻く殻木に、狂気が牙を剥いて笑いかける。

 その笑みは、必要なことだけを吐けと、言外に圧をかけてきていた。



「はぁっはぁっ、あぎ、ぐ…………ばれ」



 ギリギリ聞き取れないほど小さな、本当にささやかな呟き。しかし、その言葉の間から滲む反意は確かに伝わり、昧弥に眉をしかめさせた。



「く、くたばれぇえ! くそがぁあよおぉおお!!」



 殻木は唾を撒き散らして叫んだ。


 目には涙が浮かび、歯は恐怖に震えてカチカチと音を鳴らしている。業を行使するどころか、両腕を持ち上げることさえできない。


 それでも、殻木は自分を鷲掴みにしている恐怖に抗ってみせた。



「ちくしょお! ちくしょおぉお! くたばれバケモノがぁあ! オレは何されたって喋らねぇぞ。殺すなら殺せ、どうせ俺のぁ」


「――貴様の仕事はすでに終わってる……と?」



 殻木は思わず言葉を切って息を呑んだ。


 自分を見下ろしてくる感情まで凍りついたかのような冷たい目に、すべてを見抜かれているかのように思えて……喉がヒュッと鳴った。


 そんな表情が抜け落ちた殻木の顔に、昧弥はつまらなそうに鼻を鳴らす。



「貴様の仕事は私をこの場に引きずりだし、業を使用させ、その効果や性能を把握すること。私がその程度のことを気づかないなどと……本当にそう思ったか?

 言っただろう――貴様の企みなど、


「――ッ!?」



 告げられた事実はあまりに衝撃的で、殻木は言葉だけでなく、思考まで吹き飛ばされたような感覚に支配された。



「貴様がただの小間使いでだということ、貴様らが中規模程度の集団グループだということ、これらの情報なんぞ貴様が初めて教室に顔を見せる、に分かっていたことだ」


「――ッ! だ、だったら、なんでッ!?」


「なぜだと? 決まっている――問題にならんからだ」


「んなっ!?」



 不遜にも言い切った昧弥に、欠片も揺らぎはなかった。


 あまりに尊大な物言いに殻木は言葉を失う。


 覚者にとって業の詳細を知られるということは、丸裸にされるのとほぼ同義だ。

 確かに身体強化など、業の種類によっては知られたところで弱体化しないものもある。だが、それでも対策を立てられるのは確実で、奇襲の効力は大幅に下がる。


 つまり、どんな業だったとしても知られる利点はないのだ。



「だったら……だったらテメェの業はなんだってんだよぉ!? 言ってみろオラァ! どうせ口ばっかのデマに決まってるッ! 言えるわきゃあねぇえんだぁ!!」



 苦し紛れの挑発だった。


 手も足も動かせない、這いずり回り、喚くことしかできない畜生の挑発。

 安いばかりで聞くに堪えないそれを鼻で笑いながら、昧弥はあえて乗った。



「はっ。いいだろう、教えてやる。私の業は――」



 その場を見るが、固唾を呑み、耳をそばだてる中、昧弥はあまりに堂々と宣言した。




「――毒だ」



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