12話


「そうだ。貴様の言うように、私のここでの身分は『学生』だ。そこに異論を挟む余地はない」


 目を細めながら肯定した昧弥の言葉に、道祖みちのやは表情が崩れるのをかろうじて止めた。


 思惑通りとはいえ、こんなにも簡単に認めるとは思ってもいなかった。

 まだ何か裏があるのか、それともこの程度の枷は意味をなさないとでも言いたいのか……。どちらにしてもその判然としない薄気味の悪さに、素直に喜ぶこともできなかった。


 だが、なんにしても言質は取った。今はそれだけで満足するべきだろう。



「そうか。では、今後お前たちにはこの学園に在籍する学生として相応しい行動を要請する。常に品行方正にしろとは言わん。こういう場所だ、どだい無理な話でもある。だが、無暗な暴力行為や他生徒の生活を破壊することは、この学園の長として断じて認めん……いいな?」



 どうにも腑に落ち切らない気持ち悪さが拭えなかったが、これ以上の欲を出して話を大きくしても碌なことにならないと判断し、必要最低限の要求に止めた。


 昧弥まいやはその要求を吟味するように深く煙を吸い、ゆっくりと吐きだした。



「いいだろう。私も学園とことを構える気はない。――今は、な」



 道祖の眉がピクッと跳ねる。聞き間違いなどあるはずもなく、その呟きは宣戦布告以外の何物でもなかった。



「……それがどういうことか分かって言ってるんだろうな? 学園を敵に回すということは、本土を、国を敵に回すということだぞ?」



 剣呑な光を湛えて鋭く貫いてくる視線に、昧弥は高慢な態度を崩さず、それどころかより笑みを深めて答えた。



「貴様らこそ分かっていないようだな。――私の言葉だぞ? 私がそうと決めて言葉にしたのだ。これは。たとえ神仏であっても覆すことは叶わん」



 ゆらりと紫煙がくゆる。白くけぶる奥から覗くまなこはどこまでも暗く、一切の希望を飲み込む闇がうごめいていた。


 ゾクッと背筋に怖気が走る。


 ――ハッタリではない。


 道祖は確信した、否、させられた。

 この少女の形に無理やり押し込められた悪逆は、遠からずこの島を地獄の業火で焼き尽くす。その炎は、ともすれば本土にまで及びかねない。


 ――今ここでやるべきか?


 掌を返し、自身の持つすべてをかけて息の根を止めようと思えば、おそらくは可能だ。自らの人工精霊タルパ、そして学園長としての権力と抱えている戦力。その一切を惜しみなく注ぎ込めば、ここですべてを終わらせることもできるだろう。


 しかし、それは今まで積み上げてきたすべてが無に帰すことも意味する。その覚悟あるのかと、道祖は歯噛みしながら自問する。


 未来は所詮、未形。

 覗きようはあっても定めようはない――そう断じることができない。


 ならば、この悪意を見逃すことはあってはならないはずだ。問いかけるまでもない、分かり切っている。


 だが――、



「……そうか。残念だ」



 道祖は重々しく息を吐いた。


 今ここで、この悪意を断ち切るわけにはいかなかった。

 それは自身の裁量を越えている。学園を運営する立場とはいえ、所詮は雇われた身。己の一存で希少なの処分する権限はない。自分にできることは本国に報告を上げ、判断を仰ぐことぐらいだった。


 歯痒さに、俯いた道祖は一層苦しげに顔を歪めた。

 しかしそれは、自らの手で諸悪の根源を絶つ機会を与えられていなかったからではなく、この若者を自分が導くことはないのだと確信してしまったから……。


 それがたまらなく悔しかった。


 道祖夕里みちのやゆりは教師だ。たとえ教壇から離れて久しく、学園を運営する立場となり、最早学徒たちの心に寄り添うことが叶わくとも――教師なのだ。



「なぁ、さかい。お前……夢はあるか?」



 だからだろう……思わず口をついて出たのが、そんな子供じみた戯言だったのは。


 初めて語りかけるように名前を口にして訊いたことが、こんな甘さに満ちた言葉だったことを道祖は後悔した。

 そんなモノに浸れているなら、ここに来るはずがない。


 その傷に大小はあれど、ここに来る者は皆、心に傷を抱えている。でなければ人工精霊タルパは生まれようがないのだから。


 ――下らないことを。


 道祖はかぶりを振って、昧弥へ訂正するために声をかけた。



「すまない、忘れて――」


「夢は……過去に添うものだ」



 故に、声が返ってきたのはまさに予想外のことで、驚愕のあまり勢いよく顔を持ち上げたのも仕方ないことだった。


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