お払い箱に槍を
芙よう
1.槍を手に入れたんだ
「槍を手に入れたんだ」
が、しかし、
「槍って、戦国武将とかが振り回す、アレ?」
「そうそう、それ。三国志の人たちとかも振り回すのかな」
沙耶は眉根を寄せながら、フライドポテトを口に入れた。テーブルを挟んで向かいに座る叶葉もポテトを手に取る。口中に広がる味は、紛れもなく二十一世紀の日本のファストフード店の味だ。
女子大生二人の昼食時であり、どこにでもあるファストフード店内であり、金を出し合うのならもう少しマシな店にすればよかったという後悔の最中であり、それはそれとしてお手軽な満腹感に満足感を憶え始めている頃合であり、そんな中で女子大生の口から出てくるには、「槍」なんて言葉は不似合いなものだった。
沙耶は叶葉の顔を見やる。競うようにポテトを口に入れていくが、食事時の笑い話をしている顔つきでもなかった。とはいえ、さすがに本気とは考えられない。自然と沙耶の口調は冷やかすようなものとなっていた。
「なに、竹ヤリでも作ったわけ? 飛行機でも落とすの?」
叶葉は不満げに口を尖らせ、
「あたしはマジで言ってるよ」
マジと言われても困る。沙耶は顔をしかめた。理解しかねることに、叶葉は冗談を言っているつもりはないらしい。訝しみながら、沙耶は最初から話すことを要求した。
「えっと、一昨日か。バッセン行ったんだけど」
「抜栓?」
「バッティングセンター」
「まだ通ってたの」
「週三だよ。で、店番のおばあちゃんが、ホームラン打ったら景品出すようにしたっていうから、がんばって」
「へえ、よくわかんないけどすごいじゃん」
「4ゲームやったところで腕が上がんなくなって」
「打ってねえのかよ」
「おばちゃんが武士の情けで景品を預けてくれたんだけど、それが槍だったんだ」
ふーん、と沙耶は相槌を打ってストローをくわえる。順番に話をされると単純な物事で、なにも異様なことはない。そこまで思い至って、沙耶は器用に片目だけを細めた。経緯は単純だが、内容が異様だった。
「ねえ、それってマジ話?」
沙耶が尋ねた。叶葉は呆れた顔を向ける。
「だからあたしはマジだってば」
「だって、冗談だとしたら面白くないし、マジだとしたら笑えないじゃない」
「笑わせたいわけじゃないよ」
ふーん、と沙耶はもう一度相槌を打って、一昨日切ったばかりの前髪を気にする。
「あ、そうだ叶葉、二限の小テストなんだけど」
「え、なんで? なんで普通に流してるの?」
「いやだって広げるような話でもないでしょ?」
「広げようよ、広げたいよう」
叶葉はテーブルをバンバン叩いて駄々をこねる。隠さず漏らした「うわぁ」という声も意に介さないので、沙耶は渋々と、
「本物なの?」
「刃は丸めてあるけどね」
「丸めてるとかそういう話じゃないっていうか……」
頬杖をついて、沙耶は最後の一つとなったポテトを口に含む。叶葉の手がテーブルの上を空振って、沙耶を恨めしそうに見やる。
沙耶はゆっくり咀嚼して、
「やっぱ嘘でしょ。バッティングセンターと槍ってなんも関係ないじゃない。意味分かんない」
「なんの目的でこんな嘘つかないといけないのよ」
叶葉の反論はもっともだとは沙耶も思う。とはいえ、
「だって意味不明だし」
そうとしか言いようがない。
なにを考えることがあるのか、叶葉はなにやら顎に手を当てて、
「百聞は一見にしかずってこと?」
「そんなことは言ってないけど」
じゃあさ、と沙耶は口にした。なにがじゃあだ、と沙耶が口を挟む間もなく叶葉は続けた。
「見に来てよ。うちにあるから」
沙耶はたまに、叶葉は自分の言葉を聞く価値がないものと見なしているのではないかと思うことがある。どういうわけか、そう思う時は決まって二人並んで立っている最中なのだから、沙耶は「170ちょっと」とざっくり自称する叶葉を、恨みがましい目で見上げることとなる。身長のこととなると、「だいたい155くらい。あるし。あるアルよ」と胡散臭い外国人になる沙耶には、それも気に食わない。
「目つき悪いね」
叶葉が見下ろして沙耶の視線を評した。沙耶はふん、と鼻息をひとつ、
「生まれは選べないから。別に機嫌は悪くないよ」
「機嫌が悪いのは知ってるけど。ほら、少しは掃除したんだ。わかるよね?」
おそるおそるといった様子で、叶葉は沙耶に尋ねた。沙耶は叶葉を見上げていた目のまま、辺りを見回して、
「三億点満点で七十五点って感じ」
叶葉の部屋を採点した。
見た目にも壁の薄い1Kの貧乏アパートなのはいい。沙耶の居住環境も似たようなものだ。狭い部屋に不要な物が溢れているのも許容できる。足の踏み場はあるから。沙耶が容認しがたいのは、その溢れている物品そのものと叶葉が表現でもしているらしい芸術性だった。
沙耶は部屋の右隅に目をやる。どこから拾ってきたのか、ヒビ割れた居酒屋の看板が無造作に置いてある。ちなみに、沙耶も叶葉も今年大学生になったばかりの未成年だ。
沙耶は部屋の左隅に目をやる。どこから買ってきたのか、薬局の前に置いてあるカエルらしき生き物の人形が存在感を放っている。ちなみに、沙耶は二匹セットで見たことがあるが、叶葉の部屋にある人形は一匹のみだった。
他にも年季の入った門松であったり、沙耶の見たこともないゲーム機らしきものであったり。
ゴミ部屋というわけではない。少なくとも目に見える範囲では、明らかなゴミもパンパンに膨らんだゴミ袋はない。変な匂いもなく、掃除はしっかりしているらしく、汚らしいということもない。ただただ乱雑だ。
なんの役に立つでもなく、場所だけは食って、大事にされていないことが一目でわかるような物がそこら中にある。そんな物ばかりだ。
沙耶が初めてこの部屋を訪れた時に抱いた印象と、今この時に抱いている印象はなに一つ変わることはない。
お払い箱の中身だ。
一般的な女子大生の部屋からは遠く離れている、と沙耶は思う。
見る者が見ればなにがしかの精神分析でもできるのかもしれないが、あいにく沙耶には「いいから邪魔くさいものをとっとと捨てろ」以外の言葉はない。以前に部屋を訪れた際も、確かに同じようなことを口にしたのだが、こうも変わっていないと、叶葉は沙耶の言葉を軽んじていると考えるのも無理からぬことだった。
言いたいことはいくらでもあった。なにから言ってやろうか、と沙耶は部屋の奥に目をやって、嫌そうに口をへの字にした。
「うわ、ほんとにある」
「槍でしょう?」
槍だった。件の槍は部屋の片隅に無造作に立てかけられている。
長い。柄は沙耶の身長と同じか、少し長いかほど。いわゆる石突の部分に古新聞がぐちゃぐちゃに巻き付けられている。柄の先端、おそらく刃の部分にはカバーが被さっている。カバーで覆っていようが、刃が丸められていようが、こんなものを担いで歩いていたら怪しすぎると思う。よく持ち帰れたなと沙耶は妙な感心をした。
沙耶は少し考えて叶葉に向かい、
「ねえ、銃刀法違反じゃないのこれ」
叶葉は無言で口の前に一本、指を立てた。沙耶は呆れた。ぴったり三秒ずつ、沙耶は槍と叶葉を交互に見つめて、
「捨てなよ」
短くコメントした。
「使い所ないでしょこんなの。でかすぎ。こんなん担いで歩いてたら通報ものだよ。インテリアにしては地味すぎ。ただの棒じゃん。物干し竿には短いし、使えなさすぎ。バレたらやべーやつなんかなおさら」
「いや、さっきも言ったけどこれまだ預かっただけだから」
「じゃ返してきなよ、邪魔くさい。ただでさえ物の多い部屋なんだし」
叶葉は、沙耶の垂れ流す寸評を困ったような顔をして受け入れているように見える。が、沙耶には分かった。この顔は沙耶の言葉など聞き流していて、いかにして自分の主張を通せるかを考えている時の顔だ。
叶葉は沙耶の顔色を窺うようにしながら言葉を探っている。右に左に目を泳がせるのは、考えている時の沙耶の気持ち悪い癖だが、ぴたりとそれが止まるのは、結局のところ上手い言葉が浮かばなかった時だ。
「聞いて、沙耶」
「聞いてるよ」
「あたしはね、」
そこまで口にして、叶葉は言葉を詰まらせた。
視線で続きを促す沙耶に、叶葉は明らかに今この瞬間考えついたことを言った。
「バッセン、行かない?」
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