禍々しき渦中

モモスガ

ある男の渦中

此処は何処なのだろう?…

そういう疑問も忘れてしまうくらいに、

「私」はずっとこの場所に居る…

相変わらず、息苦しく臭くて…

タバコを吸いすぎた後に腐った肉の中へ

頭から突っ込んだみたいだ…


聞き慣れ過ぎて聴こえないふりをしているがあらゆる方向から、色々な声とも言えない呻きや悲鳴が響きわたり騒々しくもあった。


空を見上げれば赤黒く染まり、果てしなく続いているようだ…

「タバコか…」

息苦しさを揶揄した言葉が、何故か懐かしく感じて言葉に出した…


「おーい!!…そこのあんた!…あんただよ!」

少し離れた後ろの方から声が聞こえたので、振り返ると

男が一人、悲壮感たっぷりの表情で私の元へ駆け寄って来た。


「俺は生革隆太(きがわりゅうた)!…此処はいったい何処なんだ?…」

疲れた顔をして焦った様に名乗った男は、

くたびれたスーツ姿に締めていたはずのネクタイは苦しかったのか、引っ張り過ぎてほどけてしまいそうだ…


背格好は私より少し大きいな…と思った。

「スーツに…ネクタイか…」

私はまた懐かしく感じて言葉にしてしまった。


「ああ?…俺は此処か何処だと聞いてるんだ!!」

生革隆太は思った答えではない事に苛立ち、語気を強めて、もう一度聞いた。

「…あなたの身長はどの位なんですか?」


私は男の質問よりも自らの興味を優先して尋ねた。

「ええ?、175cmだ!…だから!そんな事はどうでもいいんだよ!!…何処だって聞いてんだろ!!」


175cmか…では私の身長は172、3cmかな…と

私は、自分の体の大きさを確認できて、少し気持ちが弾んだ。


生革隆太の方は、自分が生真面目に答えた事に気恥ずかしくなり、先程の苛立ちも重なって、体を震わせ両の拳を固めて今にも襲いかかってきそうだ…


私は慌てて生革隆太の質問に答えた…

「…すまない…此処が何処なのか、私にもわからないんだ…」


「わからない?…わからないって言ったのか?…」

生革隆太はそう言いながら唇を噛み、噛んだ端から血が流れた…


私は、生革隆太が異様に興奮しているのを感じながらも、何もしてやれない自分の無力感に苛まれた。


「お前!…此処にどれくらい居るんだ!?…この息苦しさと悪臭も何とかならないのか?…目と喉が痛くてたまらん!!…しかも、何処から聴こえて来るんだ?!…この五月蝿い声は?!…耳がどうにかなりそうだ!!」

生革隆太は、此処へ来てからのありったけの不満をぶちまけた。


「…すまない…何も知らないんだ…」

私にはそう答えるしか思いつかなかった。


「それは!…今聴いた!!」

生革隆太は言い終わるや否や私に掴みかかって来た。


私は生革隆太に対して、怒りと恐怖を感じたが、

体は反応できずに、されるがままだった。


殴る蹴る…おおよそ思い付く限りの暴力を振るわれた…

「何で!…俺の聞いた事に!…ちゃんと答え!…られないんだ?!…ああ?!」


生革隆太は、息を切らしながらも力任せに両の手で私の髪を掴み、臭い地面に何度も叩き付け暴れた。


私は、激しい痛みと朦朧となる感覚を交互に繰り返す中、

鼻と口の切れた箇所から喉を介して気管へと血が流れ混んで来て、

たださえ、息苦しくて臭いのにと思った途端、咳き込み呻いた…

「ゴフッ!…ウェ!…アッ…クッ!…」

私は意識をそれで保てた。



傍らから激しい息づかいが聞こえて来た…


私は、目を開けようとしたが上手く開けられず、

体もあまり動かなかったが、息づかいのする方向へ首を傾け眺める様に見ると

生革隆太が、うなだれて息を切らせて

フーフー言っていた。


生革隆太の両手には引き千切れた私の髪の毛がこびりつき、

汚いものを剥がす様に、こびりついた私の髪の毛を取り除き、

両の手を臭くて汚れた地面でゴシゴシと擦り拭きながら、

端と気づいた風に私に尋ねた…

「ふー…お前…名前は?…ふー、何て言うんだ?」


私は答えかねた…私の言える言葉は何故か…生革隆太には同じ言葉しか思い付かない…


「…私にはわからない…」

覚悟決めて答えた。


生革隆太の体が震えだし、乱れていた呼吸も落ち着いたみたいだ…


嫌な予感がし、私は上手く動けない体をモゾモゾさせて、何とかこの場所からはなれようと努めた。


グルンと私の方へ顔を向けた生革隆太は、

絶望と怒りがごちゃ混ぜになった表情を、

私へ見せ言った…


「…だろうね!…そうだろうよ!!…お前は何もわからないんだったよな!!」


私は生革隆太の言葉を待たずに何とか逃げようとしたが

「じゃあ、俺が名前付けてやるよ!…お前みたいな使えない奴は、昔からアルバイトって相場がきまってるんだ!…お前の事は、これからバイト君って呼んでやるよ!…」


生革隆太は顔を歪めながら皮肉をたっぷり込めて、私に言った。


私には言葉の意味が理解できなかったが、

顔つきから察するに、

どうやら生革隆太にとっては『アルバイト』って単語は他人を見下す意味を持つらしい…


何とか動けるようになった私は、体をゆっくり起して、

まだあちこち痛む部分を労りながら、ため息似た深呼吸をした。

「ん?…動けるようになったのか?…すごく回復が速いんだな?…」


生革隆太は自分の顎に手を置き、私を舐め回す様に見て、

まるで何事もなかったかの様に感心する様に呟いた…


「バイト君!…喉が乾いたし、腹も減ったから、何か飲み物と食料探してこいよ!」

生革隆太は座り込んだまま、あぐらをかき、私を見ずに、

私がいつもしている当たり前の用事の如く指示した。


「わ…」

言おうと思ったが、私は話すのを止めた…

生革隆太に対しては、

どうしても同じ言葉しか出て来なかった…


まだ痛む体を立ち上がらせると、トボトボと歩き出した。


食べ物などは何処にも無かったので、

どの方向へ行こうか迷い、考えながら歩いていると、

「まだかよ?…早くしろよ!バイト君!」

私の歩く後ろを生革隆太は着いて来ながら、文句ばかり言っていた。


そう言えば…

私も、いったい何時からだろうか?…

何も口にしていなかった…

腹はかなり空いていたはずだが、

生革隆太に言われるまで忘れていた。


暫く、生革隆太の不満の声と周りの雑音の

二、三重奏を聞き流しながら歩を進めていると、

前方に白い人影を発見した。


私は本能的に体が固まり動けずに居ると、


「何してんだよ!…早く行けよ!!」

後方から生革隆太は高慢な態度で言う


「あれ?…何だあれ?…白い人間?…?……おーい!!…あんた!!」

少し躊躇して生革隆太は白い人影に向かい大声をあげた。


「バカ!!…ダメだ!!」

私は初めて生革隆太に対して違う言葉で叫んだ。


「あ?…テメェ誰に言ってん…」

そう言い終わらないうちに、白い人影はもの凄い速さで、私達の方へ駆け寄って来た。


その動きは獲物を見つけた『昆虫』に見えた…

「ぐっ!?」

私は声に成らない呻き声で、白い人影を迎えた…


「なっ?…な?!…何だ?!…コイツ?!」

なにが何だかわからない声で生革隆太も迎えた。


「キチキチキチ…キチキチチ…」

面長に間延びした顔が上を向き、

ほぼ、顔全体が巨大な口で構成されていて、

上唇のすぐ上部に二つの鼻の穴が見える。


目は無く…耳と思われる部分から、

長いアンテナの様な角らしき物がピクピク動いて、

それが「キチキチ」と音を立てている様だ…


白い人影は私達よりひと回り大きく、

二本足だが下腹が地面に着くほどブヨブヨと垂れ下がり、

足の関節が逆を向き昆虫のそれだった…

両の腕は鍛え抜かれた様にゴツく厳つさがあり、

両手は、そのゴツく厳つい腕が細く見えるくらいに大きく、

鋭い爪は直接指先から生えている様で

一体感があり境い目が無かった。


動けずに居る私を『白い怪物』は大きな両の手で掴み値踏みする様に眺めた直後、


私の右側頭部から顔に至る部分を、鋭利な刃物で切り裂く様に噛み千切った。


「ぎぃやぁぁぁ~~っ?!」

生革隆太は絶叫的な悲鳴をあげると、

見て解るくらいに体を震わせ、その場に座り込んだ。


噛み千切られた側から血が吹き出し、

着ていた衣服らしき物が鮮血に染まっていたが、

私は不思議と痛みを感じてはいなかった…


生革隆太に殴る蹴るされた時の方が、死ぬほど痛かったと思った。



昔、聞いた事がある…

傷が深すぎると脳が神経回路をシャットアウトして痛みを感じないのだと、

って言うか…

頭が半分無くなったので脳も死んだのかな?と感じていたが、

残った右目はクリアに見えており、

白い怪物が、食べ飽きた様に私の体をその場へ投げ捨て、

興味を生革隆太に向けた様子を私の右目は力無く眺めていた…


「ひぃぃぃ~~っ!!…来るなっ!!…来るなよ!!…来ないでくれ!…ください!!」

生革隆太は言葉尻がおかしくなりながら、

腰が抜けて動けなくなった体を

ウネウネさせ何とかその場所から離れようと努めていた…


「ブツンッ!!」

「ガリッ!!…ゴリッ!…ゴリ!!…」

「ぐぁぁっ~~?!…いだい!!…

痛い!!…びぁぁ~~っ!!」

白い怪物は生革隆太の右腕を難なく引き千切ると、

何故か千切った右腕を捨て、

千切れた右肩部から迸る鮮血を美味そうに飲みつつ、

右肩から体幹部を、その鋭い歯で噛み千切った。


激しい痛みと自らが凌辱される絶望で、

生革隆太は気を失った様だ。


白い怪物は生革隆太の食べかけの体を面白くなさそうに捨て、踏みつけると

「ブヂュッ!!」

と音を立て生革隆太の千切れた体から臓器が飛び出して辺りに飛び散った…


私は、途切れない意識を不思議に思いながら、辺りをチョロチョロ動く白い怪物を眺めていると、


突如、赤黒い天空から赤く巨大な右手が降りてきて、簡単に白い怪物を親指と人差し指で摘むと尖った親指の爪で

「プチッ!」

っと、まるで適当に蚤を潰したかの様だった。


「餓鬼めらめ…目障りな…」

怒鳴っていないのに、周囲全体に響き渡るほどの音量が耳に飛び込んで来て、

私は恐怖で体が強張った。


巨大な右手は「ピンッ!」と白い怪物を爪で弾くと静かに天空へと消えていった…


白い怪物はグチャグチャになって臭い地面へ打ち捨てられ、ピクリとも動かなくなり

「あれ?…死んだのかな?…」

と私は思ったが、何か変だった…


私は死ぬどころか、喰われた右側頭部は時を遡るかの様に再生してきている。

見る限り、生革隆太も徐々に喰われた部分が再生している様だ…


何故…白い怪物だけが死んだのか考えていると、

「?!…ぐぁぁぁっ?!」

急に右側頭部が痛み出し、余りの激痛に呻いた…



なるほど…傷が浅くなってきて感覚が正常に戻って来たのか?…


訳がわからない…


そう思っていると、

ふと生革隆太の千切られた右腕が転がっているのが目に入り

「ゴクリ…」

思わず唾が口の中いっぱいに込み上げて来て、

私は落ちている右腕を奪う様に掴むと

無我夢中で頬張った…


決して美味しくは無かったが、今まで忘れていた体中の乾きが癒えて行くようだった。


「ゴリッ!!…ガリッ!…ゴリリッ!!」

私が夢中で右腕を食べていると、


「ひぃぃぃっ?!…」

声のする方向を見ると

生革隆太は怪物でも見る様に恐怖で怯えた声を出して私を見ていた…


意識を取り戻した様だが、まだ体はグチャグチャの重症で痛みを感じてはいないのだろう…


「お…お前…何してるんだよう?…」

か細い弱々しい声で、私に生革隆太は尋ねた…

「モグ…いや…これは…モゴ…」

食べながら言い訳を考えていると


「…やめてくれよう…食べないでくれよう…俺の右腕ぇ…グスッ…ヒック…」

生革隆太は子供みたいに泣きじゃくりながら、私に弱々しく懇願した。


「…ごめんなさい…」

私は食べ散らかした右腕をそっと下へ置くと

子供みたいに謝罪した。


「…グスグスッ…ヒック…」

暫くは生革隆太の泣きじゃくる声と

周囲の呻き声と悲鳴を聞きながら、

食べ散らかした右腕のやり場に困っていると


「…此処は…地獄だ…」


生革隆太は涙声で呟いた…


「…あなたが…そう感じたなら、

そうなのかも知れない…」


私は、やっと生革隆太と静かに会話出来た事に安堵していた…


おわり












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